第19話「しよっか」

 鼓動がうるさい。

 内側から木槌で殴られているみたいだ。


 動悸もすごいし、くそ、奥歯の精神安定剤をキメるしかないか。


「もう……っ、なんで泣いてるの? いいから入って。あと普通に喋ってね」

「…………邪魔するよ」


 お化け屋敷を歩くように、抜き足差し足で歩みを進める。

 

 なんというか、女の子の部屋だ。

 それもかなり幼い少女。

 ピンクを基調にした内装に、壁際やベッドに並べられたぬいぐるみの数々、可愛らしい小さなティーセット、小ぶりなシャンデリア。

 どこか、おとぎ話のプリンセスの部屋を思い起こさせる雰囲気で、主人がまさか魔王などと誰も思いやしないだろう。


 なんということだ。

 ゲームのキャラクターには開発側が表に出さない裏設定があったりするものだが、まさにそれだ。

 全く知らない一面が広がっている。


 恐ろしいまでのギャップだ。

 動じるなというのは甚だ無理な相談。


「あ、意外って──思ってるでしょ」

「ぅわあ!?」


 背中をスッと撫でられ、たたらを踏んでしまう。

 アリアは楽しそうに笑いながらプリンセスベッドにふわりと腰掛けて、隣をぽんぽんと叩く。

 

「来て」

「……」


 純白のベッドに、やはりぬいぐるみを大事そうに抱えたままの絶世の美女。

 月明かりが絶妙な角度で淡く彼女の漆黒の髪を照らし出している。


「嫌?」

「いや……」

「え、嫌なの?」

「い、いやなわけあるかぁっ!」


「ははっ、じゃあ座って」


 借りた猫のように座る。

 上擦りまくる声。

 恥も外聞もない。

 背中を丸め肩を竦め視線を下げ忙しく手を組み換えまくる。

 

 動揺している。


「もしかして緊張してるの?」


 緊張もしている。


「してない」

「嘘、してる」

「してないったらしてない」

「絶対してる。じゃあこの手はなにかな? いつもこんな感じじゃないでしょ」


 するりと柔らかくて細い指が俺の指に絡まる。


「──っしィッッッ。なんでもない」


 奥歯の抑制剤を全て噛み潰して気張る。

 アリアに触れられた手は鋼鉄のように固まって動きを止める。


「んー、手汗すごいけど……」


 逆効果かよ。

 

「……疲れてるんだよ」

「休暇中なのに?」

「休むのが疲れるんだ」

「本末転倒じゃん」

「……」

「ま、いいけど。私にちゃんと緊張してくれてるんだって思えるのは嬉しい。もし結婚する時無反応だったらショックだから」

「……」


 ──結婚。


 改めて言葉にされると凄まじく重い二文字だな。

 俺にとってはあまりにぶっ飛びすぎてて逆に現実感がない。


「なあアリア……?」

「んん?」

「この部屋がその……アリアの趣味、なのか?」

「なんか固いね、んー……そうだけど。変かな?」

「ぜんぜん」


 むしろギャップが良き。


「へへ……っ、それならよかったわ。こんなの、みんなには見せられないけどね」


 アリアは膝を抱えて座り、ぬいぐるみに顔を埋める。


「見せたの、初めてなんだ……」

「俺が?」

「うん」

「そう、か……」


 鎮静剤がなくなった。

 次は睡眠剤だ。

 感覚を鈍らせよう。


「見せられないと思ったのは何故なんだ?」

「魔王だから、かな。私はみんなの理想でないとダメなの」

「……」

「弱そうなところなんて絶対に見せられない」


 俺は水とグラス二つを次元収納から取り出して注ぐ。


「ねぇ、知ってる? 私って魔族の寿命で考えれば、まだ若造なのよ。何歳かなんて言わないけれど、父上が早くに死んでしまったから若くして魔王になってしまったの」


 魔族の寿命はざっくり千年。

 確か年齢が二桁のうちは子どもっていうか、若輩者として扱われる。


「そんな中、一生懸命私なりに魔王軍を引っ張ってきて、戦いもあと少しで終わる。それでちょっと緊張というか怖くなっちゃって……ぬいぐるみ増えちゃった。今持ってる子なんて昨日買ったやつだし」


 ベッドに置いてあるのはどちらかといえば新しいように見える。

 それ以外はやや汚れていたり傷付いていたりしており、年季が入っている気がする。


 愛おしそうにぬいぐるみを抱えるアリアの身体は不釣り合いなほどに成熟しており、いくら可愛らしい顔をしているとはいえ似合っているとは言い難い。

 それもギャップだろ、と思えるのは俺がアリアを推している信者だからだ。


「ねえシド。こうやって自室を”好き”でいっぱいに満たして、逃げ道を作っちゃってる私をどう思う? もしもあなたが否定してくれたら、こんなところ取り壊して完全無欠な魔王になれると思うの」


