第7話 心落ち着く

 やえはゆっくりと目を覚ます。鼻に味噌汁の香りが届く。米が炊き上がる直前の香りもする。


「いけん、寝坊してもうたかいね」


 朝餉の支度の手伝いもやえの仕事の一つ。やえは寝坊をした事などかつて一度も無い。それだけにやらかしたか、と慌てる。

 がばと布団を撥ね退けて、そこで気が着いた。ここはいつもの下女の寝間では無い。

 そうじゃった。昨日主さんの家に連れて来られて……布団のあまりの気持ちのよさに寝てしもうたんじゃ。


 寝台から少し離れた場所に竈が有って。昨日見て回ったその位置に何かがしゃがみ込んで竈を見てるような気がする。やえの薄ぼけた視界ではその位しか分からない。


「起こしてしまったか。

 なら、寝台を替わってくれないか。

 一睡もしてないから、眠くてたまらない」


「ああ、これはそこらの人里から貰ってきた椀だ。

 好きに使え。

 飯は炊き上がってる。

 数刻、蒸らせば食べられる。

 火傷しないよう気を付けろよ」


 そう言って、何かはやえと入れ替わりに布団に横たわる。通り過ぎる瞬間、見たものは人間の形をしていた。二本足で歩いて、腕が動いてた。

 白い狼の獣毛を生やした犬に似た四本足で歩く形とはどう考えても一致しない。だけど、その声は山の主と同じだと感じた。昨夜背に乗った狼の喉から発せられていた声の響きと同じであった。

 確認しようにも声の主は既に布団に潜り込んでしまった。眠くてたまらないと言っていたのは嘘じゃ無かった。既に寝息まで聞こえている。


 仕方無くやえは窯の方へ向かう。昨夜場所の間隔は何となく掴んだ。顔を近づければ分かる。

 釜と湯気。木で出来た蓋を開ければ、米の臭いがぱぁっと広がる。


 部屋には腰掛のような物が置いてあった。その前には腰掛に座ると丁度良い台。

 台に椀を置いて腰掛に座って食べる。やえにとっては初の体験。

 なんか落ち着かんねぇ。

 でも畳に座るのとは又違った解放感がある。


 通常であれば下女たちと狭い部屋に押し込められ食事している。忙しく食事を取りながら他の下女たちは騒がしく会話もする。

 やえは……

 あの殿方はなかなか良い顔立ちじゃねぇ。

 こないだ見た着物がすごい良い模様だったんよ。

 そんな話の内容に入っていけはしない。自分の膳と食器を倒したりしないよう気を付けるだけで、一人静かに食事するやえだったのだ。


 誰もいない空間で飯を食べる。せっかくの白米だと言うのに焦げもあって米は固くなっていたが。それでもやえにはとっては心落ち着く時間であった。

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