じゅうにっ。



「……秋田? 聖母様を、なに脅しているの? ちょっと僕、黙っていられないんだけれど?」


 黄島、それからバスケ部キャプテンに並んで、学内イケメンランキングにカウントされている好男子。火花ひばなきらめきの声が、教室内に静かに突き刺さる。


「は?」


 俺は目をパチクリさせた。火花コイツが何かと俺を忌避するのは、今に始まったことじゃない。でも「脅す」とは、心穏やかじゃなかった。


「だって、そうだろう? 聖母様――花圃かほが、気安く人の名前を呼ぶなんて、強制されたとしか思えないでしょ?」


 俺は火花の物言いに、目を丸くした。それから――。


(そういうことね……)


 俺はサンドイッチを食いつきながら、漫然と思う。火花は何の因縁があるのか知らないが、ことあるごとに俺に突っかってくる。でも、今回は明らかに、その理由が分かってしまったのだ。火花は、きっと花園とお近づきになりたい。つまりそういうことなんだろう、と納得してしまう。


 ――でも、って思う。そう気安く女の子の名前を呼ぶべきじゃない。プライベートスペースに踏み入っていいのは、その子が本当に了解してくれた時だ。その距離感が分からなかった俺は、花園との関係を、ものの見事に踏み潰してしまったのだから。

 ふと視線を向ければ、花園の顔色が血の気を引いていく。


 ――花圃さん。


 昨日、俺はそう名前を呼んだ。その時の同じように、顔面がみるみる蒼白になっていく。


「……な、名前で呼ばないで、って。前……私は言いましたよね……?」

「そんな恥ずかしがらなくても、大丈夫だから。俺と花圃の仲じゃんか。秋田が怖かったんだろう? でも、俺に任せてくれたら、大丈夫だから――」


 そう火花が手をのばそうとした瞬間だった。流石にこれは看過できないと、俺が拳を固めて立ち上がろうとしたそのタイミングで、ぱぁぁん! と耳をつんざく音が響いた。




「え?」


 一番、狼狽したのは、当の火花だったんじゃないだろうか。手加減なしで、海崎湊が、その手を払ったのだ。


「……いい加減、キモくて見てられなかったの。ごめんね、花花ちゃん。それから、朱理」


 うんざりとした顔を隠さず、海崎は火花を切り捨てるので、教室内がどよめいた。


 そりゃ、そうだ。女子から特に人気のある火花を、蔑ろにするのは、海崎以外にありえない。


 いや、冷静に考えて、なんでこんなヤツが人気があるのかって、外モブとしては思うけれど。でも、これが現実なのだ。それに、理由はちゃんとある。


 黄島彩翔と海崎湊が、学園祭でベストカップルショーを受賞したのは、記憶に新しい。


 もう一人、イケメンランキングにランクインしている、バスケ部キャプテン。彼の意中の人が、マネージャーであるのは周知の事実で。フリーは、火花煌しかいないのだ。さらに、火花の家庭が裕福なこともあり、周囲には常に取り巻きがいた。男子達は、そんな彼女達を【火花応援団】あるいは【金の亡者キラキラ団】と呼んでいたけれど。


 火花の同性からの評価は、散々である。でも、その男子からも悪魔扱いされているのだから、俺の評価が学内でワースト1であることは、間違いなかった。


「海崎さん、何を言ってるの? 花圃は、ただ照れただけだよ。すべては、あの悪魔が元凶だから――」


 最後まで言わせない。今度は、黄島がデコピンならぬ、鼻ピンを連続でキメる。あれ、地味に痛いんだよなぁ……。以前、されたことを思い出して、俺まで鼻が痛くなってきた。


「痛っ……。黄島君まで、何を――」

「あのさ。親友ダチをバカにされて、平気な顔できるヤツがいると思うの?」

「な、なにを言ってるの? 花圃は、秋田に脅かされて、それが真実……ぶっ、ぶべっ――」


 黄島が連続で、火花に鼻ピン、頬ピン。デコピン。あまりにも容赦がなかった。


「ちょ、ちょっと! 黄島君! 悪いのは秋田で。火花君は、聖母様に手を差し伸べてあげただけで……」


 俺からは黄島の表情も、援護した【金の亡者キラキラ団】の顔色も見えない。


 でもこれ以上、教室の空気が悪くなって、黄島と海崎が悪者にされるのは、本意じゃなかった。

 俺は、食いかけのサンドイッチを手に取って、席を立つ。


「――うるせぇから」


 吐き捨てるように言ってみせた。


「……だから、俺は一人で食いたかったんだって」

「ちょ、ちょっと! 黄島君に、その言い方はひどいじゃない!?」

「お情けで一緒に食べてもらっているのに、その言い方はないよ、秋田!」


 火花応援団が声を上げた。すぐに煽りに乗ってくれるから、本当に助かる。


 と、黄島が口を開こうとしたのが見えた。黄島って、思いのほか短気なんだよなぁ。普段、温厚そうに見えるのに。すぐ感情の導火線に火がつく。だから、バスケの試合でわりと、フェイクにひっかる。それは、海崎も同じ傾向にあって。でも、逆転の発想で考えたら、予想外の行動に弱い、そんな二人だった。


 だから、猛ダッシュで教室を駆け抜けてみせた。戦線離脱である。誰にとっても、この選択が一番最良だって思ってしまう。

 後は、黄島と海崎に託すよ――そう、心のなかで呟いて。

「「……朱理?」」


 本当に仲良しだよね。思わず、苦笑が漏れる。

 二人の声に後ろ髪を引かれそうになって――でも。その感情を無理矢理、

振り払って。




 ――しゅー君?





