藩宮さんは、魔法少女らしい


 ――な?


「里梨花、すごい顔なってるわよ?」

「娘に言うことじゃないでしょう?! いや、それも今はどうでも良いから!」


 だって聞き捨てならないワードを聞いてしまったのだ。


「……今、なんて言ったの?」

「ん? 園長先生の退院祝いに行くから、今夜はそこでご飯にしようって言ったの。聞いてなかったの?」

「……それ、いつ言ったの?!」

「つい、さっき」

「初見で聞いたのと一緒じゃん、バカっ!」


 ウチの怒号が、リビング中に響いたのだった。いや、だって言い訳をするのも許される。


 確かに、ウチは花園保育園の卒園生――OBだ。花園花圃……鉄の聖母様を、一番近くで見てきた一人と言えるのかもしれない。でも、きっと聖母様は大勢居るウチの一人――それぐらいの認識しかないと思う。


 いわゆる幼なじみと言うよりは、花園保育園出身という言葉の方がよく似合う。昔から知っていることと、仲が良いことは決してイコールじゃない。


 彼女は、あの時から【お姉さん】だった気がした。

 園長先生の娘。


 それだけで特別視されれそうな気がするけれど。園長先生は聖母様を特別扱いしなかった。彼女も、それを当たり前のことと飲み込んでいた気がする。でも、今なら分かる。秋田に見せる無防備な姿を見れば。


 彼女はずっとガマンをしていたんだ。


 年下――年少組の子に慕われたことが、彼女のアイデンティティーになっていたんじゃないかと思う。


 ――保育園の先生になるっ!


 彼女の想いは、誰もが納得で。こんな子が理想の保育士なんじゃないかと、きっとみんな、そう思っていたはずだ。ひたむきに、脇目も触れず、ストイックで。


 少しだけ、みんなが大きくなって、


 恋愛を意識するようになって、花園花圃に憧れをもつ男子が増えた。でも、保育に全力の彼女には、恋愛にはいまいち関心が向かなかったらしい。


 処刑具、鉄の処女アイアンメイデン。保育士さんを彷彿させる聖母様。重ね合わせて【鉄の聖母様】とは、誰がつけたんだろう。まさに――なんて思った、あの時の自分をぶん殴ってやりたい。


 ――しゅー君。


 誰が、予想しただろうか。その呼び名にこめられている感情の意味を。ウチにまで嫉妬する恋する女の子を目の当たりにしてしまったら。


 私は、ポケットのなかのハンカチに触れる。洗濯済みで、後は秋田に返すだけで。

 思い返せば、体の芯まで熱くなる。


 だって、まるで子どもみたい――。


 なんで、あんな風に、泣いてしまったんだろう。

 みんなが【紅い悪魔】と忌避感を抱いていた、秋田朱理。


 同調するように、距離を置いて。視線を逸らしていた。

 でも実際に目と目を合わせて話をした秋田は――。


『自分が言われてイヤなことは、人にしないって』


 さも当たり前のように言うのだ。

 ムシの良い話だが、まるで魔法が解け、溶けてしまったかのようで。


 自分のバカさ加減を実感したんだ。


 彼のドコが【紅い悪魔】だったのか、今や全くわからない。爪弾かれた後で、こんなことを思うのは、本当に卑怯だって思うけれど。


 でも、泣いている女の子を前にして(自分を女の子というカテゴリーに入れて良いかどうかは別にして)さも当たり前と言わんばかりに、ハンカチを差し出してくれる人を、ウチは知らない。


 これがシワクチャだったり、明らかに使用済みだったらドン引きだったと思うけれど。彼のハンカチは使用未使用以前の話で。しっかりアイロンがかけられていて、清潔感に溢れていた。


 ――般若はんにゃ


 元友達は、最近新しいターゲットを見つけたと言わんばかりに、ウチにそうやってニタリと笑いながら声をかけてくる。自業自得とはいえ、もしかしたら保育園の子達にも「般若」と言われるのかもしれない。そう考えただけで、気持ちが萎えてしまって――。



