第18話 父親

休暇を日本で満喫した本木とユリは一週間ぶりに韓国へ戻った。事務所に戻るとジヘとテヒが笑顔で迎えてくれた。

「お帰りなさい、お姉さん」

「テヒ、ありがとう。ごめんね急に休んで」

「大丈夫よ、それより・・・」

テヒはユリに指輪を盗んだ件を話すべきかまだ悩んでいた。ユリはテヒが何かを言いたそうにしている様子に気が付く。

「テヒ・・・何か話したいことがあるの?」

「うん・・・あのね・・・指輪なんだけど・・・」

テヒが話し始めるとユリはテヒの口を指で抑え、答える。

「テヒ・・・何も言わないで良いわ。過去に何か辛いことがあっても、私、今、幸せだから・・・」

「お姉さん・・・」

ユリはテヒを優しく抱き寄せる。その二人の様子を本木とジヘは優しく見ていた。そしてジヘは本木に

「本木さん、これからはユリをよろしく頼みます」

と、言って、握手を求めた。本木も

「わかりました」

と、答え、握手に応じた。四人の新しい関係が始まった。


「社長!大変です」

純一の秘書である本宮が血相を変えてやってきた。

「何事だ?」

「今度のK社のイベントに対する入札でK社に賄賂を贈った恐れがあるとして、K社が今回の入札の延期を伝えてきました。今、社内での調査が始まっています」

「何?」

このイベントの担当者は本木であった。しかし、本木が会社を辞めた後、実質には副社長の菅原が担当を引き継いでいた。

「菅原を呼べ!」

そう秘書に告げると、純一は苦虫を噛み潰したような顔で席に座った。


「お呼びですか?」

副社長の菅原がやって来た。

「お前、何をしていたんだ!なぜ賄賂など贈った?」

純一は血相を変え菅原を怒鳴りつける。しかし、菅原は表情を変えず

「お言葉ですが、今回の入札に関して、賄賂を贈ったのは社長のご指示であるとK社から聞いています」

「何?」

菅原は黙ったまま書類を純一に見せる。純一は書類を見ると、愕然として呟く。

「これは・・・どういうことだ」

「見てのとおり、入札選考について、他の競合他社の価格を事前に知らせる依頼と、当社が優先して選抜されることを条件に、K社への賄賂を送付する旨、社長名で発信されています。勿論、この文書には社長自らの署名と捺印がされています。K社もこのような不正を重要視して、今回返信してきたんだと思います。ですから、こちらが社長へ事情を聞かなければなりません」

菅原は勝ち誇ったかのような顔をし、純一を見つめる。純一は書類を見終わると

「こんな書類に私はサインをしたことはない!」

と、叫ぶ。しかし、菅原はあくまでも冷静に

「しかし、この書類を見て第三者は誰を首謀者と考えますかね?」

と、不適な笑みを見せ言った。純一は菅原を睨み返し、

「どうするつもりだ?」

「私は何も・・・ただ今後の進退については社長自ら責任をとっていただかないと・・・私が申し上げられるのはそれだけです」

と、言って、社長室を後にする。純一は力なく座りこみ、遠くを眺めた。


菅原の行動は早かった。臨時取締役会を一ヵ月後に召集するよう社内に通達し、社長の更迭を会議に進言するつもりであった。純一は身に覚えの無い不正入札で社長の座を奪われそうになる。