 あの状況下で、花園がもう俺の名前を呼ぶワケなんかないのに。

 それなのに。

 やけに、その声が耳について離れなかった。





■■■






 最悪のテンションだったので、戦略的撤退――サボることにした。


 どうせ、教師から不良ヤンキー認定されている俺だ。小言を言われることはあっても、基本、放任。親が海外にいるから、苦言も言いづらい。見て見ぬフリが、この学校の教師の方針だった。でも、今はそれが助かると思ってしまう。


 バッグなら明日、また取りにいけば良い。そう割り切った。あの空気の教室には戻りたくない。

 花園に、またあんな顔をさせるのはイヤだった。


 できるだけ、人目がつかない道を選んだ。


 裏道を抜けて。

 わざと、遠回りをして。


 風を切るように、あえて全速力で。呼吸が乱れるのも、おかまいなしに。


 裏山に続くウォーキングロードを駆ける。懐かしいな、って思う。中学校のバスケ部時代、ココがランニングコースだったのだ。逆走するように駆けて。緑のトンネルを抜ける。木漏れ日が、揺れる。走り抜けて、さらに走り抜けて――そして、視界が広がる。


 小学校や保育園で散々、遠足に来たいつもの公園に出た。

 年季の入った、バスケットボールゴールが鎮座している。


 部活で練習をして。部活が休みの日は、ココでバスケをして。どれだけ、バスケットボールをしていたんだろう。それこそ、バスケをしないと死んじゃうくらいには、バスケットボールに触っていた気がした。


 こんな消化しきれない感情を抱いた日は、それこそガムシャラに、ボールをおいかけたい。そんな衝動に駆られて――。



 たん、たん、たん。

 そのバスケットボールが、バウンドして。俺の両手におさまった。


「へ?」

「久々だね。やろうよ、朱理?」

「――キャプテン?」


 目をパチクリさせる。バスケ部キャプテン――下河空がニンマリ笑って、そこに立っていた。








「何で、キャプテンがココにいるんだよ?」

「ふふ、戦略的撤退だよね」


「聞いていたのかよ?!」

「なに言ってるのさ。朱理は都合が悪くなるといつも、そう言って逃げるじゃんか」


「うっ。中学の時、一度退部したキャプテンには言われたくないからな」

「じゃあ、お互い様ってことで」


 キャプテンはニコニコしながら、そんなことを言う。

 この間も、たんたたんと子気味良い音をたてながら、バスケットボールが弾む。


 攻守に分かれての一対一のゲーム、いわゆる1 ON 1だった。キャプテンの攻めに、俺が食いつく。現役を離れてた俺に分が悪いのは分かっていたが、相変わらずキャプテンの動きはトリッキーだった。


「流石、紅い鮫レッドシャークだよね。本当、食いついたら本当に離さないもんなぁ」

「そのふざけたあだ名、本当に風評被害だからな。キャプテン、慰謝料払えよ!」


「ロックオンしたら離さない、鉄壁のディフェンスだよね。そこから派生して、敵チームから【紅い悪魔レツドデビル】なんて、言われてさ」

「本当……風評被害!」


「でも、朱理にも原因はあると思うよ? もっと愛想良くしたら、理解してくれる人が増えると思うんだけれどね」

「……それは。でも……キャプテン達に、迷惑が――」


 自分がどう見られているのか知っている。だから、みんなの足を引っ張りたくない。どうしても、そう考えてしまう。


「そんなこと、言われる方が迷惑だって。今さら、何を遠慮しているのさ」


 キャプテンは小さく笑む。この間も、キャプテンはドリブルの手を緩めない。


「ま、愛想が悪くても、朱理のことをよく分かってくれる子はいるらしいけどね」

「誰だよ、それ?」


「花園さんと、波長が合ってそうだったけど?」

「ば、バカ! 何を言って――」


 そんなことを言っている間に、キャプテンにボールを奪われてしまった。


 キャプテンが跳躍する。綺麗に腕をのばして。

 その一瞬で、レイアップシュートが決まってしまう。

 ネットが静かに揺れて。

 タンタンタンと、ボールが転がるのを俺は呆然と見やる。


「まずは、一本だね!」


 ニッと頬を紅潮させながら、キャプテンが笑う。一方の俺は、運動不足がたたって肩で息をしていた。


「これで終わりじゃないでしょう?」

「当たり前!」


 ボールが跳ねるそんな音が、間髪入れずに響いて――なお、俺の息があがる。







「気持ち、良いね」


 一時間後。

 公園のど真ん中で俺もキャプテンも、制服が汚れるのもお構いなしに、ごろ寝していた。キャプテンは小休憩だが、俺はもう心停止寸前の疲労感。限界はとうに過ぎていた。この現役、負けず嫌いで本当に容赦がない。


