く。


「秋田君、片付けは私がしますから!」


 つわものどもが夢の跡――用法は間違っているのは自覚するけれど、そんな有様だった。そんな光景を見やりながら、花園は腕まくりをして力瘤をつくる、そんなポーズをしてみせた。


朱理しゅり、私も手伝うよー」

「お兄、私も手伝う!」

「朱理お兄ちゃん、私……も」


 コクリコクリ、観月ちゃんは船を漕いでいた。


「ありがとう」


 俺は観月ちゃんに囁く。


「でも、明日、先生達を手伝ってくれた方がいいんじゃない?」


 と花園を見る。


「うん、そうしてもらえると助かるかな?」

「……お兄ちゃんは、明日も保育園に来る?」


 来るもなにも、これから当面保育園暮らしだ。しかし、そんなことを言おうものなら、お泊まり宣言をされそうなので、そこは『お口にチャック』をして、大きく頷くことにしてみた。


「それじゃ、女子二人の助っ人も得たし、がんばりますかっ」


 と気合いをいれてみせる。


「ちょっと、秋田君。今、私を除外したよね? したよね?」

「むしろ、なんでスタメンに入れると思った?」

「片付けはできるもんっ!」

「流しに押し込むのは、片付けって言わないからな」

「あ、あれは……たまたま、で。そう、たまたまだから!」


 そんな彼女の必死な様子に――苦笑が漏れた。


「……秋田君が笑った! 今、絶対にバカにしたでしょ?!」

「してないって」


 そう言いながら、笑いが抑えられない。単純に、花園ってそんな顔をするんだな、と思ったら妙に楽しい。そういえば、って思う。中学のバスケ部連中達以外で、こうやって笑ったのいつ振りだろう、って思う。


「花園センセ、頼りにしているよ?」


 ニッと笑ってみせる。


「朱理、本当に花花ちゃんと何があったのよ?」


 海崎が目をパチクリさせる。まぁ、今だけだよって思う。学校の中でまで、バカみたくジャレあえるなんて思ってないから。








「はい、バスケ部集合ー!」


 とキャプテンの声が響いた。


「俺たちは、会場の掃除ね。来た時以上に――」

「「「「綺麗に!!」」」」


「チームワークで」

「「「「一致団結!」」」


「うちのマネージャーは……」

「「「「超、かわいい!」」」」

「ちょっと空君? 何を言わせてるの?!」


 マネージャー、天音翼さんの悲痛な叫びが響く。


「はい、それじゃ円陣!」

「おぅ!」


 いや、全然『おぅ』じゃないからね、黄島? もといバスケ部?! 

 もみくちゃにされた挙げ句、なぜか右隣には朱梨、左隣には花園と肩を組まされていた。


「え? え? え?」


 花園の狼狽する声が聞こえる。一方の朱梨は、中学時代から続く俺たちの恒例儀式を承知済み。全く動じていない。


「ちょっと、この組み合わせは……ちょっと、マズいって!」

「別に妹と肩を組むくらい、たいしたことないじゃん」


「黄島、ソッチじゃない!」

「お兄、ソッチとか言い方、ひどい!」


 面倒臭くなるから、朱梨あかりは黙って?!


「ふぅん? さては朱理、私と肩を組みたかった? もう朱理のえっちなんだから。ま、湊ちゃんってば可愛いもんね、納得ナットク」


「ごめん、朱理。湊の彼氏は俺だから。流石に隣は譲ってあげられないかな?」

「もぅ、彩翔あー君、ストレートすぎるよ?」


 ……あの、人をダシにしてイチャつくの、やめてもらえます?


「それとも朱理、まさかマネージャーねらい――」

「そ、そうなの、朱理?!」


 まさかのキャプテンが釣れた。


「はいはい、空君。湊ちゃんに完全に遊ばれているからね、秋田君が私に興味あるワケないじゃん。秋田君は多分、花園さんみたいな人が好みだよ?」

「な、な、な、天音さん! な、何を言って――」


「あれ? だって、秋田君、当たり前のようにジャレあえる子がタイプって言っていたような。今の花園さんとの空気感って、まさに、そんな感じって思ったけど……?」


 言った! 言ったよ、言った! でも、それ中学時代の話だよね?! たしかに女子バスケ部とそんな話をしたよ! でも、それを今、ココで言わなくてもいいじゃんか!


