第三十六幕 それぞれの戦い

 美濃国、長良川河畔。そこでは現在、美濃国を二分する内乱・・による激しい合戦が繰り広げられている真っ最中であった。一方は義龍率いる約一万の軍勢。そしてもう一方は道三が総大将となっている反乱軍・・・で、その数はざっと二千ほど。


 その兵力差は約五倍で、本来であれば戦う前から勝敗が分かり切っている戦だ。だが……


『ギヒャヒャヒャ!! 死ネ! 死ネェ!!』


「こ、こいつ、矢も槍も通らないぞ! う、うわぁぁぁっ!!」

「ば、化け物だ! そこら中にいるぞ!? た、助けてくれぇっ!!」


 この時長良川の戦いでは、通常の戦ではまずあり得ないような光景がそこかしこで展開されていた。僅か二千の道三軍が一万はいるであろう義龍軍を圧倒していたのだ。何かの計略などによるものではない。両軍とも正面からぶつかり合っての結果である。


 その秘密は道三軍の構成・・にあった。道三軍の兵士たちの一部・・が突如、外道鬼へと変貌したのだ。その総数はざっと二~三百体ほど。外道鬼一体で精兵十人に相当すると言われ、いきなり道三軍に二千以上の援軍が出現したようなものだった。


 更にそれだけではなく餓鬼や鉄鼠、一つ目鬼などの妖怪も現れ、義龍軍相手に暴れまわり始めたのだ。また同じ外道鬼ながら精鋭の武士が変化した鬼武士・・・も何体か混じっており、これらは優に人間の兵五十人以上に相当する怪物であった。


 それでもまだ実質的な戦力は義龍軍の方が多かったが、異様な怪物達が奇声を上げながら殺到してくる様に兵士達が動揺。そこに実際に怪物たちが圧倒的な戦闘能力で攻め立ててくると、兵士達の間に恐慌が走り、義龍軍は本来の力を発揮する事ができず苦戦を強いられていた。



「ぬぅ……奴らめ。想像以上に戦力を増しているようだな。このままでは不味いな……」


 総大将として出陣している義龍は、現在の戦況に眉を顰める。しかもこのまま戦線が膠着すると、尾張からやってくる織田信長の軍勢と挟撃される事になる。そうなれば義龍の軍は壊滅し、この美濃は道三と信長の物となる。


 今戦っている相手の陣容からしても、もし道三が美濃を支配したらこの地は文字通りの地獄と化すだろう。それだけは絶対に避けねばならない。


(……まだか? やはり無謀であったか?)


 義龍がこの戦の前に打った布石・・。この戦を唯一完勝に導ける可能性のある一手。彼は妖怪の軍勢を相手取って防戦を続けながら、ひたすらにその時・・・を待ち続けていた。だが一向に変化する気配のない戦況に、彼の中にも次第に焦りと疑念が沸き起こる。


 道三の暗殺・・。他に方法がなかったとはいえ、流石に無謀が過ぎたかもしれない。だが反面、これまでにも無謀と思われた任務を成功させてきた彼女達・・・を信じたい気持ちが彼の中で同伴していた。


 あの女達なら奇跡・・を起こせるのではないか。そんな期待を抱かせる何かを彼女達は持っているように思えたのだ。


 そして義龍が彼女達の顔を思い浮かべた、まさにその時……



「と、殿! 敵陣の様子が変ですぞ! あの怪物どもが悶え苦しんで次々と倒れて消えていきます!」


「……!!」


 前線で部隊を指揮していた稲葉良通が息せき切って報告に上がってくる。それを聞いた義龍は思わず目を剥いた。道三軍の主力を構成していた妖怪どもが勝手に死んで消滅してく。その原因・・は一つしかあり得ない。


(ふ、はは……あいつら、やったのか!? 本当に……大した女達だ!)


