廃虚の街

 その日は予備の布団を借りてもう一度睡眠をとり、翌朝。レイトが目を覚ますと、早起きを強制されたハルキがソファーの上で滅茶苦茶にふてくされていた。


 レイトは幸いにも朝型だが、昨日の疲労はまだ抜けきっていない。おまけに筋肉痛が全身を襲っていて、激しい運動は全くできそうになかった。ニタには一泊だけ宿を借りるつもりだったが、この状態ではあと二泊くらいしないといけないかもしれない。


 そんなどんよりとした空気の中、ニタだけがやけに上機嫌だった。ハルキの隣で簡易な地図をローテーブルの上に広げ、楽しそうに周辺の説明をしている。肝心のハルキはどう見ても聞いていなさそうだが、ニタにとってそんな些細なことはどうでもいいらしかった。


「それで、こっちが貯水タンクで……隣のここが、電解室! みんなの飲み水や洗浄水はここで作ってるんだよ」

「おはよう、二人とも」

「あ、レイちゃん! おはよ!」

「……はよ」


 ニタは大きく手を振り、ハルキは死にそうな目をレイトに向ける。ハルキに加え、いつのまにかレイトもちゃんづけで呼ばれるようになっていた。もしかしたらハルキの不調の原因にはこのニタの距離感もあるのかもしれない、とレイトは思う。


 慣れないはずだ。今までハルキが警戒心を表に出せば、むしろ余分に距離を取る人がほとんどだったのだから。


「こっちの椅子借りるね、いたたたた……よいしょっと」部屋の端に寄せていた椅子を運んで来て、レイトはソファーの向かいに座る。「それで今聞こえて来たんだけど、ここって電解水作ってるんだね。塩水は海があるから分かるけど、電気ってどうなってるの?」

「北の丘の上に、大きな風車がたくさんあるの。そこで電気を作ってるんだって」

「へぇ、風車! てことは、風によるプロペラの回転運動を電気に変えてるのか……面白いなあ」

「見たことないの? じゃあ案内してあげる、今日は天気もとってもいいし!」


 ね、ハルちゃんも行こう! とニタはハルキの腕を揺する。ハルキは呻いて、その手をやんわりと振りほどいた。


「無理。俺はパス」

「だめ、行くの! ハルちゃんだって地下から来たんでしょ?」

「理由になってねぇ」

「いいの! いーくーの‼」


 今度は両手でハルキの肩を掴み、大きく揺さぶろうとする。が、筋力差がありすぎるせいか、大きく前後に振れているのはニタの方だった。


「ハルキ、せっかくだから行こうよ。慣れない土地だし、僕もハルキがいないと心細いや」

「ええぇえぇ……んだよレイトまで……あぁもう、分かったからおまえはいい加減手を離せ」

「ほんと? やったぁ!」


 途端、両手でガッツポーズをするニタ。頭が重いのか、ハルキは側頭部を抑えてため息をつく。


「……タバコ吸ってくるわ。レイト、どうせ行くんならこの後のルート確認もしておこうぜ」

「そうだね、了解。遠回りになるかもだけど、ニタちゃんはどうする?」

「もちろん、一緒に行く! 知らない人が来るのなんて初めてだから、私、色々知りたいんだ。二人のことも、地下のことも」

「ん、分かった」


 レイトは空いたニタの隣に席を移す。ハルキがタバコを吸い終えるまでに、地図を眺めて情報を少しでも多く頭に入れておこうと思った。


 地図の隅々まで、見るポイントを変えながら三回。ハルキがなかなか帰ってこない。


 ……地図に載っていない所までニタに質問しながら、さらに二回。ハルキが全然帰ってこない。


 ついにしびれを切らしたレイトは、目に見えてそわそわし始めたニタを伴って地上に出た。


 温かな陽光の中、くわえタバコでうつらうつらしていたハルキを発見し、叩き起こして強引に引っ張っていく。


 家を出て目の前の道を少し行くと、広い道につきあたる。そこを左に折れて、更にまっすぐ行って……廃墟と畑の間を抜けたら脇道に入って草むらをかき分け……

 やや急勾配な坂を上り切ったら、そこがもう目的地だ。


「うっわー、壮観……」

「いやほんとすっげぇなコレ。高さ制限がないと、こんなにデカいもんも作り放題なんだな」

「でしょー? 『なるべく高い場所にした方が、遮るものがなくてより多くの風力を得られるんだ』って、昔お父さんに教えてもらったの」


 この廃虚街全ての電力を担う風力発電所。小高い丘に広がるテニスコート十枚くらいのスペースには、高さ五十メートル以上にもなるだろう白い無機質な風車が数十本も並んでいた。汚れが激しいものやプロペラが回っていないものが点在しているあたり、かなり昔に作られた施設なのだろうか。

