にじゅうさんっ!


「ん。きっと適温」


 いつもの感覚で、自分の好きな配合で作った天ぷら衣。エビを浸して、それから油にくぐらせる。ふつふつ泡がはじけたかと思えば、じゅわーっと一気に油が跳ね上がる。ふわっと、天ぷらが揚がってきた。


 ここからは時間の勝負だ。

 かしわ天。

 大葉。


 次々と揚げていく。


 お次は蕎麦を湯がく。もう、麺汁めんつゆは調理済み。安芸市は関西風出汁が主流だが、時々、無性に関東風を食べたくなるのだ。何で調理に勤しんでいるのかといえば、目の前の二人。プラス一人のおかげである。


『『簡単に食べたら、保育園に出ようと思ってて』』


 退院日に何を言っているのだ、と思った俺の感覚は間違っていなかったと思う。見れば、朱梨も半ば呆れた顔で肩をすくめる。


 ――お兄、諦めて?

 朱梨がそう言っている気がして、俺もつい苦笑いが漏れる。


 花、そして花奈さん。二人は間違いなく親子だった。


 コンビニで買い込もうとした二人を、俺は止める。だって、花園家に使えそうな材料があったのだ。購入したのは、生蕎麦。しめて200円なり。まぁ、コンビニ弁当に比べて、俺が作る料理は素人が頑張った程度。しかし、この保育園ココで当分、お世話になる以上、花奈さんの迷惑にならない範囲で、家事を手伝いたい。それは俺の偽らざる本心で――。


「か、か、か、か、ほ、ほ、ほ、ほ、花圃!」

 一瞬、花奈さんが壊れたのかと思った。


「こ、衣が、サクサク! 出汁がきいてる! 蕎麦の喉越し、最高! 婿君、君は職人か?!」


 聞き捨てならない呼称が――。


「ちょ、ちょっと! お母さん、それダメ!」

「ん? でも花圃。お前、婿君のことが――」

「ダメ。ちゃ、ちゃんとまだ言えてないの。だから……」


 なんのこと? 思わず、首を傾げると、朱梨がニヤニヤ笑っているのが見えて――つい一瞥する。


『なんでもありません!』


 慌ててそっぽを向かれて、そう表情で返答を返された気がした。朱梨は、無言で蕎麦を啜る。


「でもなぁ、秋田君って言うと、私の中では秋田あっきーのことなんだよなぁ」


 悩まし気に言う。中学校時代からの顔見知りなのだと、聞いたのは公共交通機関アストラルラインのなか。父さんと同じ世代ということは、女性の年を推測するのは野暮だと思うが、きっと42歳。30代――花のお姉さんでも通用する、花奈さんの美しさに、思わず目を細めてしまう。


 この年齢まで、親交が続いていたことを、父さんは一言も漏らさなかった。それは、きっと子どもには言いにくい照れくささがあったのじゃないかと、勝手な憶測が湧き上がってしまう。

 例えば、初恋の人――。


「じゃあ、しゅー君なんか、どう?」


 花奈さんの一言に、俺の思考は遮られた。そんな風に呼ばれたら、どちらが花圃で。どっちが花奈さんか、分かったもんではない。


「ダメに決まってるでしょ?!」

「なによ? 別にしゅー君は花圃の専売特許ってワケじゃないでしょ?」

「ダメなものはだめ! その呼び方は私だけ! そうですよね、しゅー君?!」


 ずいっと、花が迫ってくる。待て、ちょっとキミ達は落ち着こう。あのね、鼻頭が、近づきそうなくらい、ちか、近い! 近いから!

 花、本当に君は少し落ち着いて!


「ま、でも退院早々、娘に嫌われたくないしね。そうだ!」


 ポンと花奈さんが、良いこと思いついたと言わんばかりに、手を打つ。うん、これまでの経緯から、まったくロクでも無いことだと、想像できてしまう。


「……お兄ちゃん、って呼んで良い?」


 友達の母親に【お兄ちゃん】呼びされる高校二年生。これ、如何に。少なくとも、友達の母に強要するほどの、妹属性は俺にはない!


