にじゅういちっ。
「秋田?!」
その声に反応して、思わず顔を上げてしまったのが悪かったと思う。
「
火花の取り巻。その一人、
今日の藩宮さんは、とても個性的で、思わず見惚れてしまった。
紫を基調としたサッカーのユニフォーム。地元住民なら誰でも知っている、プロサッカーチーム。Sunny flesh安芸。通称、サニフレだった。
光のなかでも視認できないと言われる、紫の色がチームカラー。苦難があってもチームと、サポーターで優勝を掴み取る。チームカラーには、そんな想いがこめられている。(by公式ホームページ)
チームカラー、ユニフォーム含めて、サポーター投票で決まったのは、記憶に新しい。
「な、何よ……?」
「いや、サニフレの応援行くんだなって思っただけ」
顔にフェイスペイントを入れる徹底振り。そして、サッカースタジアムは、アストラルラインの終点駅だ。思案するまでもなく、藩宮さんが、情熱的なサニフレサポーターだって分かる。
「……あ、秋田は笑わないの?」
意外そうな顔で見られた。え? 藩宮さんがそういう顔をする意味が、まるで分からなかった。
「――どういう意味?」
「ウチの周り、サッカーに興味がある子はいないから。その、一回この姿を見られた時、爆笑されて……だから、できるだけ、学校の子には見られないように、早めに出ていて。だから……また、笑われるって」
「笑う?」
思わず首を傾げてしまう。どこに笑う要素があったんだろう。
「普通に格好良いよ。素敵だって思うけど?」
「は?」
今度は、顔を真っ赤にする。別に怒らせたつもりはなかったんだけどなぁ、と頭を掻く。本当に、藩宮さんは、何を考えているのか、よく分からない。
「だって、サポーターがチームを一丸になって応援するワケじゃん。ユニフォームを身に纏って、応援してくれるなんて。選手は絶対に嬉しいよ」
俺もバスケをやっていたから、何となくその感覚は分かってしまう。時々気を抜くと、コートでの歓声と、ボールをドリブルさせる音が、遠くで聞こえる気がして。自分が思う以上に、バスケに未練がたらたらだったらしい。
「……秋田は、私のことを『般若』って呼ばないんだね」
「自分が言われてイヤなことは、人にしないって」
観月ちゃん達と、たまたま会ったあの朝。子ども達の悪戯心から「般若」と呼ばれた藩宮さん。でも、その後、彼女達に俺は切々と語ったのだ。
――人の名前をからかうの、好きじゃないんだよね。
愛称なら、良いと思う。キャプテンがつけた【
【
でも、その名前が勝手に独り歩きして、毛嫌いされるのは、正直、気持ちが良くない。
すぐに、俺の話を理解してくれた観月ちゃんと、栞ちゃんは本当に良い子だって思う。なぜか一緒に
あの時以来、火花とその応援団達は、藩宮さんから距離を置いていた。
地域の子ども、母親からの悪評に巻き込まれたくない。そんな思惑が明け透けだって思う。
――秋田君、花圃から距離を置いてくれないか。
そう火花に言われたのは、つい最近のことで。屋上での火花とのやり取りを思い出して、不快感がこみあげてきた。
でも、その感情を何とか飲み込んだ。
火花達が、教室で藩宮さんのことを【般若ちゃん】と呼んでいることを、俺は知っている。
でも、俺は藩宮さんに嫌われている。藩宮さんは、火花達に当たり前のように笑って返す。だったら、俺があえて余計なお節介をして、教室の空気を悪くする必要なんて無いから――。
「藩宮さん?」
俺は目を丸くした。彼女の双眸から、大きな雫が溢れ、頬に伝わって落ちていく。
「ちょ、ちょっと、藩宮さん?」
「ごめん。今さら言っても、許されないと思うけれど……秋田……本当にごめ、ごめんなさ――」
