第十六幕 義龍の誘い

「さて、本題・・に入る前にまずつまびらかにしておかなきゃならん問題がある。半年前にお前が殺した鈴木重定という男の件だ」


「……!」


 稲葉山城の夜の湯殿。入浴したまま話す斎藤義龍の視線が紅牙べにきばに向いた。そもそもそれが大元の原因でこのような事になっているのだ。自分が直接殺した人物の主君に射竦められて、さしもの紅牙も若干緊張してバツの悪そうな様子になる。


 悪気は無かった……などとはお世辞にも言えず、妙玖尼みょうきゅうにとしても紅牙を擁護する術はなかった。だが本来なら縛り首が妥当な沙汰であるはずの自分達を、わざわざこのように秘密裏に呼びつけたからには……


 義龍は人の悪そうな笑みを浮かべる。



「結論から言うと奴は飛騨国の三木良頼と内通していた裏切り者だった。だからお前が奴を……しかも俺の関与しない所で始末してくれたのは、むしろ俺にとっては僥倖ですらあった」



「……!!」


 妙玖尼も紅牙も思わず目を瞠った。全く予想していなかった展開であった。妙玖尼は身体の力が抜けるような感覚を味わった。本当に死なずに済むかも知れないという安堵が生じたのだ。因みに両脇に控える小姓たちは特に動揺していない。彼等が事情を知っているというのは本当のようだ。


「……てことはアタシらが襲った時は、その密通・・の帰りか何かだったのかい?」


 紅牙が信じられないような目で問い掛けると義龍は無造作に首肯した。


「そういう事になるな。勿論『表向きの用件』は違っていたがな。状況証拠は揃ってたし間違いなく奴は三木と内通していたんだが、確たる物的証拠がどうしても掴めなかった。となると俺が奴を放逐したり、ましてや処断したりって事も表立っては出来ない状況だったのさ。そこに奴が運悪く・・・、飛騨で悪名高い山賊の縄張りを通る事になり……」


 紅牙達に殺されたという事だ。義龍にとっては随分都合の良い話だ。


「……本当に偶然・・だったのでしょうか?」


 妙玖尼が疑いを込めて問い掛けると、義龍は再び人の悪い笑みを浮かべた。


「勿論だ。重定が普段飛騨との行き来に用いていた道が運悪く・・・倒木と落石によって塞がれて、山賊が横行する危険な道を通らねばならなかったのは誠に不幸な話だった」


 つまりは重定がその道を通らねばならないように仕向けたのだ。紅牙たちが本当に重定を襲って殺すかどうかまでは予測できなかったはずだが、義龍は見事その賭け・・に勝ったという訳だ。


「……気に喰わないねぇ。アタシはまんまとあんたらの政争に利用されたって訳かい?」


「否定はせん。だが俺はあくまで奴がお前達の縄張りを通るように仕向けただけだ。その後・・・の事は全てお前達が勝手にやった事。利用したと一方的に糾弾されるのは心外だな」


「……! ちっ……」


 痛いところを突かれた紅牙は渋面になって舌打ちする。義龍は口の端を吊り上げた。


「まあそういう訳で、重定の件で俺がお前達を縛り首にする理由はないという事だ。ただ当然、じゃあ無罪放免にしますって訳に行かないのは解るな?」


「それは……はい」


 妙玖尼は頷かざるを得ない。重定の裏切りの確証が掴めずに、義龍が秘密裏に抹殺したようなものだ。表向きは『斎藤家の忠実な家臣』であった重定を殺した紅牙とその仲間の妙玖尼を、無罪放免にする理由・・がないのだ。


「そう……そしてここから、お前達をこの場に呼び出した本題・・に繋がってくる」


「……!」


 本題。今までの話はその前段階に過ぎない。いよいよ、自分達が呼び出された理由を聞かされるのだ。二人は緊張した。




「まあこれは市井にも有名な話だからお前達も知っているとは思うが……俺は親父殿・・・とあまり仲が宜しくない。これは口さがない噂ではなく事実・・だ」


 隣国の住人・・であった紅牙も知っていたくらいなので確かに有名な話なのだろう。義龍の父である斎藤道三は隠居させられただけでまだ存命だ。というより義龍の若さからして道三も本来まだ隠居するような年齢ではないはずだ。義龍が苦虫を噛み潰したような顔になる。


「そう、そこが重要だ。親父殿は当然ながらこの隠居に対して納得はしていない。破落戸のような私兵を大勢雇って、俺に対する嫌がらせのように好き勝手に振舞わせているのもその表れだ。俺にとっては曲がりなりにも父だし、家臣共にとっても意見の対立から強引に隠居させたって負い目があるから、親父殿に対して注意喚起が精々でそれ以上強い措置を取ってこなかった」


 あの山中で出会った私兵共も、そうして道三が雇った連中の一員だったのだろう。


「だが……ただの嫌がらせくらいなら俺も目を瞑るつもりだったが、親父殿はついに一線を越えた・・・・・・。家督を譲ったはずの俺を廃嫡・・して、代わりに俺の弟達の誰かに家督を譲ると言い出した」