「と、殿……?」


 知らずのうちに口の端が吊り上がり笑みを浮かべる義龍を唖然として見やる良通。それに気づいた義龍はすぐに表情を改めて、鋭い視線を臣下に送る。


「何を呆けておる! これは千載一遇の機会だぞ! 一気に道三の軍を殲滅せよ! ただし投降した人間・・は殺すな。同じ美濃の同胞故な」


「は、ははぁ! 直ちに!」


 良通や周囲の将兵たちは弾かれたように戦線に取って返していく。だが義龍の中では既にこの戦の勝敗は決していた。


「何とか……信長が来る前に片を付けられたか。この戦の第一勲功はあやつら・・・・で決まりだな」


 部下たちの背中を見送りながらも義龍の脳裏には、凛々しくも嫋やかな美しき尼僧の姿が思い浮かんでいた。



*****



 一方で義龍と同じく、事態を正確に把握していた者がもう一人……。


「……まさかあの・・道三が討たれるとはな。私が今現在の粋を結集して作り上げた最高傑作・・・・が。あの三人の女達だけでは不可能なはずだ。他にも加勢した者がいたか」


 明智光秀と名乗る『妖鬼』……海乱鬼。長良川における道三軍の実質的な指揮官を担っていた存在。海乱鬼は自身の周囲や戦場で次々と妖怪達が悶死していく様を見て、何が起きたのかを悟った。


「道三が斃れた今、美濃に私の居場所はないか。……潮時だな。まあ良い、手駒・・は他にもいる。しばらくは越前の朝倉義景の元に身を潜めるか」


 『魔王』が真に覚醒するには、まだ多くの瘴気とが必要だ。しばらくは義景を隠れ蓑に、そのための準備を進めるのだ。


「忌々しい女鼠どもよ。今は一時の勝利を味わうがいい。『魔王』が覚醒するその時まで精々生き延びてみろ」


 その時こそ彼が直接手を下してあの女達に復讐する事になるだろう。海乱鬼はその光景を思い浮かべ昏い笑みを零しながら、終息に向かう戦場からその姿を消すのであった。



*****



「この度の働き、誠に大儀であった。お前達を送り出したはいいものの、正直失敗する可能性も考慮に入れていた。その事は素直に詫びよう。お前達は俺の予想を上回る働きをしてくれた」


 稲葉山城の座敷牢。そこで妙玖尼達は今までと同じように義龍と向き合っていた。だが今までとは決定的に違う部分がある。それは……妙玖尼と紅牙の二人は牢の外側・・で、義龍と直接差し向かいで話しているという点だ。


「はっ! これでようやく晴れて自由の身って訳だね! それに報酬・・の件も忘れちゃいないよ?」


 挟撃を仕掛ける前に道三軍が壊滅した事で、信長は道三の救援・・を諦めて尾張へ撤収していった。妙玖尼達は約束通り義龍直々の恩赦・・を受けて無罪放免となっていた。


 美濃大名である義龍の前でも偉そうに踏ん反り返る紅牙。相変わらずその露出鎧に包まれた肢体を惜しげもなく晒している。その言葉と態度に、義龍よりも彼の後ろに影のように控える雫が目を吊り上げる。


「貴様、自由の身になっただけでも……」


「よい、雫。この者達の働きを考えれば当然の権利だ。……というよりお前達はあれだけの戦いを共にしながら相変わらずのようだな」


 義龍が苦笑しながら仲裁する。言われた雫は若干バツの悪そうな顔になって黙り込む。いざ戦いとなれば息の合った共闘も見せる紅牙と雫だが、元々の性格や性質の部分で合わないものはどうしようもない。結局二人が友人・・になる事はなかった。


 義龍がこちらに向き直った。



「勿論約束は守るぞ。今の美濃の財政を鑑みるとこれが精一杯ではあるがな」


 苦笑した義龍が合図すると小姓が一人近寄ってきた。その両手に何かの包みを捧げ持っている。小姓が包を丁寧に開けると、その中から出てきたのは……


「……! お、おお……」


 紅牙が目を見開いて僅かに感嘆の声を漏らす。物欲の強い彼女がそのような反応を示すそれは……男性の掌より少し大きいくらいの金塊・・であった。加工されて厚めの板のような形状にはなっているが、それは紛れもなくきんであった。


