エピローグ

エピローグ

 禁忌の山とは、尾咲市の広大な山々やどこまでも続くかと思う森の中の一部分、塀に囲まれた範囲を指す言葉である。

 塀が建てられたのは土地開拓後。山の頂上に建てられた尾咲学園や、土地を買い取ったことで新たに地主となった三ノさんのめ家が用意したモノであり、禁忌の山に広がる霊障による人的被害や、不幸にもそこに住まう神を目の当たりにした時の精神崩壊を防ぐための措置である。

 神とは理解の外の存在であり、ただ在るだけで影響を与えてしまう現代の異物であり、もはや聖遺物と言ってもいいかもしれない。

 世界的に見ても、地球産の神が生きたまま根付いている土地は尾咲だけである。

 草も石も、無機物も有機物も、動物も植物も、神にとっては等しく同じ存在であり、それぞれがこの世界のただ一つの生命、物質と認識されることはない。


 尾咲市がまだ限界集落だったころ、その山は村民から神聖視されていたため、足を踏み入れる粗忽者などおらず、そこに住まう神も村民のことを気にかけることはなかった。

 一度、一人の村民が山に入ってしまい、村に戻らないという事件が発生した。

 一晩中探しまわったがついに見つからず、その後も毎日捜索を続けていたが、手がかりすら発見できず捜索も半ば諦めかけていた。しかしその一週間後に山の麓で意識不明の状態で見つかる。

 行方不明になっていた村民は若い男で、まだ成人前の青年だった。

 意識が覚めると山で起きたことは全て忘れていた。ただ、そのころから奇行が目立つようになる。


 村民はその日の生活だけで精一杯でお互い助け合って生きていた。相互扶助が村の基本方針。そんなコミュニティで育った青年は、品行方正で人情に溢れた好青年だった。畑の手伝いや、食料を確保するための狩り、大きい荷物を運ぶことなど、誰かを助けることを信条にしていて、村民全てから慕われていた。


 しかし、山から帰ってきた青年の顔は常に暗い陰を帯びていて、屈強だったその肉体は日毎に衰えていった。

 読み書きや言葉を用いたコミュニケーションもだんだんと覚束なくなっていく。今までできたことが出来なくなるストレスもあったのだろう。悲壮感のある雄叫びや、何処にぶつけたらいいかわからない怒りを隠さないようにもなった。

 極めつけは、決まって夜になると夢遊病にでもかかったように山の奥へと消えていくことだった。帰ってくるときは千鳥足で、目の焦点すら定まっていない。だが迷うことなく自身の家に帰っていくという状態だった。

 やがて、青年は家の中で死体として発見される。

 その姿は栄養失調の病人のように痩せ細り、その姿は成人前には見えず、半ば老人のようだったともいう。


 村民は青年をいぶかしんではいたが、山に踏み込む勇気などなかった。

 たが、その山で何かが起きているという確信だけはあった。神が住まうという言い伝えから神聖視されていた事実もある。

 青年が死んだその年から、村長の提案で祭が行われることになる。

 一年に一度、青年が行方不明になった日に、神への供物と土地に住まわせてもらっていることの感謝、崇拝のしるしとして舞を披露することとなった。

 そのしきたりは、尾咲学園が運営され、三ノ女家が土地を束ねる今でも、水面下で続いている。

 ちなみに、禁忌の山と呼ばれる場合は塀の中を指し、尾咲市の山や森と呼ばれる場合は塀の外を指す。



 人々が寝静まった深夜、丑三つ時にも近い真っ暗な闇の中。

 尾咲市の森では二つの足音が飛び交っていた。

 それは地面を踏み、大地をかける音ではなく、木から木へと飛び移ることで太い枝がしなり、大量の葉が揺れる音だった。

 逃走者と追跡者という構図。

 決して、仲睦まじく追いかけっこに興じているわけではない。

 だが二人にとってこの土地は慣れ親しんでいるのか、それとも日常的にこの共興が行われているのか、逃走者は迷うことなく木々をかき分けて突き進み、追跡者もまた迷うことなく木々の間を先回ろうと飛び移り、逃走者を追い詰めようと試みる。


