エピローグ① 再びあなたの元へ

※プロローグの続きになります。

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 目を覚ますと、白い天井が見えた。その周りには、心配そうにのぞき込む図書当番のみんなの顔。

 夏乃がいるのは学校の図書室だった。


(…………そうだ、あたし、図書当番だったんだ!)


 校舎の窓から不審な男の姿を見つけた後、不思議な既視感と共に、失われていた大量の記憶に飲み込まれて────どうやら倒れてしまったらしい。


「後はあたし達がやっとくから、今日は帰りなよ」


 図書委員のみんなに気遣われて、夏乃は一足先に下校することになった。



 目が覚めた時は、まるで長い旅をして来たような気分だったけれど、周りにいた図書当番の子たちによると、夏乃が倒れていたのは僅か一、二分ほどだったらしい。

保健室に連れて行くか、先生を呼んでくるかで悩んでいた時に気がついたのだという。


 当番の仕事をほとんどせずに帰るのは気が引けたが、正直ありがたかった。

 倒れていた一、二分の間に、夏乃は失っていた記憶の空白部分を取り戻した。

あの首飾りの出所も、紫水晶のような瞳を持つ美しい人のことも思い出した。

 今は、すぐにでもをつかまえて訊きたいことがある。


(あたしの記憶を消しておいて、何でうちの道場にしれっと入門してるのよ! 凪蒼太!)


 憤慨しながら道場近くの公園を通り過ぎようとした時、目的の男がベンチに座っているのが見えた。


なぎさん!」


 夏乃は叫ぶと、公園のフェンスを飛び越えて蒼太の元へ駆け寄った。そのまま、彼の胸倉をつかむ。


「その顔は、思い出したみたいだね?」

「思い出したわよっ! まぁ……穴だらけだとは思うけどね」

「俺の仕事は、わかる?」

「……時空管理官。の、バイト」


 夏乃がボソッと答えると、蒼太は口端だけの笑みを浮かべた。


「それだけ思い出してれば話は早い。これから、時空管理官事務所まで付き合ってくれないか?」

「へ?」



 夏乃が連れて行かれたのは、古ぼけた雑居ビルの地下フロアだった。

 狭い事務所のような部屋には、二十代後半から三十代前半くらいのスーツ姿の男がいて、夏乃と蒼太を迎えてくれた。


「彼女が前回の被害者か?」

「はい。日引ひびき夏乃、もうすぐ高校三年になるとこ。で、古武道の有段者です」


 蒼太はそう言ってから夏乃の方に振り返り、今度はスーツの男を紹介した。


「彼はさく。俺の上司です」

「ふーん。で、あなたたちは政府の人間なわけ?」


 夏乃は腕を組んだまま、蒼太と朔の顔を見比べた。


「私はそうだが、彼はバイトだ」


 朔はニコリともせずに答える。

 優しそうだったあかつきに比べると、こちらはずいぶんと強面な男だ。


「それは知ってるけど」

「大学卒業と同時に本採用になる予定だよ」


 蒼太は横目で夏乃を見下ろしながらニヤリと笑う。


「とりあえず、座って話そう」


 朔が首をひねって、事務所の片隅にある応接コーナーを指し示す。

 朔の向かいに夏乃が座り、コーヒーを入れて来た蒼太は静かに夏乃の隣に座った。


「この世界には、数多くの時空の穴が存在する。日本国内だけでも数か所ほどある。きみの学校の裏にある海岸のような場所では、古くから神隠しと呼ばれる事案が報告されているが、それは、きみのような何も知らぬ人間が、時空の穴から異界へ落ちたものだと我々は考えている」


 朔は淡々と説明する。


「穴の解明まではまだ進んでいないが、我々は事故を未然に防ぐと同時に、起きてしまった事故を出来る限り元の状態に戻すという任務を負っている」


「だから、あたしの記憶を消したのね。凪さんは、あたしが記憶を取り戻すかどうか見張ってたの? あたしをここに連れて来た理由は何? 今の話をするためじゃないですよね? まさか、また記憶を消すつもり?」


「違う、そうじゃないんだ!」


 夏乃の問いかけに、珍しく蒼太が声を荒げた。


「蒼太。説明は私がする」

 朔は蒼太を黙らせると、夏乃を正面から見据えた。

「普通なら、きみの言う通りにするところだが、少し事情があってね。蒼太の推薦で、きみに少し手伝ってもらうことにした」


「手伝うって……」

 嫌な予感がして、夏乃は眉をひそめた。


「暁が失敗して、きみのよく知る人物に捕まっている。きみと蒼太には、もう一度あの世界でやって欲しい仕事がある」


「やって欲しい仕事?」

 夏乃は、朔の冷ややかな目を受け止めた。


「蒼太には暁の救出を、きみには〈銀の君〉の記憶処理を頼みたい。どうだ、受けるか? 危険な仕事ではあるが、最悪の場合でも命だけは保証する」


(最悪の場合って……)

 夏乃は目を瞠ったまま朔を睨んだ。


「ひとつ……聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「その仕事を終えて帰ってきたら、やっぱり記憶を消されるの?」

「それはきみ次第だ。今回の仕事を無事に終え、仮に本採用になるとすれば、記憶を消す必要はない。きみ次第だ」

「わかりました。ならやります!」

「即答していいのか?」


 朔は少し驚いたように眉を動かした。


「構いません。だって……あたしは二度と、自分の記憶を消されたくないもの!」


 叫ぶように夏乃は言った。


 本当は、一瞬たりとも忘れたくはなかった。

 夏乃の初恋の相手。月の精霊のような人のことを。

 例え、彼の記憶を消さなくてはいけないとしても、あの人を見守れる道があるのなら、迷う必要なんてひとつもない。


(あたしは、月人さまを守るって決めたんだから!)


 夏乃は満面の笑みで、朔を見返した。



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