僕の物語を君に。君の物語と共に。

ぐらにゅー島

聖地巡礼

小説家になりたい。


 これは、小学生なんかが言うようなパッと思いついただけの夢なんかじゃない。大人になった僕がずっと昔から、真剣に願っている夢だった。


 木枯らしが吹く日の正午、僕は自室のパソコンの目の前に座っている。肌が乾燥して、キュッと引き締まっているようだった。

 僕は高校生の時から小説を書き始め、今に至るまで、小説家になれると信じて頑張ってきたのだ。過去最高傑作と言えるような小説を書き上げ、それをコンテストに出した。その結果が今日、とうとう返ってきたのだ。思わず、深く呼吸をする。

 画面をクリックすると、予選通過者の名前が画面に表示される。この中に、僕の名前はあるのだろうか?

僕は、好きな人にラブレターを出すかのように心臓をドキドキさせて、画面をスクロールする。ここで、全てが決まるのだ。


 あれから、三十秒程度しか経っていないのだろう。しかし、僕にとってはとても長い、三十秒という時間が流れる。僕の画面をスクロールする手が、止まる。そこには、僕ではない、最後の予選通過者の名前があった。…もしかしたら、見逃したのかもしれない。僕は何回も、何回も名前を見直した。背中に冷たい汗が流れる。しかし、僕の名前を見つけることは出来なかった。

 予選敗退。そんな文字が心に大きく刻まれる。息をするたび、肺を冬の冷たい空気が刺してくる。僕の作品は、一次審査すらも通ることが出来なかった。

 僕は正直なところ、一次審査に通るくらいの自信があったのだ。だって、あんなに血反吐を吐いて魂を込めたのだから…。

 ああ、彼女に合わせる顔がない。昔から、ずっと応援し続けてくれていたのに。そうだ。それこそ高校生の、僕が小説を書き始めたあの時からずっと、隣で。

 その時、スマートフォンの通知音が鳴った。長年の勘だろうか?その音は彼女からのものだと、直感で分かった。

「どうだった?」

そう、画面に彼女からのメッセージが映し出される。デリケートな話だというのに、こんなにも直接的な表現なのが彼女らしい。

「ダメだったよ。」

僕はテストで初めて赤点を取ってしまったような気持ちで、返事をする。

「小説家になるのは、諦めるよ。今までありがとう。」

 さっき結果が出た小説が、僕の全てだった。だから、それが駄目で気持ちがプツンと切れてしまったのだ。僕の言葉は、やっぱり誰にも届かない。

「そっか、頑張ったね。」

 彼女は、僕にそう言う。「まだいけるよ」、「頑張って」、そんなことを言われるよりもスッと心に響く。報われた、見てくれている人がいた、そう、錯覚できるのだから。

「ねえ、じゃあ最後にあそこ行きたい。」

なんでもないかのように、サラッと君は話を続ける。

彼女は、どんな気持ちで次のメッセージを僕に送ったのだろう?

「一緒に、武蔵野に行こう。」

武蔵野は、僕の最後の作品のモデルの地だった。


 僕と彼女は、武蔵野の駅に降り立った。

 駅は人も多く、自然と言うよりも人工物が多いのだが、それでもどこか落ち着く雰囲気だった。太陽が輝いていると言うわけでもないのに、なんだか景色が明るく見えて、自分とのコントラストに胸を突かれる。

「公園に行きたいなぁ。ね、連れてってよ。」

そんな僕の様子に気がつかないかのように、彼女は笑って僕の手を取る。いや、気がついているんだろうな。だから僕をここに連れてきて、そうやって笑ってるんだ。

外はだんだん冷え込んできて、そろそろコートを下ろしたい程だった。だから、彼女の手の温もりがじんわりと染み渡る。

「なんかこれって、聖地巡礼じゃない?」

連れてってよと言ったわりには、僕の手を引いて前を歩く彼女が僕の方を振り向いてそう言う。振り返る時にロングヘアーが揺れて、彼女のいつも使っているシャンプーのいい香りがした。

「聖地巡礼?」

 確かに、この町はアニメや小説なんかの題材になることが多い。彼女もそのうちの一つを見てそう言うのだろうか?

「えっと、なんの作品の?」

僕は彼女にそう尋ねた。

「君の小説に決まってるじゃん。」

彼女は小首を傾げて僕に言う。それが、当たり前のことのように振る舞うから、僕は困ってしまう。

「それって、聖地巡礼って言うのかな。僕、自分で自分の小説の聖地を巡礼してるなんて痛すぎない?」

彼女は突然変なことを言い出すから、どう返事すればいいのか分からなくなってしまう。だから、正直な言葉が出てきて、彼女に嘘をつけない。

「えー。いいんじゃない?」

彼女はおかしそうに笑った。

「私、小説の良し悪しなんてわかんないからさ。君の小説はプロの小説だと思ってるし!」

 なんか恥ずかしいな、なんて呟くと彼女は歩くスピードを上げる。その手に引かれて歩いて行くと、もう冬だと言うのに、生暖かい風が僕たちの周りにへばりついてきた。

 あたりを見渡すと、不特定多数の人が蟻のように沢山いる。迷子になったら大変だろう。僕はこの中の一員だから、誰にも見分けがつかないし、逆もまた然りである。それでも、誰か一人くらいは僕を見つけてくれてもいいのに。

 この繋いだ手を離しても、君は僕を見つけてくれるのかな?


