血湧き死者踊る

 男が羽織の袖を滑らせ、日本刀が現れた。


 鋒が中沢なかざわのがら空きの腹を見定める。

 号刀ごうなたは卓上のシュガーポットを投げつけた。砂糖が吹雪のように視界を塞ぐ。白煙の中、赤い光が線を描いた。


「中沢!」

 大量の砂糖を浴びながら中沢は男の襟首を捕らえた。号刀は男の懐に潜り、肘を打ち込む。男の喉から血が吹き出し、赤く濡れた砂糖が降り注いだ。

「何だ!?」


 横一閃の斬撃を、中沢と号刀が跳躍して避ける。刀を握る男の浅黒い首には縫い傷があり、血が滴っていた。

「人間じゃないのか!?」


 男が両腕を垂らし、下段に構えた。間合いに腰を抜かした女給が座り込んでいる。

あさひ!」

丑瀬ひろせ!」

 号刀と中沢が同時に叫んだ。



 丑瀬がテーブルを蹴り上げる。樫木の卓を刃が貫いた。遅れて皿が破れる音が響き、丑瀬は這って女給を抱え上げる。

 男が手首を返し、机が両断された。刀の先が天井の照明を砕いた瞬間、回り込んだ㬢が男の背に脚を叩き込んだ。


「ひとでも味方でもねえ、食っていいなあ!?」

 洋食屋の壁が燻んだ白に変わる。弾き飛ばされた男を巨大な歯が呑み込んだ。



 散乱した店内に一瞬で静寂が戻る。歯が肉を磨り潰す音だけが響き、丑瀬が女給を床に下ろした。

「修理代、経費で落ちるかなあ」

「さあな、それより奴は知り合いか?」

 号刀は机や皿の残骸を蹴って避けた。中沢が奥歯を噛む。

「知らん。急に私と沖田殿を侮辱した。思い出したくもないが、夜伽がどうと……」

 号刀は眉間に皺を寄せた。

「まあ、肘一発で勘弁してやれ。食われた奴は殴れない」

「生かしておけば情報も落ちたものを」


 㬢は怪訝な顔で喉元を抑えていた。

「くそ、あの野郎」

 乾いた唇から血が噴き出した。

「㬢!?」



 轟音が鳴り響き、洋食屋の壁が爆発する。

 身構えた号刀に砂塵混じりの黒い風が吹き付けた。


 巨大な歯を刀でこじ開け、男が姿を現す。浅黒かった肌は紅蓮に染まり、鬼のような異形に変貌していた。

「妖怪……?」

 刀が歯の檻を砕いた。男が外へ飛び出す。



「追うぞ!」

 号刀は抜刀して店を出た。

「㬢、大丈夫か」

「何てことねえよ! だが、あいつは何だ。人間でも妖怪でもねえぞ」


 通りに野次馬が集まり始めている。

 号刀を追い抜かした中沢が、跳躍と同時に刀を振り下ろした。羽織の袖ごと男の腕が飛ぶ。鬼面の男は呻きひとつ漏らさない。


 血飛沫が空中で縄のように絡み、切れた腕に吸い寄せられた。

 血の縄が羽織を引き絞り、両腕で切り返した。

 斬撃を出現した牙が噛み砕く。

 その隙を突いて踏み込んだ号刀が袈裟斬りを放った。


 男の肩から胸までが斜めに裂け、傷口が触手のように蠢いた。両者の刃と歯冠に囲まれ、男は低い声を漏らした。

「女は法神流、おんしは……」

「示現流だ。齧っただけだがな」

 号刀は刃の先から目を逸らさず答える。

「薩摩の初太刀は避けろっちゅうね」


 突如赤い旋風が巻き起こり、男の姿が霞んだ。

 血飛沫を残し、男が羽織を翻して野次馬の群れに飛び込む。四方から悲鳴が響いた。



「あいつ……!」

 中沢が目を見開く。男は野次馬のひとりを捕らえ、獣のように噛みついた。鬼面が赤みを増し、捕われた青年の顔から血の気が失せていく。

「血を吸ってるのか!?」


 人質を投げ捨て、男が煉瓦の壁を蹴って闘争する。

 追おうとした号刀の肩を㬢が掴んだ。

「深追いすんなよ。それよりこっちのがやべえぞお」


 蝋人形のように路肩に転げていた青年が急に身を起こした。蒼白な顔で、目だけが先ほどの男のように赤い。

「あれは、人間か? 妖魔に変わったのか?」

 中沢が戸惑いの声を上げた。号刀は思考を巡らせる。㬢の口元にはまだ乾いた血がついていた。

「㬢に食わせるのは危険だ。俺たちでやるしか……」


 青年が牙を剥き、一目散にこちらへ駆けてきた。防御の構えをとった号刀の前で、青年の身体が硬直した。牙から唾液を滴らせたまま、青年が不可視の糸に縛られたようにもがく。

