海崎さんは悩ましい


 私、海崎湊には悩みがある。

 友人たちが、ちょっと面倒くさいんだけど、どうしたら良いと思う?






■■■







 花園花圃が、小さくため息をつくのが聞こえた。なんたって、隣の席である。でも、これ前も後ろも聞こえているね。あぁ、大丈夫。ありがとうね、私が対処するから、気にしないで。ニコニコ笑いかけて、小声でそう答えてあげた。


 しかしねぇ。

 花花ちゃんを見やりながら思う。


(これは重症だよ?)


 我が、友人。花園花圃。多分、本人は無自覚だ。いや、ある意味、自覚はしているのかもしれない。男性に対して忌避感を抱く彼女が、あそこまで朱理に近づけたのだ。私としては、それが本当に驚きだった。


 旧知の間柄である彩翔あー君に対しても、花圃は一定の距離を置く。その要因が彼女の父親にあることを、意外に知る人は少ない。


 今【鉄の聖母様】と囃し立てるおバカちゃん達の何人かは、彼女の背中を見て吐き出した言葉を私は忘れない。頭に血が上った私より早く、そんな男子をプールに突き落としたのは、キャプテンだったわけだけれど。


 まぁ、そんなことよりも。ため息、累計カウント数が70をとうに越した、この友人。現在、先生にご指名をいただいたワケだけれど。


「……秋田君?」

「いえ、花園さんを当てました。教科書、102ページを読んでくださいね」


 どっと教室に笑いが咲く。幸いと言うべきか、秋田君呼びは、クラスのみんなには聞こえていなかったらしい。そして【しゅー君】呼びをしなかった花花ちゃんを褒めてあげたい。そうなっていたら、きっと授業崩壊必至だった気がする。


「……My life would have been so empty without you――」


 それでも、さらっと読んじゃうあたり、流石は【鉄の聖母様】だって思ってしまう。読みながら、あからさまに朱理に向ける視線に思わず、苦笑が漏れた。




 ――しゅー君ともう一回、しっかりお話がしたい。



 花圃の切実な言葉を思い出して、思わずため息が漏れてしまう。


 でも、朱理は自分のせいだって、距離を置こうとしているんだよね。この難儀な二人をどうしてあげたら良いのか。思案してみるものの、まるで妙案は浮かばなかった。

 




■■■






「――うるせぇから」


 朱理の言葉に、私まで絶句してしまった。風のように、教室を飛び出していく。

 火花煌ひばなきらめきがちょっかいを出してくると、本当にロクなことな無い。名は体を表すというが、名前負けする人もなかにはいて。私からして見れば、火花はそんなクラスメートだった。


 彼氏がいる私に、平気で声をかけてくるのが、本当に煩わしい。なにかと、朱理をライバル意識していた。そして、【鉄の聖母様】にも平然とちょっかいを出してくる。


 あんたは忘れたつもりかもしれないけれど、あの日。プール授業での一言、私は今でも憶えている。そう思えば思うほどに、なおさら、火花に対しての嫌悪感が湧き上がっていく。


「どうしたんですか?」


 ひょこっと、顔を出したのは、バスケ部のマネージャー、天音翼。そしてキャプテン、下河空だった。


 あまりの展開に呆けていた、花圃が朱理の後を追いかけようとして、駆ける――その手を、私は思わず引っ張る。


「湊ちゃん、だってしゅー君が! しゅー君とちゃんと、お話ししないと――」

「なるほどね」


 とキャプテンは頷く。


「花園さん、ココは俺に任せて」

「え――?」


 戸惑う花圃を尻目に、キャプテンはニッと笑う。


「ちょっと、キャプテン、もう授業が始まっちゃうよ!」

「代返は頼んだ、彩翔」


「クラス違うのに、何を言ってるの、キャプテン?!」

「湊、後はよろしくね」


 あー君の抗議なんか、どこ吹く風。キャプテンはニッと笑んでみせる。それから颯爽と、ドリブルでもするかのように、縦横無尽にステップを踏み、教室を飛び出していったのだった。


「もう、本当に自由なんだから。この状況じゃ、秋田君と打ち合わせなんか、できないけどさ」


 マネージャーがぷくぅと頬を膨らます。いつものこととは言え、後でマネージャーのお説教は必至だというのに、本当にキャプテンは学習をしない。


 ――湊、後はよろしくね。


 キャプテンのそんな声に、朱理の声が重なった気がした。

 深呼吸をする。


 途端に波が引くように、冷静になる自分を自覚する。やっぱり火花の対応が腹ただしい。でも、朱理を守ろうとして、さらに悪影響を及ぼすのも違う。今すべきことは、クラスメートとして、火花の暴走を止めること。


