第二章 秋田先生と花園先生

にじゅー!


「俺まで行く必要ないと思うんだけれど?」

「何を言ってるんですか。お母さんが、会いたがっているんです。なんか、結構楽しみにしているみたいで」


 こんな奴をどうして受け入れたっていう、そんな評価しかない気がする。身の振り方を考えないといけないのかなって思うと、ますます憂鬱になってくる。


「それに――」


 花圃はなが言い淀む。思考を逡巡させる彼女を見て、そりゃそうかと納得する。ようやく慣れた保育園暮らし。でも、こんな男が、家のなかに一人いるとなったら、家主も気まずいよな、って思い直す。


「……しゅー君、何か勘違いしてませんか?」

「へ?」

「絶対、その顔は勘違いしてますよね?」


 ずいっと、俺の顔を覗きこんでくる。


「え、っと。花、ちょ、ちょっと、近い! 近いから!」


 最近の花は、距離感がバグッている気がする。花は抱え込んでいるモノがあっただけに、色々と想いを巡らせてしまう。でも、この子は本当に真っ直ぐなんだと、最近思い至った。だから、信頼を寄せてくれたら、こんなにも近い。


「しゅー君は、邪魔な人じゃないですし。お母さんは、しゅー君に純粋に会いたいって思ってくれています。それに、私はしゅー君と単純にお出かけしたいって、思っています。それ以上もそれ以下もないですからね」


 そう、花は言い切る。


「……それって」

「「「「「デート?!」」」」


 朱梨あかり。それから、観月ちゃん、栞ちゃんをはじめとした、子ども達の声が重なって。プルプル、体を震わす、主任の守田先生が視界に映った。


「園庭の――砂場の中央で、何、愛を叫んでるのよ?!」


 いや、叫んでないよ? ちょっと、本心を漏らしただけじゃんか。業務中に紡ぐ言葉じゃなかった、っていう反省はあるけどさ。

 と、栞ちゃんがクイクイと俺のエプロンを引っ張った。


「朱理お兄さん。そのエプロンって、お弁当箱と一緒に、花ちゃん先生が買ったんですよね?」


 身長差もあるから、当然上目遣い。キラキラさせた双眸で見上げられれば、拒絶もできない。


「あ、ん、うん。そうだけど……」


 必死に死守しようとしていたのに、お母さん達の包囲網に、あえなく陥落をしたのは花だった。色違いのエプロン、それぐらいの感覚だったのに、お母さん達の反応に面食らうことになる。


 ――先生、可愛い! それってリンクコーデじゃないですか!

 ――商店街の雑貨屋さん、あるじゃない?

 ――生活のカナメ?

 ――あそこで、二人で買い物をしているのを目撃しました!

 ――じゃ、その後だったんだ。cafe Hasegawaで、お茶をしていたところで目撃したのであります!

 ――あそこで【カフェオレ】を思い人と頼んだら、濃いが成就するっていう、都市伝説で有名だもんね。やっぱり、二人で頼んだの?

 ――あ、はい、あの、その……。


 最後、しどろもどろになっていたのは、花だった。そもそもは、あの帰り道。バスケ部のキャプテン。そしてマネージャーに出会ったのが、運の尽き。折角だからと、あれよあれよという間に、誘われてのご来店。


 来店サービスと言われて出されたのは、カフェオレとアップルパイ。

 カフェオレは見事なコーヒーアートだった。俺たち二人をイメージして描かれたのは、一目瞭然だった。


 恋の願掛けとして、女子の間で静かなムーブメントになっていると聞いたのは、朱梨から。不特定日に提供。メニューに掲載も無い。そんな、常連さんのみ――知る人ぞ知るまさに裏メニューなのだ。でも、時々気になった子に、こうやってバリスタとパティシエが提供してくれるらしい。


 気付けば、キャプテンもマネージャーもいなくなっているから、まるで狐に化かされたかのようだった。


 ――素敵な時間を。

 思わず、顔を上げる。そんな言葉を投げかけられたか気がしたのだ。


 気恥ずかしくて、視線を泳がせると、妙に緊張した面持ちで、カフェオレと俺を見やる、花と目が合ってしまって。それでも、目を逸らすことなく、俺を見やるのだ。


 信頼してもらっている。それは自分でも感じる。この子は、今や俺を兄のように慕ってくれている。


(――だから、勘違いしちゃダメだ)


 そう言い聞かせる。花が抱え込んでいる、その内情を知るのは、朱梨海崎湊悪友くらい。


 ――私だって、そんなに深くは踏み込めないからね。朱理はすごいと思うよ。


 湊が神妙な顔で呟いていたことを思い出す。そんな風に思考をグチャグチャに巡らしていると。次の来客を告げるベルが、凜と鳴り響いた。


「しゅりお兄ちゃん!」


 お店の、大人な空気感を容赦なくブチ壊す。

 我らが、観月嬢と、そのお母さんが来店。お母さんネットワークに繋がるのも、必然だったんだと思う。





■■■




「――しゅりお兄ちゃん!」


 観月ちゃんの声で現実に引き戻された。


「へ?」

「ずっと、気になっていたんだけど、お兄ちゃん、コレはどういうことなの?」

「……なにが?」


 ずんと、観月ちゃんに迫られる。


「お兄ちゃんは、私と結婚の約束をしたよね?!」

「……それは、さっきまでやっていたママゴトの設定だよね?」

「私はお兄さんの、子どもでした!」


 栞ちゃん、面倒くさくなるから便乗しないで!


「……良い。分かっていたの。男って、こういうイキモノなの。外で、いい顔してさ。そうやって見境なく、ヨソの女に声をかけて。遊びまくって! 本当に男ってサイテイ!」


「そうだったんですね」

「面倒くさいから、花まで本当に便乗しないで!」


「……うちのお兄が結婚詐欺師だった件について」

「朱梨?!」


「冗談じゃん。そんなに怒らなくても(笑)カツコワライ

「かっこ笑いはいらない! 声に出すなし!」


「いいの、あかりん先生。私、お二号さんでも良いから」

「おい保育園児?! お二号さんの意味分かってる?」


「もちろんです。ヒーローがピンチの時にこそ、颯爽と現れる――」

「特撮の話じゃないからね?」


 個人的には、2号ヒーローは格好良いと、俺も思うけれど。


「こほん」


 そう咳払いをしたのは、主任の守田先生だった。子ども達のパワーに呑まれて収拾がつかなくなる時、ベテラン保育士の掛け声は、本当に頼もしい。


 大声を出したワケでもなにのに、みんなの視線が守田先生に集まる様は、本当にプロ。素直に尊敬の念を抱く。


「――あのね、秋田君。園長先生が楽しみにしているって、言ってたから。自信をもって」

「へ?」

「婿に会えるの、楽しみだって」


 俺と花が凍りついた瞬間だった。


「「そういう関係じゃないから!」」


 俺と、花の声が綺麗に重なる。


「仲良しだねぇ。やっぱり息ぴったりじゃない」


 ニンマリと守田先生が笑む。いや、からかい過ぎだから。却って、気まずくなるじゃん。本当にヤメて欲しい。見れば、花は顔を真っ赤にして、口をパクパクさせている。ボソリと、何かを花が呟いたが、観月ちゃんのパワーに押されて、それどころじゃなかった。




 ――まだ、そういう関係じゃないですから。





 朱梨は、なぜかニヤニヤしていて。

 そんな視線を送るぐらいなら、こっちを助け――て。


 そんな声も絞り出せないくらい、子ども達の波が押し寄せ、俺は飲みこまれてしまったのだった。






■■■






 そして、花のお母さん――園長先生が退院予定の土曜日。

 俺達は全速力で駆けていた。


「あ、朱梨! お前、本当にいい加減、自分で起きろって!」

「そういうお兄は、花圃ちゃん先輩とイチャコラしてたクセに!」


「なんで、そうなるんだ! 保育のお手伝いをしていただけじゃんか!」

「あ、あの……どうしても、気になってしまって。つい現場に出た私が悪いんです。本当にごめんなさい」

「べ、別に花は悪くないって」


 シフト勤務の保育園。中高生のお手伝い要員まで、数に入ってしまっているのは問題だ。特に土曜日。パートの保育士さんのお休みだってある。微妙に人手が足りない、魔の曜日だったりする。


 その状況でも、花は支えようと必死だった。


 それなら、と思ってしまう。少しでも、花を支えてあげたい。友達として、それぐらいはしても怒られないだろう。そんな言い訳じみた言葉ばかりが脳内に浮かんでくる。


「だから、そういうのがイチャイチャなんだって」


 じとりと横目で、朱梨が視線を送ってくる。男女の友達は難しい。多少、仲が良いだけでくいう誤解を生んでしまう。だから、こそなんだと思う。距離感は意識しないと。特に、花は無防備すぎるきらいがある。そうでなくても、学校の男子は花を【鉄の聖母様】と憧れを抱いているのだ。


「……な、なんとか間に合いそうですね」


 肩で息をしながら、花が言う。


 バスで安芸市バスターミナル方面へ。そこから、途中下車して、アストラルラインという高架専門電車に乗り換え、区をまたぎ佐易区へ。花のお母さんが入院している市リハビリテーションセンターは、俺達の住んでいる北区から、車でなら30分程度。でも、公共交通機関で行うとしたら、一端中央区に出ないといけない。


 合併で大きくなった地方政令都市の弊害を垣間見た気がした。

 現在、アストラルラインの駅に到着して、ようやく息をついたところだった。


「お兄、ごめん。ちょっと、トイレに行ってくる!」

「あ、私も行きます。しゅー君、待っていてくださいね?」

「……俺、園児じゃないぞ?」


 苦笑しながら、コクリと頷いて、二人を見送った。

 駅の壁にもたれかかって、息を吐く。


 つーと、額から汗が流れた。少しでも、時間を稼ごうと、全力疾走した結果だった。


 もう少し、ゆとりを持って出たかったのにな、と苦笑が漏れる。そして、一人になると、やっぱり俺は本当に来て良かったのかと疑問が湧き上がってしまう


(イヤな性格だよな……)

 嘆息が漏れる。


 本当にそう思う。人の好意を素直に受け取れない。評価なら、悪く言われる方が慣れている。だいたい、日本人の血が濃い、朱梨と常に対比されてきた。妹に比べて、そう言われるのも慣れている。朱梨は、そういう評価を露骨に嫌っていたけれど。


 俺を俺として見てくれるのは、家族とバスケ部くらい。ずっと、そう思っていたのに。目を閉じれば。瞼の裏に、花の笑顔でチラつくのだ。


 普段、教室であんな風に笑わないクセに。

 子ども達と、俺の前であんな風に笑うの、本当にズルいと思ってしまう。


 それだけ、友達として信頼を寄せてくれているってコトなんだろうと思う。だから、勘違いをしないようにしなくちゃ、そう何度も自分に言い聞かせた。


 息を深く吸い込んで。そんな余計な思考を飲み込もうとした、その刹那だった――。











「秋田?!」


 声をかけられて、思わず顔を上げる。


藩宮はんみや……さん?」


 火花煌の取り巻き、その一人だった子。


 藩宮里梨花はんみやりりかさんが、さも嫌そうに、俺の顔を睨んでいた。

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