腹が減っても戦はできる
「どこに隠れていた!」
「
「お前が働かないせいで手柄を取られたんだぞ!」
彼女は指差す。瓦礫を蹴って退けた
「横取りは手前らだろうが。粗方終わってから来やがって。隅っこで震えてたのか」
「お前……!」
再び抜刀しかけた彼女を金髪の男が抑えた。
「何故止める! 私が軟弱者共に負けると思うか!」
「この様で骨折れてないひとを軟弱は無理があるって。それにまずいよ。このひとヒダル神だ」
中沢が息を呑んだ。
「お前らは何だ」
男は肩にかけた椿柄の羽織を広げる。下から号刀と同じ肋骨服が現れた。
「僕は牛鬼の
㬢は睨めつけるような視線を向けた。
「身内にしちゃ舐めた真似しやがるじゃねえか。筋通せよお」
「ごめんって、僕には土下座くらいしかできないけど」
丑瀬の護符から涼やかな声が響いた。
「守備はどう?」
「討伐完了。殆どは号刀くんたちがやって、琴ちゃんも加勢したよ。今はいろいろあって一触即発かな」
八坂は湿った笑い声を漏した。
「噛みつく犬の口は餌で塞いで。お金は渡してるでしょ」
声は途切れた。丑瀬は睨み合う㬢と中沢の間を通り、号刀の前に立った。
「君たち、お昼まだだよね?」
辿り着いたのは煉瓦通りの奥に佇む洋食屋だった。赤と白の暖簾を潜り、飴色のガラス戸を押すと、女給が煤まみれの四人を見た。
中沢が整った顔に微笑を浮かべた。
「四名で。貴女のお勧めが知りたいな」
「でしたら、オムライスはいかがでしょうか」
女給は中沢と丑瀬を見て頬を赤らめ、店の奥に走り去った。
「新徴組の頃から女の子に大人気だったんだってさ」
丑瀬が早々と席につき、残りの三人に椅子を勧める。号刀は呆れて腰を下ろした。
「お前も優男じみてるけどな」
「人間の顔はよくわからないな。元の姿で歩けないから擬態してるだけだよ」
号刀は布巾で汚れた手を拭う。㬢はテーブルクロスに足を乗せて草履を解こうとしていた。
「㬢、足下ろせ!」
「飯食うときは靴脱げつっただろうが」
「うちと外では作法が違うんだ。洋食屋は脱がなくていい……いいんだよな?」
隣席の中沢は呆れて首を振った。
「すごいね、ヒダルさんがこんなに大人しいなんて」
丑瀬が嘆息した。
「大人しいもんか。すぐ暴れるし、隙があればひとも妖怪も食おうとするし」
「己の妖怪も持て余すとは底が知れる。薩摩男に和睦は難しいか」
中沢が鼻で笑う。腰を浮かした㬢を制し、号刀は淡々と応えた。
「そっちは新徴組だって? 新撰組の元組織だよな」
「そうだ。江戸を不貞の浪士から守る護国の守護者。薩長とは違う」
怪訝な顔の㬢に丑瀬が囁いた。
「新徴組が薩摩藩邸に押し入ったのが戊辰戦争の一因なんだ。因縁があるってこと」
「何だ、結局負け犬じゃねえか」
㬢が喉を鳴らして笑う。中沢は眉をひそめた。
「江戸が終わりにゴタついたらしいが、俺からしちゃあ、どいつも妖怪に手も足も出ねえ虫ケラどもだ。いっそ化けモンに城をくれてやれよ」
「何だと!」
立ち上がった中沢を、銀盆を持った女給が怯えた顔で見つめていた。
「失礼。議論が白熱してしまって」
中沢は作り笑いで座り直す。エプロン姿の女給が給仕を、四人の間をオムライスが立てる湯気が彷徨った。
号刀は銀の匙を取り上げ、中沢に押しつけた。
「㬢の言う通りだ。明治は妖怪の時代になりつつある。人間同士いがみ合ってる暇はねえよ」
彼女はまだ不満げに匙を引ったくった。
「協力するならせめて自分の妖怪は躾けるんだな」
「聞いたか。㬢、手づかみで食うなよ」
「机に肘もつくな、だろ」
㬢は犬のように皿を引き寄せる。
「号刀くんみたいに優しい躾ならいいんだけどね。琴ちゃんは暴力政治だから……あ、また蹴った」
クロスの下を覗く丑瀬を一瞥し、中沢は水差しを手に取った。