「すぐに事の真相を暴け!」

純一は秘書に告げるが、社内全体に社長への不信感が広がり、思うように調査が進まない。

「社長、このままでは更迭される恐れがあります」

秘書の本宮は純一に告げた。

「そんなばかなことがあるか!誰かが仕組んだに違いない」

「私も同感ですが・・・社内では思うように調査が進みません」

「何を!・・・・あっ」

純一は怒りのあまり立ち上がったが、頭を押さえ込み、そのまま倒れこんでしまった。

「社長!社長!」

本宮は慌てて救急車を呼んだ。


順調に仕事を進める本木のもとに一本の電話が入る。

「はい、本木です」

「専務!私です。本宮です!」

「ああ、本宮さん、どうしたんです?それに僕はもう専務ではないですよ」

本木が苦笑しながら言った。

「いや、専務、それどころではありません。社長が倒れました!」

「えっ?親父が?」

「すぐにお戻りください」

「わかりました。出来るだけ早く戻ります」

本木は電話を切るとすぐにマネージャーのもとへ行き事情を説明する。マネージャーは

「わかりました。後のことは私に任せて、すぐに帰国してください」

と、言って、本木を快く送ってくれた。本木は急いで帰国する。


帰国した本木は病院へと急行した。純一の意識は戻ったが、まだ完全な回復はしていない状況であった。母親の悦子が心配そうな顔をして看病していた。

「母さん・・・父さん大丈夫なの?」

「ああ、一哉・・・体は問題ないそうよ、でも、何か精神的なショックで一時的な血圧上昇による昏睡だってお医者様は言ってたわ・・・一体会社で何があったのかしら・・・」

母親はそう言って父の看病を続けた。本木が一旦外に出ると秘書の本宮が立っていた。

「本宮さん・・・一体何があったんですか?」

「専務・・・」

「話してください、父に何があったんですか?」

「・・・社長はK社のイベント入札において不正入札に関わったとして退任に追い込まれそうなんです」

「えっ?」

本木は驚き聞き返した。

「不正入札って、まさか・・・K社は菅沼さんの担当じゃ・・・」

「そうなんです。社長は何も関わっていないはずなんですが・・・社長が賄賂を提供する署名した書類をなぜか菅沼さんが持っていて・・・このままだと本当に退任に追い込まれます」

「そんな・・・馬鹿な・・・」

「専務、会社に戻って社長の濡れ衣をはらしてください」

「でも・・・僕は会社を辞めてますから・・・」

「いいえ、社長は専務の退職を受理していません。それに臨時株主総会も開かれていませんし、だから専務は長期休暇扱いになっています」

本木は驚いて秘書の本宮を見る。本宮も本木の目を見据え

「どうかお願いします。この状況を打破出来るのは専務しかいないと・・・」

と、頭を下げてお願いする。本木は何も言えずに本宮の肩を叩き病室へと戻った。純一のベットの脇に座ると純一が目を覚ました。

「父さん・・・」

本木が純一を呼ぶと、純一は本木を見返し答える。

「何しに来た?」

「何しにって・・・心配だから来たんじゃないか」

「大丈夫だ、心配するな!」

「父さん、会社の話は聞いたよ、でも・・・」

本木が話し始めようとすると純一は遮って言った。

「母さん、少し席をはずしてくれ」

純一に言われると悦子は部屋を出て行った。

「お前、会社に戻る気なのか?」

「・・・わからない・・・」

本木は純一から目をそらし言った。

「そうだよな、あの女のせいでお前の人生はメチャクチャだ。あの女のせいで会社も辞めたんだからな」

「違うよ!彼女のせいじゃない、なぜそんなこと言うんだ?」

純一は天井を見つめ言う。

「いいか、とにかく会社に戻りたければあの女と縁を切ってからにしろ!」

本木は立ち上がり、父を見下ろし

「安心して!会社に戻る気なんかないから!、それじゃまた」

と、言って、部屋を出て行った。部屋を出ると悦子が戻ってきた。悦子に本木は一礼して、そのまま通り過ぎていく。通り過ぎた本木を悦子は心配そうに見つめる。


本木は次の日、韓国に戻ってきた。事務所に戻るとマネージャーが心配そうに聞いた。

「お父さん大丈夫なんですか?」

「ええ、体は大丈夫です。ちょっと会社でいろいろあったみたいで・・・」

「会社で何があったんですか?」

本木はマネージャーに話すべきか迷っていた。

「本木さん、私はあなたの雇用主でもあります。あなたの家族のことを知っていて、あなたにとっても悪いことはないと思いますよ」

と、マネージャーに言われると、本木も話し始める。

「そうですね・・・実は会社でイベントへの不正入札の疑いが出ています。その首謀者に父がされているらしくて・・・勿論、本人も否定しています。ですが、会社の中では既に退任に追い込まれそうな様子です。今まで他人を寄せ付けずに頑張ってきたから・・・逆に敵も多い人なんで・・・」

