じゅーはち。


「屋上で話そう」


 火花とはそれ以上の言葉はなかった。


 ただ、カツンカツンと、お互いの足音ばかりが響く。昼休みの時間だから、他の生徒の声も聞こえてくるのに、どこか遠い場所で残響しているような、そんな感覚に陥ってしまう。


 3階の図書室を通り過ぎて――。


 しかし、この学校はどうして3階に図書室を作ったのか。産休代理で配属された担任は、二年間手つかずだった図書室の整理に着手したのだ。図書室担当教諭は、諸手を挙げて喜んだ。そりゃ、そうだ。自分の仕事を、誰かがとって代わってくれるのだから。


 産休代理が、そこまでするももどうかと思う。それに、どうしてか。俺まで巻き込んで。


 ――今日、暇? 暇でしょ? 暇よね? 暇だ。暇で仕方がない。暇以外にない。そんな顔をしている気がするね。つまり、秋田君は暇?


 開口一番「暇」と捲し立てられた俺は、どう反応するのが正解だったのだろう。結果、先生のペースに巻き込まれて、図書室のお手伝いが定期コースになったのは、人生最大のミスチョイスだったと思う。なんだか、今年に入ってから、俺にお節介を焼く人が増えたような気がする。


 図書室を通り過ぎて。

 カツン、カツン。


 足音ばかりが、響く。


 でも、聞くまでもなく、火花が言いたいことは、なんとなく想像ができてしまう。

 階段をゆっくり、登って。

 電灯が切れていて、ほの暗く。そして、かび臭い。

 屋上へ続くドアを、火花が開ける。


 光が一気に差し込んだ。


 視界には、当たり前のように、これまで過ごしてきた街。そんな見慣れた風景が、ちょっとしたミニチュアのように飛び込んでくるのが新鮮で。


 風が俺の髪をくすぐる。

 火花が鬱陶しそうに、自分の髪を描き上げた。


「秋田君――」

 火花は、一字一句予想通りの言葉を、俺に向かって吐き捨ててきた。


 




■■■




「秋田君、花圃から距離を置いてくれないか」

「……」


 予想通りだった。火花の気持ちは、なんとなく察することができる。昨日、今日の花との関わりすら、火花には不快感しかなかったのだと思う。本当に……。


 ――めんどくせぇ。


 でも、そんな俺の心の中に吐露なんか知るよしもなく、火花はさも気持ち良さそうに演説を続けている。


「別に君が、本質的に悪い人間だなんて、思ってないよ? ただ、人は評価をもとに判断をするから。君と仲良く過ごすだけで、花圃に悪評が流れるのは、僕は避けたいんだ。あの子は、君が思う以上に繊細で、たくさんのことを抱え込んでいるからね。彼女の保育園の経営が行き詰まっているのとを含めて、心配しているんだ。この後に及んで、君の評判のせいで、保育園に風評被害とか。それこそ、目も当てられないじゃないか。朝も、そういう話を聞いたでしょ?」


 にこやかに、火花はそう言う。長々とした台詞回しで、言いたいことは単純だ。花に近づくなと、そう言いたいらしい。今までの俺なら、そんなことを言われようものなら、自分の本音を飲み込んで、頷いていたと思う。