 朱理が、教室に足を踏み込んだ時、当たり前のように、過ごせるようにこの場所を守ること。今はそれだけで良い。


「な、なんだい? 海崎さん?」

 まるで私が色目を使ったかのような反応、本当にヤメて。吐き気がする。


「火花君」


 そんな言い方をセレクトする自分に嫌悪感が浮かぶ。デレッとした笑顔を浮かべるコイツの思考回路は、いったいどうなってるんだろう。


「……花花ちゃんは、男子が苦手なの。そういう距離の詰め方、友人としては、少し遠慮して欲しいかな?」

「え?」


 火花が目を丸くする。私は、チラッと花圃を見た。普段なら、俯いて何も言えなくなるのが、毎回のパターンだった。周りはそんな彼女を見て『やっぱり聖母様』と、もて囃す。それが、彼女がまるで望んでいない偏見と誤解でしかないのに、まるで気付かずに。


「……めてください、って何回もお願いをしました」

「へ?」


「名前で呼ばれるのは、好きじゃないんです。止めてもらって良いですか?」

「いや、でも、あの、秋田は――」


 狼狽える火花の言葉は続かなかった。


「なに、なに? 恋バナ?」


 当たり前のように、顔を覗かせたのは担任の先生で。


「いや、え、あ」

「火花君は人気あるもんね。一つや二つや百、恋バナありそうだよね?」


 キラキラと、期待に満ちた眼差しを向けられては、流石の火花もタジタジである。ナイス、弥生ちゃん。LINKしておいて、良かったよ! 産休代理とは思えない行動力、本当に大好きだ。


「あの、いや、先生。その、ですね……」


 たじたじの火花に救いの手を差し伸べるように、授業開始のチャイムが鳴る。

 誰もが、安堵の息を漏らした。

 ただ一人。花圃だけは、教室から抜け出して不在の生徒の机に、視線を話せないでいた。




 ため息が、また漏れて。

 でも、長い一日はまだまだ終わらない――この時の私は、まるで想像できなかった。





 ……あんなの、想像できるワケないじゃんね?






■■■







 ――以上、今回の誘拐事件は、通報した家族の勘違いであることが判明しました。関係者からのコメントです。


 ――え? これ、俺が悪いの?

 ――お騒がせしたのは事実なんだから、ちゃんと謝るの。本当にウチの人が申し訳ありませんでした。


 ――本当にごめんなさい。

 ――いや、俺は大丈夫だったワケなので。花園はそこまで、落ち込まなくても……。


 ――朱理、俺にもフォローして!

 ――キャプテンは、まだ反省が足りないのじゃないかな?







■■■






 思わず、テレビの電源をリモコンで消す。頭痛がしてきた。


「みー?」


 膝の上でモモが鳴く。


「大丈夫。ちょっと、呆れてるだけだから」


 ちょっとどころではないけれど、ね。


 彩翔あー君の家でお邪魔をしていたら、ニュースが伝えた緊急速報。取り乱した家族への取材。間髪入れず、花圃と朱梨あかりんから電話がかかってきて――後は、お察しである。


 とりあえず、この二人を落ち着かせるのに、全エネルギーをあー君と注いだのだ。その疲労困憊たるや、本当に察して欲しい。


 ――だって、湊ちゃん! しゅー君が! しゅー君が!

 ――黄島先輩、聞いていますか! お兄が! お兄が大変なんです!


 花圃が、慌てふためくのは、まぁ百歩譲って、仕方が無いとしておこう。

 でもね、あかりん? 君は、キャプテンと親交があったでしょ?

 ちなみに、脅迫電話の声をテレビで聞いたその瞬間――。


「「キャプテンじゃん」」


 そうハモった私達の脱力加減。これまたお察しである。


 ある意味、お祭り状態になったキャプテン宅に、あー君を初めとした黄島家、そして海崎家の面々が大集合。当分の酒の肴になるのは必至だった。


 気を回して過ぎて、疲れた私はモモとお留守番をすることにしたのだが――眠い。今にも、瞼が落ちそうになった、このタイミングで、スマートフォンが鳴る。


「……朱理?」


 珍しいと、通話アイコンをタップした途端、これまで聞いたこともこともない【紅鮫レッドシャーク】の慌てふためいた声が、私の鼓膜を突き刺してくる。


「海崎、海崎! 花園が! 花園が!」

「……は?」


 ちょっと、朱理、落ち着きなさいよ。それから、その反応。ドコかの誰かさんと、ほぼ一緒なんですけど?