 先行してせわしなく木々を飛び移っているのは、美しい金髪をなびかせた女性、天衣稲。

 彼女は不機嫌さを隠そうともせずに舌打ちをした。

「ったく、土蜘蛛なんかの騒ぎに乗るんじゃなった。あそこで力の消費が無ければ今頃ベッドの中だったってのに」

 天衣が振り返れば、その目に映るのは巨大な鎌を持った黒衣の男。天衣が飛び移る枝を次々に斬り落としながら追いかけてくる。

 この逃避行は彼女にとって日常になっているが、決して好んで行われているわけではない。尾咲市や尾咲学園で目的のために行動をしていると、決まってあの男が墓守のように追いかけてくるのだった。要はストーカーなのである。しかし夜限定で、昼間にその姿を見たことはない。


「あんたらに迷惑はかけていないはずなんだがなぁ!! 何でこんなに私に執着してやがる、いい迷惑だ!!」

「いや、貴様が我々の組織について知っているだけで大問題だ」

「お前らの組織なんて、この世界に身を置いてたら誰もが知っているだろう」

「その中でも貴様は更なる秘匿を暴いたことが問題なんだ」

 彼らの五感は呪力や魔力によって強化されている。距離が離れていようが騒音にまみれていようが、意識するだけで声を聞き届けることが可能だ。

 男は大鎌を投げる。それは巨大なブーメランのように天衣が飛び移ろうとしていた木の枝を刈り取った。着地のための足場を無くした天衣はそのまま地面に落ちていく。

「くっ」

 男は飛び移る速度を上げて大鎌の軌道に先回りをする。そのまま回転する鎌の勢いに沿って柄を掴み、無抵抗に地面に落ちていく天衣に向かって振りかぶる。

 天衣は空中で身体をひるがえし、振り下ろされる鉄の塊を華奢な腕で受け止める。

 豆腐を斬るように木々を切り裂いていた大鎌は、不思議なことに彼女の細腕に傷一つ付けることはできなかった。だがその巨大な質量は小柄な体躯を吹き飛ばすには十分な威力ではあった。刃物による傷はないが、ふんばりの効かない空中で切りつけられた天衣はそのまま弾き飛ばされる。