 でも、今は――。


「それなら良かった」


 そう笑ってみせた。


「は?」

「うん、朝に聞いたよ。保護者の人が、どう思っているのか。意外と、好意的に受け止めてもらえているみたいで、本当に良かったって思ってる」


「な、な、な――」


 火花は、予想外の言葉に口をパクパクさせる。


「あのさ、火花。回りくどいよ」


 俺は、火花との距離をつめる。


 今までだったら、間違いなく面倒くさがっていた。誰かと衝突するぐらいなら、勝手に評価してくれたら、それで良いって。

 今だって、そう思っている。でも、そう思った瞬間に花の笑顔が瞼の裏にチラつくのだ。


 鉄の聖母様、そんな評価はどうでも良いくらいに。


 本当はあんな風に笑うんだって、知ったのは本当にここ一日、二日のことだった。

 どうでも良いことで、拗ねて。でも、ひたむきで、妥協なんかできないくらいに、いつも全力で。だけれど、他人が想像できないくらい寂しがり屋な一面ももっていて。


 だから。なおさら、そう思ってしまう。


 花から、そう言われたのなら納得もできる。


 でも、火花から一方的に言われた言葉じゃ、全然心が動かない。落ち込みもしないし、ヘコみもしない。


「火花は、花のことをそう言えるくらいに、何でも知っているの?」

「君が花圃を気安く呼ぶんじゃ――」


「気安いのは、火花でしょ。花は、そうやって男子から名前を呼ばれるの、嫌がっている。それくらい、流石の俺だって分かるよ?」

「中学からしか、花圃を知らないくせに! 秋田、お前は本当に図々しいんだよ!」


 秋田が激昂するが。やっぱり、俺には何も響かなかった。


「……それなら、花圃の背中のことも知っているんだろう?」

「秋田、なんでお前がそれを――」


 言葉を失って、火花の顔が青くなる。これは、もしかしてと思う。大人気ないって、自分でも思うけれど、沸々と怒りの緩徐が湧くのが、自分でも分かった。


「気持ち悪いって、誰かが言ったんだって。誰が言ったのか、火花は知ってる?」

「し、知らない。もう、それは過ぎたことで。今さら、蒸し返すのは違うと思うから――」


「過ぎ去ったって、随分無責任ななことを言うんだね、は」

「あ、秋田が何が分かるって――」


「分からないよ? 分かるわけないじゃん。人を傷つけるような言葉を吐く人の気持ちなんて」

「……秋田なら分かるって言うのかよ」


「だから分からないって、言ってるじゃん。そう言われた人の気持ちは、その人にしかわからないもん。ただ、一つ言えることは、言われた言葉は【過ぎ去ら】らないから。絶対、憶えているから。ただ、それだけだよ」


 俺は屋上から、街の景色を眺める。

 花園保育園が見えた。


 あそこは、通学路で。みんなで一緒に歩いて来た道で。

 あっちは、病院からの帰りに通った。


 公園も見える。肉眼でも、バスケットボールのゴールが見えて。引っ越しをしてから、一人で過ごすことが多かったと、思っていたのに。意外に、みんなと過ごしている時間が多いんだと思ってしまう。

 火花なんか、どうでも良いと思えるくらい。頬が緩んでしまう。


「秋田君とは、もうちょっと分かり合えるとと思っていたんだけどね。本当に残念だよ」


残念というよりも、思い通りにならない苛立ちが隠せていない。その言葉にあからさまな感情が滲む。


 足音まで、苛立ちを隠せていなかった。

 でも、振り返って見送るつもりも、言葉をかけるつもりもなかった。


 ドアが開いて。そして閉まって。また、風が俺の髪を撫でて。

 それから、ガチャリと。

 鍵が閉まる音がした。


「は?」

 どうやら、俺はこの屋上に閉じ込められたようだった。




■■■




「ちょっと、今のはひどいんじゃない?」


 ニタニタ笑いながら、柔道着に身を包んだ巨漢が三人、俺を囲む。人に無関心の俺でも、見覚えがある。柔道部のレギュラーの面々だった。わざわざ、柔道着にまで着込んで。威圧する気が、満々だった。


 ヤられた。思わず、舌打ちをする。


 口で、心理的に揺さぶっても。脅しても、効果がなければ、力で説得してみせる。そう、火花がほくそ笑むのが見えた気がした。


「秋田ちゃんだっけか?」


 ニヤニヤ笑う。


「聖母様親衛隊としてはさ、面白くないんだよね」

「火花も、聖女様にちょっかいを出すのは吐き気がするけどさ。まぁ、アイツは聖女様との仲を取り持ってくれるって言ったからね。俺達、心が広いから、親衛隊が増えるのは歓迎しないと、な。でも、秋田。お前はダメだ」


 ニタニタ、そう笑う。


「どうする? 泣いて謝ったら、許してあげなくもないけど?」

「ここで、一本背負いをキめたら、骨がいくかもしれないから、寝技にしてやるよ。でも、ちょっと痛いぜ? 【紅い悪魔レツドデビル】なんて、大層なあだ名つけてもらってるんだ。根性みせろや?」


 そう言うや否や、巨漢が駆けてくる。


(早い?!)


 正直、終わったなって思った。

 本当に風評被害だ。


 紅鮫レツドシヤークは、バスケの試合で執拗に食いつくディフェンスを評価されて。紅い悪魔レツドデビルは、相手チームにとっての敗北を示唆するから。そう、キャプテンが勝手に命名しただけで。ケンカが強いワケでも、その道の知り合いがいるワケでもない。


(キャプテンに、これ文句を言ってもいいよね?)


