第4話 山姫と呪物 山姫との決着


禁忌の山域 飛鳥井久仁彦



『まぐわいじゃ! まぐわいじゃ!』


 ”ゲッゲッゲ”と笑い声をあげながら山姫が四つん這いで近づいてくる。

 それはどことなくクモの動きに似ていた。


「ムリムリムリっ!」


 虫が苦手な都会っ子なのだよ。

 気持ち悪い動きするなって。

 あわてふためくオレを見て、師匠が腹を抱えて爆笑している。

 その姿を見て、ちょっとは気を持ち直せた。


 とはいってもオレに祓魔師としての働きを期待しないでいただきたい。

 もちろん修行はしているけど、師匠のようなことはできないんだよ。

 

「あっああああああああ!」


 奇声をあげる。

 狂ったわけじゃない。

 でっかい声を出すことで自分を鼓舞できるんだよ。


 足下にあった手頃な石を拾って山姫に投げつける。

 

 あたった。

 で?

 そんな顔で山姫はにちゃあと糸をひくように表情を崩す。


 そして、オレは逃げた。

 だって戦うなんて無理だし。

 そんなことを思っていると、身体が宙にういた。


 と同時に全身に痛みが走る。

 転けたのか。

 いや足を掴まれている……と思った瞬間だった。


『ふしゅるるるる』


 生暖かい吐息が耳のすぐそばで聞こえる。

 いやだ。

 振り向きたくない。

 なんでこんな……。


『くぁwせdrftgyふじこlp』


「ぐあ!!」


 強烈な思念? 波動のようなものに頭が割れそうになった。


『なっ! なんじゃこれは!』


 山姫が慌てている。

 なにが起こったんだと目をやると、夜の闇より冥い真っ黒な沼が広がっていた。

 その沼から無数の触手が這いでるようにして山姫の身体を浸食しつつ蠢いている。


 イカとかタコの触手に似た吸盤つきの触手に、凶悪な牙が生えたミミズのような触手。

 ナメクジのような形のものやヌタウナギみたないもの。

 それらが混在するものもある。

 見るからにおぞましいものばかりだ。


「おうふ」


 胃の底からこみあげてくるものを飲みこむ。

 これはアレだ。

 オレに憑いている神様の仕業である。


【無窮なる深淵に棲まう大神】


 師匠が言っていた。


「あれはね、不可触の神なんだよ」


「触らぬ神に祟りなしって言うだろ?」


「それを地でいく神なのさ」


「神ってのは総じて人智を超えた存在だけどね、その中でも不可触の神は異常なんだ」


「理だとかね、そういうものを平然と踏み越えていくのさ」


「そんな神に愛されているんだから、久仁彦くんってば幸せものだね」


 走馬灯のように師匠の言葉が頭の中をめぐる。

 

『やめぬか、放せ、放せ下郎!』


 山姫が暴れようとしても黒い異形の触手が浸食していく。

 四つん這いになっている腕と足の半分以上が沼の中に沈みこんでいる。

 触手の数がさらに増していく。

 ついには山姫の口の中にも入りこんでいった。


「いやはや。何度見てもスゴいね」


 そんなことを言いながら、師匠がオレの腕をとって起こしてくれた。


「スゴいっていうかムゴいです」


「仕方ないさ、山姫様は不可触の神の怒りに触れたんだもの」


「あの黒い沼に引きずりこまれたらどうなるんです?」


「さあ? 世の中にはね、知らないほうがいいこともあるんだよ、久仁彦くん」


 ”そんなことよりも”と師匠はオレを上から下まで見る。


「大した怪我がなくて何よりだね」


「師匠はこうなること解ってたんですか?」


 師匠は山姫を見たまま口を開く。


「ここは禁忌の山域だよ、山姫様が男に飢えていると想像するのは難しくないかな」


 そんな師匠の言葉に大きく息を吐いた。


「ああ、もう食われちゃったね」


 黒い沼から這いでる触手が完全に山姫を覆いつくしていた。

 そのまま沼の中に引きずりこんでいく。

 完全に引きずりこんでしまうと、沼そのものが小さくなっていって消えてしまった。


 かがり火の薪が爆ぜる音がした。

 虫の鳴き声が聞こえる。


「さて、後始末して帰ろうか」


「あの師匠、これでよかったんですか?」


 オレの中にはなんだか煮え切らないものがあった。

 山姫ってそんなに悪くないんじゃって思いがわいてきたからだ。

 恩を受けた者には恩で返し、無礼を働いた者には呪いを返した。

 その行いは鏡のようなものだと思う。


「久仁彦くん、キミの優しさは美徳だね。でも襲われたことを忘れちゃいけないよ」


 オレの表情を読んだのだろう。

 師匠の言葉に首肯する。

 確かにオレは山姫に襲われた。

 無窮なる深淵に棲まう大神が助けてくれなければ精力を搾り取られていたはずだ。

 まぁ師匠がいたから、どのみち助かっただろうけど。


 それでもオレじゃなかったらどうだ?

 師匠がいなければ?

 

 そこまで考えて腑に落ちた。

 だから、ここは禁忌の山域なのだ、と。


「色々と考えることは悪いことじゃない。でもね久仁彦くん、人に仇なすあやかしとは共存できないものだよ」


「そうですね」


 と師匠に向けて笑顔をみせた。

 ちょっとぎこちなかったかもしれないけれど、それが精いっぱいだ。

 そこで疑問ができた。

 この際だから聞いてしまおう。


「師匠、禁忌の元凶だった山姫がいなくなったんです。ここはどうなるんです?」


「随分と長い間、ここは禁忌だったからね。荒らされていないんだよ」


「つまり?」


「いずれ山姫の後釜に座るあやかしが出てくるよ」


「でも師匠なら防げるんじゃ? 結界とか張って」


「それは依頼されていないんだよ、久仁彦くん」


「なんでですか?」


「ここを開発したいんじゃないかな? 結界はあやかしだけを拒否するような便利なものじゃないのさ」


「誰も入れなくなるのか。そしたら開発もできない」


「そういうことだよ、久仁彦くん。まあ無事に開発できるとは思えないけどね」


「へ?」


 つい間抜けな声がでてしまった。


「だって山姫様って半神になるくらい強力な力を持っていたんだよ。それが急に消えてしまった」


 あ、そうか。

 だったらここを縄張りにしたい危ないヤツがくる可能性が高いのか。


「ま、私が依頼人であったら結界を張っておくけどね。そんなことは頼まれていないわけだし、さっさと帰ろうか」


「ってことはまた依頼がくる?」


「かもしれないね。でも面倒そうな相手なら受けないさ。今回はキミにとって都合のいい相手だったからね」


 世知辛いね。

 ほんとに。


 オレは心の中で山姫に手を合わせた。

 そして師匠と片付けをしてから、禁忌の山域を下りていったのである。

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