 おかげで、すっかりと目が醒めてしまった。


「とりあえず、落ち着いて。何があったの?」


 もう誘拐事件は勘弁だった。


「……花園が寝落ちしちゃって。一応、ココ俺の部屋になるのかな? 流石に、女子と一緒はマズいだろ? 海崎、俺どうしたら良いと思う?」

「……はい?」


 言っている意味が分からない。なんで、そんなシチュエーションになるのよ?


「その、ずっと話ていて。花園がまだ寝たくないってゴネていたら――」

「花って、呼んでって言ったよね?」


 突然、割り込んできた声に、私は耳を疑った。


「はなって? え?」

「しゅー君。私のことは、花って呼んでって、お願いをしたでしょ?」


「花園、起きた? 良かっ――いや、でもね。人前では、言わないっていう約束だったじゃんか」

「私の前にはしゅー君しかいません。私の後ろにも、しゅー君しかいません」

「お兄の後ろは私です!」


 あかりんの声までする。


「絶対、寝ぼけてるよね?!」

「だいたい、お話が終わってないのに、誰と電話してるんですか?」

「誰って、海崎と――」

「どこの海崎さんですか?」

「誰って、海崎湊だろ? バカップルランキング、第一位で超有名な」


 ちょいマテ、朱理。なんだって?


「名字ランキング、10472位としても、日本に約670人も海崎さんはいるんですよ。どこの海崎さんなんですか?」

「ドコのって、湊さんでしょう?」


 朱理に名前で呼ばれたのは、初めてじゃないだろうか。妙に照れくさい。


「どこの港の海崎さんでしょうか?」


 どうしてだろう、ものすごくミステイクな台詞を言われた気がする。


「……ねぇ、お兄。花圃ちゃん先輩が飲んだリンゴジュースって……これ、お酒じゃない?」


 はい、酔っ払い!

 お酒は二十歳を過ぎてから!


「ふふふ、お母さん秘蔵のリンゴジュース、本当に美味しいです」

「それ、シードルだから花圃ちゃん先輩!」


「ふふふ。美味しいよ? でも熱くなってきちゃったなぁ」

「なんで、脱ぐの!? おい、ちょっと、待って――」

「しゅー君。抱っこ」


 なんでだろう、両手を広げて催促する花圃が見えた気がした。


「花園、落ち着け。お前、今、酔っ払ってるからな?」

「花って呼んでくれなきゃ、イヤ」


「え? あ、ん、その……花?」

「うん、しゅー君。もう一回」

「……花?」

「はい、しゅー君」

「まだやるの? このやりとり?」


 どうやら、あかりんが、第一の被害者のようだ。南無三――じゃない! なに君たち? この前までお互いの距離感、測り損ねていたじゃんか! なに? なんなん――。


「しゅー君」

「ん?」

「誤魔化さないで」

「へ?」

「ちゃんと、抱っこ」

「え?」

「抱っこして」

「いや、花! 近い、近いから! ちょっと待って、少し落ち着いて!」

「大丈夫。怖くないよ。痛くないから。優しくするからね?」

「それは何か、ちが、違うから! か、海崎! マジ助けて!」

「湊先輩、助けてください! 私、この人達との同居、自信がなくなってきちゃった!」


 あかりん。同情するよ。本当に、同情する。

 でも、ね。


「ごめん、お手上げ」

「え?」


 ピッ。

 電子音が響く。

 私は、スマートフォンの通話を強制的に終了したのだった。





「みー?」


 残念とでも言いた気に黄島家のモモは鳴く。そんな声を聞きながら、欠伸が漏れた。


 あぁ、もう限界だ。

 彩翔のベッドに、無防備に倒れ込んでしまう。


 あの二人は、もう修復は無理かなっと思っていた。お互い、抱え込み過ぎる二人だ。分かり合える可能性があるかもしれない。でも、すれ違う二人を見ていたら、余計なお世話だったんじゃ――そう、つい先程まで思っていた。


「みー」


 モモが鳴く。

 life is beautiful

 どうしてか、そんな言葉が頭をよぎった。


 人生って、何が起こるのか分からない。

 だから、予想がつかなくて楽しいよね?  モモがそう笑った気がしたのだ。


 と、またスマートフォンが鳴る。

 朱理からだった。


(ごめん、朱理。眠いよ――)


 その思考を、最後に。

 遠くで、スマートフォンが鳴り響くのを聞きながら。


 私は彩翔あー君の布団に――その香に包まれて。あっさりと、夢の世界に誘われたのだった。




________________


※1 お酒は二十歳になってから。コレ絶対、約束!


※2 授業で花圃が朗読した英文は

Amaizing Talker

https://jp.amazingtalker.com/blog/jp/english/25782/

から引用しました。


ちなみに意味は

「あなたがいない人生はきっとつまらないものだった」

でした。

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