「……俺はもう死に、かけ、て……る」


 喋るだけで、息がぜぇぜぇ言う。


「そう言えばさ。朱理、ちゃんと朱梨あかりちゃんと、花園さんには言ってきたんだよね? ウチに泊まるって」

「……書き置きは置いてきたけど?」

 

 目を閉じて、書いた文面を思い出す。


 ――知り合いのところで、しばらく世話になるから。心配しなくて大丈夫。定期的に連絡する。


 当たり障り無く、書けたと思う。






「なんか、それ誘拐犯に無理矢理、書かされたような文面だなって思うけど、本当に大丈夫? 電話かLINKの一本、しておいた方が良いと思うんだけど?」

「む、無理――こ、声が出ない」


 呼吸を整えるこで精一杯だって言うのに、この鬼畜キャプテンは何を言い出すのやら。

 俺は、スマートフォンをタップして、そのままキャプテンに放り投げた。

 

 ――秋田朱梨。通信中。

 そんな表示を視界の隅で確認して。

 

「ちょ、ちょっと、朱理?!」

「呼吸が落ち着かないの。キャプテンが言い訳しておいて」

「ひどくない?!」


 そう言いながら、スピーカーに耳をあてるのだから、やっぱりキャプテンは律儀だって思う。


「留守電になったよ? あ、そりゃそうか。みんな、まだ学校だよね?」


 そう言えば、仲良くサボったことを、すっかりと忘れていた。まだ、そんな時間帯だったか。


「ま、留守電にメッセージ入れとくだけでも良いでしょう?」


 とニッと笑ってみせる。あ、これ、ロクでもないことを考えている。そんな顔をしている。


「――お前の朱理は預かった。帰して欲しければ、小説オンラインサイト夜想曲で書籍化された作品を、下河家玄関前に置いておくこと。また連絡をする。以上だ」


 通話終了をタップ。俺にスマートフォンを放り投げてくる。


「ちょ、ちょ、ちょ、キャプテン?! 何を言っているの?!」


 ちなみに小説オンラインサイト夜想曲は、知る人ぞ知る、18禁小説投稿サイト。もちろん、高校生は閲覧禁止である。


「いや、朱理、好きそうだなぁって」

「好きとか嫌いとか、そういう問題じゃない!」


 兄の沽券に関わる。そして、朱梨は絶対、あのサイトの存在を知っている気がする。


「お主も好きなクセにぃ」


 ニヤニヤしながら、そんなことを言う。これは絶対、反省していないヤツだった。


「マネージャーに言いつけるからな」


 ボソリと俺はそう呟く。

 キャプテンにとっては、虎の尾を踏むと同義語らしい。一気に、顔が青くなるのが、可笑しい。


「あの、朱理。いや、朱理君。ちょっと話し合おうじゃないか――」

「知らん。勝手に、留守電に吹き替えたクセに……そうだな、弁解はキャプテンがしてくれるんだよね?」


「弁解も言い訳もなんでもするから、翼にだけはちょっと待って。なんなら、夕飯のおかず、朱理のリクエスト聞くから!」

「作るの、キャプテンじゃないじゃん」


「朱理のリクエストが最優先事項だから!」

「どーしよーかなぁ」


 ニヤニヤ、笑って見せる。キャプテンとマネージャーの関係は相変わらずなのか、とつい苦笑が漏れる。いや、あの頃に比べて変化もあるか。すっかり尻に敷かれてるじゃんか。


 苦笑が漏れる。


 本当に、お節介で。相変わらずだって思ってしまう。

 人の容姿で判断をしない人たちが、変わらず傍に居てくれる。


 ――もっと、やりようがあった。

 キャプテンの言う通りだって思う。

 

 黄島と海崎には、明日謝ろう、素直にそう思えた。


「朱理、本当にお願いだからね!」


 そう涙目で頼み込むキャプテン越しに、上空を飛ぶヘリコプターが見えた。

 風が、俺たちの髪を凪ぐ。


 住宅街の方から、何台もパトカーがサイレンをけたましく鳴らして――。


(何かあったの……?)

 思わず、体を起こす。


 田舎町と言っても。

 パトカーが走り抜けるのが、珍しいワケじゃないけれど――妙な緊迫感を憶える。


「朱理、頼むよ! 本当にごめんって!」

 サイレンの音はキャプテンの懇願で、ものの見事にかき消されたのだった。 

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