第五章:私の目的、あるいは動機

 スーツケースがようやく入るかどうか、といった深さまで掘った時点で限界が訪れた。両腕は痺れ、腰は曲がったまま伸ばすことが困難なほど痛み、膝はがくがくと笑う。思わず、シャベルを取り落としながらその場に座り込んだ。

「っ……は……」

 呼吸が荒い。発話すら困難な私の様子を見かねたのか、少女は「もういいよ」と声をかけてきた。

「この深さでも十分埋められそうだから。ね。ありがとう、オニーサン。あとは土をかけるだけだから。アタシ、頑張るね」

 少女は私のかたわらに落ちるシャベルを拾い、椅子にしていたスーツケースを穴まで引き摺って、落とした。ドスンと音がしたあと、上に土が被せられていく。

「………………」

 息も絶え絶えな私は、その様子を座り込んだままぼんやりと眺めていた。スーツと革靴は土でどろどろに汚れ、シャツも、流れた汗を吸って肌に張り付き、気持ち悪い。今すぐシャワーを浴びて自宅のベッドに倒れ込みたい気分だった。

 でも、不思議と悪い気分ではなかった。

 私は……きっと『今日このとき』を、共犯関係を結んだ少女と一緒に死体を埋めた今日という日を、後悔はしないだろう。

「オニーサンさ、大丈夫? 体力残ってる?」

 スーツケースを埋めながら、合間合間に少女が声をかけてくる。

「オニーサンだって、成し遂げたい目的があるからこの山に来たんだよね? アタシの場合は死体を埋めるため。そしてオニーサンは……人を殺すため、だっけ? そんなくたくたで大丈夫? 人、殺せそう?」

 口調は軽いが、大なり小なり少女なりに心配してくれているのだろう。私は、薄く笑ったあと「大丈夫です」と答えた。

「人を殺すのなんて、簡単です」

 少女は、しばし沈黙したあと聞いてきた。

「どうやって、誰を殺すつもりで来たの? 正直、計画的ハンコーには見えないけど」

「ええ、突発的なものです」

「誰かと山頂で待ち合わせしてて、あとは崖から突き落とすだけとか、そんなカンジ?」

「いいえ」

 私は、疲労から判断力が鈍っていたのだろう、そのまま「誰とも待ち合わせなんかしていません」と素直に答えた。

 少女の、死体を埋める手が止まった。

「……どゆこと?」

 もう、話してしまってもいいだろう。私がここに来た、本当の目的について。

 すべてを素直に話したほうが、ラクになれる気がした。

「今日、この場所には首を吊るために来たんです。だから、体力なんて残ってなくても大丈夫なんですよ。他人を殺すわけじゃない」

 少女は息を呑むような、苦虫を噛み潰すような表情で「人を殺すって、そういう……」と呟いた。

「ええ、本当は、仕事終わりに買ったロープが通勤鞄に入っていたのですが、置いてきてしまいました。だから、もしあなたがここから帰るときはこの広場まで降りるときに使ったあの頑丈そうなロープを置いて帰ってください。あれで首を吊ります。あなたが用意周到で助かった」

 少女が何か言いかけるのを――それが私の自殺を引きとめる類いのものであると理解したうえで――遮るように私は言った。

「それ以上は、慎んで。あなたは死体を埋める動機を聞かれたとき、覚悟もないのに内面に踏み入るのかと怒りましたね? 同じことです。あなたに私の内面を踏み荒らす権利はない。我々は、ただの共犯者だ。ここに来たこと、そしてここで起きたことは他言無用――そういう契約のはずです」

 少女は、言いかけた言葉を呑み込むと、スーツケースに土を被せる作業に戻った。

 死体を埋める作業に、戻った。

 その様子を眺めながら、私は続ける。

「もし、その死体が暴かれそうになったなら、あなたは『私に脅された』とでも言えばいい。私に脅されて、殺人を強要され、死体を埋めるのを手伝わされたと言えばいい。動機なんて捏造して構いません。わからないと言ってもいい。あなたは被害者なのですから、加害者の――私の事情なんて及びもつかないのですよ」

「……名前も知らない相手に、脅されたって? そんなの、警察は信じるかな?」

「置いてきた通勤鞄に私の身分証明証が入っています。それを証拠にすればいい。名前も、そこに」

 少女は、あくまで作業の手を止めないまま言う。

「さっきオニーサンのことお人よしって言ったけど、撤回するわ。オニーサンのそれは自暴自棄……損する性格なのはそうだと思うけど、ただの破滅願望ってところだね」

「あなたへのデメリットは、特にないはずですが?」

「それはそう。むしろ利用させてもらってありがとさんってところかな」

 後味は悪いけどね。と呟くと、少女はシャベルを地面に落とした。

「はい、埋葬作業完了! 見てみ? ちゃんと埋まったべ?」

 少女は、少しだけ土の盛り上がった地面を足のつま先でトントンと叩いた。その下には、たしかに、死体入りのスーツケースが埋まっている。

「おめでとうございます」

 私の言葉に、少女は「ん」と少し誇らしげに答えた。

「しかし、やっぱ死体埋めるとスッキリすんね。それもこれも、全部オニーサンのおかげ。ありがと」

 少女は、はにかむようにして笑った。

「これで、アタシも前に向かって進めるかんね」

 私は、少女に対し誤解があったようだとこのときようやく気付く。

 てっきり復讐のために憎い相手を殺し、その殺人を露見させないため死体を埋めるのだと思っていたが――言うなれば少女の瞳は過去を見ているばかりだと思っていたのだが――少女はどうやらその過去と決着をつけ、もう一度未来を見据えるために今回の計画を実行したようだった。それは、過去との決別。清算。行いが殺人であれなんであれ、少女は、これから生きていくために死体を埋めたのだ。

 これから死のうとしている私のようなくたびれた男とは、正反対に。

「眩しいはずだ」

 そう呟いて微笑んだ私へ、少女は不思議そうに首をかしげた。しかし、解説するような無粋はよしておいた。私のような男への理解など、深めない方がいいのだから。

 少女はシャベルの土を払いながら「ま、共犯関係はここまでってことで」と言って、シャベルを分解する。

 恐らく、帰宅準備だろう。私と違って、少女には未来があるのだから。

「で、今日ここに来たことと、ここで見たこと、したことについては他言しない。そういう条件だかんね」

「わかっていますよ」

「ま、その様子だとオニーサンはまだ立てないだろうし、アタシは一歩先に帰るわけだけど……」

 森の中を、ゆっくりと朝日が照らし出していく。気付くと世界は朝になっていた。鳥たちの声が、にわかに一日の始まりを告げ始める。

 そんな朝日に照らされた少女の表情はさぞ晴々としているのだろう……という私の予想は、裏切られることになる。

 それはもう、盛大に。

「あー……あのさ、オニーサン。アタシ、帰る前にオニーサンに謝っとかなきゃいけないことがあってさ……」

 少女は、イタズラが成功してしまったときのような非常に気まずい、しかし取り繕った笑顔で告白した。


「今埋めた死体、別にいじめグループの誰かとかじゃないんだわ」

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