第2話  血塗られた百鬼夜行

 

 抱きしめた腕が、そっと離れ……地獄の門が開く。

 比喩じゃない、本当の地獄が始まるのだ。


 一瞬で校内は闇に包まれる。


 そして人なのか獣なのか、叫び声が鼓膜を揺さぶる……。


斗有無とうむ学園及び近隣一帯の集団ガス爆発事故・中毒死事件』


 後にそう呼ばれるこの凄惨な事件は、人間による犯行でも自然災害でもない。


 ただ百鬼夜行がここを通っただけなんだ。

 何百年に一度蘇る悪魔が、たまたま此の学園を通っただけなんだ。


 俺達がアリの巣を気にせず、踏み潰すのと同じだ。

 悪魔が人間の事など、考えるわけもない。


 奴らの百鬼夜行はおぞましい瘴気を吐き出し、進む。


 その瘴気に触れると、人間は異形の化け物に変化する。

 変化に耐えられない体であれば、そこで死んでしまう。


 奈津美は俺の前で、グチャグチャの肉塊の化け物になって……死んだ。

 大腸の化け物のようになって……。

 残った右の瞳を大きく見開き、涙を流して……最後の言葉を吐けずに死んだ。


 でも今日は違う!

 今日こそは……!!


 甘い口づけを交わした後に、俺はカッターナイフを取り出す。


 急に暗くなった教室や叫び声の異変に気付いた奈津美は、更に俺のナイフを見て驚いた顔をした。


「えっ!? なに!? ……どうしたの!?」


 でも恐怖ではない。

 ただ驚いただけ……。

 俺達の信頼関係は深い、深いものだった。


 俺達がどれだけお互いを信頼し、大切に愛しく思っていたか――。


 また泣きそうになるけど、そんな事を考えている暇はない。


 あと十五秒。

 俺は左手で思い切り自分の左耳を引っ張って、カッターナイフを突き刺した。


「きゃああっ!? さい!? 何を!?」


 吹き出す血。


「ぐ……ぐぅ……!」


 激しい熱さのような痛み。

 自分の手に伝わる、肉と軟骨をゴリゴリと切る嫌な感触。

 平気なわけじゃない、痛い! 痛い! 痛い!!

 でも唇を噛み締め、それでも俺は急ぎ切り進める。


「やめて! やめて!」


 痛みでおかしくなる鼓動など無視して、最後は耳の半分を無理やり引き千切った。


 血が飛び散った!


「きゃああ!!」


「奈津美、ごめん!」


「い、いやぁ! 何をするの!?」 


 怯える彼女を抱き締め、血の滴るをすぐに奈津美の口に無理やり押し込んだ。


「うぐ!?」


「ごめん! 飲み込むんだ!」


 もう信頼が、全て恐怖に変わってしまった……俺の恋人。

 俺は抱きしめながら、涙を流しながら、それを押し込み飲み込ませていく。


 血も肉も飲んでくれ!


 ここまでくるのに何回リープしただろう?

 切り取る部分も、指だの目だの色々と迷い、量を間違え失敗し、やっと左耳の半分に落ち着いた。


 幸せの絶頂から、恋人に千切った耳を飲み込ませられ、口元が血だらけの奈津美は気を失いそうだ。


「さ、祭……」


 俺の血が滴り落ちる。

 これで奈津美の変死はとりあえず止められる。


 化け物への変化を止めるには、


「大丈夫、必ず俺が助ける」


 何を言ってるのか、と思うだろう。

 そのままへたり込む奈津美の前で、俺は血で教室の床に複雑な魔法陣を描く。


 馬鹿な俺がこれを時間内に描くのだけにも、何度ループしたか。

 右手を耳から出る血で真っ赤に濡らし、俺は必死に描く。

 そして胸で祈るように手を合わせ、詠唱を始めた。


「待ちわびる血の涙の聖女の苦味

 白い肌を刺す絶望の味よ

 通じない狂ったこの呼声

 魂弾け飛び

 ――汝を刺す……

 指し示せ!

 拮抗する契約の前に、

 悪魔ウィンキサンダ我が血に答え我が声を聞き我が前に現われよ!!」


 魔法陣から黒の闇と血が噴き上がる。

 コールタールの噴水のように、どろどろと悍ましい汚い噴水だ。


「あいよぉ、祭。最短記録じゃん」


 その真ん中に出現したのは……


 悪魔ウィンキサンダ。


 醜い、悪魔だ。

 黒いトカゲのような羽に、青い顔つり上がった目。左目は潰れている。

 右羽もかなり欠損し、右足は足首から千切れて無い。

 紅い巻き舌。爪は鋭く長い、しっぽも生えているが途中から切れている。


 ボロボロになった死にかけの、先端が腐ってしまった黒い鯉のようだ。


「御託はいい。早く、奈津美に結界を、そして寄越せ」


「うぃ?」


「ふざけるなよ! 早く聖剣を出せ!」


 睨みつけると、悪魔は両手のひらを拝むように合わせ唱える。

 そしてゆっくりと両手を開いていくと、その手の間に剣の刃が見え始め、腕を開ききると……その掌に、ふわりと剣が浮かぶ。


 俺は教室の時計を見た。

 十六時二十三分。


 奈津美は、結界の中でもう気を失っていた。

 もう、俺はこの結界には触れられない。


 あと一分二十六秒。


 俺は転がっているバレンタインチョコレートの包装をバリバリと剥がす。

 六個しか入ってないチョコを一気に口に入れた。


『六個しか入ってねーのかよ!』

 って笑いあって……ハート型のイチゴ味は奈津美に取られたんだろうな、なんて。

 何度この想像を繰り返しても俺は此処で、溢れる涙が止めれない。


 もう絶対にない未来。


 でも――これが俺の走馬灯だ。


 学ランの袖で涙を拭った。


「ウィン!」


「うい」


「今日こそ必ず、この悪夢を終わらせる」


「そうしてくれ」


 俺は、バカを見るような目で待っていた悪魔が持っていた剣を握りしめた。


 ぶわっ!! っと一気に竜巻のように聖剣から俺の身体に力が流れ込む。


「行くぞ!! 結界は絶対に守れよ!!」


「じゃあ、まず此処から離れろよ」


 言われなくとも、俺はすぐに教室の扉に向かって走る。


 もう、奈津美の顔は見なかった。



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