さんじゅー!



 花園保育園園長、花園花奈さんが退院して、何か生活が変わるのかも。そう思っていたが――特段、そこまで変わることはなかった。


 花園家、母親の味があるのではと思っていたが、そもそも親子揃ってお惣菜やレトルト食品のお世話になっていたと豪語するぐらいだ。

 俺の食事当番は、やはり継続らしい。


 ――頼んだね、婿君。私、朝は弱いから(ドヤッ)

 一切の躊躇もない花奈さんだった。まぁ、良いけれどね。


 新聞を取ってきたら、朝の準備の開始である。ポストから、取り出して、一面を斜め読み。家主より先に読むのは、恐縮だけれど。パラパラめくって、保育士の卵を応援する月刊誌【ほいたま】の広告が――。

 見開きで、俺と花が……。

 そっと、新聞をたたんだ。


 がさっ。

 そんな音がして、思わず、顔を上げる。


(気のせい……?)

 気を取り直して、俺は新聞を持って家の中に入ったのだった。





■■■





「しゅー君、おはよう」


 満面の笑顔の花が、出迎えてくれた。ここ数日で変わったことが、そういえばあった。俺が準備をしようとするのと、同じタイミングで、花はもう学校の制服に着替えていた。


「花、おはよう」


 俺が、そう声をかけると、今日も上機嫌に笑顔を咲かせる。

 昨日は歓迎会と、今後の保育園運営で少し議論になった。それなりに疲れがあったと思うのに、ルーチンのように準備を手伝ってくれる。


「もうちょっと、ゆっくり休んでいても良かったんじゃない?」


 そう言うと、花はちょっと頬を膨らます。


「ジャマ?」

「いや、そうじゃなくて。花は昨日のことで疲れていたんじゃないかな、って――」

「それは、しゅー君だってそうでしょ」


 つん。

 頬を突かれた。


「……まぁ、そう言われたら、そうなんだけどさ」


 花はお弁当箱、それからコーヒーのセット。俺は調理に取りかかる。これも、最近じゃお馴染みの光景になりつつあった。


「頑張って、早起きしているのに。そういうこと言う、しゅー君は意地悪です」

「いや、早起きは三文の徳って言うし。偉いと思うよ?」

「別に三文はどうでも良いけどさ。誰よりも早く、しゅー君におはようを言いたいだけだから。どうせ、私のワガママだし……」


 ぷすーっと、頬を膨らましながら、何やらブツブツ呟いている。


「花?」

「何ですか――」


 彼女の口に、作りたてのオムレツを放り込んでみた。そんなに熱くはないはずだ。見れば、俺から見ても頬が緩んでいるのが分かる。


「……こ、これで誤魔化されませんからね?」


 そう言いながら笑みが零れているから、味は良かったらしい。


「でも……しっかり胃袋を掴まれました。どうしましょう、前の生活に戻れそうにありません」

「バランス良く食事を摂るの大事だって思うけど」

「高校生の台詞とは、とても思えませんよ?」

「そう?」


 そう言いながら、俺もクスクス笑みが漏れて。笑いを我慢できない。


「でも、食事だけじゃなくて。最近、ちゃんと眠れている感じ?」

「へ?」


 花は目を大きく見開いた。


「あ、ごめん。勝手に俺が思っているだけなんだけど。肌つやって言うか。唇とか、髪も。以前に比べて、潤いがあるがあるように思えて。前にも増してだなって」

「き……」


 花が硬直している。ん? 俺、何か変なことを言っただろうか?


「ちょ、ちょっと、しゅー君!」

「へ?」

「気軽に、他の子にそんなことを言ったら、ダメなんですからね!」

「え?」


 俺は目をぱちくりさせる。他の子って、俺は友達が少ないから、そんなこと言う相手がそもそもいないし。彩翔は論外。。藩宮さんは、綺麗と言うよりは、格好良い可愛いだし。朱梨に言うイメージが湧かない。湊には言うシチュエーションがそもそも想像できない。