嗚咽で言葉にならない。彼女のなかで、感情を溜め込んでいたのは間違いない。それは分かる。理解する。でも、俺も言葉にならない。
「なに、痴話喧嘩?」
「別れ話じゃない」
「もうちょっと彼女のことを考えてやれよ」
周囲から、そんな風に囁かれたら、こっちが落ち着かない。むしろ冤罪だと叫びたい。
「……いや、怒ってないからね。こんな顔だけど、別にいつも怒ってるワケじゃないから――」
我ながら、何を言っているんだろうって思う。冷静になれず、どう対処しようと思い悩むものの、やっぱり良い考えは浮かばない。結局、苦し紛れに思い立った行動は、ハンカチを取り出して、藩宮さんの涙を拭いてあげることだった。
「……あ、秋田?」
「このハンカチ、未使用だから。それに俺、気にしていないからね? 折角のペイントが台無しになるじゃん。笑顔で、サンフレの応援をしなきゃでしょ?」
そう笑いかけた――その瞬間だった。
「お兄?」
「しゅー君?」
朱梨はともく、花の声色が氷点下以下に温度が下がった気がしたのはどうしてか。腕組みをした花が、俺に非難の眼差しを向けていた。
「あいつ、二股……いや三股なのか?」
「最低だな」
「女の敵じゃない?」
次のアストラルライン到着まで、あと10分。その10分が、永遠にも感じるほど長かった。
■■■
「ウチが秋田に詫びを入れていただけだから。本当にごめん、秋田」
「だから、それはもう良いって」
「そういうことだったんですね。あの時は、私も本当にごめんなさい」
素直に花が頭を下げた。
俺は、ようやく緩んだ花の温度に俺はようやく安堵の息を漏らせば――花がじっと俺を見やる。
どうやら、温度はまだ戻りきっていないらしい。
高架鉄道アストラルラインから見る、安芸市の街並みは壮観だった。政令指定都市だが、その実は市町村合併の結果である。中心市街地を抜ければ、少しずつ緑が広がっていく様は、空から眺めているような錯覚すら憶えた。
憶え、おぼえ、おぼ、おぼ――花の視線が気になって、景色を堪能するどころじゃなかった。
「あの、花? なんで、怒ってるの?」
「別に、怒ってませんけど?」
そう言いながら、まるで視線を外さない。頬を膨らまして明らかに「不満です」と、そう顔にありありと書いてある。
そんな花を見て、同席した藩沼さんは、終始唖然とするばかりだった。
「え、っと? 鉄の聖母様、よね?」
分かる。藩宮さん、分かるよ。俺も花の素顔に、ここ数日、面食らってばかりなのだ。でも、花園花圃という子の素顔を見れば、一生懸命で。でも不器用で。実は甘えっ子。みんながイメージする完璧なクール女子なんて、ドコにもいなかった。
「ふふっ」
と、そんな俺たちのやりとりを見て、朱梨が笑みを溢す。
「気にしないであげてくださいね、藩宮先輩。花圃ちゃん先輩、ヤキモチ妬いているだけなんです」
「な、朱梨ちゃん! や、やきもちゅなんか妬いて、ないから! 妬いてない!」
花は顔を真っ赤にしながら動転するやら、言葉を噛むやらで。でも、俺には花が慌てふためく、その理由が分からない。
「ほら、花圃ちゃん先輩って、一人で頑張っちゃうじゃないですか。でも、本当は『助けて』って素直に言えないだけなんですよね。お兄と友達になって、いくらか素直になった気がしますけど。本質は照れ屋さんだから。でも、お兄があっさり他の人に手を差し伸べちゃったから、そこにヤキモチなんです。そういうことでしょ、花圃ちゃん先輩?」
「……」
顔を真っ赤にして俯くその姿は、朱梨の発言を全肯定せるようなものだった。
「ま、お兄だったたら、花圃ちゃん先輩が助けてって言わなくても、動いちゃいそうだけどね。ね、お兄?」
花、なんで嬉しそうに俺を見るの? いや、覗きこまなくて良いから。それに、近い、近い! 顔が近いから!