「うわー、綺麗だね!ここが、あの場所?」

 僕たちは公園の中心に辿り着いた。

「えっと、まあ、一応…。」

 喜ぶ君の言葉に、僕は言葉を濁す。初めてここに来た時は、あんなに美しく、何処を切り取っても絵になるような景色に見えた。でも、今未来が潰えた時、その美しさは過去のものと成り果てたのだ。

「ラストのシーン、感動したなぁ。ここで、主人公が告白するとこ。」

 彼女は、クルクルと回りながら笑みを漏らす。君はいつだって、僕のどんな小説も喜んで読んでくれた。その、楽しそうな顔が僕を幸せにしてくれた。君が、僕のモチベーションだった。

 そして不意に、彼女は僕に背中を向ける。さっきまで鳴いていた鳥たちが、囀りを止めた。そうして、彼女は静かに語り出す。さっきまでとは全く違う声色で。

「君の小説が、大多数の人を感動させることはできないのかもしれないね。だって、また公募に落ちて、君は夢を諦めちゃったから。」

 グサッと、心に刺さる。自分でそう思うのと、誰かにそう口に出して言われるのとでは同じ言葉でも重みが違う。例えるなら、ゴム弾と本物の拳銃のように。

 こういう時、慰めてくれるのが彼女というものだろう。でも、彼女はそうしない。ただ、僕に現実を突きつけてくる。

「でも。でもさ、」

 彼女はこちらにくるっと振り返ると、僕の知る、全てのヒロインを凌駕するほどに魅力的に笑った。ブワッと、風が僕たちの間を通り過ぎる。

「いいじゃん、知らない人を感動させるんじゃなくってさ、私を感動させられたんだから!」

 大勢の心を動かしたって、私の心を動かせなきゃ意味ないでしょ?彼女はそう呟いて、僕に抱きついてくる。

 ああ、そうだった。ふと、気がついてしまう。そんなことを言えちゃうのは、君だけなんだろうな。そんな大胆で、自己中心的で、自信満々なことは、他の誰にも言えない。きっと、他の人だったら腹が立つようなセリフだ。でも、不思議と僕には響いた。

「なあ、聖地巡礼って、作品と同じことをすることなんかもセオリーじゃないか?」

 だから、僕は彼女にそう話しかける。

「…?確かに、そうだね。」

 不思議そうにする彼女が愛おしく、どうにかなってしまいそうだった。僕を抱きしめる彼女を、もっと強い力で抱きしめた。その小さな身体が壊れてしまいそうだった。


「僕と、結婚してくれないか?」


 だから、そう思った。この、僕の人生が一つ幕を閉じた瞬間に。文章でしか自分を表現できない僕にとって、精一杯のプロポーズだ。

 そうだ。思い返してみればそうだったのだ。言葉を口に出して伝えることが苦手だったから。だから、小説にした。そうしたら、誰かが僕の言葉に気がついてくれると、そう信じていたから。

「…やだ。」

 なのに、彼女は僕のことを突き放してプイとそっぽを向く。風で動く雲が、太陽を隠しあたりは暗くなる。

「あ…。そう、だよね…。」

 やっと、彼女の大切さに気がついたのに。やっと、僕が一歩踏み出せそうだったのに。僕の想像する未来にはいつだって君がいなくちゃ、もう駄目になってしまったのに。どうして、急にそんな…。やっぱり、僕じゃ無理だった?

「ねえ、私から言わせて貰うけどさ、」

彼女はこっちを見るとニヤッと笑い、片膝をついて僕に手を差し伸べる。


「私と、結婚してくれない?」


 雲が動いたのか、また太陽が出てきて僕達を照らす。風が周りの草木を揺らし、祝福するかのように木々がざわめいた。そんな中、僕と彼女はまるで世界に二人っきりになったかのように見つめあった。いや、きっと僕たちはこの時、この世界で二人っきりだったのだ。

「全部君のシナリオ通りなんて、なんか幸せにして貰ってるみたいで悔しいから。だから、私と君で創っていこうよ。」

結婚するんでしょ?と、言うと彼女はまだポカンとしている僕の手を取って立ち上がる。その手は女性とは思えないほどに力強かった。

「君の小説だったら、ここで話は終わりだったよね?だから、ここからいくらでも自由にできるんだよ。無限に、可能性があるんだよ!」

 その瞬間、視界が一気に明るくなるように感じた。きっと、世界は変わっていないのに。僕に見える景色だけが変わった。君色に、染まったんだ。

「君のこと、絶対に僕が幸せにするよ。」

 ハッとして、僕は彼女にそう言う。居なくなってしまわないように、彼女の手を握って。

「だから、二人で幸せになるんだって。」

もーっといって、頬を膨らませるとふわふわした足取りで僕の隣を歩いて通りすぎていく。その手は、まだ僕と繋いだままだった。


僕はきっともう小説を書かない。

だって、彼女と創る人生は、僕たちだけの物語なんだから。


でも、それでいいだろう?

だって、僕だけで奏でるストーリーなんて最高につまらない。

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僕の物語を君に。君の物語と共に。 ぐらにゅー島 @guranyu-to-

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