「……否定、してほしいのか?」

「多分ね。だから隠すのやめたの。やろうと思えば収納できるのに」


 入室前、バタバタしてたのは葛藤があったからか。


「強制ならば欲しい言葉をそのまま言うが、そうでないなら俺はありのままに本音で言う」

「本音が、いいかな。シドはいつも肝心なことを隠しちゃってる気がするから」


 ……そうだな。

 今だって隠し事だらけだ。


 それに本音か。

 なんと言えばいいものか。

 

 いや、今回に関しての回答は難しくないか。

 悩むことはない。

 

「やめなくていい──ていうか何なら曝け出して行ってもいいと思うぞ」

「へ?」

「もしかしたらこの部屋がなかったらアリアはとっくの昔に潰れていたかもしれない。”好き”って言うのは魔力よりも強力な力だ。時として世界を渡る力にだってなり得る」

「世界を、渡る?」

「ああ、俺が言うんだから間違いない」

「ふふっ、どういうことなのよ?」


 説得力は万人力だ。

 今この場に体現者がいるのだからな。

 アリアを救うこと、その笑顔を守ること。

 それこそが俺の原動力。


 アリアがこの部屋に来ることで癒されたり満たされたりするのなら素晴らしいことだ。

 最高位の回復魔法ですら絶対にできないこと。

 

 彼女は強く強くぬいぐるみを掻き抱いて。


「曝け出すって言うのは出来ないかもだけど……ありがと。はっきり言ってくれるシドはやっぱり格好いいな。ちなみにそう言うシドにも”好き”があるの?」

「む──ぅむ?!?」


 ちょっ、おま、そんなの決まってるじゃないか。


「あ……ぁ、アリアだが?」

「ふぇ!?」


 やや反射的に言葉になる。

 睡眠薬や鎮静剤の過剰摂取のせいで判断力が鈍ったせいでもある。

 は自分からこんなこと言うキャラじゃないのだが……くそ、アリアに対して偉そうなことを語った手前嘘はつけん。


 アリアはますますぬいぐるみを強く抱きしめながら、赤くなった顔を半分だけ出す。


「やめてよ……そんなにはっきり言われると、照れちゃう」

「……安心しろ。もう言わん」

「え、だめだよそんなの。何回も言って」


 何回も、だと?


「だめだ」


 俺の身体がそう、あれだ、爆発する。

 世界を越えるほどの気持ちだと言ったが、そんなの溢れさせたらトぶぜ?

 

「……まぁ、うん、それでもいいかな。十分満足したし」


 アリアの声のトーンが少しだけ低くなり、部屋の明かりがふっと消える。

 なんのつもりだ?


「ねぇシド。今日もし会えなかったら嫌われちゃったのかなって思ってた気がするの。最近は義務みたいな感じであなたと会ってたから」


 一日一時間(以上)ルールの話か。

 確かに義務感はあるな。

 

「それに正直、悶々としてた。側近と魔王の関係で当たり前のように顔合わせしている時の方が、余計なこと考えなくてよかったし楽だったの」


 アリアはぬいぐるみをその場に置き、指を慣らしてベッドを反転させる。

 俺の身体が浮き上がり、背後に枕がくる。


「何のつもりでしょうか?」

「あ。逃げようと思った時、そうやってすぐ他人行儀になる。私、知ってるんだよ」


 一瞬の滞空を経て、アリアは俺の服に指を引っ掛けて勢いよく押し倒す。

 衝撃でぬいぐるみが全てベッドの上から落ちてしまう。

 月明かりに照らされた俺とアリア以外は夜の闇に溶けて、二人だけの世界が完成する。


 抱きかかえていたぬいぐるみがなくなって、ついに露わになったアリアの美しき身体のライン。

 ネグリジェ姿の彼女はこの世のものとは思えないほどに神秘的で、俺は目を背けるために瞼を下ろした──片目だけ。

 半分は閉じることに成功したが、もう半分は失敗したのだくそったれ。


「えへへ……だめだよ、魔王からは逃げられない」


 ぎぎぎ──と閉じていた瞼が魔法的に開かれてしまう。

 ギンギンに開かれた瞳いっぱいにアリアの姿が焼き付けられる。

 

 焼き切れるほどに意識が引き伸ばされる。

 まったく、これっぽっちもアリアから逃れられる気がしない。

 手足が動かない。

 これは彼女の魅力によって? いや、それだけじゃない。魔法だ。


「本当は迷ってたんだけど……でも、仕方ないよ。こんなの、シドが悪いんだから」


 これから何が起きるのかは分かる、分かってしまう。

 

 焚き付けたのは誰?

 俺だ。


 悪いのは誰?

 俺だ、俺が勝手な行動をしたから物語が捻じ曲がった。


 じゃあ責任の取り方は──


 ──それは、耳元に近づけられたアリアの唇が教えてくれる。


「しよっか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る