「この子……本当に鉄の聖母――花園さん、よね?」
「正真正銘、花園花圃先輩ですよ。お兄の前限定で、メチャクチャ可愛いんですけどね」
「か、可愛くないから!」
「ほぉ。それでは、時間の許す限り、お兄の部屋に夜這いした事件の顛末を……」
「夜這いなんかしてない! あれは、ただ酔い潰れただけだから!」
うん、高校生が酔い潰れたとか。それだけで醜聞ネタだからね。
そんな花を見やりながら、藩宮さんは目をぱちくりさせるしかなかった。
とりあえず、と俺は咳払いをする。これ以上、アストラルライン内で騒ぐのは、よろしくない。そう思って、俺は花と朱梨の手を引いた。
「もうちょっと、静かにね」
そうなだめる。朱梨は、調子よく「はぁーい」と頷き、花はその顔をやっぱり朱色に染めて、座り直した。
素直でよろしいと言ってあげたいが、やっぱり距離が近い。ちょっと距離を置くと、花が詰めてくる。俺の隣は朱梨なので、結局は横一列の席が、まだ余裕はあるというのに、押しくらまんじゅう状態だった。
「あ、そうだ、藩宮先輩!」
「へ?」
朱梨が、食い入るように藩宮さんを見やった。
「先輩って、サニフレのサポーターなんですよね?」
「あ、うん。見ての通りだけど」
「私もお兄も、サニフレのファンなんですけど、スタジアムで応援したことなくて。今度、一緒に観戦ができたらって思うんですけど」
「お、おい。朱梨、そんな勝手に――」
ちょっと、それは無理があるんじゃないだろうか。変な空気のまま、アストラルラインを同席した仲となあったワケだが、藩沼さんは元々、俺のことが苦手なのだ。一緒にいたら、きっと不快感しか無いと思う。
予想通り藩宮さんは、
「良いよ」
やっぱり明確に拒絶して――拒絶を――え? なんだって?
「たから良いよ、って言ったの。それって、サニフレのサポーターが増えるってことでしょ? そりゃ、大歓迎だよ!」
「良かったね、お兄!」
そう満面の笑顔を浮かべつつ、朱梨は意味深な視線を送る。その視線の先は、あからさまに花で。
花は、教室内で鉄の聖母様として浮かべる笑顔を、同じように作っていた。まだ短い付き合いだけれど、本音を無理矢理飲み込もうとした時の花だって、イヤでも分かってしまう。
(……でも、迷惑にならないか?)
心の中で沸々と生まれる言い訳。俺なんかに誘われても――そう思うのに、考えるより先に、唇が動いていた。
「花も一緒に行かない?」
俺の言葉に、花が大きく目を見開いて。それから、心の底から嬉しそうに笑うから、むしろ俺の方が面食らってしまう。
「でも……私、サッカーのことは分からないんですけど。こんな私が行っても良いんですか?」
「もちろんだよ!」
そうガッツポーズを作ったのは、藩宮さんだった。
「サニフレを応援してくれるサポーターが増えるのは歓迎だし、ルールはウチが解説してあげるから、問題なしだから――って。あ、また興奮しすぎた。ごめん、その、こういうの引くよね……」
「そんなことないですよ。好きなことを知ってもらうのって、ワクワクしますから。藩宮さん? やっぱり、ユニフォームも揃えた方が良いですか?」
「そりゃ、もちろん! ネット注文もできるけど、市内に公式ショップもあるから。何なら、今度一緒にどう?」
「しゅー君も一緒に来てくれます?」
「え、藩宮がイヤじゃないのなら……」
「もちろんだよ!」
サッカーのこととなると、まるで別人のように目を輝かせる藩宮を尻目に。にわかサッカーファンの朱梨、ど素人でボールを蹴るくらいしかイメージのない、花との会話は、微妙にピントがズレながらも続く。
俺は苦笑を浮かべつつ、そんな三人を見守ることにする――。
俺たちの目的地。
リハビリテーションセンター入り口に、アストラルラインが停車するまで、この会話は途切れることなく続いたのだった。
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