茶畑嵩女

ババババ

本文

 祖母方の実家は静岡にあり、毎年12月の終わりには顔見せも兼ねて帰省するのが常となっていました。当時高校に入学したてで、思春期真っ只中の私は、祖母の実家というのはWi-Fiも無く、電波の弱い監獄かんごくのように思えて、帰省などしないで一人で留守番でもしていたいと思っていたのを覚えています。その冬もいつもより雪が降る程度で、いつもと変わらない帰省になるハズでした。その年は、感染症の影響もあり、いつもよりか早く冬休みになりました。両親は早速実家に帰る算段をし、いつもより長く、1週間程度実家で過ごすことになったのです。


「帰ったよ母さん!」

 母がよく通る声で叫ぶと、家の奥から腰を曲げた祖母が出てきました。私が小さい頃は元気で凛とした祖母でしたが、年々積み重なった皺やシミを見ると、加齢というものを感じ、少し怖く思ったものです。

「あんたこんなに早く帰って来なくてもよかったのに」と少し怒ったように答えました。

 祖母はいつも笑顔でよく来たと言ってくれていたので、こんな事を言う祖母に少しびっくりしたのを覚えています。

「早めに帰るって言ったでしょ?しばらくゆっくりしてくから気にしなくていいよ」

「今年はまだ茶畑の仕事もあるからあんまり構ってあげられないけど、まあゆっくりしていきなさい」


 祖母の家は茶畑の上にあり、下を見ると市中や、入り組んだ川などが見えました。実家からの景色は中々に牧歌的ぼっかてきで、大都会とは言えない程の街並みが良いスパイスとなっていました。


 荷物を部屋に降ろした私たちはリビングに戻りました。そこには長年丁寧に手入れされた革張りのソファや、渋い木目の家具たちが、つきっぱなしのテレビと共に家主の不在を告げていました。自室にでも戻ったのかと、好奇心のままに巡視していると祖母は端のほうにある仏間ぶつまにて電話を掛けていました。

 ふと聞き耳を立ててみると、「集落の――女――――数」だの「夜――見舞う――」だのと言ったおかしな単語が飛び交っています。何だろうと思っていると後ろから、「母さん!夜ご飯食べた?」と叫び声がして、子細聞けず仕舞いとなりました。リビングへ戻るときにふと見えた祖母の顔は、私たちを出迎えた時以上の皺を湛え、祈るかのように一点を眺めていました。

 

 夕飯時になると、母と祖母は慌ただしく準備を始めました。と言っても出来合いの物も多く、実際に母達が作った物は数点といった具合で、若い私に気を使っているようで少し居心地の悪さを感じます。窓越しには珍しく雪が降っており、茶畑も白く染まっています。SNSにでも載せようかと写真を撮っていると、夕飯が出そろっていました。長時間、渋滞の中車に揺られてだいぶ疲れていたので、温かいご飯は身に沁みました。

 そこでふと、お茶が食卓に出ていないのに気づきました。祖母はいつも自分が作ったお茶を嫌になるほど飲ませてくるので、「今日はお茶、無いの?」と聞いてみました。すると祖母は嫌な顔をしつつ、「今日はもうお茶がなくなったの」と断りました。

「そんなこと今までなかったのにね!それなら近くのスーパーで買ってこよ――」

「余計な事しなさんな!すぐ暗くなるんだから家に居なさい!」

 親切心を頭から否定され、少しムッとしました。

「どうしたの母さん、今日少し変だよ?」

「どうしてって……なんであんた達こんな時に帰って来たのよ」と言うと祖母は泣き出してしまいました。

 突然のことで何も言えず、両親が祖母をなだめて部屋に連れて行くのを見ていることしかできませんでした。


「今日のおばあちゃんどうしちゃったんだろうね」

「義母さんのあんな姿みるの初めてだよ……」

 リビングには時計の秒針の音だけが流れており、三人膝を突き合わせて祖母のすすり泣く音を聞くしかありませんでした。

「私が小さい頃も同じことがあったかもしれない……」

 母が短い沈黙を破り、大きく開いた目を震わせ、話しだしました。

「私が子供のころも、今日みたいに街の大人たちが慌てだした事があったんだけどね。その時は年末に観光客の団体が来てたの」

「そういえば今日もすごい渋滞だったな」

「そう。それでね、その日も母さんはお茶を出さなくてね。父さんも青い顔をして私達を家から出さないように閉じ込めて外から鍵をかけてしまったの」

「そこまで!?それからどうなったの?」

「結局ね……結局……」

 そこで言い淀むと母は眉間に皺を寄せ、だいぶ考えた。

「結局……何も無かった……はず」

「えー何その落ち!引っ張っただけじゃん」

 私はあまりにも雑な話で思わず笑ってしまいました。その後も母は「何かおかしいよね」と呟いては、部屋をぐるぐると歩き回っていたが、ついぞ答えは出ず、考えすぎたと言って笑いました。

