第四章:私と少女は穴を掘る

 桜の木が立つ広場、その手前に来るまで、私と少女は無言を貫いていた。別に、仲良しごっこが目的ではない。少女としても、私の動機――『人を殺すためにここへ来た』という告白を、どう受け止めていいものか迷っているのかもしれなかった。

 私も私で、目的をほんの少し話した程度では気分はそんなに晴れるわけではないということがわかり、ただ黙々と、死体の入ったスーツケースを運ぶことに徹した。

 結果としての、無言だった。

 そして桜の広場へ移動するには、一度、登山道を横に外れる必要があった。そのタイミングで、ようやく少女は口を開く。

「ここからちょっとだけ山を下りれば、広場まで行けそうじゃんね」

 そう言って立ち止まると、少女は背負っていた登山用リュックから頑丈そうなロープを取り出した。

 少女がなにやら作業をするらしいと理解した私は、スーツケースを一度地面に下ろし、少しだけ休憩する。……流石に、スーツケースを椅子にすることはできないが。

 少女は、ロープを近くの木にしっかりと結び、そのロープを握った状態でゆっくりと獣道へ入っていった。

「よっ……と。うん、行けそう。オニーサンはスーツケースを地面に滑らせる? 引き摺る? カンジでついてきて。くれぐれも、落っこちてこないでよね」

 少女は私にそう念押しして、ゆっくり、広場へ降りていく。

 私も言われた通り、スーツケースを地面に倒したまま、片手でロープを掴み、片手でスーツケースを支えながら降りてみることにした。

 直後、スーツケースだけがその自重で滑落しそうになった。

「ッ……!」

 慌てて、両腕に力を込めスーツケースを支えようとする。あるいはそれだけでは足りず、両足にも力を込めてその場に踏ん張ろうとする。真下には少女がいる。今この場でスーツケースから手を離せば、彼女に、50kgはあろうかという質量がそのまま直撃することになる。

 この、スーツケースから手を離すという私のミスで、そのままスーツケースを凶器として少女を殺してしまう可能性だって、無いわけではないのだ。

 滑落しそうな音が頭上から聞こえたことを察知した少女の「大丈夫?」という声が大きく響いた。

「……だい、じょうぶ、です」

 私はようやくそれだけ言って、スーツケースに引き摺られる形で、ゆっくりと山を下りて行く。落ち着いて、決して手を離さないように。

 私は――この少女を殺したいわけでは決してないのだから。


 直線距離で約五メートルほどだろうか? ようやく広場まで降りることができた私は、地面まであと一歩というところでスーツケースからもロープからも手を離した。

 ドスン!という重い音を立ててスーツケースと私は地面に着地、あるいは落下した。

 荒い呼吸を整えようと尻もちをついたまま天を仰げば、空は白み、夜が明けようとしているところだとわかった。ロープを掴んでいた左の手のひらを見れば、皮が擦り剝け赤い血が滲んでいる。

 近寄ってきた少女はそんな私の様子を見て「うわ!」と悲鳴のようなものを上げ、咄嗟に、リュックから絆創膏とタオルとを取り出した。

「だいじょぶ? ちょっと休憩してていいよ。最初はアタシが穴掘っとくから」

 少女は、心配そうな表情で私の左手に絆創膏を貼ると、上からタオルを巻いた。

「ここまで、ホントありがとね。でも、あとちょっとだから、付き合って」

 少女はそう言って軽く微笑んだあと、スーツケースを「重っ!」と言いながら桜の木の根元まで引き摺っていった。

桜の根元に到着した少女は、地面に下ろしていた登山用リュックから数本の短い鉄の棒を取り出し、組み立てていく。シャベルだ。地面を掘るための、死体を埋めるための、組み立て式のアウトドアシャベル。組み上がったそれを両手でしっかりと持った少女は「よっ!」と声をかけながら勢いよく地面に切っ先を突き立てた。

