第二章 呪われた〈銀の君〉

第7話 臨時の侍女


夏乃なつの、ちょいとお待ち!」


 朝粥を食べ終えて夏乃が仕事場へ向かおうとすると、小太りおばさんに呼び止められた。


「おまえは今日から、上のお屋敷にしばらく貸し出すことになった。今すぐ身の回りの物を持ってお屋敷に向かいな」

「えっ、そんなのいつ決まったんですか?」

「昨日の夜遅くだよ。つべこべ言ってないで早くお行き!」


 バシッと箒のようなものでお尻を叩かれ、夏乃がしぶしぶ坂の上のお屋敷に向かうと、お屋敷の門前で冬馬トーマハクが待っていてくれた。




「おまえの部屋はここだ。着替えが用意してあるから、着替えたら大広間へ行け。侍女頭が待っている。そっちの仕事が終わったら、月人さまの仕事もしてもらう」


 夏乃は御殿の近くにある平屋の侍女部屋に案内されたが、三白眼の冬馬はいつもよりいっそう不機嫌で、早口で説明を終えると目を三角にしたまま去って行ってしまった。

 夏乃はその場に残っていた珀を見上げた。


「あたし、冬馬さんに嫌われてるよね? 何でこっちの仕事に貸し出されたの?」


「おいおい冬馬さまと呼べよ。あの方は、何て言うか、月人さまを守ろうと必死なんだ。月人さまが小さい頃から側に仕えてる人だから、あれでいろいろ苦労してるんだ。まぁ、気にするな」


 珀は、慰めるように夏乃の肩をポンと叩く。


「そう言われてもねぇ。で、あたしは何の仕事をすればいいの?」


「月人さまの侍女だ。近々異国の客が来る予定なんだが人手が足りなくてな。まぁ……あのお姿だから、客にどう対応するかは月人さまもまだ迷っておられるんだが」


「まぁ、あの姿じゃ会えないよね。で、あたしはどんな仕事をするの?」


「おまえは本当に物知らずだな。侍女と言えば身の回りの雑務をする者だろう。まあ一番重要なのは、異国から来た客をもてなす宴での食事の上げ下げかな」


「ああ、それなら出来るかも!」

 ファミレスでのバイトを思い浮かべて、夏乃はホッと胸をなで下ろした。


 用意された部屋に入って着替えてみると、侍女のお仕着せは格段に良いものだった。貝割り作業の紺色の着物は、厚地だがゴワゴワしていて着心地が悪かったけれど、侍女の着物は軽くて手触りが良いのに暖かい。何よりも、色が目にも優しい淡いオレンジ色なのが気に入った。


「おおっ、これは確かに気分が上がるかも!」


 夏乃はうきうきしながら両手を広げ、鏡に映る自分の姿を眺めた。きれいな着物を着て嬉しい反面、恥ずかしさもある。


「珀?」


 夏乃はそっと戸を開けてみた。

 珀はまだ廊下に立っていた。たぶん、夏乃を大広間まで案内してくれるつもりなのだろう。


「夏乃、着替えたか? ああ、良く似合ってるじゃないか」

「そ、そお?」


 そわそわしながら廊下へ出ると、珀にじっくりと眺められた。


「うん、これなら侍女に見える。大丈夫だ。さあ、大広間に案内するぞ」


 お屋敷の敷地のほぼ中央にある大広間は、大きな長方形の建物で、幅の広い廊下がぐるりと建物を囲んでいる。もちろん周りの建物とも回廊でつながっている。

 珀は上機嫌で夏乃を大広間まで案内し、そこにいた年配の侍女頭に夏乃を預けると仕事へ戻って行った。


 大広間には侍女頭の他に、若い侍女が四人いた。


「さあ、お客様を迎える準備をしますよ。人手が足りないのだから、全員で大広間の掃除をはじめます。よろしいですね?」


 侍女頭の声に、五人の侍女が「はい!」と声をそろえた。



 〇     〇



(ったく人使いが荒いよ。あの侍女頭さん)


 ただっ広い大広間とまわりを囲む廊下を一日がかりで拭き掃除したせいで、手足がガクガクだった。

 慣れない着物姿での拭き掃除はとてもやり辛い。学校のジャージに着替えられたらいいのにと思ったが、残念ながらリュックには入ってなかった。


(きっと明日は筋肉痛だな)


 回廊を歩きながら腰をさすったが、侍女の仕事は悪いことばかりではなかった。

 掃除の後で侍女頭が連れて行ってくれた使用人の食堂では、貝割り作業の時よりもずっと美味しい粥を食べられた。粥の他にちゃんとした魚の煮物が出たし、侍女頭の話によれば使用人が使うお風呂もあるらしい。


(待遇は、めちゃくちゃ良いよなぁ)


 数日後には異国人の客がやって来て、夜には歓迎の宴があるらしい。

 宴の最中は客人のそばにいて、食べ物の上げ下げをすればいいらしい。客の滞在は五日間で、その間は毎日のように宴があるとのことだ。


(まあ、頑張るしかないか)


 夏乃がよろよろしながら回廊を歩いていると、前方から歩いて来た二人の少女とすれ違った。顔は覚えてないが、たぶん大広間にいた四人の侍女のうちの二人だろう。

 挨拶も目礼もなくすれ違った瞬間、夏乃は足を引っかけられてすっ転んだ。


「あらぁ、大丈夫? 何もないところで転ぶなんて、〈銀の君〉の新しい侍女は足でも悪いのかしら?」

「いやだぁ睡蓮すいれんったら、可哀そうじゃない」

「だって、貝割り作業の奴隷だったって聞いたから、もっと足腰が強いのかと思ってたんですもの」


 夏乃の足を引っかけた睡蓮という少女ともう一人の少女は、楽しそうにクスクス笑っている。年は夏乃と同じくらいに見えるのに、やっていることはずいぶん幼い。


「痛いなぁ。何これ、いじめ?」

 夏乃は足をさすりながら立ち上がった。


「何を言っているの? まるで私たちが何かしたみたいに言うじゃない」

「さすが〈銀の君〉に取り入っただけのことはあるわね」


 彼女たちは着ている衣も顔立ちもきれいなのに、クスクスと笑い合う姿はちっともきれいに見えない。


「……〈銀の君〉の侍女になりたいなら代わりましょうか? 意地悪な三白眼の上司がいるけど、あなたたちなら怒られないんじゃないかな?」


 夏乃はべつに〈銀の君〉の侍女になりたかった訳じゃない。怒りっぽい冬馬の部下でいるより、侍女頭の下についた方が良い気もしている。


「推薦しといてあげるよ。えーと、睡蓮さんだっけ。もう一人のあなたは何て名前? あたしは臨時雇いだけど、お姉さんたちならちゃんとした侍女になれるんじゃないかな?」


「なっ、何言ってるの! わっ、私たちが、いつ〈銀の君〉の侍女になりたいなんて言ったのよ?」

「睡蓮、こんな人に構ってないで行きましょう」


 二人の少女たちはなぜかプリプリ怒ったまま、衣の裾を翻して去ってしまった。


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