にじゅうきゅうッ
花園保育園の職員室。決して広いとは言えないこの場所に、俺。その隣には花と朱梨。園長の花奈さん、主任の守田先生。その周りを囲むように、彩翔に湊、藩宮さん、キャプテンとマネージャー、観月ちゃん、栞ちゃん、そしてお母さん達。それから町内会の会合を終えて駆けつけた、梅さんまで座る。
園長席に観月ちゃんと、栞ちゃんが座っていることは、とりあえず置いておくとしても……絵本を読んで、良い子にしているから良しとして。思考を巡らせながら、花奈さんの言葉を待つ。
かたん。
花奈さんの椅子が少しだけ動いた。コクリと唾を飲み込んだのは、いったい誰だったのか。真剣な眼差しの花奈さんの表情に、空気が重くなって――。
「きゃははは! この絵本、めっちゃ面白いねー」
「観月ちゃん、しー! しーだって!」
「観月っ!」
お母さんが申し訳なさそうに、ペコリペコリと頭を下げるが、観月ちゃん達が大人の空気を察せられるワケがない。むりしろ宥める栞ちゃんが大人すぎた。
と、梅さんが、そんな二人の掌にそっととっておきを置いた。飴ちゃんである。途端に観月ちゃんと栞ちゃんは、ニパッっと笑顔になるから、現金なものだった。時に、口で説明するより早い時がある。でも、それは馬を釣る人参と同じような扱いじゃ、もちろんダメで。
――しっかり応えてくれたら、ちゃんと愛情で返すべきさね。
梅さんらしいと思ってしまう。まさしくおばあちゃんの知恵袋。給食先生が園児達に好かれている一因だった。
こほん。
花奈さんが、咳払いをする。仕切り直し、また場の空気が引き締まる。
「あ、あの……俺達、ここにいて良いんですか?」
そう言ったのは彩翔だった。
「もちろん。むしろ、同席をお願いしたのは私だ。ここにいるみんなに聞いて欲しいと思っている。この花園保育園に関わることだからね」
聞けば、花はもちろん、彩翔も湊もキャプテンも、そして藩宮さんもこの園の卒園生だと言う。
「私も世話になったさね」
「梅さんも卒園生?!」
思わず目を丸くして――ポカンと頭を叩かれた。
「バカかい! うちの子と孫が卒園生なのさ! 私がガキの頃には花園保育園はなかさ!」
いや、だって話の流れだと、そう解釈しちゃうじゃんか。見れば、クスクス花が笑っている。
「……花?」
「うん、やっぱり、しゅー君はそういう顔が良いなって思います」
「へ?」
花から見てどんな顔――あ、そうか。多く人の評価は
(つん?)
気付けば、俺は花につんつんと頬を突かれていた。
「あ、あの、花?」
「しゅー君は人を寄せつけない空気感があるんですよね。それがもったいないって思っていたんですけど。今は逆に見せてあげたくないって思ってしまいます」
「……へ?」
いきなり何を言って――。いや、そう思ってくれるのは嬉しいんだけれど、花? その……距離が近いから。もしもし……はな?
「この状況、どう思いますか? 解説の湊さん?」
「そうですね、司会の
「今でも全然有りよりのあり。園長先生、本当にお美し――い、
「ごめん、キャプテン。ちょっと間違っちゃった。てへ」
「翼! 間違って、人の指関節を逆方向に捻るとか、かなり天才的だからな!」
「お母さんと子どもの両方をいただくの、親娘丼って言うんだよねー」
「観月ーっ!」
観月ちゃんのお母さん、大絶叫だった。
「秋田、そういう趣味があったの?」
「藩宮さん、そういう目で俺を見るの止めて!」
「どちらかと、その趣味はお母さん――」
「観月ーっ!」
お母さん、二度目の大絶叫。薄い本を作るのが趣味と、娘にカミングアウトされるのは、また別の物語。
「こほん……」
本日、二度目の花奈さんの咳払い。思うのだけれど、このメンツで真面目なお話をするのは少し難儀なのではないだろうか。そう思い始めた俺だった。
■■■
こほん。
花奈さんはもう一度、咳払いをする。
「……婿君、巻き込んで悪かったね」
「へ?」
いきなり頭を下げられて、目を点にするしかない。巻き込んだ?