 ひびの入った支柱が、どこかで見たような鉄材で補強してある。海風ではなく人の手で運ばれた、あの廃自動車の部品だった。


 レイトは乱立する風車群の一番端から周りを見渡す。太陽が存分に照っていて、昨日は暗闇に包まれていた廃墟街の全貌がよく見えた。


 発電所とハイウェイに挟まれた廃虚街は大きなメインストリートと幾本かの路地で構成されていて、ニタの家は街の中心部からやや離れた場所にある。所々に小さな畑が点在しているが、家が全て地下にあることも含め、とても人が住んでいるようには見えなかった。


 東側には一面に海が広がっており、貯水タンクと電解室はこちら側にある。西側は広い範囲で木々が覆い茂っていて、遠くの方に山らしきものも連なって見えた。メインストリートの終端がこの森に消えていっていることから、かつてはこの森の先にも町が続いていたのだろうと推測できる。


「本物の山って初めて見たけど、思った以上に低いんだね。三百メートルもあるようには見えないなぁ」

「あの辺りの山のこと? 私も正確には知らないけど、どれも二千メートルはあるみたいだよ」

「そ、そんなに⁉」


 目の上に手をかざし、眩しそうにするニタ。驚きのあまり絶句するレイトの後ろで、片目をつぶったハルキが横向きのランドルト環のような形にした指を前後に動かしている。


「遠近法ってヤツだろ? ほらあの、遠くのものは小さく見えるっていう」

「それは僕も知ってるけど、二千メートルのものがあんなに小さく見えるって、どれだけ……しかもあれ、まだ自然エリアのうちってことだよね」

「だな。さすがに二千は超える気にならねぇし、山は迂回するのが正解ってわけだ」


 自分の考えが甘かったことをレイトは痛感する。全ての基準を地下都市で考えていたのが間違いだった。


 この旅について、無謀、という言葉は前にも口にした。だけど、それはあくまで『兵器を二人の手で止めること』について。それまでの過程にこんな単純な大問題があるなんて考えもしなかった。


「ねぇレイちゃん。地下には山、なかったの?」


 ニタが小首をかしげてレイトの顔を見上げる。


「え、うん。山どころか、海も、空も……全部、地下にはなかったものばかりだ」

「じゃあ何があったの?」

「え」


 言葉に詰まる。


 果たして、何があったんだったか。


 偽物の空と、灰色の建物と、長方形の池と、まっ平らな土の地面と。


 ……違うな。これらは全て『造られたもの』だ。『在ったもの』じゃない。


「……人が五十人も乗れる、自動運転のとても大きな車があったよ。あとは、街中に同時に声を届けられるスピーカーケーブルだとか。遠く離れた複数の地下都市を繋いで貿易するための、長い長い貨物列車だとか」

「えー、すっごい! いいなぁ、私も見てみたいなぁ!」


 的外れな回答なのは分かっていた。それでも初めて聞くだろう単語の数々に、ニタは背伸びをして目を輝かせる。


 彼女をあの人工都市に連れて行ったら、何を感じるのだろうか。外に出て初めて気付いたあの陰鬱な空気に、何を思うのだろうか。


「私、ずっとこの小さい街で暮らしてきたからね。大きい街とか、見たこともない立派な……何か、とか。憧れてるんだ。いつか、私の知らない世界を見に行くのが私の夢なの!」

「何か、って!」あまりにも漠然としすぎた表現に、レイトは思わず吹き出す。「でも、地下都市はそんなに広くないよ? 直径がせいぜい三キロ……ここまで来たあのハイウェイの長さの、三分の一にも満たないし」

「でもここよりは広いでしょ? だったらそれでいいの!」

「そうかなあ……ぐぅっ⁉」


 首をひねるレイトの両肩に、突然ズシリと強烈な荷重がかかる。持てる体重の全てを載せて寄りかかったハルキだった。


「なぁレイト君や。俺、そろそろ腹の虫が鳴きやまねぇんだけど」

「あれ、ハルちゃんお腹すいたの?」

「あ? ……ああ、まぁ」

「じゃあ、お昼ごはん探しだね! あの森の所まで、みんなで一緒に行こう!」


 ニタが拳を天に突き上げてそう笑いかける。レイトがちらりと頭上に送った視線の先で、ハルキは相変わらず、困惑とも嫌悪とも取れない表情で口をへの字に曲げていた。

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