第5話

季節は冬——。雪がしんしんと降り積もる中、滑りやすくなった田んぼ道をひたすら歩く。

視界の先には米粒程度まで小さくなった小学生の姿。真っ白になった雪景色に黄色の帽子は意外と映える。恐らく皆で雪合戦をしているのだろう。わちゃわちゃしてるのが遠くからでも分かる。


「おねえちゃん」

「え?」


小学生をぼんやりと眺めて癒されていると突然、服の袖を引っ張られた。後ろを振り向くとそこにはピンクのジャンパーを着た明らか園児らしき女の子が立っていた。


「あるくのがはやい」

「あ、ああ、ゴメン」


何故か咄嗟に謝る。女の子はむぅ、と頬を膨らませる。


「おねえちゃん、だっこ」

「だ、だっこ?」

「うん。だっこ、だっこ」


小さい鼻を赤くさせ、うるうるした丸い瞳で上目遣い。目尻いっぱいに涙を溜めて、泣くのを必死に我慢している様子。手を広げて私に「だっこして」と訴えかける。


「わかった、わかった。背中に乗って」


私は背負っていた赤いランドセルを前に持って、女の子が背中に乗れよう屈んでやる——。ん? そもそも何故ランドセルなんか持ってるんだ?


「おねえちゃんのせなか、あったかい」

「フフッ。さっきまでランドセルで暖めてたからな」


女の子は私の背中に頭をくっつけて温もりを感じている。女の子の体も湯たんぽのように暖かく、冷えて固まった体が解れていく。


「おねえちゃん、やっぱようちえんにいきたくない。おうちにかえる」


お互いの体温を感じていると急に女の子がぐずり始めた。クマさんの靴をバタバタさせる。


「ダメダメ。あともう少しで着くんだから我慢して」

「ヤダヤダヤダ——いきたくない。いってもたのしくない」


背中に滴り落ちる冷たい感触。女の子の涙を肌で感じる。女の子が背中の上で暴れるため、まともに歩けない。一先ず、女の子を地面に下ろす。私は女の子と向き合う形で中腰になる。こういう時はしっかり目線を合わせてあげることが大事だ。


「どうしても、幼稚園に行きたくない?」

「うん。ヤダ」

「今から引き返そうにもかなり時間かかるよ」

「それでもいい」

「貴方が良くてもおねえちゃんが困っちゃうな~」

「なんで?」

「学校に遅れて先生に𠮟られちゃうから」

「うぅ……」


ただ幼稚園に行きなさいと注意しても言うことを聞かない。幼稚園に行くのは自分のためだと諭しても小さい子は納得しない。手っ取り早く問題を解決するには貴方が行かないと私が困ると少し脅し気味で説得するのが効果的。自分がこのまま駄々をこねると他人に迷惑をかけると罪の意識を感じさせることでスムーズに幼稚園に行かせるという寸法だ。

案の定、女の子は私を困らせたくないと思って小さな頭で思考を巡らせる。きっと幼稚園に行くか行かないかで天使と悪魔が戦っているのだろう。表情を見る限り、天使が優勢っぽい。


「——いく」

「よし!」

「でも、やくそくして」

「約束?」


真っ直ぐな瞳で小指を差し出された。私は差し出された小指をジッと見詰める。


「一にち一かい、ぼくのおでこにキスして」

「え!?」


そのフレーズを聞いた瞬間、女の子の顔にノイズが走る。女の子の顔と美々花の顔が交互に映し出される。


「指切りげんまん、しよ……?」


徐々に外の環境音と女の子の声が遠のく。視界がぼやけて、意識が朦朧とする。


「宮下さん。貴方のことが大好きです♡」


意識が途切れる直前。現実では絶対に有り得ない愛の告白を受ける。そこでようやくここが夢の世界であることに気付いた。


「ダル……」


私はそう言い残して夢の世界を後にした——。


■■■


目覚まし時計が鳴り響く早朝。瞼の隙間から眩い朝陽が差し込む。


「いたたたた……」


人生初、座ったまま姿勢で朝を迎えた。案の定、腰に痛みを覚える。目覚まし時計を止めに腕を伸ばすが、筋肉が硬直しているせいで全身に激痛が走る。激痛のあまり布団に顔を埋め、小さく悲鳴を上げる。


「ヤバい。思ったより痛いかも」


歳的に老いを感じるにはまだ早すぎる。まだ二十代半ばだ。毎日、整体外科で通い詰めるようでは今後が思いやられる。

私はなんとか激痛に耐え、目覚まし時計の鈴を止める。頬に玉の汗を浮かべ、腰を抑えながらメイド服に着替える。

そう云えば、膝枕されていた痛みの元凶(美々花)はどこに消えた? 先に屋敷に行ったのだろうか。ふと、ヤツの寝顔を思い出すと激痛が増してきた。


「朝ご飯食べてないけど、もういいや」


グーグーと腹の虫が鳴り止まないが、時間的に何か口にしているような余裕はない。手櫛で適当に髪を整え、ドアを開ける。


■■■


「昨晩はご迷惑をお掛けしました」

「ほんとに迷惑かけたと思ってないだろ……」


屋敷の玄関でほうきとちりとりを持った美々花を発見。私の顔を見るなり、ご丁寧に頭を下げてぶっきらぼうに謝罪の言葉を述べる。台本でも読まされているのかというぐらい棒読みで申し訳なさが全然伝わって来ない。


