16.撒き餌

「櫂斗くんが、女の人と一緒にげーむをしてるんだけど?!?!」


 木からひょっこり顔を出すリスみたく、沙那が目を丸くしながら桐龍を指さす。


「あれが桐龍櫂斗……」


 溢れんばかりの怒りとヘイトを必死に押し殺しながら、まずは冷静に状況を整理だ。

 見た目は……やっぱりクソかっけぇよ。男っぽいワイルドさと王子様っぽい透明感が絶妙に混ざり合って。


「そりゃモテるな、あの人は」


 悔しいが認めざるをえない。スラッと細身の高身長に、大学生っぽいこなれたコートスタイル。高そうなイヤリングもブランドもののクラッチバッグも……!

 きーっ! 同じ人間の男とは思えない! なんだよこの差は!


「! そんなこと言ってる場合じゃないか!」


 なぜアイツが女と二人っきりで出歩いているのか? 桐龍と沙那のカップルは機能不全に陥っているとはいえ、建前上は交際が継続中。


 沙那がお前に直接キライと言ったか?

 別れようと言ったか?


 ……言ってない。この状況で他の女とタイマンで会うことを世間的になんて言うか知ってる? そう、『浮気』だよ。


「沙那のほうに連絡は?」

「もちのろんで来てませんが……」

「女友達とかの健全な関係なら、正直に言ってから遊びにいくもんな。普通のカップルなら」


 沙那に報告をしていないということは、バレたらやましい関係だと思っている線が濃厚。


「…………わたし、またうらぎられちゃった」


 瞳をふるふると揺らしながらぽつりと沙那。


「悔しい……よな」

「前に電話をしてふっきれたから、好きな人がとられたっていうショックはあんまりない。でも……相手に関係なく、誰かに裏切られるってのは辛いし悔しいよ」


 沙那の、桐龍に対する気持ちは冷え切っていた。それはこの復讐デートを計画した時点で明確。そんな半ばどうでもいい奴を相手にしたときでさえ、沙那はこんなに傷ついてしまう。

 だって。


「沙那は心がキレイだもん……そりゃ人一倍傷つく」

「うぅ……胸がいたいよぉ……」


 同じ汚れだとしても真っ白な洋服だとシミが目立つように、沙那の純白の心はわかりやすく汚染されていく。桐龍櫂斗というクソ男の、付き合ってからの仕打ちの数々によって。

 恋人として、そして人としての裏切りで沙那はもうボロボロに蹂躙されている。


「しかもあの女の人、私でも知ってるよ?」

「え? そうなのか?」

「う、うん。だってうちの学園一のマドンナとして有名で……色んな人が告白してフラれまくってるってウワサなんだよ?」


 桐龍は沙那という彼女を一方的に使い捨てにして、学園一の美女とこっそり逢瀬をしているというわけか。

 あの女が学園の人気者というのは疑いようもない。サラサラとした長髪が気高そうなモデル体型。人を簡単に寄せ付けなさそうな凛とした様子は、天真爛漫な沙那と対照的な美人系。


「ねぇ、みっちー。2人はさ、つつつっ……付き合ってるってことだよね?」

「どうだろう……。ただ、かなりイイ感じなのは間違いないな」


 だって、2人の距離がめちゃくちゃ近い。


「ひゃっっ!! はれんち……っ!!!」


 クレーンゲームの景品をまじまじと見つめる女の腰に、桐龍はそれとなく手を回した。女はまんざらでもない感じでプリっとしたお尻を突き出して笑った。


 ……互いに心と身体を許し合っている証拠に他ならない。


「あ、あんなの仲良くない男女がやることじゃない……。はずかしいよぅ、えっちすぎるよぅ……」


 両手で顔を覆いながら、指の隙間で桐龍を見る沙那。ウブすぎる気もするが、これはこれでかわいらしい。が、当の沙那は追い込まれている。こうも言ってられない。


「ねぇ、私はポイってされたんだよね? 櫂斗くん好みのかるーい女の子じゃなかったから……」

「沙那」

「みっちーから見たら、私は自由で気を遣わない子なんだろうけど。ちょっと外に出たら、私はビビりで臆病で恥ずかしがりやの女の子だからさ……っ」


 あぁ、マジで胸糞が悪い。桐龍はどれだけ沙那をコケにすれば気がすむんだ? 


