約束 <3>

 木造の家の中に入ると、祭壇が置かれており、大きな女神の像が1体だけ置いてあった。

 女性は左奥にある扉の鍵を開け、僕達を誘った。足を踏み入れると降り階段のようになっていて、かなり埃が溜まっていた。

 暗い階段を降りていくと、そこには布の掛かったイーゼルスタンドが置いてあり、更に周りには同じく布にかけられたものが立てかけられていた。部屋に明りを灯した女性は、優しく布を取ってこちらに見せた。

 そこには絵画が置いてあり、白い竜が空に出来上がった光の柱へと飛び立つ様子が描かれていた。女性が他の布を取って行くと、黒衣を纏った金色の髪の詩人と、様々な街を行き交う人々、たくさんの絵画が顔を見せた。

 「私の先祖が司祭であった時代、一人のシスターが生涯描き続けていた絵になります。彼女は元々孤児であって、旅に出た時に、この黒衣の詩人と出会ったそうです」

 曰く、シスターは旅の間も絵を描き続け、旅の終わりにイーゼルに掛けられている白い竜の絵を描いたのだという。彼女は未完成のまま何十年も絵を放置して祈りを捧げ続け、亡くなる直前にその光景を思い出して仕上げたのだと女性は語った。

 僕は絵に描かれた黒衣の詩人を見て、少しだけ懐かしい気持ちを覚えた。

 サルバトーレ氏もサーシャも同じような気持ちだったようで、二人も絵に描かれた詩人を見て驚いていた。

 「旅の終わりにシスターが見た光景は、この黒衣の詩人が白竜へと変貌し、空へと飛び立ち、天を突くような光の柱を生んで消えた、と。彼女は文と言う形で紀行録も残していて、それもこちらに安置してあります」

 女性は大き目の箱を取り出し、鍵を開けてこちらに差し出した。表紙に古代文字で『ノーヴァルシア紀行』と書かれたそれを受け取り、ぱらぱらとめくって読んだ。彼女の文体はまるで小説のようで、これも解読に時間がかかる代物だと感じた。

 事実このノーヴァルシア紀行については、本筋であるノヴァリスの詩文を解読する片手間に行っていたため非常に年数をかけての解読作業となった。本書を執筆している今でもまだ作業が終わっていない。氏が病死してしまったこともあり非常に残念だが、同時に自身の力量不足も感じる。


 女性は僕達を客間へ案内すると、暖かなスープとパンを用意してくれた。

 向かいに座った彼女に改めて名を名乗ると、彼女はユリシア・フィルミアナと名乗った。ユリシアに改めて古びた本を見せ、これまでにあったことを話すと、彼女は少し間を置いてから話し始めた。

 「……幻を見せる魔導回路マナグラフ、というものはかつてノーヴァルシアの北にあったそうです。けれど今は終末を乗り越えた先の時代……現存している魔導回路も、私たちが使っている生活器具や、こういった護身具ぐらいしか無く……この本に秘められた魔法というものもよくは存じ上げないです。けれど強いて言うなら……」

 ぱらりと本をめくりながら、本全体を見るようにユリシアは視線を動かす。

 「……この本は少なくとも魔導回路マナグラフではないようです。考えられるものとすれば、神々が行使していた奇跡——古代魔法の類ではないかと」

 「その言い分だと、僕達は神様に会ったってことになりませんか」

 ユリシアは力強く頷く。

 「ええ。ノーヴァルシアの神は我々人と程近いところに居た。人に殺された神も居れば、人と手を取った神も居るんです」

 彼女はそう言って、再び固く締められた地下への扉を見た。

 「……あなた達は地下でまるで見たことのあるような顔をして、黒衣の詩人の絵を見ていましたけれど。——きっとあの方が、ノヴァリスという方なのでしょうね。この世界を長く長く見守っていた、伝承を伝える詩歌の神——とでも言うべきでしょうか……」

 途方もないようなことを言われ、僕は古びた本に視線を落とした。わからないことが増えていく一方で、自分の欠けた記憶が埋まっていくような、そんな気がしていた。

 心の中で渦巻く様々な想いを整理していた時、ぱんと手を叩くユリシアの音で僕は我に返った。

 「そうだ。神殿も見ていきますか?あれはルシフィム様を祀っている神殿で、かつて、この大地を救ってくれた巫女様が生まれた場所でもあるんですよ」


 僕達はユリシアに連れられて神殿へと入った。大口を開けていたそれはボロボロに崩れており、ユリシアの家で見かけたものよりもはるかに大きな石造りの祭壇が置かれていた。ルシフィムを模ったという女神像は崩れた天井で陽光を受けて照らされており、風化しながらも美しい姿を保っていた。

