第53話 クラッシャー
広間の庭側には幅広の回廊がある。
庭の篝火の前に集まっていた商人たちはゆっくりと列を成し、その先頭に立つ者が、庭から回廊へと上がる木の階段を上り始める。
両脇に立つ兵士に引率されるように、貢物を手にした商人たちが広間の中に入って来る。
身を低くし、頭と同じ高さに貢ぎ物を捧げ持った商人たちは、広間の中央で一旦止まると、そこから一人がしずしずと前へ出る。
先頭の商人が一段高い王の席の前に跪き、新年の寿ぎと王への貢ぎ物についての口上を述べはじめる。
王から言葉を貰った商人は一礼して去り、彼の捧げた貢ぎ物は侍従の手で別の場所に並べられる。すると、次の商人が王の御前に進む。
宴に集った人々は、王と言葉を交わす商人たちを見ながら、貢ぎ物についての評価を密やかに交わしていたが、夏乃にはそれを見ている余裕はなかった。
商人たちが一人また一人と王に貢ぎ物を捧げる度に、最後尾に並んだ男、波打つ短髪のクラッシャーの姿が近づいて来るのだ。
夏乃は誰にも見られないように注意しながら、着物の合わせからペンダント型の黒い通信機を取り出した。蒼太から預かったものだ。黒い宝石のように見える丸石の裏には小さなボタンがあり。それを押すのがクラッシャー確認の合図だった。
「珀」
夏乃は珀の衣の袖を引っ張った。
「最後尾の男よ。間違いない」
ギュウっと珀の袖を握りしめる。
珀の隣に座っていた冬馬────と同じ淡い茶色に髪を染めた月人が、珀の袖から夏乃の手を優しく引き放して、己の白い両手に包みこむ。
「大丈夫だ。心配するな」
「でも……」
月人の穏やかな顔を見ても、夏乃は落ち着かなかった。
ナイフを持って夏乃を威嚇した男が、商人として王に貢ぎ物を捧げに来ている。異界人であるあの男が、ただの商人としてこの場に来るはずがない。
「そなたの目には、私はそれほどか弱く映っているのか?」
「そ、そういう訳では……」
こんな時なのに、月人に手を握られていることにドギマギしてしまう。
月人の白魚のような手の間から自分の手を引き抜こうとするが、月人の手は意外にも力強くて上手くいかなかった。
「と、とにかく、何か武器になる物か、防御する物を探さないと」
宴の席に武器の携帯は許可されていない。武官である珀はもちろん、月人も冬馬も丸腰だ。
片手を月人に預けたまま、夏乃はまわりを見回した。
床にひかれた毛皮の座布団。並べられた大小のお膳。座の一番後ろに控える夏乃の近くには、予備の酒杯や酒壺くらいしか置いていない。
その間にも、商人たちは次々と交代し、徐々に男の不気味な姿が近づいて来る。
夏乃は仕方なく、近くにあった黒漆のお盆を手に取った。武器にはならないが、盾の代わりくらいにはなるだろう。
(あいつは何で仕掛けてくるんだろう。まさか、あのナイフか?)
前を向くと、ちょうど商人が交代したところだった。
新たに先頭になった商人が、床に手をついて深々と頭を下げる。右手の広間中央を見ると、残るはもう最後尾の男だけだった。
先頭の商人が謁見を終える。
二人の兵士に挟まれる形で控えていた男が、ゆらりと立ち上がった。手に細長い木箱を捧げ持ち、ウェーブのある短髪をなびかせてゆっくりと歩き出す。
「何かあったら、すぐに身を伏せてくださいね」
冬馬に変装した月人にそう囁きつつ、月人の手の中から素早く自分の手を引き抜いた。両手で黒漆のお盆を握り、すぐさまクラッシャーに視線を戻す。
彼はすでに、月人に割り当てられた区画の端にかかろうという場所まで来ていた。
(やばい……嫌な予感しかしない)
ハラハラしながら見守る夏乃の視界の中で、ゆっくりと男が跪く。
捧げ持っていた細長い木箱を
「伏せて!」
夏乃が叫んだのが先だったろうか。
きらりと光るものが放たれた。黒漆のお盆を手にした夏乃は、膝立ちの姿勢から、素早く珀と月人の間をすり抜ける。
目の前に突き出した黒漆のお盆に、トスッと何かが刺さる。刺さったと思った次の瞬間、パキッとお盆が二つに割れた。
勢いはだいぶ削がれたものの、細長い何かは軌道を変えることなく夏乃の顔に向かって落ちて来る。
(やばっ、目に刺さる!)
夏乃は目を見開いたまま一瞬固まりそうになったが、考えるよりも先に手に持ったお盆の欠片でそれを払い落としていた。
カラン カラン カラン
珠飾りのついた幅広の簪が床に転がった時、どこからかチッという舌打ちが聞こえた。
こういった場合、素早く敵の動きを確認しなければならないのだが、戦いに不慣れな夏乃は、極度の緊張感から解放されたせいで身体から力が抜けてしまった。
体中が心臓になってしまったみたいに鼓動が激しい。
膝から力が抜けてゆき、その場にガクンと膝をつくと、後ろから伸びてきた月人の腕が夏乃の身体を抱えた。そのまま後ろへグイッと引き寄せられてしまう。
後ろへ下がった夏乃の代わりに、珀が素早く前へ出る。
全てが一瞬の出来事だった。
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