「――それは、絶対にだめぇっっ!!」


 予想外の声が、飛んできて思わず、目を丸くする。


「あぁ、もう。観月ちゃんのオバカ。ばれちゃったじゃないの、もー! ん、もぐもぐ」

「朱理お兄ちゃんを、お兄ちゃんって呼ぶの、私なの!」

「私はお兄さんって呼ぶから、セーフだよね。もぐ、もぐ」

「観月ちゃんと、栞ちゃん?」

「今、お昼寝中じゃ――」

「あぁぁぁぁっ! 私の天ぷら! 取っておいた、エビ天!」

「ずるずる、ずる」


 栞ちゃん、俺、花、花奈さん。そして、蕎麦をすする、朱梨。それぞれの声が――いや、朱梨は咀嚼音か――入り交じる。


「あぁぁぁぁっ! もう、やっと観月ちゃんと栞ちゃんを見つけたっ!」


 今度は、主任の守田先生と、今や顔なじみの保育士さん。お昼寝時間中に、園児が消えたとなれば、そりゃ大騒ぎだよなと、しみじみと同情する。


「秋田君、あれほどお昼寝時間の調理はダメって言ったじゃない?! 子供たちが起きちゃうから!」


 守田先生の言い分もごもっとも。前も同じように大騒動になったのだ。園舎と園長邸は離れているというのに、子ども達の嗅覚たるや。本当に恐ろしい。


「何の騒ぎかと、思ったら。あらあらだね」


 ひょこっと、顔を覗かせたのは、給食先生と呼ばれている調理員さんの一人、高樹梅さんだった。


「……園長、お帰り。朱理、私にも味見をさせておくれ。ん、良い出汁だね」


 汁を小皿にすくって、一口。


「園長、前から思っていたんだけどね。食育も保育じゃ、大事な要素だろ? パウチを暖めて盛り付けるだけ。本当に便利な世の中になったとは、思うけど。でも、やっぱり、ちょっと味気ないさね。先代の園長なら――あ、いや、なんでもないよ」


 梅さんが寂しそうに笑って、口を噤んでしまった、

 病院や介護施設が、レトルトパックで食事を提供すると聞いたことがある。調理工程が省かれて、業務効率が向上する。管理栄養士監修で、メニューもバランスが良い。


 ――ただ、少し味気ないよな。


 父さんが漏らした言葉を、今さらながら思い出す。医療の現場は治療が最優先だ。逆の言い方をすれば、治療が終われば、速やかに退院をしてもらう。だって次の患者のために、ベッドを開けないといけないから。


 だから、居心地が良過ぎるのは困る。でも、効率化だけを考えたくないんだよなぁ。そう呟いたあの時の父さんの表情と、今の梅さんの顔が重なった。


「……そんな深刻に受け止めないでおくれ。あくまで年寄りの世迷い言だからね。若い人が決めたことにケチをつけるなんで、私は悪い年寄りだよ、本当に」


 ひらひらと手を振って、梅さんは出て行こうとした――その瞬間だった。


「給食先生っ!」


 ビシッと手を上げたのは、観月ちゃんだった。うん、この時点でもうイヤな予感しかしない。


「給食先生とお兄ちゃんが作った、ふかしおまんじゅうが食べたいですっ!」


 ほら、何の脈絡もない爆弾発言が来るから。

 みんな、目が点になっていた。花、俺に助けを求めないで。花奈さん、呆けていないで。守田先生、ココが保育士の出番なんじゃないの? 朱梨、お前は美味しそうに汁をすすっている場合じゃないから! 


 い、いや、いつも美味しそうに食べてくれて。本当に嬉しいけれど。そこはありがとう、だけどさ。だけどね――。


「え、っと……観月ちゃん……?」

「若い人が決めました。異論、ないですよね?!」


 また大人の言葉を意味も分からず使って……と心のなかで、ため息をついて。でもマテ、と思考がめぐる。

 梅さんの言葉が耳の奥底で響いた。


 ――若い人が決めたことにケチをつけるなんで、悪い年寄りだね、本当に。


 梅さんの言葉に、思わず息を呑んだ花奈さん。その表情が今も強張って。でも、今は――。


「「「「「「若いって、若過ぎる! 観月ちゃんのことじゃないからね!」」」」」


 おぉ。みんなの心が一つになった瞬間だった。


「うー。お兄ちゃん、みんなが観月に対して、ひどいよ。ひどすぎるよ。うるる。るるー。うるるるる〽︎」


 嘘泣きが雑すぎる。そして、最後はどうして演歌調で、コブシがきいているの?


 呆れながらも、ポンポンと観月ちゃんの頭を撫でる。見れば、栞ちゃんも無理やり、背伸びをして頭を突き出してくる。はいはい、と苦笑しながら栞ちゃんの髪も撫でてあげる。

 と、見れば。なぜか花まで、ずいっと頭を突き出してきた。


「え?」

「……」


 花から無言の圧力を感じる。いや、撫でないよ? なで、撫でないから――!


「いっつも撫でてるじゃん。今さらじゃない?」


 朱梨。その発言、今いらない? ほら目を細めて、花奈さんが見ている! それに語弊があるから。いつもやっているように言わないで!