 重力に反して勢いよく飛んでいったその身体は巨木に叩きつけられ、そのまま地面に倒れこむ。その隙を逃さないとして一瞬で距離を詰めた男は、その肉体を蹴り上げた。

「がはっ」

 腹を蹴られたことでその体は空中へ舞い、そのまま背中から地面に着地する。

 蹴られた瞬間に嗚咽とも呼べる声を出し、地面に落ちた衝撃から天衣稲は吐血した。


「半年近く続いた鬼ごっこもこれで終わりか、案外呆気ないものだな」

 苦しそうな顔をする天衣稲のくびに鎌を添える。

 月明かりに反射する刃の波紋に男の顔が映し出された。

「ごふっ、対象を殺すのはアウトなんじゃないのか? 生け捕りが貴様らの基本方針だろう?」

「その通りだ。貴様も例外ではないが、核さえあれば生死は問わない」

「それは肉体や精神に特異性が無い相手だけだろう」

「……よく知っているな」

 鎌を持つ手に力が込められる。

 天衣の首筋から血が流れた。

「あんたらの創造者のもとに連れて行くんだろう? あんた達はその駒でしかない。全く、これだから天才というのは意味不明なんだ」

「やはり我らの創造主を知っているな、それが貴様の罪だ。貴様が我らの地で何をしたかは知らないが、粛清指示が出された以上、例外はない。連れて帰る」

「嫌だね、結末が視えている場所なんぞに誰が行くか。ちなみに、貴様の能力で首を斬れば流石の私でも死ぬぞ」

「…なぜ俺の能力を?」

「あんたらのことについては全員調べたよ、世界中で派手に暴れまわってれば情報くらいすぐ広がる。怪異のコミュニティ舐めんじゃないよ」

 男の一瞬の動揺。指先が緩み鎌が首筋から外れた瞬間を、天衣は決して逃さなかった。


 天衣の身体を跨ぐように仁王立ちしていた男の股間を蹴り上げる。

 男はうずくまり、長い前髪の隙間から苦悶の表情を浮かべた。

「んぐぅっ!!」

「間抜けな男だ、弱点をぶら下げるような欠陥を生み出した人間の祖を呪いな」

 痛みが中々抜けないのか、男は脂汗を浮かべていた。 

 しかし蹴り上げたところで力が尽きたのか、天衣は逃げ出すこともせず上半身だけ起き上げ息も絶え絶えに言葉を発していた。

「はあはあ、とはいえ逃げられそうもない。私も随分と脆い体になったもんだ」

「……窮鼠猫を噛むとはこのことか、貴様はキツネだがな。醜くあがくとは人間のようだ、日本にはホームシックで戻ってきたのか?」

 息を整えた男は立ち上がり、再び天衣に向けて大鎌を構える。

「ホームシックなら尾咲の地には来ていないよ。もう少し西か、大陸のほうに帰るさ。ここにはしっかりとした目的があってね」

「この地に住まう神か?」

「現時点では使い走りにされてるだけだがね、まあ仕方ない。今の私じゃ交渉の席にもつけやしない。全く、神というのは不躾に何でもかんでも見透かしてしまうから厄介だ。ここに居られるのもただの同情からくるものだからな」

「同情か。貴様が住む土地を変えるたびに衰えていることはわかっていた。貴様、世界各地を放浪する中で何を見た? なぜこの土地に逃げてきた?」

 男は大鎌を持つ手に力を入れる。 

 天衣稲は、冷ややかな視線で男を見上げている。やがて口を開いた。


「地球規模の大災害。あの事件が起きてから、世界は様変わりした。それこそ生まれ変わったといってもいい。世界中のインフラが一時的に機能停止し、自給自足を余儀なくされた数多くの国が壊滅した。既に国境や人種なんてものは無いに等しい。あれから数年がたった今、インフラや経済、輸出入も少しずつ復活したことで人類は安定した生活が戻ってきたと感じているだろう。だがそんなものは表向きだけ。全てはまやかし。実態を紐解けば、今でも人類は死と隣り合わせだ。南米は高度な科学力を有しているが、今は姿を隠すことに力を注いでいるらしい。北米は、近代の天才小説家が唱えた創作を現実のものとしてしまい半ば壊滅し、叩けば何が出てくるかわからない。アジアは元来2つの巨大勢力があったため変化なく。欧州は悪魔崇拝と神代回帰の対立により南北に袂を分かち、他所にかまっている暇はない。そしてアフリカ大陸は、とある現代の魔法使いが丸ごと自身の根城にしてしまった。おまけにその魔法使いは天才でもあったからタチが悪い。ひどいもんさ、干からびた土地は他人を寄せ付けないほど強固な要塞に、残されていた神秘は根こそぎ食い尽くして手中に収めたんだからね。そんな世界の状況下で、極東の島国である日本はちょうどよかったんだ。文明開化により半端に取り込んだ他国の流派や輸出入による交流の多さ。古来より伝えられていた魑魅魍魎の類やオカルトが好きな国民性。独特の神話体系。若干土地が狭いことが癪だが、鎖国の概念も合わせれば身を隠すのに都合がよかった」

 観念した様に吐露する金髪の美女。大木に背を預け瞳を閉じる横顔は絵画のようだった。

「なるほど、世界各地を巡った結果、力の大半を失ったのか」

「今の内容からよく読み取れたな。大半じゃない、ほとんどさ。尾は残っているが形だけで力はない」

 男は天衣にばれないように苦笑いする。半年前から毎日のように、この女を捕らえるため追いまわしていたが、力の大半を失っている状態の相手にいいようにあしらわれていた事実が発覚して、苦虫をかむような気持だった。