「腰をずっと抑えていますが、もしかして寝違えたんですか。可哀想に」

「どっかの誰かさんのせいで腰を痛めたんですぅ~」

「さて、なんのことでしょうか?」

「しらばくれんな」


人のテリトリーにいきなり襲撃して来て勝手に甘え倒した挙句、人様の膝の上で寝落ち。彼女の傍若無人な態度は下手したらお嬢様にも匹敵する。たった一晩で身も心もヘトヘトだ。


「そんなに文句言うなら、寝ているボクをどっかに退かせばよかったのに」

「気持ちよさそうに寝ている人を叩き起こすのは気が引けるだろ」

「ほぉ~、意外と優しい」

「意外とって言うな。いつも優しいでしょ⁉」


無表情で煽ってくるな。ほんの一瞬、美々花の口角が上がったように見えたが気のせいか。美々花は私から視線を外し、玄関の掃除を再開する。


「そう云えば、お嬢様が朝食はまだかと激怒していましたよ」

「それ、私に言われてもな~。てか、コックは?」

「コックは只今、寝坊中です。朝食は作れないと先ほど本人から連絡がありました」

「はい、クビ確定。次のコック候補探すぞ~」


今度会ったらマジで締め○す。日々の恨みを込めて、確実に仕留める。私はそう決心して、急いでお嬢様の部屋に向かった。


■■■


「来るのが遅いぞ、使用人」

「出来れば私のことは使用人ではなくちゃんと名前で呼んで欲しいのですが――」

「おい、奴隷」

「あ、もっと酷くなった……」


部屋に入るとお嬢様がベッドにふんぞり返って座っていた。今日も変わらず口が悪い。


「朝食はラーメンがいい」

「朝からラーメンは不健康ですよ。冷蔵庫に新鮮な鮭が三匹ございますので、焼き鮭などは――」

「なんなら、家系でもいいぞ!」

「お嬢様、ちゃんと人の話を聞いてください」


なんとか貼り付いたような笑顔を作るが、こめかみが我慢できずピクピクと痙攣する。朝からお嬢様の得手勝手な振る舞いに憤りを禁じ得ない。


「朝にラーメンは良くないです。諦めて健康的な和食を召し上がってください」

「和食は嫌い。特に光り物は大っ嫌いだ」

「ちなみに鮭は光り物ではございませんよ?」

「あれは将来、光る可能性がある。要注意だ」

「なに言ってんだ、コイツ——。いや、お嬢様」


財閥のご令嬢にしてはアホな発言が多過ぎる。この人がもし、金持ちのご令嬢じゃなければ顔面を一発、ぶん殴ってるところだった。


「では、朝ご飯は鮭抜きの和食でよろしいですか?」

「ラーメンは?」

「ラーメンはそもそもございません」


可愛らしく頬を膨らませるお嬢様を尻目に私は部屋のドアを開ける。


「ちょいお待ち」

「んごっ⁉」


お嬢様に背を向けた瞬間、どういう訳か彼女が後ろから抱きついてきた。その衝撃で私は前のめりに倒れてしまう。


「な、なんですか、お嬢様……」

「おっと、これはスマン。勢いつけ過ぎたか」


お嬢様は私を下敷きにして馬乗りになる。私のお腹はお嬢様の体重によって圧迫され、胃液が込み上げてくる。


「昨晩は美々花と何か進展はなかったか?」

「どうしたんですか、急に?」

「質問に答えろ」


進展と言われてもただ彼女に脅されて、膝枕しただけだが。後は頭ヨシヨシと。

私の秘密は伏せて、その事を伝えるとお嬢様はニヤリと不敵に笑う。


「ほほ~う、俗に言う赤ちゃんプレイというヤツか?」

「いえ、そこまで過激ではないです。あれはただ甘えていただけです」

「ふ~ん」


ニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべて下敷きにされた私を見下ろす。なんなの、コイツ。


「お前はアイツのことは好きか?」

「はい?」

「勿論、恋愛的な意味でな」

「はい⁉」


早く答えろと私を睨む。


「いや一応、私の後輩なので可愛いなとは思いますけど、別に彼女に対して恋愛的な感情はありません。だいたいあの子は女ですよ」

「愛は人それぞれ。女性が女性を好きになってもなんら不思議ではない。ソースはこの私だ」

「さっきから何をおっしゃっているのか、イマイチ分から——んんっ⁉」


柔らかくて暖かくて、妙に生々しい感触が唇に伝わる。なんの前振りもなくお嬢様に口付けされた。私は驚きと恐怖で全身の筋肉が硬直する。


「いいタイミングで来たな、美々花」


ドアが開かれたと同時に私の頭上付近でコップが割れる音。視界の端に酷く驚愕した表情で目を瞬かせる美々花が映る。


「し、失礼しました‼」


美々花は割れたコップの破片をそのまま放置して、どこかへ走り去る。


「あらら~、美味しい紅茶を床に全部ぶちまけちゃって。私がおばさんにキスする光景がそんなにショックだったかしら」

「オイ、おばさん言うな‼」


馬乗りになっていたお嬢様は私の体から離れ、何やらご満悦。美々花が走り去っていた方向を眺める。


「今日は刺激的な夜になりそうだな」

「もう朝から充分、刺激的です……」


私はゆっくりと立ち上がり、翻ったスカートを手で直す。


「良いのが見れたから今日は特別に鮭を食べてやってもいいぞ」

「食べてやるって何様ですか……」

「この屋敷の主だ」

「ハイハイ」


正確に言えばお嬢様のご両親が主なのだが、あまりごちゃごちゃ言うとすぐ機嫌が悪くなる。私は呆れたようにため息をつき、部屋を後にした。




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MAID×MAID 石油王 @ryohei0801

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