「必死に背伸びして、『おにゃのこモード』なんてバカみたいな演技をして。それでも足りない、櫂斗くんの理想の女の子にはなれないグズ……」


 マリ男カートの運転席に手をつけ、フラフラと首を下げる沙那。だが、その目だけは桐龍のほうを見続けている。この光景を焼きつけると言わんばかりに。


 俺にはそれが、悲痛な自省をしているように見えた。


 自分が都合のいい女の子じゃなかったから。

 軽い女の子じゃなかったから。

 相手の期待に添えなかったから――。


 ――初めて大好きになった人が、離れていってしまった。


 この辛さも悔しさも、自分がすべての発端で悪なのだと決め込んだ危うい反省。


 ……違う。沙那だけは、なにがどう転んでも悪くない。ことの発端は2人の相性がそもそも合わなかったことであり、ホントに悪いのはそれに不満を募らせて沙那に当たり散らかした桐龍櫂斗。年上・男・恋愛巧者……沙那をあらゆる面でリードしなければならなかったアイツが、自分の欲だけを優先してわがままに動いた結果の慣れの果て。


「これも全部、私のせい……だもんね」


 ――沙那が悲しそうに言った瞬間、俺の心に悪魔が宿ったことを自覚する。


 これは、桐龍櫂斗というクソ男を地獄に引きずり下ろしたいという執念が生み出した悪魔。


「見なくていい」

「……っ」


 沙那のほうの筐体に移動し、無理やり両手で視界を遮った。……バックハグのような体勢にはドキドキするが今はガマン!!


「ずっと言ってるでしょ? 沙那は悪くないって」

「そう言ってくれるのはみっちーが優しすぎるからだって……」

「そんなことはない。誰がどう見ても、沙那は悪くない」

「じゃあ、あの電話はどうなの……?」


 沙那が肩を震わせながら問う。半あえぎ声を出しながら、桐龍の呼びかけを最終的には無視した指相撲のときのTEL。


「あれのせいで櫂斗くんを怒らせちゃったから、こんなことになってるんじゃないのかな……?」

「それは……」


 一理ある。


「桐龍がブチギレたから、もう何も言わずに勝手に別れたことにして別の女と遊ぶようになった……その可能性は大いにある」

「だよね……。櫂斗くんと私、どっちも悪いことをしてるからおあいこなんじゃない?」

「その場合だと、俺らからしても文句は言えないよな」

「みっちーだってわかってるんじゃん……ほら」


 だが、ここで簡単に引き下がれるような理性はもう吹っ飛んでいる。

 ……もう許せない。潰したい。黙ってなんて見ていられない。胸の奥で青い炎が静かに燃えていた。




 ――俺の大事な、かわいい幼なじみを手垢で汚すって、それだけの覚悟があってやってくれたんでしょうね?




「でも、その『おあいこルート』も確定じゃないだろ?」

「ん……?」

「確かめてみない? 連絡でもしてさ」

「たしかめるって、どういうこと? ムズかしくてよくわからないよぅ……」


 脳みそがぐるぐると回り、作戦ができあがっていく。もう誰にも止められない。


「恋人ができたかどうか尋ねてみるんだよ。桐龍が沙那と別れた気なら、別にやましいこともないから素直に付き合ったと教えてくれるだろうさ。連絡が無視されない限りはな」


 ゆっくりと伝わるように、沙那に話す。


「うぅ、そんなの訊いてもなんの意味もないんじゃない……? 私が改めてつらいだけじゃん……」

「この作戦のメインはここから。そうじゃないルートを桐龍がとってる可能性を探ること」

「そうじゃない、るーと……?」


 ぽかんと首をかしげる沙那に、俺は断言するように言い放つ。


 ――「桐龍が、沙那をこっそりキープしながらあの女とデートをしている可能性がまだ残ってる」


「はっ……」


 わかってくれたかな。


「そ、それって……ふたまたってことになるよね⁈」

「例えば桐龍が『恋人なんてできるわけないじゃん。俺にはさぁちゃんしかいないよ』なんて言ってきたらどうする?」

「それはもちろん、ウソ……!」

「そう。だって俺らは、桐龍のデート現場をこの目で見てるもんな?」

「う、うん……っ!」

「ウソをついて二股をした瞬間、桐龍はまた悪事を重ねたことになる。沙那の電話とこのデートでお互いの悪事がトントンになったとしても、またアイツが一つ借金をつくるんだ。ということは……?」

「や、やり返したって……いい……?」


 俺がニヒルに口角を上げると、沙那が手をぶるぶる振るわせる。


「だからこの質問は――」


 そして俺は沙那の肩をポンと叩き。


「桐龍を、ボコボコにうちのめしていいか確かめるためのってこと」


 沙那は、おもむろにポケットからスマホを取り出した。

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