「よそ者が沢山来たからって気を張ってただけなんじゃない?」と言う結論の元、私たちはリビングの反対際にある客間で眠りにつくことにしました。


 深夜、全く眠くならなかった私は、スマホで事件を調べることにしました。ノロノロと布団を這い出し、軒に置いてある籐椅子に腰をかけながら先の場面を思い浮かべます。しかし会話から得られた情報と言えば「母の子供ころ」と言う事と「観光客の団体が来た」と言う事だけであり、推理も何もできたものではありません。結局何もわからず、数時間を無駄にしてしまいました。

「なにもわからんし、目がさえてしまったし……」と悪態をついたところで、全て暗闇に呑まれるばかりでした。


 あれだけ泣いていた祖母もすっかり寝入ってしまっていて静まり返った実家では、スマホの明かりだけが頼りとなっていました。窓の外では飽きもせず雪が降り続いており、茶畑を月明かりと共に白銀へ塗り替えています。外をぼんやり眺めていると、突然どこかで扉の開く音がしました。

「おばあちゃん……?」

 暗闇へ問いかけますが、虚空からは何も帰ってきません。スマホで照らしてみてもほんの数歩分見えるだけで、音の正体までは届きませんでした。

「冗談でしょ?ねえ!ばあちゃん!」

 数度問いかけると、今度はギシ……ギシ……と床板の軋む音が聞こえます。祖母の安否が気になりましたが、恐怖で竦んだ足では、足音から逃げることも追うこともままなりません。


 ”何か”が床を軋ませてきしませ歩いていると気付いた時には、すでに廊下を挟んだリビングから足音が聞こえていました。いや、足音だと解るほどに近づいてきていたのです。ギシ……ギシ……とまだ音は近づいてきます。空気が研がれ、数秒が永遠に引き延ばされるほどの緊張の果て、”何か”はガラス越しに姿が見える程に近づいていました。それはゆさゆさと跛行を繰り返しながら、髪を振り乱しています。その姿は祖母そのものでした。

 ガラガラと扉を開くと、やはり祖母が立っています。しかし、目は空ろに、口は半開きにして何かを呟き、とても正常とは言えない状態です。祖母は空ろな目をしながら、玄関の方へ歩き出していきます。


「おばあちゃん!待ってってば!」

 手を引いても、肩を揺すっても反応はありません。それどころか「あんた……あんた……」と呟きながら、すごい力で私をも引きずって歩いていきます。

 とうとう祖母は外へ出てしまいました。外は満月を覆い隠すかのように薄い雲が出ており、数ミリほどの雪の層が出来ていましたが、祖母は裸足のままに駆け出していきます。必死について行こうとしましたが、夜目の聞かない状態では祖母を見失わないようにするのがやっとです。祖母の発する声はもはや叫び声と言えるほどに大きく、半狂乱で走る様はもはや人とは言えず、山河を駆ける獣の様な形相となっていました。昼間は普通だった祖母が、叱ることはあれどいつも優しかった祖母が何かに狂わされている姿には、恐怖というより怒りにも似た感情が湧き出しており、私は半分意地になって祖母を追いかけます。


 数分走ったでしょうか。気が付くと茶畑の近くまでたどり着きました。周りを見ると、雪道に落ちた山茶花の様な血の足跡があり、祖母の足の痛々しさを物語っています。そこには必死に茶畑に分け入ろうとする祖母がいました。

「おばあちゃん、やめてっていってるでしょ!」と叫びつつ畑から引きはがそうと引っ張りますが、それ以上の力で引きずり込まれそうになります。私はもう半泣きになりつつ、肩を引っ張ったりと、多少手荒になっても構わず止めようとしました。やがては手を引きはがし、畑へ入って行ってしまいました。躊躇ちゅうちょはしましたが、祖母を守らないと思い、私も追いかけようと思い立ちました。