 ただ、あまりの花の剣幕に俺はコクコクと頷くしかなかった。

 タイミングよく、お弁当作りはこれで終了。後は、お寝坊さん達を起こしてきますか。

 そう、とりあえず切り替える。


「食卓の準備してくれる? あの二人を起こしてくるから」

「あ、うん……うん? え? あ、ちょっと、待って?! お母さんを? ちょっと、しゅー君っ!?」


 朱梨は、起こすのがいつも時間がかかるから、まずは花奈さんから。良い大人だ、そろそろ起きている時分でしょう。そう思いながら、俺は花奈さんの部屋、そのドアをノックして――。






■■■






「痛い……」


 俺は頬をさする。きっと頬は真っ赤。そして、目を閉じたら、やっぱり真っ白な肌に深紅の――。


「しゅー君?」


 花にじろっと憎まれ、俺は思考を打ち消す。

 頬には、紅葉の手形。花園保育園、園長代理作。

 まだジンジンしている。花奈さんが寝る時は下着だけって、もっと早く教えて欲しかった。朝からあまりに刺激が強すぎる。大人の女性ってやっぱり素晴らし――。


「しゅー君?!」

「……」


 花、君はちょっと聡すぎないか?


「……うわぁ、派手にほっぺにモミジ。ついに朱理、耐えきれずに花花ちゃんに、夜這いしちゃったヤツ?」


 登校早々、おはようの挨拶よりもソレかい、湊さん。


「夜這いだったら、まだ良かったんですけど」


 ぶすっと頬を膨らませて呟く花。いや、良くないよね。全然、良くない。寝ぼけた花奈さんに、抱きしめられて。振りほどけない俺が、一番の被害者だと思うのに。全責任は俺にあると言わんばかりに、静かに激昂するの、花、そろそろ止めない?


「ま、朱理に夜這いする度胸なんて無いからね。きっと、ラッキースケベだったんじゃない? 悪気はなかったと思うから。察するに、花園さんのお母さんと一悶着?」

「一悶着だったら、まだ良かったんですけどね。家庭内に亀裂が走る由々しき事態です」


 彩翔、本当に火に油を注がないで。花の不機嫌バロメーター急上昇じゃん。本当に由々しき事態に発展しそうだから!


 ――アッキー、私はいつでも良いからね。

 うん、明らかに俺を父さんと勘違いするの、本当に勘弁して。


 朝食中、俺と花奈さんは赤面し通しで。花は、地獄の鬼でも振りまかない怒気をはらんで。一番遅くに起きてきた、朱梨だけが元気いっぱいで、ご飯をおかわりしていたのだった。


「こりゃ、監視に行かないと、何やらすか分からないね」

「にしし、梨々花。それナイスアイディア!」

「全然、良くないし」


 俺はゲンナリとした表情を隠せない。藩宮さんはともかく、彩翔と湊まで押しかけられたら、朝の大戦争……あの時間帯がますます収拾つかない。


「それは、楽しそうだね」


 にっこりと笑顔をたたえる、火花煌の声が割り込んできて――思わず、俺達は身構えてしまった。










「イヤだなぁ、そんなに緊張しないでよ。色々、誤解があったと思うけどさ」


 白々しい笑顔を浮かべながら、火花は取り巻き達に囲まれながら、微笑む。その顔は絆創膏が――隠しきれない、擦り傷、そして目元には隠しきれない内出血が、痛々しかった。


「火花――っ」


 ぐっと拳を固め、俺が一歩前に出るより早く。

 花が、俺の手を引いた。


 彩翔が、湊が、藩宮さんが。前に出る。

 そんな俺達を見て、火花は笑みを崩さない。


「だから、誤解だって言ってるでしょ? 僕は花圃のことを心配していただけだから。ちょっと、心配しすぎて、言葉が強かったと思うけどね」

「あんたね、それで済むと思ってるの?! こっちには防犯カメラの映像が――」


 興奮する湊の手を、花が引く。あまりこの件で、強く出ないで欲しい。なんとか、穏便に収めたいのだ。火花が油断してくれている間に、コトを進めたい。変に隙を見せて、妨害されるのは、それこそ面倒だ。