『『『藩宮さんっ!』』』


 別れ際、ぶんぶんと手を振る秋田に聖母様、そして妹ちゃん。三人の笑顔が、私のイヤな妄想をあっさりと追い出してしまう。


「行ってみようかな……」

 気付けば、無意識にウチは呟いていたのだった。





■■■





「はん、にゃー、お姉ちゃんっ!」


 その声に、私は思わず立ちすくんでしまった。血の気がさーっと引いて、唇が張りついたように動かない。悪い予感というものは当たってしまうもので。


園庭は、歓迎会の準備でせわしない。


 屋台のためのテントのを立てようと、保護者と思われる男性達が奮闘中だった。園庭って、こんなに狭かったんだっけ? そんな呑気な考えも、全部奪われた。


 無音で。


 自分の心臓の音がから、やけに耳につくような。そんな錯覚を憶えた。予想していたことだ。こんなことなら、やっぱり最初から来なければ良かったんだ。そう思った瞬間――。


「だから、そういう呼び方は好きじゃないって言ったよね?」

「秋田……?」


 また、このタイミングでそんなことを言う。いつもの見慣れた制服じゃない。チノパンに、ポロシャツ、そして紺色のエプロン。保育士さんが、目の前にいた。


「だってぇ」


 ぶすっと女の子が頬をふくらます。秋田は、それ以上は言わない。ただ、穏やかに女の子の言葉を待っていた。


「……お兄ちゃん、怒ってる……?」

「別に怒ってないよ」


 ニッコリ笑って、そう言う。


「ただ、観月ちゃんは、約束したらちゃんと守ってくれる子だから、どうしてかな? って思っただけ」


 秋田にそう言われて、ますます女の子――観月ちゃんは、頬をふくらませる。その目は、今にも涙が零れそうだった。


「だって、だって……」


 観月ちゃんは、言葉を濁す。


「――お姉ちゃんの名前、私、知らないもんっ!」


 大絶叫だった。ウチは思わず、目を丸くする。


「般若って言ったらダメって言われたから、だから『はん、にゃー』にしたんだもん! 猫ちゃんならお兄ちゃん、怒らないかなって思ったけど。だって、本当に名前、知らないもんっ!」


 涙腺崩壊、その次に待っていたのは大号泣だった。


「あ、えっと、観月ちゃん、あのね――」


 秋田が必死に声をかけるが、まるで観月ちゃんには届かない。子どもって、泣く時も全力なんだよね、としみじみと思う。ちょっと、オバさんクサイと思ったのは内緒だ。


「あ~ぁ、お兄は女泣かせだよね」

「そうなんですか?」


 ひょこっと顔を覗かせたのは、両手に段ボールを抱えている妹ちゃんと聖母様だった。と、聖母様が持っていた段ボールを、秋田は自主的に受け取ってしまう。


「重いでしょ? 持つよ」


 そのモーションがあまりに自然で。紳士的という言葉が、これほど似合う人を私は知らない。


「ありがとう、しゅー君」

「お兄、私の荷物の方が重いんですけど?」

「あ、それじゃ私が――」


 思わず、手をのばして、妹ちゃんの荷物を受け取っていた。ポカンと彼女がウチの顔を見る。


「……里梨花先輩、マジイケメン!」

「あ、いや、そんなつもりじゃ……」


 秋田の姿を見て、勝手に体が動いただけだ。誰が何を言っても、自分の意志を貫き通す。多分、秋田朱理って男の子は、そういう子で。


 そんな秋田だから、花園花圃――鉄の聖母様の気持ちを、攫っていってしまったんだと思う。誰が、こんなに溶けてしまって、全力で甘える花園花圃を想像できただろうか。


 保育園から彼女を遠くで眺めていたからこそ。その変化は、イヤという程よく分かる。


 だったら、と思ってしまう。言い訳も、人に合わせるのももうたくさんだ。ほんの少しはみ出しても良いから、自分を偽らずまっすぐでいたい。秋田を見てると、自然にそんなことを思ってしまう。


 と、観月ちゃんは大きく目を見開いてウチのことを見ていた。ウチは目をパチクリさせるしかない。


「……へ?」

「りりか、お姉ちゃん?」

「ん、うん……そ、そうだけど……」

「確かにね、名前が分からなかったら呼べないもんね。いいじゃん、里梨花お姉ちゃん」


 ちょっと、秋田?! 君に言われるのは、破壊力が強すぎるから、マジでヤメてくれない?!