「あんた!あんたぁぁ!!」とまだ祖母は叫んでいました。気が付くと、辺りからもガサガサと音が聞こえ始め「おかあさぁぁん!!!」「よしくん!!よしくん!」「ああぁぁ!!ただいまぁあぁぁ!!!」と叫び声がどんどん増えていきました。始めは数人程度でしたが、畑を進むにつれて十人、数十人と増えていきました。周囲は叫び声の大合唱で、私一人が正気であり、生きたまま地獄にでも落ちたかのように感じます。注意しながら畑の中をかき分けながら進んでいると、突然立ち止まっている祖母の背中が見えました。祖母は壁の前に立ちながら、なおも叫び続けています。私は泣きそうになりながら何度も肩を揺すり、引っ張りますが、やはりそこから動かすことはできません。傍から見たら私も狂って見えたことでしょう。


 いつまでそうしていたかわかりませんが、突然周囲から何も聞こえなくなりました。祖母も少し呆けていましたが、そこでやっと祖母をその場から動かすことが出来ました。始めはぼうっとしていた様子でしたが、呼びかけていく内に目に光が戻ってきました。

「あれ……私……」とつぶやくのが早いか、私を目を大きく見開きながら問い詰めてきます。

「あんた!大丈夫!?」

「私は大丈夫だけど……おばあちゃん……よかった……」

 私達は抱き合って子供のように泣き出しました。緊張の糸が解けてしまった様で、数分程度そのまま泣き続けていました。ひとしきり泣き止んだ後に、また祖母が慌てだしました。

「あんた、もう帰らないといかん。このままここにいると、見なくていいもんまでみてしまうわ」

「なに……?妖怪がでるってこと?」

「妖怪……近いかもしれないが、そんな良いもんじゃない。いいから帰ろう」


 そこで祖母は何かを見てしまったかのように驚いていました。私も同じ方向を向こうとすると「見るな!」と頭を押さえらえました。祖母は必死に壁から私の目を逸らそうとします。しかし、私は見てしまいました。それは茶畑の中にありながらも、それが全く邪魔にならない程巨大で、優に数メートルはあろうかという体には、端々に穴が開いており、そこから風を切るような、女性の悲鳴のような音を奏でていました。上には歪な六角形の頭がついており、体調よりも長い髪を垂らし、その髪の先を、周囲の人々がしゃぶりついており、何か安堵の様な表情を浮かべています。私が頭を見た時向こうもこちらに気が付いた様子で、横まで裂けている口を大きく開き、嘲笑うあざわらうようにこちらを見下げています。とっさに目を離した私は、祖母に手を引かれるようにその場を離れました。


「ばあちゃん、あれ……」

「なんも言っちゃいかん。見えるやろ、似たようなのが昇って来よるんよ。ばあちゃんはたまたま目が覚めたけど、あいつらはわからん」

 と言うと歩き出しました。風切り音に紛れて気が付かなかったのですが、市中からも叫び声のような、悲鳴のような声が聞こえ、よく見ると巨体の化け物が人を引き連れて昇って来ます。

「あんた、今日見たものは絶対他人に話すんやないよ。話さんかったら、あいつらはなんもせんから」それ以来祖母は何も言いませんでした。


 そこからはよく覚えていませんが、何とか家に帰ってきて、軽く泥を落として寝ました。次の日は何も変わったことがありませんでした。恐怖もありましたが茶畑を見に行ってみると、そこには何もなく、周囲には人が居たような形跡すらありません。不思議に思いましたが、祖母の言いつけもあり、何も聞かず、何も調べずにいました。それ以来、実家には帰っていませんでしたが、それから3年後に祖母は無くなってしまいました。何でも茶畑で裸足で倒れていたのを発見されたと聞きました。祖母ももしかしたら何か調べていたのかもしれません。だから死んでしまったのかもしれません。掛川の人はあの化け物と共存していたのでしょうか。茶畑に集まる習性でもあるのでしょうか。このことを書いてしまった私も死ぬんでしょうか。私はもうお茶を飲むことすらも出来なくなっていました。

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茶畑嵩女 ババババ @netamiyasonemi

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