第21話 おいしい話


夏乃なつの、おまえに客だよ」

 仕事中、いきなり小太りおばさんがやって来てそう言った。

「客?」

「ああ、宿舎で待ってるから早くお行き」


 夏乃を訪ねてくる客なんている訳がない。たぶんハクだろう。

 宿舎へ戻ると、思った通り、珀が宿舎の壁に寄り掛かって待っていた。


「よお、元気そうだな」

「まあね。何か用?」

「何だよその嫌そうな顔は? 俺はおまえがいなくて淋しかったんだぞ!」


 珀はそう言うと、夏乃の頬をつまんで引っ張った。


「痛いなぁ、やめてよ。侍女ならやらないよ」

 言われる前に断っておく。


「そんなこと言っていいのか? これ以上いい話はないぞ」

 珀はニヤニヤしている。

月人つきひとさまは近く都へ行かれる。冬至祭に出席しなきゃならなくてな。俺たちも同行するが、おまえがいれば心強い。行って帰って十日ほどの予定だが、その間は日当銀十粒やるぞ」


「うそっ、侍女の倍じゃん!」

「悪くないだろ?」


 珀はニヤリと笑う。


「都に行ったら、一度くらいは都見物できるだろう。上手くすれば国に帰る方法も見つかるかも知れないぞ」

「うそ……」


 あまりの好条件に夏乃は目を見張ったが、よくよく考えれば当然の事だった。

 夏乃が血を提供しなくなって数日が過ぎている。今の月人は、呪われた黒犬の姿に戻っているはずだ。黒犬の姿では王宮の行事になど出席できない。だから夏乃を呼び戻しに来たのだ。


(でも……王様は月人さまを王宮から追い出したんだよね? わざわざ王宮の行事に呼び寄せたりする?)


「どうだ? おまえ一人で都へ行くよりも、ずっと安心だろ?」


 珀が得意げな顔で夏乃の顔を覗き込んでくる。

 確かに条件だけ考えれば良い話だ。自分で船を探さなくても、この話に乗れば都に行ける。ただ、そんなおいしい話には裏があるものだ。


「珀、ひとつ聞いていい?」

「ああ、何でも聞いてくれ」

雪夜ゆきやは、誰に言われて月人さまを殺そうとしたの?」


 夏乃の言葉を聞くなり、珀が顔色を変えた。


「それは……」

「王宮にいる誰かだったりしたら、笑えないよね。じゃ、あたし仕事中だから」


 夏乃は踵を返して歩き出しても、珀は追って来なかった。



 〇     〇



 夕方、白珠取りの男衆が三人、籠一杯の紫の貝を届けに来た。

 ヒナの想い人は、日に焼けたなかなかの好青年だった。他の二人はかなり年上の男だったから、夏乃にもすぐにわかった。

 この寒いのに、袖なしの上着に短めのズボンを履いている事には驚いたが、きっと仕事柄泳ぎやすい服装でいるのだろう。

 ヒナを見ると、うっとりした瞳で青年を見つめている。


「あの人たちは、普段は何処にいるの?」

「ほら、温泉のある岩場あるでしょ? あのずっと向こうに別の入り江があって、そこに白珠取りの宿舎があるのよ」


 紅羽くれはが丁寧に教えてくれた。


「ふーん。それじゃ、なかなか接点がないよね」

「まあね。でも、今日もヒナが貝殻捨てに行くんじゃない?」

「ああ、なるほど」


 ヒナの方を見ると、確かにそわそわしながら貝殻置き場の方へ歩いてゆく。


「ねぇ紅羽、奴隷っていつまで働かなきゃいけないの?」


 気になってはいたけれど、今までは聞いちゃいけないような気がして聞けなかった。


「あー、戦奴隷は一生奴隷だけど、あたしたちみたいのは売られた時の値段にもよるのよ。まぁ大抵は二年くらいね。あたしはもう帰れるんだけど、夏乃と同じでお金を稼いでから帰るつもりなの。人手不足だしね」


「そうだったんだ」


 夏乃は少しホッとした。奴隷は死ぬまで働かされるイメージだったけれど、それは戦奴隷だけらしい。二年くらいで自由になれるなら未来は明るい。

 夏乃がもう一度ヒナの姿を探すと、彼女は捨てる貝殻をザクザクと籠に入れていた。



 その夜は、夏乃が誘っても温泉に行く者は一人もいなかった。

 それというのも、宿舎に帰るとすぐ、ヒナが白珠取りの青年からもらったという真珠の腕輪を見せたからだった。少しいびつな形の真珠は、きっと商品にする前に弾かれた物なのだろうが、少女たちが羨ましがるには十分だった。


「ねぇ、本当に行かない? じゃあ、あたし温泉に行ってくるね」


 真珠の腕輪に見入っている少女たちに声をかけて、夏乃は温泉へ向かった。今まではみんなと一緒に来ていたから、一人で歩く暗い浜辺はかなり寂しい。

 手拭い代わりの布を抱え、打ち寄せる波の音を聞きながらとぼとぼ歩いていると、岩場の手前に影が見えた。四つ足の大きな動物の影だ。

 夏乃が立ち止まると、影の方からこっちへ近づいて来る。


「……まさか、月人さま?」

「夏乃、すこし話をしたいが、良いだろうか?」


 まわりを見回しても、珀や冬馬トーマの姿は見えない。きっとどこかで待機しているのだろうが、少なくともここからは見えない。


(やられた……)


 珀の言葉なら突っぱねられるし、冬馬にも嫌なことは嫌だと言う自信はある。けれど、月人にはどうしてか言える気がしない。

 彼が王弟だからだろうか。それだけ、夏乃がここの暮らしに慣れてしまったということなのだろうか。


「はぁ~あ」


 諦観の境地で夜空を見上げ、夏乃はゆっくりと息を吐いた。

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