「ここにいるみんなには、正直に言おうと思う。花園保育園の経営は、もうお尻に火がついている。今月、保育士が一人辞める。守田先生も知っていて――花にはついさっき、伝えたんだけどね」
コクンと、主任の守田先生。それから、花も頷いた。その挙動が重い。
「
「それって……」
言葉を失う。火花の実家は、介護から福祉まで手広く運営する、
(……でも、それは矛盾してないか?)
俺は花奈さんを見る。どことなく、諦観した色をその表情に見る。
「花圃は知っているけれど、最初の話し合いであちらの介護事業部門責任者が同席をしたんだ」
「は?」
言っている意味が、理解できない。
――僕はむしろ
そう
「経営立て直しのための統合。そう言いながらも、施設を閉鎖して他の事業に移行。最近あそこの会社は、そういう強引な手口が多いみたいさね」
梅さんが、顎を撫でながら言う。思わず花を見れば、覚悟を決めたと言わんばかりに、その双眸に意志をたたえていた。
「花圃と話し合ったんだ。年内で、この保育園は譲渡することを決めたから」
誰もが息を飲む。
(でも――)
俺が納得ができない。
俺は、花園花圃という女の子がどれだけ、この保育園のことを愛しているのか知っている。そして、どれだけ子ども達のことを大切に想っているのかも。
子ども達の笑顔のためになた一切、妥協しないのが花だ。自分の生活を犠牲にしたなんて、微塵も思っていない。
そんな花がこの決断を飲み込んだ。
どんな想いが、その胸に今、渦巻いているのだろう。
こういう時、どうしたら良いのか。
友達として、どんな言葉をかけたら良いのだろう。
一番、しんどい時に。一番苦しい時に、俺は花に何もしてあげられない。
俺はただ無力で――。
■■■
『一番しんどい時に、大切なことを思い返してみたら、意外と答えって傍にあるんだよね』
父さんの言葉が耳の奥底で響く。
今、なんでこんなことを思い出したのだろう。
あぁ、そうか。
――
そう質問を投げてみた時だった。
父さんは、面食らって。
それから、慎重に言葉を選んでいった。
――大切な人を失うのがこんなに辛いって、想像もしていなかった。命と向き合う仕事をしたい。そう決意したのが、取っ掛りだったのに。今じゃ患者に簡単に予後、何ヶ月ってあっさり言えるようになって。感情に流されず、むしろ麻痺するのが医者だって、それが当たり前だと割り切って。でも、割り切りたくなかった……多分それが、理由だよ。
夏の暑い日。
風鈴が揺れて。
コップの中、麦茶と一緒に氷が踊る。
父さんが言う大切な人が、母さんであることは間違いない。
あの日の火事を思い出す。
炎は全部を焼き尽くして。母さんの遺影すら持ち出すことができなかった。
セピア色の景色が、モノクロームに滲んで。そして――。
■■■
運動会も終わって、もう秋もまっただ中だというのに。
やけに、鼓膜を震わす風鈴の音が、今も離れない。
「しゅー君?」
花が俺を覗きこむ。
あ、ごめん……花。
俺、
食いついたら離れない、そんなディフェンスで相手チームを翻弄して。
やっぱり、諦めが悪いって、自分でも思う。
だから、父さんからの受け売りを捏ねくり回しても。どんな手を使ってでも――そう思った。そう簡単に、諦められない。
(だって、花?)
今にも泣きそうな顔しているからね、君は。
ポン。
二人の手が、俺の背中を叩いた。
一人は彩翔。
そしてもう一人は、キャプテンで。
二人には、俺の考えていることなんか、とっくにお見通しのようだった。
ちゃんとアシストするよ。そう二人に言われた気がして。
思わず、微笑が漏れる。
だったら――。
迷うことなんか何もない。
■■■
「花奈さん、一つ教えてもらって良いですか?」
「え……婿君? いや、もうコレは決めたことだから――」
「この花園保育園が、一番大切していることってなんですか?」
「へ?」
花奈さんは、呆然と俺を見やる。
それは、花も一緒で。
風鈴の音。
バスケットコートに響くドリブルの音。
花園保育園に響く、観月ちゃん達の元気な笑い声。
その全部が入り交じった。
(俺、本当に諦めが悪い――)
――この花園保育園が、一番大切していることってなんですか?
まだ試合終了のホイッスルは鳴っていないから。
だから、そもそも諦める理由がない。
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