「あのね……しゅー君」

「花、なに?」

「なんでもない、しゅー君のことを呼びたくなっただけ」


 にへらと聖母様ぽんこつが満足そうに笑う。秋田はポンコツ製造機なの! 本当に不用意な発言に禁止! ウチらの鉄の聖母様を今すぐ返して! 心底、そう思う。

 と――。


「……里梨花お姉ちゃん……」


 何やら真剣な表情で、観月ちゃんが呟いた。


「あ、あの……?」

「観月ちゃん?」


 秋田に聖母様まで、首を傾げる。と、ポンと観月ちゃんが手を打った。


「魔法少女 リリック・リリィ!」

「はい……?」


 一瞬、脳裏に華麗なエフェクトとともに、変身する女の子の映像が再生された。確か、日曜日夕方に特撮物の後に放送されてた気がする。どうりで、さっきまで園舎で子ども達は齧りつくようにテレビを見ていたわけだ――けれど?


「説明しよう! 魔法少女 リリック・リリィはテレビ夕日の日曜日、夕方枠。通称テレ夕で放送されているアニメ番組である。魔法少女とヒップホップの融合で、大きなお友達にも大人気なのだ! 特にお勧めはDJ.ヌコ。女の子が大好きな白猫が、魔法少女を口説いていく様は本当にツボ。リリィの決め台詞『君も沼ったな!』今週もコレで決まりっ!」


 うん、妹ちゃん。ポーズ付きで、鼻息荒い解説、どうもありがとう。妹ちゃんが、どれだけ好きなのか分かったよ。秋田、ドン引きしないであげてね? 好きなことを突き詰めたら、こうなるって。人はこれをオタクと言うけどさ。


「バカだな、観月。リリック・リリィはアニメのなかだけだって。現実にいるワケないじゃん」


 男の子がやけに大人ぶった言い方をする。あー、これはアレか。魔法少女はさておいて。観月ちゃんの気を引きたい一心だんだろうなぁ、と。そう思うと妙に微笑ましい。


「リリィはいるよ!」

「いるわけねーじゃん!」

「いるよ!」


 なんだか不毛な言い合いになっている気がする。これ、どうしたら……。思わず、聖母様を見やれば、彼女も打開策を考えあぐねているのか、秋田と目を見合わせている。折角の歓迎会が台無しになりかねない空気感だった。


「とりあえず、リリィが本物かどうかはさておいさ――」


 秋田が小さく笑む。だから、そんな笑顔でリリィって言うな。明らかにウチを見るな。男子に、今までそんな風に呼ばれたことなんかなかったのだ。免疫が無さすぎて、本当、心臓に悪い!


「こっちのリリィは、サッカーメチャクチャ上手だよ?」


 秋田がニッコリ笑って、そう言う。ウチもうんうん、頷いた。まぁ、そういうことなら、一肌脱ぐのやぶさかでは――。








「えぇぇぇぇぇぇっ?!」


 ウチの絶叫が響き渡る。

 秋田、何言ってるの? この保育園に来るのも、ウチは勇気を振り絞ったというのに!

 でも、当の彼は聖母様の耳に何やら囁いている。

 まるで、シンクロするかのように、二人でコクンと頷ずきあっている



「「せーのっ」」

 二人が声を合わせる。この瞬間からもうイヤな予感しかしなかった――。


「「お願い、リリィー!」」


 寸分もズレなく声が重なって。秋田にいたっては、学校でそれぐらい笑っていろと言いたくなるぐらい、満面の笑顔で。秋田も聖母様も、園児と遜色ないくらい、イタズラっ子な笑顔を浮かべているのが、余計に腹立たしい。



「やかしいっっ!」

 そう絶叫したウチは、きっと悪くない。






________________


【園児たち、そしてその他の皆さんの感想です】



「え? お姉ちゃん、サッカーめちゃくちゃ上手いよ!」

「ボールが落ちないよ?」

「あれ、リストカットって言うんだぜ」

「……リフティングね」

「魔法、魔法!」

「魔法少女リリック・リリィ!」

「あ、お姉ちゃん、顔が真っ赤!」

「かわいー!」

「さらに真っ赤!」

「可愛い! 可愛い!」

「「リリィ、可愛い!」」

「聖母様、秋田! 君ら、ちょっと本当いい加減に――」

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