 だが、この関係ももう終わる。

 男の目的は、アフリカ大陸を牛耳る自身の創造者のもとへ、目の前の尾を失った九尾の狐を連れて帰ることだけだった。


「なぜすらすらと喋る気になった?」

 これが最後の質問だと言うように、男は言い放った。どのような返答が来ようとも目の前の金髪の女は捉えて連れて帰るだけ。この質問はただ魔が差しただけで意味などない。だが長期間の交戦を締めくくるこのタイミングで聞いておきたかった。

「…なぜって、捕まったらどうせ自白させられるだろう。ならここで喋っても同じさ。…それにな、私の目的については何一つ、話してはいない」

 そこで男は気づく。天衣稲の表情に余裕が戻ってきていることを。

(この女、これは時間稼ぎか!!)

 気づいたときには遅かった。大鎌を構えた男の懐に真っ白な塊が飛び込んでくるのが見えた。それは幻想的なまでに白く美しい、赤い目をした天使のようだった。

「おらぁっ!!」

 天使とは似ても似つかないくらいの怒号を上げて、北欧を拠点としていた吸血鬼の最後の生き残り、アルビノのヴァンパイアハーフであるナーシェが男を殴り飛ばした。

 男は殴り飛ばされながら、その感触を確かめるように思考を巡らせる。

(腹部への殴打か。仲間の女は吸血鬼と聞いているが、この力はなんだ。何か強力な力を持つ怪物にでも殴られたようだ)

 空中で身体を翻し、大鎌を地面に突き立てバランスを立て直す。

 殴られた場所を見てみれば、天衣稲とナーシェは既に姿を消していた。


「なんや天衣、珍しいのう。ずいぶんとやられたな」

「今日は土蜘蛛の一件や、その後の後始末で随分と力を使ったからな。あいつの鎌を防ぐだけで残りの呪力は使い切ってしまった」

「ああ、それでいいようにボコボコにされてたわけか。引き際すら見極めれんくなったかと思うたわ」

「あほか、お前じゃないんだ。それくらい見極められる。今日は油断しただけさ」

 ナーシェは天衣を担ぎながら森の中を突き進む。そのまま塀を乗り越えて禁忌の山の中に入っていった。

「さて、ここまで来たら安心やな。あちらさんも神と戦うことはできんやろうし」

「…それもいつまでかはわからないがな」

 地面に着地してから、天衣はナーシェの手から外れて一人で歩き出した。

「んで、あいつらはどうや?」

 その問いかけは唐突だったが、たった今交戦してきたあの男のことでないことは、口調から容易に推察できた。

「ああ、お前が言っていた気絶娘とかいうのはいいな。力を自覚して扱えるようになればかなりの戦力だ。寄名の跡取りは言わずもがな」

 二人を初めて見たときの映像を思い出すように目を閉じる。

 まさかこの地に移り住んで半年程度の短い期間で収穫があるとは思っていなかった。二人の存在を思い返すだけでにやけ顔が収まらないほどだ。

「まあ、どうするんかは好きにしいやって感じやが、わいの後輩にするつもりなら、事前にちゃんと相談するんやで」

「ああ、わかってるよ。あの件は申し訳なく思ってる。今度勧誘してみるさ。まだ学生だが、卒業後の身の振り方の候補として、私たちの存在を理解してもらっておいたほうがいいだろう」

「なんや、就活生にアピールするみたいやな。すぐじゃなくてしばらく待つんか?」

「自発的に来てもらわないと困るからな。まだ力に未自覚な状態で来られても扱いに困る。それに、幸運なことにこの学園は怪異絡みの事案に溢れている。近い将来、彼らは必ず私たちと共に在るさ」

 眩しい月を隠すように、空は雲に覆われている。

 尾咲学園の三年生として学園に潜入している天衣稲は、口を大きく歪めた。

 寄名蒐と巣南瑞穂。

 この地で見つけた貴重な才能を逃すまいと、人の姿をした狐は決意を込めて大きく吠えた。

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Fox Tail パーシー @daizytlip

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