第16話 賭けの代償

「そう言えば、レンさんはテトちゃんとお付き合いしないの?」

「……そ、それ聞きます?」

 この言葉が飛び出したのは、サンドラが外に出る準備を進めている時だった。


「ふふっ、実はずっと話すタイミングを窺っていて。だってテトちゃんがあなたに想いを寄せているのは気づいているのでしょう? 夜の営みも受けているってことだから」

「ま、まあ……」

 テトを見ればあからさまで、隠そうともしていないのが現状である。

 お昼寝をするのにレンの寝室を使う、と言っていたこともその一つだ。


「私はお付き合いされているものだと思っていたから、テトちゃんから事実を聞いた時は驚いたのよ。あなたもテトちゃんのことはよく思っているでしょうし」

 貯金を全てはたいたり、知識という名の大事なレシピを売ったり、それは大事に思っていなければやらないこと。

 もっと言えば、夜の営みを行っている時点で程度の好意があるのは違いないこと。


「ちなみに……どうしてだと思います?」

「そうねえー。レンさんのことだから、『お仕事に集中したい』とかそんな理由よりも、テトちゃんが大きく関わっている理由だと思うのよね」

「あの、ドラさんが怖いです」

「人柄ってすごいわよね。こんなところまで簡単にわかっちゃうんだから」

 普通そんなことまでわからなくない? なんて思うレンと、微笑むサンドラの表情は対している。


「……でも、『付き合わないことがテトちゃんのため』って考えると、ピンとこないのよね」

「じゃあその……テトには内緒の話でお願いします」

「わかったわ」

 これから話すことは、テトには一番聞かれたくないこと。


「えっと、ドラさんの言う通り……アイツのことは好意的に思ってますよ。一癖も二癖もあって手間はかかりますけど、大事な店で一生懸命働いてくれてますし、努力をして力になってくれようとしますし、金に余裕がないくせに、こうしたプレゼントまで買おうとしてくれますし……」

 レンは首につけたネックレスを触れながら、視線を彷徨わせて言葉を続ける。


「そんなヤツだから、将来は報われてほしいって言うか、幸せになってほしくて」

 こんなことは本人の前では言えないこと。


「うーん。レンさんが幸せにさせてあげるとは考えないの?」

「それはまだ早いと思ってまして」

「まだ早い?」

「なんて言えばいいのか……今のアイツはお金もなくて、住む家もここしかないから、視野が狭くなるって言うか、心に余裕がないから自分に縋るしかないって言うか……。生きるために盲目的になってしまうのは自然のことだと思うんです」

 難しい内容であるために、自身の考えが上手に伝えられない。

 だが、サンドラは上手に言葉を噛み砕いてくれる。


「ああ、なるほど……。もしテトちゃんの心に余裕ができて、独り立ちができるようになれば、多くの男性を見ることができるようになって、レンさんよりもいい人を探せるようになる、と」

「あっ、そんな感じです。アイツは運よく助かったわけですから、一番の選択を取って人生を謳歌してくれないとこっちが困るんですよ」

 余裕がないせいで自分に補正が入り、今のテトの気持ちがある。それがレンの考えていること。

 これから生活していく上でテトに余裕が生まれ、その補正が外れたのなら、『好き』の感情とは別のもの気づく時だってある。


「じゃあ、あなたが立て替えた借金は……」

「そうですね。テトが一人で生活できるようにアイツの貯金にするつもりです。一応、返すように脅してはいますけど」

「もう……。不器用な方ね、あなたは本当に」

「あはは……。残念なことにこれが自分なんですよ」

 呆れたような眼差しを向けられるが、そこに込められた気持ちはなんとも優しいもの。


「あと10年もすればテトちゃんはとんでもない美人さんになるでしょうに、なにも思うことはないの?」

「まあ……大金もはたいてるので、なにも思わないって言うのは嘘になりますけど、いいヤツですからね。あのバカは」

 いいヤツだからこそ、最善の選択をしてほしいと思っているレンなのだ。


「あなたが独り身な理由が本当に不思議なくらいだわ」

「そこまで出来た人間じゃないよ、は」

 素の口調を出して強調するのは、本当にそうだと思っているから。


「嘘つき」

「残念ながら嘘じゃないです」

 善人なら、自身のメリットを考えずにテトを助けていただろう。

 だが、こちらは違う。テトに家事を任せようとしたから助けたのだから。


「ふふふ、警戒心の強い狐人族にあれほど好かれている時点で、悪いことを考えていない証拠なのだけどね?」

「ああ、それはテトが特殊なだけですよ。警戒心が強いなら、あんな接客はできませんから」

「それは優しいレンさんに助けられたことで、この世の中は悪い人ばかりじゃないことを、あの店に来るお客さんは暖かい人ばかりだということを自分なりに考えたんじゃないかしらね」

「あのー、たまには自分に勝たせてほしいんですけど……」

「だって私が負けちゃったら、あなたを下げることになるんだもの」

「……」

 賢い相手や鋭い相手は厄介だと言うが、その大半は口で勝てないところがあるからではないか? そんな理論を思わず働かせてしまうレンである。


「ねえレンさん。ここでなんだけど、私と一つ賭けをしない?」

「賭け、ですか?」

「ええ。賭けの内容は少し不謹慎だけど……テトちゃんの心に余裕ができた時、あなた以外の男性に目移りするかどうか、でどうかしら」

「……え? それで大丈夫なんですか?」

 自信がありすぎて逆に不安になってしまう内容。


「もちろん。あなたも自信があるのなら……そうねえ。賭けに負けた方は、一つだけなんでも言うことを聞くって言うのはどうかしら」

「『常識の範囲で』を入れなくても?」

「それは私のセリフだけど、平気?」

「もちろん。じゃあ自分は目移りする方で」

「では、私は目移りをしない方ね」

 目移りする方に自信があるのは情けない話だが、この勝負はもう勝ちだろう。

 長い期間の賭けにはなるだろうが、サンドラに叶えてもらうお願いを早速考えることにする。



「ちなみに一つ確認なのだけど、テトちゃんがあなた以外に目移りをしなかった場合、きちんと責任を取るのよね?」

「はは……。その時はそうですね。テトのことは嫌いじゃないですから」

「ありがとう。これで賭けは私の勝ちね」

「え?」

「ふふふっ、なんでもないの」


 サンドラはずっと気づいていた。

 リビングと廊下を繋ぐドアのガラスから、もふもふの白い尻尾が見え隠れしている様子を。


 こっそり聞き耳を立てていることに気づいていたからこそ、テトのためにもなり、自分のためにもなる賭けを出していたのだった。


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