第12話 撤退

「嘘だ……」


 モエが思わず言葉を漏らす。信じたくはない。先程まで自分たちと行動していた者が一瞬にしてこの世からいなくなってしまった。包帯を巻き直す巻き直さないの押し問答をしている場合ではなかった。


 もし、あそこを一緒に曲がっていれば……


 守れたのかもしれない。大事には至らなかったのかもしれない。そんな後悔に苛まれながら三人は歩き始める。


 曲がり角を曲がると、そこには予想通りの光景が広がってしまっていた。彼らの姿はなく、なにかが暗闇の先で蠢く様子と、床いっぱいに広がる赤い液体。その全てが絶望感と喪失感を演出していた。


「そ、そんな……」


 私は咄嗟に声を漏らしたウズの目を塞ぐ。そして、そこに何がいるのかを確認する。暗闇の中になにか光る物が二つ――あれは間違いなく目だろう。


 つまり、相手はバラのような植物系ではなく、動物系。


「再立さん、あいつから目を切らず、距離をとってください」


「うん」


 私はウズの手を引きながらゆっくりと後退する。すると、それを見た改物ヤツがゆっくりと近づき始める。


「仕方ありません。使うしかないみたいですね……『火球』」


 モエは明かり代わりの炎魔法を使って周囲を照らす。そこには、黒色の体に大きな羽を持つ悪魔が居た。鮮血溜まりの上に細い足を置き、羽をバタバタと動かしている。


「コウモリ……?」


 大きな耳を持つそいつを知っている動物で表現するとしたら――コウモリだろうか。しかし、あまりにも大きい。人間より少し大きいくらい。さらに、羽の先になにか刃物のようなものが付いている。


 なるほど、これが攻撃手段か。


「どうしましょうか……ここは一度攻撃をして出口に向かうしかないですかね」


 モエは手に出した火球をそのまま振りかぶり、相手にぶつける。そして、曲がり角を全力で曲がり、出口に向かって急ぐ。しかし、改物ヤツはそう簡単に許してはくれなかった。


 ピーーッ


 という不快音が耳の中に飛び込んでくる。なんだこの音は!?いわゆるモスキート音のようなそれは、私たちの動きを極限まで鈍くさせ、強制的に地面へと伏せさせた。


 コウモリが迫ってくる。一刻も早く逃げたい……!でも、逃げられない……!発せられる音が私たちの体を蝕む。立ちたいのになかなか立てず、魔法を撃ちたいのに声が上手く出ない。


「まずっ……い」


 コウモリがバサバサと狭い道の中で飛んでいる。そして、こちらへと距離をどんどん詰めていく……!


 モエは急いでカバンの中から竹皮を取り出す。そんなもので防げるわけが無い。相手はものすごく大きな刃物を標準装備している。おにぎりを包むためだけに持ってきた物が通用するはずがない。


 改物は、金属が煌めく羽を振り上げ、こちらへと攻撃を仕掛けようとする。モエは、持っていた竹皮を改物の前に投げた。すると、コウモリはなぜか竹皮に羽を振り下ろした。


 そうか、コウモリは暗い所に生息する関係で目が退化している。コウモリが場所を判定する方法は超音波。この改物は恐らく超音波ではなく人がギリギリ聞こえる音波を用いて距離を測っているのだろう。


 モエが竹皮で素晴らしいファインプレーをしたにもかかわらず、改物はすぐに次の攻撃を仕掛ける。もう一度不快音と刃物攻撃。今度こそ対応する術がない……もう終わりか……?


「リピー……ト」


 かろうじてリピートを発動した私の手からは、なにか強そうな刃物が飛び出した。それは改物の攻撃と瓜二つ。すなわち、コウモリの力をリピートしたのだ。


 その攻撃がコウモリに当たると、ヤツは少し怯んだように動きを止めた。連鎖的に音波攻撃も一時的に止み、私たちはようやく動けるようになった。


 その隙をついて距離を取り、モエが魔法を発動させる。


「――今しかない!『炎上』!」


 コウモリの体が燃え始める。しかし、なぜか火は直ぐに消えてしまう。上手く燃焼が続かない。どうしてだろうか……?


