第12話 頭のおかしい説得

 萬物よろずもの病災やまいをも立所たちどころはらきよたま

 萬世界よろずせかい御祖みおやのもとにおさめせしめたまえと

 祈願奉こいねがいたてまつることのよしをきこしめして

 六根むねうちねんもう

 大願たいがん成就じょうじゅなさしめたまえと

 かしこかしこもう


 声に釣られて棺の外に立つ鷹一郎と目が合う。

 いや、その透き通った目は俺を見ていない。鷹一郎が見ているのは俺ではなく麗卿なのだろう。

「麗卿。あなたはすでにご認識されているのでしょう? そのままではまた、あなたのご主人がいなくなってしまうことを」

 ……旦那、さまは、こちらに……

「大事な人をもう失いたくはないでしょう?」

 今も俺に絡みつく麗卿がわずかに動揺する。

 麗卿は繰り返してきたのだ。喬生が随分前に死んでから、喬生を探し続けて、麗卿に優しくした男を喬生と認識し、忌避されるたびに取り殺して、そして失ってここにいる。鷹一郎がいなければ伊左衛門もそうなっていた。

 それまで何故か忘れていたその事実の恐ろしさにぶわりと鳥肌が立つ。

「本当の喬生は随分前にあなたを残して亡くなりました。あなたが抱きしめている人は喬生ではなく私の友人です。優しいでしょう?」

 ……わたくし、は……

「喬生というのはそれほどいい人でしたか? その人より?」

 俺にしがみつく力が強くなり、そして逡巡するように僅かに離れた。

 おそるおそると探るような空気が流れる。初めて麗卿の視線が、直接俺に向けられた。それとともに俺に重なった麗卿から薄っすらとした記憶がにじみ、涙のようにぽたぽたと俺に降り注ぐ。

 なんだ、なんだこれは。

 その記憶の中で喬生というのは確かに糞野郎だった。

 少し休んで行けと世間を知らぬ麗卿に告げて家に連れ込み無理やり襲い、良家の子女だろう、バラすぞと脅して毎日来させて何くれと命じた。それで昼間に麗卿の眠る湖心寺に来て麗卿が金を持っているどころか打ち捨てられているのを見れば、なんでぇ、と吐き捨て自宅に札を張って入れなくする始末。

 それからは棺の中で泣き暮らす毎日。

 思わず抱きしめようとして踏みとどまる。それでも麗卿はこの世のものではない。こちらから縁を作ってはならない。心がキュウと痛む。

「そんな男よりその人と一緒にいたいでしょう?」

 わずかにうなずく気配にギョッとした。

 麗卿にすっかり同情しちまっていたが、途端に複雑な気分に陥る。哀れとは思うが、さすがにずっと一緒にいるのは勘弁してもらいてぇ。

「あなたはただ、その暗闇から逃れるために人と一緒にいたいだけです。けれどもあなたはすでに人ではなく、そばにいるだけで生気を吸い取る人とは相容れぬ存在なのです」

 ……旦那、様……と……。

「お気づきでしょうが、その人が死なないようにしているのは私です」

 ……。

「だから私と一緒に来ませんか? その人は見えなくても私は見えていたでしょう? 私はその人の友人です。あなたが私のものになって私を助けて頂けるのであれば、あなたの陰気を抑えられるようにします。そうすれば不自由はあるでしょうが、これからもずっとその人と会うことができますよ」

 ……ずっと?

「ちょっと待て。勝手に俺を含めて話を進めるな」

「下手に喋れば縁がつながりますよ」

 鋭い語気にたじろぐが、確かにそう聞いていた。ぐぅ。だが流石にそれは困る。取り憑かれ続けるってことだよな。

 いや、そもそも俺の周りは妖ばかりだ。生気が吸い取られなければ、いいのか? いやでも少し待て。冷静に考えろ。そんなわけあるか。

 そう思った瞬間、パサリと紙の剥がれ落ちる音がして、激しい嘔吐感に見舞われる。血が逆流するような酷い酩酊感とともに口中に血の香りが充満し、なんとか棺にすがい起き棺の外に嘔吐する。だらだらと流れる鼻血で唇がぬるい。すぅと意識が遠のく。

 旦那様……!

 けれどもそれは一瞬で、ひらひらと鷹一郎の式神札が俺の頭の上に降ってくるのが視界の端に見えた途端、痛みはすぅと消え去った。

 糞野郎が。

 鷹一郎を睨んでみたが、どこ吹く風だ。さらに俺は動けない。

「このように私がいなければその人はそもそも保ちません。一緒に来て頂けますね」

 ……旦那、様、が、ご無事、で……

「ありがとうございます。ではあなたをその棺から切り離してこの人形に移します。よろしいですね」

 朦朧としていると唇になにか柔らかいものが触れて抱きしめられた。

 ……お慕い、して、おり、ます、旦那様……

 わずかにまぶたを上げて棺の外を眺めれば、鷹一郎の手が複雑な形を描いていた。


 朱雀すざく玄武げんぶ白虎びゃっこ勾陣こうちん帝久ていきゅう文王ぶんおう三台さんだい玉女ぎょくにょ青龍せいりゅう


 そして、チリリという鈴の音とバリバリという何かが引き裂かれるような音と共に空気が竜巻のごとくバサリと攪拌かくはんされる。

 そうしてふぅと棺から何かが飛び出し、鷹一郎の手に舞い込んだ。

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