 半ば諦めの境地だ。

 押し倒される。

 腕をとられて、関節を決められたのを感じた。


 俺は――歯を食いしばった。


 どんな風に言われても。何をされても、泣き言だけは絶対に漏らさない。そう、決めた。少なくとも、もう過ぎ去ったことにはさせたくない。花の気持ちを無視して、自分の感情を押しつける火花には、屈したくない。強くそう思った。


「面白いじゃん。いいぜ、もっと根性見せろ――」


 言葉を失う。

 風が吹いて。

 この屋上のさらに上。昔ながらの、給水タンクから、何かが飛び降りてきた。


「根性見せるのはそっちだ、柔道部! バスケ部、本気のダンクシュートを受けてみろ!」


 なぜか、キャプテンの声が響いて。思わず、目を丸くした。

 バスケットボールが、柔道部の一人に直撃する。


「ぶべっ?!」


 巨漢が吹っ飛び、フェンスに叩きつけられる。

 だんだんだん。だんだんだん。

 バスケットボールが複数、ドリブルをする音が響いた。


「え?」


 俺は思わず、目を丸くした。

 キャプテンに続いて、彩翔、湊、それからマネージャーまで飛び降りてきたのだ。


「ふざけやがっ――」


 湊の放ったバスケットボールが一人の頬にクリーンヒットする。あまりの痛さに転がって悶絶していた。でも湊は、その顔面にドリブルし続けて、殴打し続ける、その手を止めない。


「やめ、イダ、や、やめ、やめて、イダ、痛、ごめんなさい、ごめ――」

「やかましい。人の友達ダチに危害を加えようとして、ごめんなさいで済むと思ってるの? それこそ、ちょっとムシは良すぎるんじゃない?」

「みー、ちょっと、俺も怖いんだけど――」

「あー君が浮気でもしない限り、そんなことしないから大丈夫だよ?」


 今さら可愛く言っても、あまりにも手遅れ感が溢れすぎているんだけど、湊さん?

 と、安堵している場合じゃなかった。呆けている柔道部員、その寝技から抜け出そうと藻掻いて――。かちゃん、そんな金属音が響いた。

 施錠されていた、ドアが開いて。


「しゅー君!」


 まるで、風のように花が駆けてきた。その後ろから、担任が、ガッチリと火花の腕を掴んで引きずってくる。


「夏目先生?」

「弥生ちゃん、ナイス!」


 湊の歓声に、夏目先生はVサインで応える。火花は必死の抵抗を試みるが、なんなくいなされていた。いや、夏目先生。あなた、本当にいったい何者なのさ?


「聖母様!」


 一方、柔道部員は、気持ちの悪い笑顔を浮かべていた。

 俺の目の前でニヤけるな。本気で、気持ち悪い。

 と、そんな俺達を見て、花が凍り付いたように固まる。


「……花?」

「そ、その……。確かに、しゅー君は格好良いと思います。人の恋愛に、口をはさむつもりはありません。でも、でもですよ。しゅー君を抱っこすることだけは……私、認めませんからね? 私だって、まだしてもらってないのに――」


 ポカンと、俺と柔道部員は口を半開きにする。ボソボソ言うから、後半は何を言っているのか、よく分からなかったけれど――それ、ひどい誤解!


「「ち、違うから!」」

「しゅー君の一番の友達は私ですから。しゅー君のお弁当も私のですから。抱っこだってそうです。何一つ、譲ってあげませんから」

「ち、ちが、違う! 俺は聖母様のファンで――」


「あなたにとっては、しゅー君が聖母様なんですね。分かりました。でも、そういう意味なら、私にとっても、しゅー君は聖母様です。この勝負、負けません。絶対に、負けませんから」


 あぁ、そうだったって思う。頑張り屋さんで、寂しがり屋で。真面目で、ひたむきだけれど――でも、花ってポンコツだったんだよなぁ。思わず、遠くを見てしまう。太陽がまぶしい。風が気持ち良い。





「ちが、違うんだ! そうじゃない、そうじゃないんだー! 俺は聖母様が好きなんだー!」







 柔道部員の虚しい雄叫びは、屋上から学校中に響き渡ったのだった。









■■■





 ――母様が好き、と歪曲に解釈されて。

 マザコン柔道部という異名が、やがて全国にその名前を轟かせることになるのは、また別の物語。

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