「秋田君……それ、って?」

「う、え、あ、いや――」


 言葉にならない。いや、花園、近い。近いから。肩を組んでいるから仕方がないけれど、本当に距離が近い。花園の声とともに、その吐息が俺の髪を揺らすのだ。


「ふふん。それはね、花圃ちゃん先輩。お兄は人見知りする性格だけど、懐に入った人は、とことん甘やかしちゃうから。逆を言ったら、懐に入ってくれる人は、とことん尽くしちゃうですよ!」

「確かに、朱理ってそういうトコあるもんねぇ。花花ちゃんは、もう朱理の懐に入っている、と」


 朱梨と海崎でウンウン頷いているが、そういう恥ずかしくなる解説、本当にヤメて欲しい。


 視線が一瞬、交差して。あまりの気恥ずかしさに目をそらしてしまう。心なしか、花園の頬が赤かったのは、きっとバスケ部連中に囲まれた、この熱気のせいだと思う。


「んじゃ、キャプテンよろっ!」


 海崎がニヤリと笑った。キャプテンが息を吸い込む。この光景、本当にまるで変わらないなって思うと、それだけで頬が緩んだ。恒例の儀式、開始である。





「バスケ部ー、ファイ!」

「「「「「「おーっ!」」」」」


「ファイ!」

「「「「「「おー!」」」」」」


「ファイファイ」

「「「「「「ふぁいっ、ふぁいっ!」」」」」」


 そして、パンパンパンと手を打ち合う。花園がついていけず困惑した表情を浮かべていたので、手を上げてみせた。


「え、っと……?」


 花園がつられて、手を上げる。

 手のひらを重ねて、ポンと優しく手を打つ。


 暖かい感触が手のひらに伝わって。

 それを見た朱梨と海崎が、そのハンドクラップに続いていく。


「……秋田君?」


 そんな花園の声に応える答える余裕もなく、キャプテンや黄島がハイタッチを求めてくる。


 まるで、花火が弾けるように手と手を打ち鳴らして。そんな嬉しそうに笑わなくても、って思うけど。

 

 あの日、キャプテンと立った、コートでの歓声が、耳の奥底で湧き上がってきた。

 たまには、そんな思い出に浸るのも良いかと、苦笑が漏れる。


 だから、流してしまった。

 花園が、なにか言いたそうにしていた――そんな表情カオを見てしまったクセに。







■■■





 歩くたびに、床板がギシギシと鳴る。


 夜の保育園を歩く経験なんか、これが初めてだ。思い出すのは、中学校時代のバスケ部の合宿だ。キャプテン達と一緒に夜の学校で肝試しとしゃれこんだ。あれはヒドかった、と思う。先輩のコネを使いまくって、ホラーハウス化したのだ。誰が、特殊メイクや照明、音響を駆使したお化け屋敷に構成されると思うだろうか。キャプテンのお姉さん、そしてその元凶の彼氏さん。恐るべしだった。


(ま、あの時一番怖がっていたのは、キャプテンだったけれどね)

 思い出して、やっぱり苦笑が漏れる。


「……秋田君?」

「あ、いや。なんでもない」


 バスケ部にも遠慮していた一年だったから、つい気持ちが漏れているのだろうなぁって思う。明日からは、また日常が戻ってくる。浮かれすぎたら、叩かれる。ひっそり息をするぐらいが丁度良いって思う。

 と、花園が小さく息をつく。


「ん?」

「……あのね、秋田君。私も、秋田君の友達って思って良いんですか?」


「へ?」

 花園の瞳が、俺を見つめる。


「私、秋田君にひどいことをした、って思ってる。でも、その一方で『聖母様』って言わずに、ちゃんと私を呼んでくる人って少ないんですよ。その……図々しいって、思うけど、私もあの輪に入れさせてもらいたいって――」


 最後まで聞くことなく、俺は花園の髪を、ちょっと乱暴に撫でた。まるで、子ども達を励ますように。


「ちょ、ちょっと、秋田君?!」

「もう、輪に入っていたって思うけどね」

「でも、それは、でも!」

「はいはい」


 パンパンと手を打ったのは、朱梨だった。その顔は何が嬉しかったのか分からないが、ニマニマ笑っている。


「お兄は、もう花圃ちゃん先輩が友達だって言いたいんでしょう?」

「ん……」


 そう言って良いのだろうか? 相手は鉄の聖母様だ。かたや俺は紅い悪魔レッドデビルって揶揄されている。こんなヤツと友達と言われて、変な目で見られないか。そっちの方が心配だった。


「そして花圃ちゃん先輩は、みんなと同じように関わっていいのか。そこを心配している感じかな?」

「う、うん……」


 小さく頷いて、それから俯く。


「何を今さらって、感じだけどね」

「「へ?」」


 俺と花園の声が重なった。


「私からしてみたら、黄島さん達以外で、ああやって笑うお兄を見たのって、本当に久しぶりだし。花圃ちゃん先輩だって、子ども達と接する以外で、あんな風に笑う姿、正直私は見たことがなかったかな?」


 クスクス、そう朱梨が笑う。それから――そうだ、と朱梨がポンと手を打った。


「な、なんだよ……?」


 だいたい、こういう時の朱梨はロクでもないことを考えているのだ。イヤな予感しかしなかった。


「他人行儀なんだよね、二人とも」

「は?」

「花園さんに、秋田君ねぇ。花圃ちゃん先輩、二人の時は『朱理君』って呼んでたじゃないですか――」

「ちょっ、ちょっと、朱梨ちゃん?! だって、それは観月ちゃんがそう呼ぶから……!」


 慌てて朱梨の口を押さえようとするが、小学校の時にはミニバスケットボールで鍛えていた朱梨だ。フェイントを使いながら一瞬で翻弄してのスルー、お見事だった。


「友達なら、名前で呼ぶの大事だって思うの。それに、ちょっとの間だとしても、これからみんなで暮らすワケじゃない? あまりに他人行儀だと思うんだけどな?」


 満面の笑顔で、朱梨はそんなことを言ってのける。


「いや、でも、あのさ――」

「これからお世話になる人に、ずっと他人行儀でいるの?」

「でも、あのね、朱梨ちゃん――」

「うん、リアクションが、お兄と一緒だけど、花圃ちゃん先輩?」


 ニィッと笑う笑顔が本当に悪い。花園は観念したのか、大きく息を吐いた。


「そ、その……。しゅ、しゅ、しゅーっ……君っ」


 どもって、それから噛んだ。


「お、花圃ちゃん先輩、良いですね。しゅー君、それでいこうっ!」

「ち、ちが、違う! 朱梨ちゃん、私は『朱理君』と言いたかっただけで……」


「良いの、良いの。そっちの方が、距離が縮む感じがするじゃないですかー」

「そうかもしれないけど! けど! 私の心臓がもたない!」


「学校では普通でいいんんじゃない? お兄の性格を考えたら、いきなりそんな名前呼びとか絶対、ムリだと思うし」

「ヘタレって言いたいのかよ」

「そこまで言ってないけど、近いと思うけど?」


 ニシシと朱梨は、笑って言う。頼らないで一人で頑張ろうとするの、お兄の悪いクセだよ。黄島さんもキャプテンさんも。みんな、お兄のことを心配しているんだからね。そう、朱梨に囁かれて、俺は目を丸くする。


「さ、そんなことより、今度はお兄の番だよ」

「俺?」

「花圃ちゃん先輩が、勇気を出して言ったのに? やっぱりヘタレじゃん」


 ぐうの音も出ないとはこのことか。朱梨の物言いに、俺はため息をつく。

 とくん、とくん。


 心臓が胸を打つ。


 ただ、名前を呼ぶだけなのに。

 意識的に、名前をこれまで呼んでこなかった。

 だってそれ以上、仲良くなったら、その人達を傷つける。


 所詮、俺は。紅い鮫レッドシャーク。もしくは赤鬼レッドデビルと言われて、気味悪がられているから。あいつらまで、同じような視線に晒されるのは耐えられない。つい、そう思ってしまう。


 花園が俺を見る。

 期待半分、不安半分の感情がその双眸に宿っているのが分かる。


 息を吸う。

 吐く。


 もう一回。もう一回。全然、心臓が落ち着いてくれない。

 息を吸って。それから吐いて――。



花圃かほ……さ、ん」


 これが俺の限界だった。

 なんとか言えた、その刹那だった。

 花園の膝がガクガク震える。顔から、あからさまに血の気が引くのが見て取れた。


「え、ウソ、もう大丈夫って思ったのに――花圃ちゃん先輩?!」


 立っていられなくなったのか、その場に座り込んでしまう。

 朱梨が、花園の名前を呼ぶ。

 何度も、何度も。

 花園は、そんな声すら届もない。ただ震える自分の手を抑えるのに、必死で。



――花花ちゃん、男の人が苦手で。



 今さらになって、海崎の言葉がフラッシュバックした。

 目まいがする。

 花園が俺を見て、這うように後ずさる、そんな姿を見てしまったら。

 俺はなに一つ、言葉をかけることができなかったのだ。

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