 ――あの防犯カメラ、実はダミーで。経費節減で解約しちゃったんだよね。

 カラカラ、花奈さんが笑う姿を思い出して、ため息が出る。


 証拠がないとなれば、目撃証言のみ。こちらの心象が悪くなる可能性がある。





「だから、僕は花圃が心配だったんだよ」


 それから、火花は花に距離を詰める。花は、一歩退いて、俺の背に隠れる。彼女の方が、少し身長が高いから、まるで隠れたことにならないけれど。


「花圃」


 囁く。


「僕に頼りなよ。僕なら、絶対に君を幸せにするから。花圃の夢だった保育士さん、その夢なら僕が叶えるから。何なら、将来的に園長にだってしてあげるよ。だから、今は全部僕に任せて。ムリに秋田を隣に置く必要は無いよ? 君の隣は僕が相応しい――」


 火花がジリジリ距離を詰める度に、花の体が震えるのを感じて。


(耐えて)


 そう思う。

 ここはなんとか穏便に済ませて――。


「香水クサッ」


 そう口走っていたのは、俺だった。火花の表情が目に見えて引き攣っている。


「……また、君か」


 顔を歪ませて。爽やか系美男子がまるで台無しだ。周囲の火花応援団――火花キラキラ団は、同じように顔を見にくく歪ませる。


 ――秋田が、香水の何が分かるの?

 ――センスないくせに

 ――口をはさんでくるなって。

 ――キモいから。

 ――いい加減、聖母様を解放してあげなって。きっと脅されているんだよ。マジ可哀想。

 ――何、火花君と対等に話そうと……。


 そんな風に囁く、皆さんに向けて、俺は一瞥する。

 えっと、なんだっけ?

 紅い悪魔レッドデビルに睨まれたら、妊娠するんだっけ?


(上等じゃん、それなら妊娠してもらおうじゃないか)


 そう、ぐいっと俺が前に出ようとした瞬間だった。


「はいはい、それぐらいにしようね」


 パンパンと手を打ったのは彩翔だった。


「結局、火花君は何がしたいの?」


 じっと彩翔が、火花を見やる。


「……え? いや、僕は花圃が心配で――」

「それなら、朱理がいるから間に合っているよ。多分、誰よりも今、花園さんが信頼しているの、朱理だから。どう、花園さん?」


 突然、会話のキラーパスに花は、目を白黒させて。それから、俺の腕をぐっと掴む。いや、あの花? 無意識なの分かるんだけど? 心細いのも分かるけれど。保育園の園児じゃないんだから、そんなにくっつかなくても――。


「しゅー君が良いんです。しゅー君がいるから、頑張れます。しゅー君は、安易な答えで解決しようとしません。一緒に考えてくれます。ちゃんと、向き合ってくれます。そんなしゅー君と、乗り越えたいって思っています。だから、私のことは気にしないでください」


 丁寧だけれど、明らかに拒絶を示す言葉を花が紡いで。そんな言葉を聞いて、火花はより顔を歪ませる。


「どう、あがいたって保育士は来ない! 絶対に来ない! 後で泣きついても遅いからね、花圃!」


 あくまで、この面子にしか聞こえないように、囁いたのは流石か。もう、すっかり火花の爽やかな仮面エガオは剥がれ落ちてしまっているけれど。


 火花に心配してもらわなくても、今日は保育士面接だ。――。


「梨々花、戻ってくるなら今だよ?」


 この後に及んで、今度は藩宮さんに耳元で囁く。

 聞く人が聞けば、甘い囁きだったのかもしれない。

 でも――。








「「「べーっ、だっ!」」」

 花、湊、藩宮さんが、息を合わせたかのようなアッカンベー。それはそれは、お見事だった。






________________


【いたずらっ子園長代理先生】


「あのね、しゅー君に睨まれたら、妊娠しちゃうって聞いたんだけど?」

「ぶほっ。花までその陰口、知っていたの?」

「酷いよね、そんな風に言うの」

「あ、うん……」

「見るの、私だけにしてね?」

「ぶはっ。はい?」

「私、子どもは三人が良いなぁ」

「じゃ、私は10人!」

「観月ちゃん、そんなに産んだら大変だよー。子ども一人、大学まで進学させようと思ったら2000万円くらい――」

「観月ちゃんも、栞ちゃんも何言ってるの?! 花も落ち着いて!」



以上、とある日の花園保育園園庭、おままごとの現場よりお伝えしました。

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