「かったい!」

 訂正。突き立てようとして、失敗した。

 何度も何度も、少女は地面にシャベルを突き立てようと躍起になっていたが、耕されたこともない山の中だ。どうやら最初の一撃がもっとも難しいらしい。

 少女は一度、休憩しようとリュックから水筒を取り出して、しかし動きを止めたあと、リュックの中へと戻した。水筒の中身をカラにしてしまったことを思い出したのだろう。そのままシャベルを握る気力も失くしてしまったようで、スーツケースを椅子にして座り込んでしまった。

 私は少し休憩できたこともあり、立ち上がって少女の元へ歩いて行った。

「大丈夫ですか?」

 そう声をかければ、少女は後悔を滲ませた声色で答える。

「死体を埋めるのがこんなに大変とはね……ドラマみたいにはいかないね、どうも」

 私は、少女に「死体を作ったこと、後悔してますか?」と聞いてみた。

 しかし少女はまた「うんにゃ」と言って続けた。

「大変だけど、アタシはやる。やり遂げるよ。そのために今日まで準備してきて、今ここにいるかんね」

 少女の瞳には強い決意が宿っている。

 私は、不思議とそれを眩しいと思った。

「グローブを貸してください。もしくは、タオルでもいいです」

 私は、少女に言った。

 彼女の心は折れていない。まだ、死体を埋めたいという強い意志が残っている。であれば、それを助けるのが共犯者としての道理だろう。

少女は「グローブは、サイズが合わないと思う。タオル貸すね」と言ってリュックから新しいタオルを取り出す。しかし、それを渡そうとして、踏みとどまって、

「オニーサン、もう帰ってもいいんだよ」

 と言った。

「これまでアタシのワガママに付き合わせちゃってごめんね。オニーサンにも、ほら、目的があったんでしょ? それなのにさ、こんな、怪我するまで……。悪いと思ってるんだ。あとはアタシがやっとくから、もう、帰ってもいいよ」

 少女は俯きがちに言ったが、私は答えず、その手からタオルを奪い取った。

「ちょ!」

 右手にもタオルを巻き始めた私を見て、少女は狼狽する。

「なんで!? なんでオニーサン、そこまでしてアタシに付き合ってくれるわけ!? 死体を埋める手伝いなんかして、オニーサンにメリットないと思うんだけど!」

 それは今更だし自明でもあったが、私は、シャベルを握ると少女へ言った。

「それでも、あなたはこの死体を埋めたいのでしょう」

 この行為が間違っているとわかっている。それでも、

「押し付けられた無理難題を、残業してでも終わらせる、そういう能力が私にはあります」

 感情を押し殺してでも、やりたくないことをやり遂げる能力が私にはあるのだ。

「まだ心の折れていないあなたを途中で見捨てるような真似は、格好悪い。と、私は思います。だから、付き合います。手伝います。見届けます。あなたは、そんな私を素直に利用すればいい。私が勝手にやっていることです」

 ポカンと口を開けたままの少女を無視して、私はシャベルを地面に突き立てた。そのまま、シャベルに足と体重を乗せ、切っ先を深く突き刺していく。

 少女があんなに苦労した最初の一撃を終えた私は、そこから、穴を広げるようにシャベルを突き刺し土を掻いていく。

 黙々と作業する私を見ながら、少女は言った。

「オニーサン、思った以上に人がいいんだね」

 直後「誉め言葉じゃないよ」と少女は釘を刺した。

「お人よしって、それだけで損するんだよ。アタシだって、あのとき『いじめ、ダサい』なんて口出ししなかったら、こんなことにはなってないんだから。だから、オニーサン、損な性格してる」

 私は「そうなのかもしれません」とだけ返し、穴を掘った。いつもなら、これが無理矢理に押し付けられた仕事だったなら、私は断れなかった自分を嫌悪しただろう。しかし、今このときばかりはそうではなかった。デスクワークではなく、肉体労働だからだろうか? 不思議と、久しぶりに汗を流しているなと他人事のように思った。

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