「遺憾だが協力はしよう。我々の情報は与える」
水を注いだグラスが号刀の鼻先に突き出された。
「助かる。こっちは妖怪退治で手一杯だったからな」
「情報収集が刑事の仕事だろう、全く。まあいい。我々は昨夜の襲撃現場を探り、すねこすりの手引で逆さ十字をいくつか見つけた」
「
「そうだ。猫のようで愛らしい。妖怪が皆ああならいいのだが」
号刀が横目で見ると、丑瀬が首を振った。
「知らない方が幸せなこともあるよ。人型のところを見たら卒倒しちゃうから」
号刀は誤魔化しついでに水を煽って口を拭った。
「それで?」
「あのまじないに見覚えがある。だから、八坂さんが私を呼んだのだろうな」
「どういう意味だ」
「かつて新撰組が押収した切支丹の禁書にあった印だ」
「切支丹弾圧なんてしてなかっただろ」
「以前、切支丹とは名ばかりの邪教が京坂で起こり、大塩平八郎が弾圧した。その後、大塩を捕らえたのが新撰組だ」
「京から穢土に持ち込まれた呪いか……」
号刀はオムライスの卵を匙で抉る。血の色の米が溢れ出し、臓物のようで不気味だと思った。
「新徴組は新撰組と袂を分かったんじゃなかったか」
「その後も交流はあった。かの沖田総司の義兄、林太郎殿が我々の組頭だしな」
号刀の脳裏を八坂の言葉が過ぎった。
「昨夜の襲撃された……!うちの刑事だったのか」
「東京に妖魔が現れ出した頃、真っ先に駆り出されたのが我々だ。犠牲も行方不明者も多数出た。その遺恨から刑事になったものも多い」
中沢は僅かに目を伏せた。
「私も兄も妖怪と戦い、行方を眩ませた。私情に振り回される気はないが、出掛かりを掴めればと思っている」
「僕も似たようなものだよ」
丑瀬が空のガラスを傾けた。
「おかしくなっちゃったのは人間だけじゃない。知ってるかい。牛鬼は濡女って妖怪と組んで出てくるものなんだ。僕の相棒も消えちゃったよ」
「私の兄と性悪妖怪と一緒にするな」
「性悪は本当だったけどね。僕、女難の相があるんだ」
号刀は苦笑した。既に飯を平らげた㬢が口を挟む。
「こいつも同じだぜ。妹が妖怪にやられちまって寝たきりだ」
「余計なことを言うな」
「手前と組むなら知らなきゃまずいだろ。妹と重ねてるのか知らねえが、女子どもは見境なく助けに行っちまう。弱え奴に弱えんだ」
「軟弱な……」
中沢は憮然と言ったが、眉を微かに震わせた。
「だから、こいつは一番強い俺と組むのがいい」
「知るか」
号刀は目を背けた。店内には蓄音機から洋楽が流れ、新聞に埋もれた客が珈琲を啜っている。
号刀はオムライスを掬った。
「とにかく腹拵えして仕事に戻るぞ。中沢、今後の展望は?」
「纏井が例の禁書を調達してくる。捜査は合流してからだな」
「沖田さんの容態は? 下手人を見てるなら話を聞きたい」
「無理だ。今朝も血を吐いていらしたくらいだ。義弟殿の最期が重なって……」
「吐いてたのかなあ」
丑瀬は首を傾げる。横で㬢が水差しから直に水を飲み、噎せ返った。
「あ、こんな感じ。喀血ってより飲みすぎて噴き出したみたいな」
「何の話だ?」
号刀と中沢の背後が暗く翳った。
新聞で顔を隠していた男が真後に立っていた。
「おんしら、
訛りの強い口調と共に鉄錆くさい吐息が吹きかける。号刀はクロスに隠した剣に手を伸ばした。男が更に身を寄せた。
「沖田の夜伽はまだかのう」
中沢が咄嗟に椅子を振り上げた。
「侮辱するか!」
「琴ちゃん、駄目だ!」
丑瀬の静止より早く、椅子が木っ端微塵に散った。
木片が舞い、女給の悲鳴が響く。肘打ちひとつで椅子を砕いた男が笑う。ぎらついた両目は鮮血の色をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます