じゅーきゅ!


 ――喧嘩両成敗てことで、対応させてもらうね。


 担任がニコニコ笑顔で、そんなことを言う。イヤな予感しかしなかった。


 そして、放課後。

 俺は図書室で、本の整理に勤しんでいた。これは、まるで、いつもと何ら変わらない。


「……なんで、私たちまで、させられるのよ?! 納得いかないんですけど」


 湊は不満いっぱいと言わんばかりに、頬を膨らませている。彩翔、そこは可愛いと、和んでいる場合じゃないからな。


「お前は、自分の胸に手を当ててみろ」

「……朱理、それは私の胸に成長がないということの、言い換えかな? 今、絶対に花花ちゃんと私を見比べたでしょう? そういうのセクハラなんだからね?!」


「俺は自分の行いを振り返ってみろって、言ってるんだよ!」

「しゅー君、図書室ではお静かに。ですよ?」


 花に指摘されて、小声でゴメンと謝る。とは言っても、返却の人以外、図書室に訪れる生徒はいない。

 緊急蔵書点検と図書室の外には、デカデカと毛筆で描かれていたのだった。あれは、花の力作である。流石【鉄の聖母様】というか【保育士さん】というか。保育園の壁面を見た時も思ったが、さらっと製作してしまうあたり、流石だと思ってしまう。


(……でもなぁ)


 思わずため息が漏れるのは、許して欲しい。人数確保できたから、これ見よがしに日頃行えない、蔵書点検を徹底的にやってやろうという、担任の明け透けな想いを感じて――突然、巻き込まれた図書委員の皆さんには、本当に同情しかない。


「あ、あの!」


 図書委員。その一人が、頭を下げてきた。意味が分からず、目を点にしてしまう。


「秋田君、本当にいつもありがとうございます!」


 その子が言うと、他の図書委員まで作業の手を止めて、俺を見る。


「「「「「――ありがとうございました!」」」」

「へ?」


 俺、何かしたっけ? 考えてみたけれど、まったく心当たりがなかった。


「あの、本当にいつも手伝ってもらっているのに、まともにお礼を言うことができなくて。本当にありがとうございます!」


 再度、頭を下げられるので、面食らってしまう。


「いや、俺は先生にコキ使われただけだから――」

「言うに事欠いて、それはちょっとひどすぎると思う」


 ぶすぅと先生が頬を膨らますが、でも事実だ。


「本当に助かっているんです。今の図書委員会って、女子ばっかりだから。正直、新刊図書を一階から、この三階まで持ってあがるのは、本当に大変で」


「秋田君に手伝ってもらって、助かったのにお礼の一つも言えてなかったから。本当にありがとうございました!」


「あ、いや、でも、俺は本当に何も――」

「しゅー君」


 にっこりと、花が笑う。


「そういう時は『どういたしまして』で、良いと思いますよ」

「え……」


 そうか、と納得する。こんな風に、誰かと接したことがないだけに、花の一言は強張った自分の表情筋すら、緩ませてくれる気がした。


「ん……その……どういたしまして」


 ペコリと頭を下げると、彼女達がなぜか、ぱぁと笑顔で表情を崩す。


 こんな反応、花以外で見たことがなかったので、思わず面食らってしまった。


「どうしよう……秋田君、秋田君の反応がイチイチ可愛い!」


「あ、こら。抜け駆けはズルいよ。でもさ、それを言ったら、聖母様だってそうじゃん。秋田君といる時の聖母様ってさ、なんか普通の女の子って感じするもん。親近感湧くし、本当に可愛いよね」


 それは本当に納得する。鉄の聖母様なんて言われているけれど、花はドコにでもいる普通の女の子だ。澄ましたクールな顔がもて囃されているが、それは花のほんの一面でしかない。むしろ取り繕っているのは、人と距離を保とうとする、自己防衛本能なんだと思う。


「え? 私ですか?」


 まさか自分に話題が来ると思っていなかったのか、今度は花が狼狽する番だった。


「な、何を言っているんですか! 私なんか、もっと愛想良く笑えたら良いのにって思っているぐらいで。むしろ皆さんの方が――」


 そう思っているのは、花の本心だって分かるけれど。一番、自分の評価が分かっていないのも、花自身だって思う。行きすぎた遠慮は、単なるイヤミにしかならない。でも、花は意外にそういうところが無自覚なのだ。


 だから――俺は、ついイジワルをしたくなって、口元を綻ばせてしまう。


「うん、俺も花は、何気ない表情を見せる瞬間が可愛いって思うよ」


 花は実は褒めなれていない。聖母様という賛辞すら、からかわれている程度にしか受け取らない。距離が近そうに見えて、やっぱり人との距離を測っている。とくに、異性に対しては、それが顕著で。


 だからこそ、素の花を近しい人にはもっと見せたいと思ってしまう。


「な、な、な、な! しゅー君、いきなり何を言い出すんですか?!」

「ん? 思ったままのことを言ってみただけだけど?」

「そ、そういうことを、い、いきなり言うのズルいと思います!」


 顔を真っ赤に染めて、花が反論をする。


「思ったことを素直に言うのはダメだった?」

「しゅ、しゅー君がそういうつもりなら、私にも考えがあります!」

「へ?」


 俺が目を丸くさせると、間髪いれず、花が大きく深呼吸をする。


「しゅー君は格好良いです。誰もが躊躇する時こそ、行動しちゃいます。しゅー君は見た目で人を判断しません。誰よりも人を見ていて、誰よりも周りに配慮できる人です。そんなしゅー君が、私は誰よりも格好良いと思うし、そんなしゅー君が大好きです!」


 ふぅっ、と言い切る。

 俺は、反論するエネルギー、すべて花に奪われた。そんな気分になる。


 と、彩翔に湊。キャプテンもマネージャーまで、なぜか飽きれた目で俺たちのことを見やる。花にそんな意味はないことは分かっているのだが、それでもストレートすぎる言葉に、頬が熱くなってしまう。


「い、今さらなんだけどさ……」

「う、うん……」


「二人の呼び方」って『しゅー君』で『花』なんだよね?」

「なんか近いって思ってたけど、そういうこと?」

「これ、そういうことじゃない?」


「だって、大好きって聖母様も言っていたし――」

「ま、待って! 大好きというのは、そういうことじゃないんです!」


 花が慌て出す。


「どういう意味の大好きなのか、ソコはじっくり聞きたいなぁ」

「ぜひ、先生も聞きたい」


 黙って俺達の話を聞いていた、担任まで目をキラキラ輝かせていた。


「バカだねぇ、君達。本当におバカ」


 湊が心底、呆れたと言わんばかりに呟く。





 ――君らの関係が、友達なんて言葉で片付けられるワケないじゃんか。代替できる人なんか、いないんだよ?



 湊が呟いた言葉は、図書室に不似合いの賑やかな喧噪にかき消されてしまったのだった。





■■■





 ようやく喧噪が波を引いた。女子の執念は恐ろしい。俺達の関係が分かっているクセに、湊やマネージャーまで便乗してくるのだ。あそこまで尋問されるぐらいなら、作業に没頭していた方がどれだけ、楽なことか。でも、と思わず意識するより前に、言葉が漏れていた。


「……花は、帰らなくて良いの?」

「帰る場所は一緒ですけどね」


 クスクス笑う。だから、そういう、他の人に聞かれたらマズいことを言わないの――と、今の発言はバスケ部以外聞いていなかったようで、ほっと胸をなで下ろす。


「保育園のことは大丈夫です。連絡済みですし。今日は、子ども達のお休みもあって。なんとか、今の保育士さんで回せそうですから」


「……いや、でもさ。正直、喧嘩両成敗で、俺が図書室の整理を手伝うのは分かるけれどさ、花は違うんじゃない?」

「まぁ、そういうい意味で言うと、秋田君も違うんだけれどね」

「は……?」


 先生の言っている意味が、いきなり分からなくなった。


「秋田君は閉じ込められて、逃げられない状況に追い込まれて、そこから暴力行為を受けたワケだから、むしろ被害者ですよね。両成敗という意味では、過剰防衛に等しいのは、バスケ部のみんなで。私、人の顔にダンクシュート決める人、初めて見たわ」

「いや、そんな照れ――」

「褒めてないからね、キャプテン」


 マネージャーの突っ込みが的確すぎた。


「……それより、どうしてみんなは、あそこに――」


 むしろ疑問はそれだった。みんなが、いなければ嬲られていたのは間違いないと思う。


「あぁ、それはね、授業をサボってたら、筋肉ダルマ達が打ち合わせをしていて――」

「威張れることじゃないからね、キャプテン?」


 マネージャーの眼差しが、どんどん冷たくなっていく。


「だってあの授業退屈だったから、仕方ないじゃん。古典って苦手なんだよ」

「その授業、私よね……」


 今度は先生の魂が抜けかけていく。


「……まぁ、火花が素直に【お話】だけじゃない気がしたからね。どうせ、朱理に言っても遠慮するだけだから、強行突破させてもらったよ」


 にっこり笑って、彩翔が言う。


「ありがたいって思うけれど、そこまでしなくても――」

「そこまでのことだよ」


 彩翔は満面の笑顔を浮かべていた。



 ――人の友達ダチに危害を加えようとして、ごめんなさいで済むと思っているの?


 あの時の湊の声が、耳の奥底で聞こえて。


 ――もう距離は置かせてあげません。遠慮もしません。


 花の声が、耳の奥底で、やっぱり響いて――今も、俺を離してくれない。


 みんなの視線が、俺に注がれるのを感じて、気恥ずかしくて視線を逸らしてしまう。ありがとう――そう、小さく呟くのが俺の精一杯で。でも、あいつらは目敏い。その一瞬で、頬を緩ませるのだから。そんなみんなを見ていると、こっちの方が照れくさくて、頬が熱い。


「そ、そんなことより。それこそ、喧嘩両成敗なら、あいつらはどうしたのさ?」


 あからさまな話題転換だった。


「彼らと同じ空間で、作業をするのは、秋田君も花園さんもイヤかなって思ってね」


 何気に担任の言葉が一番、毒がある。


「チーム柔道部は、女子レスリング部の練習台になってもらってるから」

「それって、単なるご褒美なんじゃ――」


 思わず自然に漏れた言葉に、花がなぜか反応した。無言で、思いっきり、頬を抓ってくる。


「い、い、いっってぇぇ! 花、何をするの?」

「そんなに女子レスリング部の皆さんと仲良しになりたいんだったら、そっちに行ったらいいんじゃないですか?」


 マネージャー以上に、言葉の温度が低いと思うのはどうしてか。


「あー、朱理。それは止めた方が良いと思うよ?」


 このタイミングで彩翔の言葉は、助け船以外の何ものでもない。ほんの少しだだけ、花の冷気が緩んだ気がした。

「女子レスリング部はね、通称【人類最強】だからね。練習が終わる頃には、彼ら意識ないんじゃないかなぁ」


 いや、俺は花の冷気に意識を手放しそうなんだけど?


「火花のヤツは……?」

「あぁ、彼はね。作業か家庭訪問かを選ばせたら、後者を選んだので。後日、家庭訪問かな」


 意味が分からない、と思ってしまう。まだ親に知られるよりはよっぽど良いと思ってしまうが――そこまで思案して、腑に落ちる。火花家は、この街でも有力な実業家だ。お金持ち一家なのだ。火花応援団が、彼に群がる理由の一つでもある。教師の家庭訪問なんて、家の力で簡単に揉み潰せるということか。


「まぁ、彼がその気なら受けて立ちましょう」


 と、先生はニンマリ笑ってみせた。


「いや、産休代理教師がソコまでする必要は――」

「まぁ、言うなればこういうことですよ」





 ――人の生徒に危害を加えようとして、ごめんなさいで済むと思ってるの?



 先生は、そうにっこり笑って、最後の一冊を本棚に戻したのだった。






■■■





「ごめん、すっかり遅くなった――」

「どうして、ですか?」


 花と、二人で一緒に歩く。


 チームバスケ部は、これから公園でバスケにいそしむらしい。


(相変わらず、好きだよねぇ――そういうトコ、本当に変わらない)


 思い出したら、つい笑みが零れた。


「……だって、別に花が付き合う必要は――」

「私が好きで、やっていたんです。それとも、一回一回、しゅー君に許可を求めた方が良いですか?」

「いや……そんなことは……」


「友達が困っていたら、なんとかしてあげたいし。協力したい。それが大切だって想う人なら、なおさら。そう思ったんですけれど、それじゃ、ダメですか?」


 花の物言いはストレート過ぎる。俺は、思わず笑みが溢れた。


「ダメじゃない」

「それなら、良かったです」


 花が笑う。

 そんな花を見やりながら。


 距離がちょっとだけ、近い。


 でも、友達としての距離は、適切に守れる、そんな距離感をなんとか維持をしながら。


「観月ちゃんと栞ちゃんと遊ぶって行ったのに、約束破っちゃいましたね」

「……今から、走ったら間に合うかな?」


 屋上から見た風景を思い出しながら。保育園までの道を、空から辿るように、想いを馳せて。


「もう帰っている子もいますよ。それに――」


 花が俺を見る。


「しゅー君は、私との約束を忘れていますよね?」

「へ?」


「お弁当箱です。これから、お弁当箱を買いにいきますからね」

「え? でも、それって、いわゆる寄り道ってヤツになるじゃんか。聖母様的には、それは良いの?」

「私の名前は聖母様じゃありませんけど?」


 ちょと、ムスッとしてみせる。これは拗ねたというよりも、わざと――まるで、これからイタズラをする子どものような。それでいて、期待に満ちた、そんな笑顔を見せる。


「えっと……花?」

「はい、しゅー君」


 満面の笑顔を咲かせて。それから、花が俺の手を引く。

 一気に、駆けだした。


「お店が閉まる前に行きましょう?」

「いや、閉まらないから!」


「それじゃ、良いお弁当箱が売り切れになる前に――」

「それこそ、ならないでしょう! どれだけ、お弁当箱に需要あるのさ?!」


「しゅー君は楽しみじゃないんですか?」

「いや、お弁当作るの、俺だよね?」


「私も手伝いますから」

「いや、そこはほどほどで――」

「ひどい!」


 そう言いながら、花がクスクス笑う。

 スピードを緩めることなく駆けていく。

 待ちきれないと言わんばかりに。






 ――しゅー君と、ご飯を一緒に食べるのが、一緒に過ごすのが、とても楽しみになっちゃったんです。ズルいなぁ、しゅー君。好きって言葉を……ああも簡単に聞き逃しちゃうんだから。





 息が切れて。それで、スピードを緩めないから、胸が苦しくなって。だから、花が何かを呟いた気がしたのに、上手く聞き取れなくて――。


「な、何か言った?」

「なんでも、ありません」


 笑みが溢れる。


 酸素が足りないって思うのに、それでも駆けて。走って。

 黄昏に影が溶ける、その刹那――二人の影は、誰よりも近かった。

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