 困惑する刑事たちに耳慣れた女の声が響いた。



「間に合った、とは言えないようね」

 緋袴を捌いて大路から現れた八坂やさかが指を振る。青年が地を削って突っ伏した。

 彼女の背後から湧いた刑事たちが青年を拘束する。


「八坂さん……」

「丑瀬くんから緊急通信が入ったの。これでも急いで来たのだけれど」


 いつの間にか後ろに立っていた丑瀬が首肯を返した。中沢が刀を収めながら怒声を上げる。

「また逃げていたのか!」

「避難誘導と応援要請をしてたんだよ。僕にしては働いた方さ」


 八坂は煙草に火をつける。煙の向こうで青年が車にに押し込められるのが見えた。

「奴は何なんですか」

 号刀の問いに㬢が割り込む。

「俺が物食って口ん中刺されたのは初めてだぜ。手前の先祖でもできなかった。」


 八坂は咥え煙草で顎をしゃくった。

纏井まといくん、見せてあげて」

 栗色の髪の青年が一冊の古書を手に現れる。

「件の禁書はこちらですね」

 和綴の本を受け取った中沢が当惑気味に彼を見た。

「お前は……」

「すねこすりですが」

 纏井は白と茶色の猫に姿を変え、彼女の脚に頭を擦り付けた。言葉を失う中沢の背を丑瀬がつついた。


「衝撃なのはわかるけど、今はこっちに集中しないと」

 中沢は咳払いし、古書を開いた。号刀は破れそうな油紙を覗く。染みだらけの書には解体新書に似た人体の図と英語に似た文字が書かれていた。


「ばんぱ……?」

「ヴァンパイアよ。翻訳するなら吸血鬼ね」

 号刀は息を呑んだ。

「それで奴は血を吸ってたのか」

「やはりそうなの。吸血鬼は西洋の妖怪。ひとの血を吸い、吸われたものも吸血鬼になる、とても強力で厄介よ」


「妖怪ぃ?」

 㬢は訝しげに呟く。

「あの味は妖怪よか死人だったぜ」

「吸血鬼の伝承は病など特定の条件で腐敗しなかった死体への畏怖から生まれたとされるの。死者に呪いを込めて再現したのかもしれないわね」


「死体か……」

 号刀は顎に手をやった。

「覚えがあるのかしら」

「いや、思いつきです。それより……中沢、夜伽がどうって言われたんだよな?」

「思い出させるな!」

 いきりたつ彼女を丑瀬が宥める。号刀は太刀の跡が残る洋食屋の壁を見つめた。


「襲撃犯は土佐訛りでした」

「それは確か?」

「薩摩と土佐は藩士の親交があったのでわかります。土佐弁で夜伽は閨の意味じゃない、通夜だ」


「それでは、沖田殿の通夜はまだかと聞いたというのか」

「ああ、奴はまだ何か仕掛けてるぞ」

 号刀は食事中の雑談を思い返す。


「丑瀬、沖田さんのそれは喀血じゃないって言ってたよな」

「あ……だいぶ今の状況やばいね?」

「吸血鬼に襲われた者が吸血鬼に。種は撒かれたのね」



 㬢は喪服の肩を回す。

「何でもいいけどよ、食えねえ敵なら旨味がねえや。どうやって殺す?」

「吸血鬼は強力だけど制限も多いの。銀の弾丸や心臓に杭を打つことで殺せると聞くわ。陽光に弱く、日中は棺桶で過ごす。川を渡れず、招かれなれば敷居を跨げない……」


 人混みを掻き分けて来た刑事が、纏井に耳打ちする。纏井は僅かに瞑目した。

「何事?」

「襲撃を受けた刑事二名が亡くなったそうです」


 八坂は煙と共に溜息を吐いた。

「お通夜なら陰陽警察の刑事が招かれ、吸血鬼も入り込める。先の襲撃は布石だったのね」


 号刀は首を振った。

「東京は水の都です。川を渡れない吸血鬼が移動できますか?」

「考えられる手段はひとつね。河川も横断できる棺桶じみた鉄の乗り物ができたでしょう」



 八坂は煙草で宙を指した。青空に黒煙が一筋たなびいていた。

「鉄道か……!」

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