「……いつも?」


 ちが、違うよ、花奈さん? ただ、最近の花は仲良くなったのは良いけれど、妙に甘えっ子な時があるのだ。きっと観月ちゃん達に感化されただけなんだと思――。


「……」

「――っ」


 軽く髪にふれる。それじゃ、満足できないと言わんばかりに、さらに顔をぐっと近づけてくる。仲良くなって、分かったことがある。花は、きっと兄のような存在を求めている気がした。


 鉄の聖母さま。そして、保育士を目指す花。でも、完璧じゃない花を知る人は意外に少ない。花園保育園の保育士であっても、だ。


 ――花圃ちゃんに頼りっぱなしで本当にごめんね。

 ――流石、花圃先生よね!

 ――やっぱり園長代理、頼りになるわ。


 そう言われた時の花は、決まってはにかんだように、小さく笑みを溢す。見返りを求めたいわけじゃない。自分のためで。保育士になりたいという夢を実現するため。


 だったら、せめては俺は花に「がんばっているね」「すごいね」そう言葉を伝えてあげたいって、純粋に思う。


 だから――。


「……あの、お兄ちゃん? イチャイチャしているところヒンシュクなんだけど、むしまんじゅうが食べたいです!」

「それ、恐縮ってこと?」

「そうとも言う」

「そうとしか言わないよ!」


 ある意味、観月ちゃんに大顰蹙だけれどね。

 と、ずっと考え込んでいる花奈さんが、クスッと笑みを溢しているのが見えた。


 その思い詰めた表情は、梅さんとのこと?

 それとも、花のこと?

 もしかすると、観月ちゃん達を含めて、保育園の空気が変わってしまったことだろうか――?


 思わず、唾を飲み込んでしまう。

 と、花奈さんの唇が開いた。




「……梅さん。材料はあるの?」

「そりゃ中心は小麦粉だからね。用意していたオヤツは日持ちがするし」


 梅さんの言葉に、待ってましたと言わんばかりに、観月ちゃんと栞ちゃんが目を輝かせた。


「むしまんじゅうっ!」

「むしまんじゅうっ!」

「むしまんじゅうっ!」

「むしまんじゅうっ!」


 観月ちゃん、栞ちゃんとともに、朱梨に花まで? なんで、君ら、笑顔で蒸しまんじゅうコールしてるの?


「ふむ」


 顎先を指で撫でながら、花奈さんが頷いた。


「あ、あの、花奈さん……?」

「婿君、一つお願いがある」


 花奈さんが、突然頭を下げた。予想外のモーションに、俺は目を白黒させてしまう。花奈さんの意図が全く読めない。


 居候の分際で、保育のことには口を出すなってことなのだろうか。いや、確かにそうなんだと思う。花奈さんが掲げた園長としての方針があるはずだ。そこを無視して、一介の高校生の俺が掻き回していいものでは――。


「婿君、焼きそば作ってくれない?」

「はい……?」


 花奈さんがにぃと笑う。良いこと思いついた、そう顔にありありと書いてある気がした。

 今、蕎麦食べたじゃん。なに花奈さん? 実は胃袋底なしお化けなの?


「……ちょ、ちょっと? 婿君が考えているようなコトじゃ、絶対にないからね? 勝手に、私を食いしん坊お化けにしないでよ?!」

 どうやら俺も考えていることが顔に出ていたらしい。


「しゅー君の焼きそばは確かに美味しいけれど。お母さんにはあげないからっ!」


 なぜ、そこで張り合う?


「なんでよ! いいでしょ?! 花の婿君であるということは、私の婿君でもあるんだから!」

「ノー! お兄ちゃんは私のお嫁さんだからね!」

「お兄さん、私もりっこーほしますっ!」

「みんな、ちょっと落ち着いて! えっと、なんで焼きそば?」


「だって保育園後援会のお母さん達が、快気祝いしてくれるって言うのよ。どうせならお祭り風で、やろうって。園庭に屋台を出すみたいで。それなら、私達も何かしたいじゃん!」


 合点が入った。この期間で、色々なお母さん達に顔を覚えてもらったけれど、あのパワフルなママさん達なら確かに、と想像できてしまう。


「まぁ、園長と主任は、料理が壊滅的だからねぇ。私もその時間は、ちょっと町内会の会合で忙しいから、さ。朱理坊、ちょっと一肌脱いでやってくれないかい?」


 梅さんが、ニッと笑う。散々、お世話になっているのだ。そもそも断るという選択肢があるはずもない。


「おまんじゅうも忘れないでね、お兄!」

「「「私も!」」」

 そんな元気な声が重なるのを尻目に――。









 やっぱり、翳りを見せる

 そんな花奈さんの表情が気になった。



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