 ものが燃えるには何が必要か――そう、酸素だ。ここは採石場の坑道。それすなわち、出口が片方にしかない洞窟ということ。


「な、なんか息が……苦しい……」


 酸素は人間の呼吸にも必要。すなわち、この場所での炎魔法は自分たちの命すら削る魔法なのである。


「ウズが何とかしないと……!『放水』!」


 ウズはコウモリの頭部に向かって水を放つ。すると、コウモリはなぜかフラフラと不安定な動きを始める。水が飛んだ場所が絶妙で、耳の中に水が入ったからだ。コウモリにとって、音は場所を把握するための大事な要素。それが封じられてしまうということは、人間にとっての目が塞がれてしまうのと同義なのだ。


「今のうちに逃げないと……」


 これ以上の反撃などできるはずがなかった。相手は刃物と音波の二つの攻撃手段がある。しかし、我々はどうだろう。炎魔法はここでは使えないし、水魔法は攻撃封じにしか使えない。さらに、距離を詰められた時に守る手段もない。


 つまり、この戦いはこちらが圧倒的に不利なのだ。まともに勝負を挑んだら、減り続ける酸素と体力でやられてしまうのは明白だ。


 私たちは息を大きく切らしながらも、出口を目指して走り出す。しかし、酸素が少ない中で二百メートルを全力で走ることなど……到底不可能だ。


 さらに、先程まで動きを封じられていたコウモリの耳から水が抜け、元通りの安定した動きに変わる。そして、必死に逃げる私たちを凌駕するほどの圧倒的なスピードで追いかけてくる。その距離は三十メートル、二十メートル……どんどん近づいてくる。


 もう一度『放水』をするのもありかと思ったが、対処法を学んだコウモリに放っても上手くいかないかもしれない。ならば、別の手段で封じ込めるしかない。


「『発破』っ……を……リピーッ……ト!ぜぇ……」


 コウモリより少し手前の場所が小さく爆発した。すると、そこにある空気を押し出すように強い風が一時的にビューっと吹き出し、私たちの逃走をサポートする。さらに、ガラガラとなにかが崩れる音が後ろからしてくる。何が起こったのかと後ろへ振り向く。そこには、不均一なボール大の石が大量にコロコロと転がり、道を封じていた。


「な、何とか上手くいった?」


 私たちはスピードをゆるめ、洞窟の出口からサッと飛び出した。


 体温が酸欠で急激に上がる。それと同時に目頭も段々と熱くなる。


「――なんででしょうか」


 モエが涙目になりながら自問した。今更そんなことを考えても遅いのは分かってる。でも、どうしてあんなことが起こってしまったのか、どうして守れなかったのか、どうして逃げてきてしまったのか。罪悪感が体の中を蝕んでいる。


「一度体勢を立て直すしかないよ」


 私は静かに言った。頭が痛い。命が無くなるということはこれほどまでに残忍なことなのだろうか。


「――分かりました」


 静かに答えたモエは、取り出した話札で託使を呼ぶのだった。


◆ ◆ ◆


 その頃、試撃場のトゴーの店には、一人の客がやってきていた。


「盾を見たいんですけど、いいのありますかね?」


 その客は、青緑色の瞳と茶色の短髪を煌めかせながら話しかける。トゴーはその質問に答える。


「うお、お嬢ちゃん身長高いね〜。いい盾あるよ。はい」


 トゴーは店の在庫の中で一番大きなものを差し出す。


「おー、カッコイイ〜!おれ、いつか仲間と一緒に改物を倒す狩人になりたいんですよ!」


 客は服にぶら下げたお守りを揺らし、決意に満ち溢れた表情をした。


「へぇ、狩人?なんで狩人なの?他にも色々呼び方あるじゃん」


トゴーの質問に、客は真面目な顔で答える。


「――仲間がやられたんですよ、改物に。おれが生まれ育った小さな村が、ある日突然更地になったんです。大型の改物のせいでした。それが許せなくて許せなくて……!」


 客はあまりにも辛い記憶を思い出して目を潤わせた。


「だから、決めたんです。おれはみんなを守れる、狩人になるって」


「へぇ……ちなみにキミの魔法は?」


「防護魔法です。今は『防壁』しか使えないんですけど、いつかは『吸収』とか『分散』とか、そういう魔法も使えるようになりたんです!」


 客は若さ溢れる表情で話す。トゴーはそれを見てコクコクと頷く。


「キミは、その魔法たちについてちゃんと理解してる?」


「えっ、理解、ですか?『防壁』は魔力の壁を張って守る魔法で……『吸収』は攻撃を吸収して……『分散』は攻撃を分散する……みたいな感じですよね」


 トゴーは曖昧な回答に「はぁ」とため息をつく。


「その認識だと甘いぞ、お嬢ちゃん。『吸収』はな、剣とか槍とか鉄砲とかの、物理的な技に対して有効。逆に『分散』は、火や水などの魔法由来の攻撃に対して有効なんだ。その位は覚えないとダメだぞ」


「そ、そうだったんですか……!!あ、これいくらですか?」


 客はびっくりしたような表情をしてから、盾の値段について尋ねる。


「三万二千エンだよ」


「さ、三万!!高い……」


 客は二万エンしか持ってきていなかった。このままでは払えない。どうしよう……


 客が迷いに迷っているとき、突然店の扉がキーッと音を立てながら開いた。

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