ムサシとタカ

マグロの鎌

第1話


 十二月、男は落ち葉で敷き詰められた井の頭公園を歩いていた。

 カシャカシャとなる足元から、目線を水面にうつすと、そこに映える桜の木は花だけでなく葉までも落としているようだった。

 男はその木々と自分を重ねながらも、顔を上げ、真っ直ぐと歩いて行く。

 すると、何もかもを冬風に掻っ攫われてしまった桜の木の下で、少女が落ちた枝を使って地面に絵を描いるではないか。

 男は近づき覗き込むと、地面には絵ではなく文字が描かれていた。


                 ミ|タカ

               ムサシ|ノ


 ミタカとムサシノと上下に書かれており、ミタカとムサシノはミ・タカとムサシ・ノで分けられていた。

「どうして、そんなものを書いているのだい?」と男が質問すると、少女は「ここはミタカ市とムサシノ市のキョウカイセンだから」と答えた。男はなるほどと言い、顎に手を当て考え始めた。

 そして、しばらくすると、優しい笑顔で彼女に語り始める。

「昔、ここら辺にムサシとタカという人物がいてね」

「タカって?あの空を飛ぶタカさんのこと?」

 少女が純粋な目でそう聞くと、男は「ああそうだよ」としか言い返せなかった。

「タカは空を自由に飛び回ることが好きだったんだ。だから、自分の仕事も忘れ一日中翼をバサバサと動かし空に浮いたり、時には真っ直ぐに伸ばして風を切ったりして遊んでいたんだ。それはもう他に何も考えられなくなるぐらい夢中にね。どう、想像したら楽しそうでしょ?」

 そう少女に聞くと、彼女は黙って頷いた。どうやら、男の話に集中しているようだっt。

「でもね、それをよく思わない人がいたんだ。それが仕事に忠実な……真面目な武士のムサシだった。彼女は空を飛ぶことができずにずっと地上で見張りをさせられていたんだ。悪い人はいねぇか?悪い人はいねぇか?って。すると、なんといるではないか、自分の仕事を放ったらかして遊んでいるのが!」

 男は手で双眼鏡を作り、空を見上げる演技をした。少女はそれが面白く、「うふふふ」と笑いながら体を捩らせていた。

「そう、それはタカさんだった。ムサシは呆気に取られた。なぜなら、タカは彼女が真面目に仕事をしている時も、ずーーと自分の上を飛び回っていたのだから。灯台下暗しならぬ、灯台上照れせず……」

 少女は「トウダイ?」と知らない単語が出てきたことに首を傾げていた。それを見た男は「思いの外近くに、悪い人が居たってこと」と分かりやすいように説明した。

「ムサシは羨ましかったんだ。自分はこんなに真面目に働いているのに、あいつはー!って。だから、二人は喧嘩し始めたんだ。ムサシは大声で天に向かって怒鳴り、タカはそれを聞こえないふりをして、わざと彼女の近くまで滑空し、ムサシが触れられそうって所で再び空へ戻っていく。そんなことを毎日のように続けていると、ある時ムサシは本気で怒ってしまい、二人の大事なものを掛けて勝負しようと言い出したんだ。それが……」

「ミノ!」

 まるで、授業参観で先生に名前を聞かれた時かのように、少女は大きな声でそう言った。そして、持っていた枝で境界線によって分けられていたミとノをまるで括った。

「ああ、そうだね。彼らはミノという可愛い少女を掛けて勝負することになったんだ。勝った方がミノを子供……お嫁さんにできるって条件で。

 そう約束した後の二人の争いは、それはもう戦争と言っても間違いでないほどに激化していった。タカの仲間は一斉に空に翔び立ち、ムサシの仲間は地上に整列した。そして、タカ軍は一斉に地面目掛けて急降下する。風に乗った彼らの嘴はムサシの仲間を一突きであの世へ誘った。ムサシ軍は彼らの速さに対抗できずにバッタバッタと倒れていった。しかし、初めはタカ軍が優勢だと思われた戦いも、次第に地上の武士達もタイミングが掴めて来て、彼らを簡単に斬り裂くことができるようになった。すると、戦争はほぼ互角の状態になり、勝負は大将同士による一騎討ちに持ち越されたのだ。

 タカは滑走路を使い、天高く空を舞い、ムサシは地上でタカの攻撃を仕掛けてくるタイミングを見計らっていた。そして、これまで遊んでいたタカはムサシに勝つために勇気を振り絞り、羽を閉じて地面と直角に落ちていく、風の音は普段の滑空している時とは違い、時を切り刻んでいるような鋭い音だった。

