愛する人と

野森ちえこ

四人で描く

 ドアを押しあければ、川のせせらぎを思わせる涼しげなピアノの音色に迎えられる。

 薄暗さよりもあたたかさを感じる照明に浮びあがる店内は、隠れ家のような雰囲気があった。

 迷いなくカウンターに向かう私の頬を、耳朶を、首すじを、ピアノの音がやわらかく撫でていく。

 ピアニストの彼がこちらを見ることはない。けれど私の存在には気づいている。その証拠に、一曲弾きおえた彼がつぎにピアノにのせたのは私の——私と夫の思い出の曲、はじめて一緒に観に行った映画の主題歌だ。


 ピアノを背にしてスツールに浅く腰かける。

 私はいつも、彼が演奏しているこの店で一杯だけお酒を飲む。

 それが彼との夜をはじめるルーティンだった。

 彼が奏でる夫婦の思い出を聴きながら、店オリジナルのカクテルをゆっくり、ゆっくりと時間をかけて胃に落としていく。

 さわやかな酸味の中に感じる一滴の苦味が特徴的なカクテル。晩秋の夕焼け空を思わせるグラデーションが妖しくも美しい。

 アルコールがのどから胸、そして腹部を焼いていく。

 目で、耳で、舌で、そして身体の内側から、自身に今夜のはじまりを告げる、私の大切な儀式だ。


 ♮


 彼との関係はもう二年以上つづいている。しかし、私と彼のあいだに恋愛感情はない。今までもこれからも、きっと持つことはない。

 あえて私たちの関係に名前をつけるとしたら同志、あるいは戦友というのが近いだろうか。

 私には夫が、彼には奥さんがいる。そして私は、夫のことを誰よりも愛している。そこが揺らいだことはない。彼もまた同様だ。誰よりも奥さんを大切に思っている。

 もしも他人が知れば『ではなぜ?』と思うだろう。結局のところ不倫でしょうといわれるのがオチかもしれない。

 でもそれが互いのパートナー公認だといったなら、人はどんな反応をするのだろう。


 ♮


 お店から歩いて十五分ほど。いつものホテルにチェックインする。

 そわそわと落ちつかない心をなだめながら部屋にはいると、私はクローゼットのまえですぐに服を脱ぎはじめた。コート、ブラウス、スカートと、一枚一枚あえてゆっくり脱いでいく。そしてまだ誰もいない部屋で裸になると、スマホだけ持ってバスルームへ向かう。


 彼と過ごす夜の、この、ざわめく気持ちをどう表現すればいいのだろう。

 背徳感? 期待感? 罪悪感?

 欲望、困惑、渇望、自嘲、そのすべてであるようにも、まったくの的はずれであるようにも思える。お腹の底からせりあがってくるような、不快で、そのくせ気持ちいい、冷ややかで熱いなにか。

 私も彼も、どれほど求めようとこの先、おそらくはもう一生パートナーとまじわることはできない。

 夫は事故で五年ほどまえに、彼の奥さんもやはり事故で四年ほどまえに、それぞれ深刻な生殖器障害を負った。そして二人とも、未だ自力では寝返りをうつことすらできない。


 三年ほどまえだったか。法事のために数日家をあけなければならなくなったとき、ショートステイ(短期間入所)で利用した施設に彼の奥さんがいた。彼も出張のために奥さんをあずけていたのだ。

 私と奥さんと彼はまだ三十代で、夫もまだ四十代。似たような境遇が私たち四人を近づけた。

 やがて夫と彼の奥さんがおなじ罪悪感を抱えているということを知った。『自分がいることでパートナーの性生活を奪っている』という罪悪感だ。


 私も彼も、二人の罪悪感を払拭するすべを持っていなかった。

 私はあまりに平凡で、不満もあれば欲もある。どうしようもなく身体がうずく日もあれば、男の腕にこの身をゆだねたくなる日だってある。

 それは彼にしてもおなじことだった。私たちは神でも聖者でもない。

 私はただの女で、彼はただの男だった。


 ♮


 身体のすみずみまで丁寧に洗って熱いシャワーで流していく。ホテルのバスローブで身を包み、アメニティの化粧水をたっぷり肌にしみこませる。そして髪をドライヤーで乾かしおえたころ、スマホに彼からメッセージが届く。それは二年間ほとんど崩れたことがない、私と彼のルーティン。


 >あと十分くらいで着きます


 もともと週末ミュージシャンだった彼は、奥さんの事故以来ライブ活動をしていなかったという。奥さんはそれも気に病んでいたから、彼は私と過ごす夜とピアニストになる夜をおなじ日に設定した。

 そして月に一度、ピアニストになった彼と私がおなじベッドに沈む日、夫と奥さんはおなじ施設で過ごす。

 何度も何度も、飽きるほど四人で話しあいながら今日まできた。

 私たちは避妊もしていない。それが目的ではないけれど、もしも自然に授かることがあったなら、そのときは四人の子どもとして育てようときめたから。


 ときどき思う。もしも夫と逆の立場だったら私はどうしただろう、と。

 ある日突然四肢の自由を奪われて、大切な人も受けいれられない身体になってしまったとしたら、はたして私は夫がほかの女を抱くことを容認できるのだろうか。

 ふとした時、そんなことを考えては怒りたいような泣きたいような、やりきれない気持ちになる。

 鏡に映る私は、どうしようもく女だ。まもなくおとずれる彼との夜を思い、もう身体を熱くしている。女でいたい自分。女であることを捨てられない自分。そんなあさましい自分がそこにいる。

 でもそれが、夫の愛してくれた私だった。そして、私が選んだ私だ。

 フッと息がこぼれる。自嘲かもしれないし、期待かもしれない。いいのだ、どちらでも。

 夫が、私が、彼と奥さんが、それぞれに考えぬいて、行くときめた道の上にいるのが今の自分なのだから。

 鏡に背を向けてバスルームのドアをあけると、まるでそれを待っていたかのようにノックの音がした。


「やあ」

「こんばんは」


 言葉少なに笑みをかわし、彼はバスルームに消える。

 彼のシャワーは早い。

 五分とかからず快楽に溺れる夜がはじまるだろう。


 私たちは出会ってからずっと、四人で一枚の絵を描いているような気がする。

 もとは白かったはずのキャンバスを四人で囲んで、思い思いの色を重ねている。

 思い出と未来。愛と諦め。性と欲。快楽と苦悩のグラデーション。

 そうして描かれた景色がどれほど醜くても、どれほどいびつでも、どれほど濁っていても。

 きっとこれからも、私たちは描きつづけていく。

 愛する人と生きていくために。


     (了)


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愛する人と 野森ちえこ @nono_chie

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