 興奮して女神像に駆けていくサルバトーレ氏をよそに、僕はその光景をノートにスケッチした。

 女神像は幻で見たルシフィムとは全く異なる姿をしていたが、なるべく現地の女神像に合わせて模写するように努めた。

 ふと、サルバトーレ氏から呼ぶ声が聞こえた。

 「おおーい!ハイベリー君、大変だ!こちらへ!」

 ノートを閉じて氏の方へ向かうと、氏は女神像の足元を指さした。見ると、そこにはうっすらと古代文字が刻まれた跡があった。砂埃が詰まっていたり、風さらしのためところどころ掠れていたりと読める箇所が少なかったが、何かの詩文のようなものだった。

 「ここ、ここだよ。この碑文の最後……3人分の人名のようだが——これはサーシャ君の名じゃないか?」

 見るとそこには、確かにサーシャの名が刻まれていた。彼女の上と下に記載されていた名前も、一部が読めなかったが文字列的に恐らく僕とサルバトーレ氏の名前だろうと予測した。

 僕は砂埃を払って詩文を可能な限り写経し、この場で解読しようと試みることにした。

 大部分が掠れていたわけでは無かったため、当てずっぽうで言葉を当てはめていく。一部は完全に読み解けなかったが、以下のように読むことができた。


 私が遥か 時を越え

 君に答えを 伝えたら

 私は××に 帰り征く

 君は未来へ 語り行け


 約束の詩文をここに 君達の行く先に光あれ

 敬愛する我が友 エドワード、サーシャ、サルバトーレへ


 それはまるで、僕達へ向けた時を越えたメッセージのようだった。


 「何てことだM a r v e l o u s……。そんなことがあるのか……これではまるで……まるでノヴァリスがハイベリー君に本を託し、時を越えてここにメッセージを残したようじゃあないか」

 「え、どういうこと?これって、あの時消えちゃった人が書いたってことなの……?」

 驚きを言葉で表す二人とは逆に、僕は言葉を失っていた。失われた記憶が全て繋がったような気がし、思わず女神像を見上げる。

 その様子を後ろから見ていたユリシアへ、僕は振り返って質問する。

 「……これは、いつからあったんですか」

 「いえ……子供たちは決して神殿の中にいたずらはしないし、私も女神様の掃除はいつもしていたけれど……こんなものを見かけたのは初めてです。——これもノヴァリスの奇跡なのでしょうか」

 隠しているような素振りは無く、本当に困惑しているようだった。

 「——けれど、これがもし本当にノヴァリスが遺したものだったら……きっとあなた達は、本当に神の導きがあってここまで来たということなんでしょうね……」

 再び女神像を見上げると、少しだけルシフィムの像がほほ笑んだような、そんな気がした。


     * * *


 それから僕はユリシアに頼み、カタリナ国との連絡役を請け負ってくれるか交渉した。彼女は快く返事し、僕達とマジュリートまで同行するとまで言ってくれた。

 また、彼女は僕に書籍『ノーヴァルシア紀行』を託し、遺跡調査にも協力すると申し出てくれた。このおかげで翻訳作業や遺物調査が劇的に進むようになり、この書籍を執筆する運びとなった。


 アレクサンドラ港へ越して七年と月日が経ち、やがてこの書籍を執筆している最中に、サルバトーレ氏は病に伏して斃れてしまったが、それでもこのプロジェクトは倒れずに続いた。調査の責任者としては、僕が後任に選ばれることとなった。

 妻となってくれたサーシャの支えもあって、現在はミアリの街を完全に掘り出すことができたが、彼が夢に見た街の復興までは至っていない。また、街を囲っていた砂丘に埋もれたミアリの住民のものらしき遺物を新たに発見したため、依然と発掘調査は続いている。

 フィルミアの森は変わらず文明の保護を理由に立入禁止区域として設定されているが、物資供給や実地調査のこともあり、ユリシアの協力で、人間が安全に通ることができる道を整備している。


 謎は未だ、霧の奥に眠っている。一部を解せども、それはただの氷山の一角に過ぎない。終わりのない謎解きに、僕達は今も挑戦し続けている。

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