第4話 三女のメリルは甘えん坊

 自宅へと戻ってきた。

 茅葺きの屋根の一軒家。木の柵に囲まれた小さな畑が傍にある。そこに実った黄金色の小麦が風に吹かれて波を立てる。

 玄関の扉を開けて家の中に入る。

 居間は静まり返っていた。


「父上。メリルの姿が見当たりませんね」

「おかしいな。俺たちが剣の稽古に行く時には寝室にいたけど。……まさか、まだ寝てるんじゃないだろうな」


 確認のために寝室を覗いてみる。

 ――いた。

 悪い予感が当たってしまった。

 布団が今朝見た時のまま、こんもりと膨らんでいる。

 カメのようにぴょこりと布団から顔を覗かせているメリルは、「すやぁ……」と安らかな寝息を立てていた。


「……おいおい。もうお昼を回ってるんだぞ?」


 いくら何でも寝過ぎだ。


「あの子は本当にぐうたらなんだから」


 アンナは額に手を当てて呆れ顔を浮かべていた。

 しっかり者のアンナからすると、昼頃まで寝ているメリルのぐうたら加減は、目に余るものがあるのだろう。


「メリル。いい加減起きろ。もう昼だぞ」


 俺は布団に包まれたメリルの身体を揺する。


「んにゃー。ボクちゃん、まだ寝てたいー」

「ダメだ。起きなさい」

「むー……。じゃあ、分かった。どうしても起きて欲しいのなら、パパ、ボクのほっぺたにチューしてよ」

「何言ってるんだ?」

「ほら、お姫さまは王子様のキスで目覚めるものだから♪」

「何言ってるんだ?」


 改めてもう一度口に出してしまった。


「メリル。あなたはお姫さまではありません。私の妹です。パパ……父上を困らせるような真似は謹んでくださいっ」

「もー。エルザは相変わらずお堅いなー。いいじゃん。別にー。パパー。早くボクちゃんのほっぺにチューして♪」

「それで起きてくれるのか?」

「起きちゃう起きちゃう。すぐに起きちゃう」

「……全く。仕方ないな」


 俺はメリルの枕元にしゃがみ込むと、メリルが差し出してきたほっぺたに、そっと軽い口づけをしてあげた。


「これで約束通り、起きてくれるな?」

「うん♪ パパのチュー、上手だね♪」

「……そりゃどうも」


 娘に口づけが上手いと言われても……。

 メリルはニコニコしながら、布団から上半身を起こした。

 くりくりとした可愛らしい目。通った鼻筋。桜色の唇。末っ子のメリルは、三姉妹の中で一番女の子らしい女の子だった。

 そして、超がつくほどの甘えん坊でもあった。

 ことある事にくっついてくるし、ご飯を食べる時は必ずと言っていいほど「あーん♪」と言って食べさせて貰おうとする。

 メリルは傍にいたエルザの顔を見ると言った。


「ねえ、エルザもチューして貰ったら?」

「――っ!?」


 エルザは陶器のような透明感のある顔を、真っ赤に染めた。


「ば、バカなことを言わないでください! ち、チューなどという軟弱なもの……剣士の私には不要です!」

「またまたー。照れちゃってー。エルザは甘えベタだなあ」


 メリルはそう言うと、俺に向かって両手を開けてきた。上目遣いになると、生クリームのような甘い声色を作る。


「パパー。パジャマからお着替えさせてー♪」

「メリルは俺に甘えすぎだ」

「だって、ボクはパパのこと大好きだもーん♪」


 思わず苦笑を浮かべてしまう。

 もっとも――毎回甘やかしてしまう俺にも原因があるのだが。

 十歳になる娘のパジャマを毎回着替えさせる姿を見られてしまえば、親ばかのそしりを受けるのは避けられないだろう。

 でも、可愛いのだから仕方ない。

 メリルに限らず。エルザもアンナも同じくらい。


「メリル。魔法学校はどうしたのよ。今日、授業でしょ?」


 アンナが腕組みをしながら尋ねた。

 メリルは村の魔法学校に通って、魔法の勉強をしていた。


「えへへ。サボっちゃった♪」

「サボっちゃったって……あなたねえ。学校に通うのもタダじゃないのよ。パパがお金を払ってくれてるんだから」

「だってー。つまんないんだもん。授業のレベルは低いし。学校の先生より、ボクの方が魔法を使うの上手だよ? ほらほら」


 メリルはそう言うと、ぴんと指を立てた。

 すると――。

 指先に氷の結晶の花が咲き誇った。


「これは……氷魔法か。メリル。どこで覚えたんだ?」

「この前、パパが水魔法を教えてくれたでしょ? だから、ボクなりに色々と試してる内に出来るようになったんだー」


 水魔法の応用――十歳やそこらに出来る技術じゃない。

 大人の魔法使いの中にも、この領域に到達できない者は腐るほどいる。それをあっさりと成し遂げてしまった。

 メリルは三姉妹の中でもずば抜けて魔力量があった。

 それに飲み込みも早かった。

 俺が教えてあげた魔法を、乾いたスポンジのように吸収していった。それだけではなく今のように応用も利かせられる。

 将来が楽しみになるほどのとんでもない才能だった。


「えへへー♪ 凄いでしょ。褒めて褒めてー♪」


 俺がメリルの頭を撫でてやると、ふにゃあと嬉しそうに頬を緩めた。

 それは気の抜けた子猫のような表情だった。


「授業に出て魔法の勉強をするより、こうしてお家でパパといちゃいちゃしながら魔法を教えて貰う方がいいなあ♪」

「ダメよ。パパは忙しいの。メリルにばかり構ってる暇はないわ。だから、あなたは学校に行って授業を受けなさい」

「いだだだ! アンナ、痛い! 痛いよう! 耳引っ張らないで~」

「ちゃんと学校に行く?」

「行く! 行くからぁ!」

「分かればよし♪」


 アンナはにっこり微笑むと、俺に向かって言った。


「パパは心配しないで。メリルは私が責任を持って学校に通わせるから。パパは思う存分自分の仕事に専念してね」

「あ、ああ」


 アンナは本当に頼もしいなあ。

 だから、メリルはその反動で甘えん坊に育ったのかもしれない。

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