マネージャーは黙って聞いていたが、心配して本木に尋ねる。

「本木さん、大丈夫ですよ。ただ・・・会社に戻ったほうが良いんじゃないですか?」

「いいえ、戻る気はありません」

本木はマネージャーを見て、きっぱりと言った。

「どうして・・・今、お父さんが頼りにしているのは本木さんでしょ」

「・・・もし、そうだとしても戻れません・・・とにかく大丈夫ですからご心配をお掛けしました」

そう言って、本木は部屋を出て行った。マネージャーは本木の『戻れません』という言葉が引っかかった。

「何か特別な事情でもあるのか・・・?」


本木は韓国に戻ってきてからずっと悩んでいた。いくら条件を出されたとはいえ会社のことは心配であった。悩みながら廊下を歩いていると、本木のもとに母親の悦子がやってきた。

「母さん・・・」

「ごめんね、仕事場に来てしまって」

「いや、いいんだ。それよりどうしたの?」

「うん・・・」

悦子はためらっている様であった。その様子を見て心配になった本木は

「父さんに何かあったの?」

と、聞いた。悦子は本木を見ると思い切って話し出す。

「お願い、戻ってきてくれない。父さん会社でまずいことになっているみたいなの・・・だから助けてあげて・・・」

本木は父の件は心配だが、ユリと別れることが会社へ戻る条件であることを言い出せずただ

「ごめん・・・それは出来ない・・・」

「どうして・・・?」

「・・・どうしても・・・」

本木はそれ以上言えなかった。悦子は本木が何か隠していることに気が付き、わざと怒った口調で言う。

「あなたそれでも息子なの!そんな冷たい子供に育てた覚えはないわ!家族が困っているのに理由もなく助けられないと言うの?」

本木は黙っていた。

「何も言えないの?あなた会社に戻るのが怖いの?」

「そんなことない・・・」

「じゃあ、なぜ?」

本木はうつむき、悦子に本当のことを言うか迷ったが、ついに話し出す。

「・・・会社に戻るには条件があるんだ・・・」

「条件?」

「父さんに言われたんだ・・・会社に戻るんだったらユリさんと別れろって・・・」

悦子は黙って聞いていた。

「父さん、勘違いしているんだ・・・僕が会社を辞めた理由がユリさんにあると・・・でも本当は違うんだ。自分の意思でそうしただけなのに、だからその条件は呑めないんだ!」

悦子は条件の内容を聞いて驚いたが、苦しむ本木の手を握り

「やっぱり何かあったのね・・・話してくれてありがとう。あなたが何も理由がなくて父さんを助けないわけないと思ったわ」

と、優しく本木に語りかけた。

「母さん・・・僕、どうしてもユリさんを失いたくない・・・」

「わかっている。そんな条件を出した父さんが悪いの、だから会社のことは気にしないで・・・ごめんなさいね、あなたまで苦しめて・・・ユリさんを大事にしなさい」

悦子はそう言って本木に微笑む。

「ごめん・・・親不孝ばかりして・・・」

本木は悦子に頭を下げた。悦子は黙って本木の頭をなで、帰っていった。

母親の帰る姿をユリとマネージャーは目撃する。ユリは話の一部始終を聞いてしまった。苦しそうなユリを見てマネージャーはユリに語りかける。

「ユリ・・・あまり気にするな」

「大丈夫」

ユリは無理に微笑んで答えた。

「いいか、この件であまり深く関わらないほうがいいと思うぞ」

マネージャーが心配して言うと、ユリは黙って考え込むが突然、走って母親の後を追った。

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