 ムサシは、タカの目をじっと見て……今だ!と剣を抜いた

 振り切られた剣は、タカの嘴を粉々にした。嘴を砕かれたタカはバランスを失ったが、地面スレスレで翼を開き、着地には成功した。しかし、戦いには負けてしまった……と、思った瞬間!彼女の剣が粉々になり空へ花吹雪のように散っていった。

 全力を出し切ったタカとムサシは見つめ合った。それは、先ほどまでの睨み合いとは違い、互いが互いを認めたという意味だった。ライバル同士から友達同士になったのだ……しかしよくよく考えれば、彼らはずっと昔、仲良しだったんだ。

 お互いが未熟で誰かに支えてもらいながら生きていた頃、二人は出会って自分たちの不自由さを打ち明け、笑い合い、抱き合った。

 そんなことをムサシ目掛け落下しているときに、タカは吉祥寺の商店街で手を繋いで歩くカップル、井の頭神社で安産祈願をする夫婦、武蔵野中央公園の原っぱで三角形になってキャッチボールをする家族を見て思い出したんだ。自分たちも昔はあんなだったな……と。

 だから、タカは言ったんだ。ミノは二人の子供にしようって……」

 そこまで話すと、男の頬には一筋の涙が流れていた。しかし、その事は少女に知られてはいけないと思い、袖で目を隠した。

「それで、そのあとは!?」

 男とは対照的に、少女は楽しげに彼の腕を掴み揺すった。

「ああ、二人は仲直りしてミノを分け合うことにしたんだ。タカはミをムサシはノを貰って、それぞれミタカ、ムサシノと名乗るようになったんだ。そして、ミタカとムサシノは毎日交互にミノと暮らすようになった。今日はミタカ、明日はムサシノってね。でも、決して三人で一緒に暮らすことはなかったんだ。それは、関東大震災によって農地だった武蔵野が近郊都市に変わってしまったのと同じように、一度崩れ全く違うものに積み上げられた関係を元に戻すことはできなかったんだ」

 少女は内容を理解することは出来ていなかったが、男の語りを止めることはせず、最後まで聞こうと、地面に腰を落とした。

「今さら思うよ……あの時間が本当の幸せだったんだって。武蔵野の長く暗い林の中をミノが乗った自転車を押して走ったり、駅前の八百屋で練馬大根の葉っぱをもらい二人で齧ってお腹を壊したり、三人で手を繋いで歩いた神田川沿い……夏になると、水着を来て泳いだりもしたよな。ああ、あとキャベツ畑の匂いは今でも鼻の中に残っていて時々思い出すよ。あれが最悪なんだ。土臭さと青臭さが混じった匂いというべきなのか分からないが、二人して鼻をつまんで歩いたよね。だって、キャベツ畑の先に幼稚園があるもんだから、そこを通るしか道はないんだ。他にも、市民球場の周りにある小さなアスレチックでミノが落ちて頭から血を流したってこともあったんだ。幸い脳外科が近くにあって、縫うことにはならなかったけど、あの時はもう心臓が止まるかと思ったよ。だって、大切な一人娘の頭に針なんか刺されて一生傷が残ってしまったら……」

 男は自分の話が作り話からだいぶ逸れてしまっていることに気がつき、立ち上がった。

「つまりだな……ムサシとタカがミノを取り合って起きた争いのことをムサシとタカの伝説というんだ。そして、その伝説こそが武蔵野市と三鷹市の名前の由来なんだ」

 少女は立ち上がった男を見続けた。男も、その視線に答えるように涙の止まった目で彼女を見下ろした。

「でもね、これには一つだけ間違いがある」

「間違い?」

「ああ、本当のムサシはタカより、うんと強かった。でもタカが弱いことを知っていたから、わざと優しくしてくれていたんだ。それなのに、自分は……」

 男の後ろで二つの足音が止まった。それが聞こえた男は振り返ることなく、最後にこう言った。

「ミノ、またね。大好きだよ」

「うん、ミノもお父さん大好き!また、お話聞かせてね」

 そう言って、かつて自分の娘だった少女とかつて父親だった男は少しの間抱き合った。しかし、そんな幸せな時間は長く続くこともなく少女は男の腕を離れてしまった。

 そして、少女は三鷹市との境界線を跨ぎ、三人で手をつなぎ武蔵野市へと帰っていった。男は境界線を跨いで三鷹市に入ったものの、ただその場で枯れた桜の木に花が付いていたあの春を思い出し、呆然としているのだった。


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