「え……!?」


 妙玖尼も紅牙も驚いて目を瞠る。紅牙も驚いているので、周辺大名の情報収集に余念がなかった彼女も知らなかったようだ。


「彼は正気ですか!? そんな事をしたら最悪国が割れてしまいます!」


「まさしく。しかもただの屋敷の茶飲み話って訳じゃない。弟達を鷺山城に呼び出して何度か密談している事実を雫が突き止めている。親父殿は本気・・だ」


 義龍の目が剣呑に細められ雰囲気が変わる。因みに鷺山城とは隠居した道三が拠点としている城だ。


「このまま親父殿を放置すれば美濃は内乱に陥る。更に悪いことに親父殿は帰蝶・・を尾張の織田信長に嫁がせて姻戚関係になっている。夫婦仲は至って良好らしい。親父殿が弟達を担いで反乱を起こせば、間違いなく信長はそれに呼応するだろうな。というより親父殿はそれを当て込んでいる可能性さえある」


「……!!」


 妙玖尼も紅牙もただ唖然と目を見開くばかりだ。思っていたより大事、どころではない。これは下手をすると美濃国の存亡に関わるような話だ。何故自分達のような旅の退魔師風情が、当の美濃国主からこんな話を聞かされているのだろうか。


「何故……アタシ達にそんな話を? あんたはアタシ達をどうする気なんだい……?」


 紅牙が掠れた声で問う。こんな国家の大事を聞かされてただで済むはずがない。そんな彼女達の心情を見て取った義龍が再び露悪的な笑みを浮かべる。



「お前らには俺の『影』になってもらう。勿論影武者って意味じゃない。俺の代わりに裏で動くという意味での『影』だ。そして……俺の指示に従い、この反乱のを潰してもらう。親父殿……即ち斎藤道三という芽を、な」



「な……!?」


 妙玖尼は目を剥いた。聞き間違いかと思ったがそんな事はなさそうだった。紅牙が柳眉を逆立てる。


「ふ、ふざけんじゃないよ! 何でアタシらがそんな事しなくちゃならないのさ! アタシらには何の関係もない話だろ!?」


 反射的に義龍に詰め寄りかけるが、両脇の小姓たちが再び刀の柄に手を掛けたので動きを止めた。


「ほう、関係ない? 俺の家臣・・・・を殺しておいて関係ないとな? それともやはり縛り首になる方が望みか?」


「……っ!」


 紅牙が歯軋りして拳を握り締める。義龍がその気になれば彼女達は忽ち死罪人に逆戻りだ。


「それに本当の意味でお前達は無関係ではないのだぞ? 俺がわざわざお前達を選んだ理由もそこにある。お前達は美濃に入ってから剣呑な連中と事を構えているのだろう?」


「……!!」


 雫もその話をしてきた。同時に自分達に協力すればこの件を解決できるかも知れないとも。今の状況と照らし合わせて考えると、1つの答えが見えてくる。


「ま、まさか、あの連中は……?」


 妙玖尼が恐る恐る問い掛けると、義龍はあっさり首肯した。



「いかにも。お前達を襲った者共は全て親父殿……斎藤道三の手の者達だ。無論お前たちが美濃に入ってから討伐してきた妖怪どもも含めてな」



「――――」


 それで全ての辻褄が合った。白川の助右衛門の言っていたお館様とは斎藤道三の事だったのだ。つまりは牛鬼を育てていたのも、一つ目鬼や餓鬼を使って領内を混乱に陥れていたのも斎藤道三という事になる。それは取りも直さず道三が『瘴気石』なる剣呑な代物を所持し、鬼や妖怪など人外を使役している存在であるという事実を示唆していた。


「お前たちは退魔を生業にしているのだろう? 今の親父殿は外法に手を染めた鬼と変わらん存在だ。しかも連中はお前たちの命も狙っている。どうだ? 少しはやる気が出てきたか?」


「……あなたの『影』として動けば、彼等を滅する事が出来るのですね?」


「無論最終的にはお前たちの腕次第だが、少なくともお前たちだけで奴等と戦うよりは遥かにその可能性は高いだろうな。親父殿の問題が片付けばお前たちは晴れて無罪放免だ。この美濃を大手を振って歩けるようになるだろう」


「…………」


 妙玖尼はしばし黙考する。紅牙は彼女の答えを待っているようだ。だが彼女の答えは既に決まっていた。ましてや今の話を聞いては尚更だ。



「……解りました。あなたに協力させて頂きます」


「ま、そうなるよね。アタシも覚悟を決めるよ。元はと言えばアタシのせいだしね」


 妙玖尼の答えを聞いて紅牙も苦笑しつつ了承した。義龍もまた満足気に頷く。 


「ふ、賢明な選択だ。臣下達は精鋭揃いだが如何せん物の怪の相手となると門外漢だ。その点お前たちは使えそうだ。親父殿が外法に手を染めていると解った時から、腕利きの退魔師を探していたのだ。俺の指示に忠実に従う・・・・・退魔師をな」


 元々紅牙を利用して内通者を始末したり、さらにその事実を逆手に取ってまんまと子飼いの・・・・退魔師を手に入れた義龍は相当なやり手だ。それは妙玖尼も認めざるを得なかった。



 かくして長い夜は更けていく。妙玖尼と紅牙は一時的に義龍配下の『影』として、【美濃の蝮】斎藤道三に挑む事になるのだった……

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