「我が領内の鉱山より採掘、精錬された純金だ。価値は保証するぞ?」


 金銀は戦国時代になってから急激にその価値を上げた鉱物だ。鎌倉、室町と日本に幕府の権威が遍く行き渡っていた時代には、専ら大陸からの貿易で大量に流入した宋銭などの輸入貨幣や、鐚銭びたせんなどの質の悪い民間貨幣が主に用いられていた。


 だが戦国の世が色濃くなると各大名たちは独自に領内の経済を発展させる必要に迫られ、こぞって領内の金銀鉱山の採掘に着手しだし、急速に市場価値が高騰し始めたのであった。


「純金……。ほ、本当にいいのかい?」


 先程の威勢はどこへやら、思ったよりしっかりした報酬が出てきて、逆に信じられないという面持ちになる紅牙に義龍は再び苦笑した。


「無論だ。遠慮なく受け取るがいい。勿論無くさんように取り扱いに気をつけろというのは言うまでもないが、何処で・・・換金するかもよく考えておくんだな」


「……!」


 この時代、各大名達は領内に独自の貨幣を鋳造して経済を回しており、貨幣価値は全く定まらずに常に不安定に変動していた。おまけに換金したはいいがもしその勢力が滅んでしまったら、換金した貨幣全てただのゴミクズに変わってしまう。


 その選択を間違えると、折角の金塊を文字通り溝に捨てる事になってしまう。使い途はよくよく考えねばならないだろう。


 尤も常に全国を旅して定住していない妙玖尼としては高額な金銀財宝を貰ってもそれこそ使い途が無いし、精々旅に役立つ品物を現地調達しやすくなったり、街に立ち寄った際に少しだけ贅沢な物を食べれるというくらいしか恩恵は無かったが。


 しかし紅牙が喜んでそれでやる気になってくれるなら貰っておいて損はないだろうと、特に辞退する事はしなかった。ほくほく顔で金塊を受け取る紅牙を尻目に、妙玖尼は義龍に丁寧にお辞儀をする。



「お世話になりました……と言って良いのか分かりませんが、ともかくこれで美濃を覆う邪悪は取り払われました。あとは貴方が道三のようにならなければ美濃に瘴気が蔓延る事は当面無いでしょう」


「無論だ。この俺の目が黒いうちは二度とこのような事態は起こさせん。しかし……それならお前達はまた別の国へと旅立つのか?」


 義龍が何故か神妙な表情でそう問いかけてくる。


「そうですね。それが私の……退魔師の使命ですので。戦乱の色濃い日の本には邪気が蔓延る場所が尽きる事はありません。私の旅も終わる事はないでしょう」



「そうか……。過酷な使命だな。ならば俺がお前のために出来るのはこの天下を統一・・・・・し、室町幕府に替わる新たな幕府を樹立・・・・・・・・し、戦乱の世自体を終わらせる事だけだな」



「……ッ!?」


 妙玖尼だけでなく紅牙も、そして雫さえも驚きに目を瞠った。雫は義龍に覇王の資質を見出し彼が天下統一を果たす事を望んでいるようだが、義龍本人がどう思っているのかは明かされていなかった。今初めて彼が明確に天下統一への意志を公言したのだ。


 義龍自身が遂にその気になってくれた事が嬉しいのか、後ろで雫が僅かに目尻を拭っていた。


「なのでお前はお前の目的に邁進するがいい。ただ美濃はいつでもお前達を歓迎する。旅に疲れたらいつでもここに戻ってくるといい。……息災でな」


「……! はい……必ず。私も貴方の望みが果たされる事を願っています。……どうぞお達者で」


 妙玖尼は先程よりも万感を込めて再び義龍に一礼した。



 こうして美濃における長く過酷な退魔行はようやく終焉を見た。妙玖尼と紅牙は義龍本人に見送られながら、晴れて稲葉山城を後にしていくのであった……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る