第2話 貝割り作業
おかしな世界に紛れ込んだ夢を見て────。
(夢の中で寝て、起きてもまだ夢の中って……いったい何なの?)
目を覚ましてもまだ夢が続いている異常事態に、さすがの
「聞いてんのかそこっ!」
夏乃の方にビシッと人差し指を突きつけたのは、ここの仕事場を仕切るおばさんだ。白髪を高く結い上げて、小太りの体を夏乃たちと同じ紺色の着物に包んでいる。
「おまえたちの仕事は、この貝殻を割って、中からこうして紫の染料を取り出すことだよ。この染料の入った膜は、絶対に傷つけるんじゃないよ! 色が変わっちまったら使い物にならないからねっ!」
唾を飛ばすような勢いで喋りながら、小太りおばさんは実演する。
「高貴な方々の衣を染める貴重な染料だってことを、よっく考えて仕事しなっ!」
浜辺にある柱と屋根だけの作業場には、昨日一緒に連れて来られた少女たちの他にもたくさんの少女たちがいて、その子たちは既に作業を始めている。
作業場の前には巻貝が山と積まれ、あたり一面に生臭い匂いが立ち込めている。
(オエッ……)
慣れないタイプの臭いに思わず胃がひっくり返りそうになるが、昨日からうすいお粥しか食べていないから、きっと吐くものは何も無いだろう。
(お腹が空いたなぁ。やっぱこれ、夢じゃないのかな?)
昨日から薄々感じていた嫌な予感が、徐々に現実味を帯びてくる。
「ほら、さっさと始めな!」
小太りおばさんの声で、少女たちがわらわらと巻貝を手にする。
夏乃も少女たちに続いて巻貝を一つ手にした。
使えるのは貝を割る石と、染料となる膜をつまむ箸のようなものだけだが、慣れれば何とかなりそうだ。
夏乃が巻貝と格闘していると、いきなりグイッと髪をつかまれた。
「おまえはどうして髪を結わないんだい? 男みたいに後ろで括ってるなんて、いくら奴隷でも、ここは〈銀の君〉のご領地なんだよ。恥ずかしい姿を見せるんじゃない!」
小太りおばさんは夏乃の髪をグイグイ引っぱる。
「ちょっとおばさん、引っ張らないでよ! それに、あたし奴隷じゃないから! ていうか、忘れてたけど、働くのは見てから決めるって言ってたのに!」
後半ひとり言になったせいか、小太りおばさんの手は緩まない。
「何ごちゃごちゃ言ってんだよ、取り合えずこうしておきな」
小太りおばさんは夏乃の髪をグイグイ引っぱり上げると、頭の上の方でひとくくりにする。
「サボるんじゃないよ」
彼女は捨て台詞を残して去ってゆく。
「……一宿一飯のお礼くらいはするよ」
夏乃はそう言い返すと、大人しく仕事を続けた。
小太りおばさんの言う紫の染料は、たぶん巻貝の内臓なのだろう。薄い膜で覆われた黄色い筋は、うまく取り出せればなんてことないが、ちょっとでも傷つけようものなら、そこから黒っぽく変色して、ものすごい臭気を放つ。
(空気に触れると酸化するんだな……)
夢中で作業を進めていた夏乃は、ふと、斜め向かい側に座っている少女に目を止めた。昨日、船の上で夏乃を庇ってくれた少女だ。
(昨日のお礼、言ってなかったな)
他の事に気を取られた瞬間、手元が狂った。
ぷーんと強烈な臭いがすぐ近くから漂って来る。
「こぉらっ! 気をつけて仕事しろって言っただろーが!」
小太りおばさんの雷と同時に、何だかわからない
〇 〇
貝割り作業は日が暮れるまで続いた。
寒空に裸足で海水に触れる作業をしていたせいか、手も足も冷たくかじかんでいる。
(早く温かいものでも食べないと、風邪ひきそうだよぉ)
夏乃の祈りが通じたのか、灯りのない宿舎の薄暗い土間で、湯気の立つ椀を手渡された。が、中身は朝と同じうすいお粥だった。雑穀の中に細かくした青菜と貝のようなものが入っているが、夏乃に言わせればこれは飲み物だ。
「これじゃ足りないよぉ……」
しょんぼりとぼやいてみるが、文句を言うのは夏乃だけで、他の少女たちは食べ終わると大人しく自分の部屋に戻って行く。その後ろ姿は、みんな小柄でガリガリに痩せていた。
(奴隷って、売られて来たのかな?)
貧しい親が子供を売るのは、昔の日本ではよくある話だった。と言っても、夏乃が知っているのはテレビや本で仕入れた知識だけだ。
(しゃーない、我慢するか)
夏乃は大きなため息をつくと、少女たちについて部屋に戻った。
浜辺の近くにある藁ぶき屋根の宿舎は、二十畳ほどの粗末な部屋だった。一緒に連れて来られた十人ほどの女の子たちに加え、前から居た十人ほどの女の子たちが雑魚寝している。
灯りは貴重なのかこの部屋は真っ暗で、みんな藁を編んだむしろのような布団にくるまっている。
夏乃は昨夜自分が寝ていた場所へ行くと、むしろの上に座り込んだ。
疲れと寒さで、本当に風邪を引いてしまいそうだ。
早く寝てしまおうと転がると、枕代わりにしていたリュックサックが無くなっていることに気がついた。
「うそっ、ない! リュックがないっ! 貴重品も制服も、靴だって全部リュックに入れてたんだから……あれがないと困るのにっ!」
疲れと不安が、夏乃の理性を奪っていた。
きっとまわりの少女たちは、夏乃の声に驚いて遠巻きにしていることだろう。それがわかっていても、叫ばずにはいられないほど彼女は余裕を失くしていた。
「リュックがない~!」
夏乃が騒ぎながら半泣きになっていると、小太りおばさんがやって来た。
「うるさいと思ったらまたおまえかい。いったい何を騒いでるんだい?」
「あたしのリュックがないの。仕事を始める前にここに置いておいたのに!」
「はぁ? 何が無いだって?」
「だから、あたしの荷物がぁー」
わーんと大声で泣き出した所へ、ひょっこりと片目を隠した大男が現れた。
「すまん夏乃。おまえの荷物は俺が預かってる」
「なんで
勝手に荷物を持ち出されたことに腹は立ったが、相手がほんの少しだけ顔見知りの珀だとわかって、夏乃は心底ホッとした。
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