2-1.


 紅葉を愛でるにはまだ少し早いみたいで、木々たちが、葉に残った最後の緑を抽出していた。涼し気な風が吹き、前髪をさらう。残暑はさすがに鳴りを潜めたらしい。陽光が身体をほだすにはちょうどいい気候だった。


 周囲には人がいなくて静かだった。僕は一人、学校の中庭のベンチに腰を掛けている。膝の上に乗せた弁当箱の蓋を開けずボーッとしていた。


「ちーっす」


 気だるく、かつ快活な声が僕の耳に入る。目を向けると見知った顔が大股で僕に近づいてきた。そいつは僕の隣にどかっと腰を落ち着け、手に持っていたビニール袋を広げた。中には総菜パンが五種類ほど入っている。僕はそいつに向かって呆れたような声を投げた。


「いつも思ってたんだけどさ、日向ひなたってフードファイター並みに食べるよね。太るよ」

「うっせーわ」短髪をガリガリと掻きむしりながら、意に介さぬ表情で日向が焼きそばパンにかぶりつく。

「放課後、部活で死ぬほど泳いで全部消化するからいいんだよ。むしろこれじゃあ、昼飯としては足りないくらい」


 僕は呆れと感心を半々に混ぜた目を日向に向けた。浅黒く日焼けした肌にひきしまった身体。確かに余計なお世話だったかもしれない。


「おっ、新島姉妹も来たみたいだな」


 日向がもしゃもしゃと口を動かしながら言った。僕が顔を上げると、おんなじ顔をした女生徒が二人、僕らに近づいてくる。前を歩く彼女はにこやかな笑顔を浮かべながら手を振っていて、後ろをついていくように歩く彼女は、何やら目をごしごしとこすっていた。


「おまたせー」

「ちーっす。……ってあれ、どっちが桜でどっちが葉月?」


 日向が眉を寄せると、後ろを歩いていた彼女が手に持っていた眼鏡をかけながら、慌てたような声をあげる。


「ごめん、ちょっと目にゴミが入っちゃって。私が葉月」

「ああ、ってことはこっちが桜か」

「えぇ~」先ほどにこやかに手を振っていた彼女――桜が百面相のごとく表情を一変させ、見事なふくれ面を披露する。


「日向、私ら姉妹のこと眼鏡のアリナシだけで判別してるの? 半年も経つのにひどいなー」

「わりぃわりぃ。いやでもホントそっくりだからさ。中学じゃあ双子なんて同じクラスにいなかったし。まさかこんなに見分けがつかないとは」


 桜はぷりぷりと未だおかんむりのご様子だが、対照的に、葉月は申し訳なさそうに首を傾けていた。


「私たちは特別似ている方だから。お母さんですらたまに間違えるし、しょうがないよ」


 一人黙っていた僕は、三人の会話を受けて思わず二人の顔を見比べてしまっていた。僕の視線に気づいたのか、ふくれ面の桜がこちらを向き、ニマリと不敵な笑みを浮かべた。


「葵くんはわかるよねぇ。私ら二人の違い」

「え? ええとそうだね。落ち着きがないのが桜で、大人しいのが葉月」

「いやそれ性格じゃん。そういうことじゃないっつーの」


 僕は桜に小脇をわりと本域でどつかれ、「うっ」とうめき声を漏らした。それを見た日向がゲラゲラと笑う。葉月ですらぷっと声を漏らしていた。


 絶妙なバランスで保たれた僕ら四人の空間は居心地が良く、傍からみたら幸せな光景に映るだろう。でもたぶん僕だけが、ほんの少しだけ、心の奥底でこの関係性に息苦しさを感じていた。僕はその気持ちにフタをし、決して表には出さないようにしていた。


「あーお腹すいた。食前方丈、空腹絶倒。私はこの時間のために生きていると言っても過言ではないね」


 日向がベンチの端に身を寄せ、双子の二人は僕らに挟まれる形で着座した。僕の隣に座った桜が開けた弁当箱は二段重ねで、下段には白飯がぎっしりと詰まっている。「いただきまーす」元気のいい声と共に彼女はからあげを口に投げ入れた。いつもながら、日向に負けないくらい桜は食べっぷりが良い。一方、


「相変わらず小食だなぁ、葉月は」


 日向の言葉に釣られて、僕は葉月の手元に目をやった。彼女の弁当箱のサイズは桜の半分にも満たない。桜と葉月の体格差がほとんどない事実を照らし合わせると、確かに日向の言う通り、水泳でのカロリー消費はバカにできないかもしれない。僕は思わずお腹まわりをさすっていた。


「私は日向たちと違って普段、運動ってほとんどしないから、そんなにお腹すかないんだよ」

「ったく。そんなんじゃ大きくなんねーぞ」


 日向が無遠慮に葉月の頭を撫でまわしはじめた。まるで娘を溺愛する父親のような所作だった。葉月が肩をびくっと震わせ、少し大きな声をあげた。


「い、いきなり触らないでよ。びっくりする」


 抵抗を示してはいるものの、声のトーンから本気で嫌がってはいないみたいだ。どちらかというと、急な触れ合いに照れているように見える。


「二人ってホント、仲良いよね。姉妹としてジェラシー感じちゃうレベル。……あ、米粒発見」


 獲物を狙う狩人のように眼を光らせた桜が、葉月の口元についた米粒をつまみ、自身の口に運んだ。葉月の肩が再び跳ねる。


「ちょっと、二人して私を子ども扱いしないで」


 眉間を作った葉月が、今度は少し苛々し気に言った。しかし日向と桜の二人はというと、反省する素振りを見せずにケラケラと笑っている。


「アハハ、桜、お姉ちゃんみてーだぞ」

「えへへ、こう見えて私、お姉ちゃんですからね」


 桜が得意げに胸を張ったところで、葉月がはぁと深い嘆息を漏らした。これもまた、いつも通りの光景だった。



「もう十月かー。涼しくなってきたし、屋外プールはそろそろ厳しいかもね」

 二段重ねのお弁当をペロリと平らげた桜が、あーあとぼやきながら弁当箱の蓋をしめた。


「水泳部って、秋や冬は室内トレーニングがメインの活動になるんだっけ」葉月がそう訊ねたので、僕が答える。

「そうそう。学校によっては屋内市営プールに行って活動したりするけどね。うちはどうだろう」

 日向が補足説明を、

「屋内プールがある私立高校に出向いて、合同練習することもあるって先輩が言ってたな」

「うちも屋内プールだったら一年中泳げるのになぁ」


 桜がしおしおと萎れると、「そうだ」日向が思い出したような声を出す。


「今日の練習遅れるかもって、部長に連絡しておかないと」

「あれ、今日なんかあるんだっけ?」


 ムクリと上体を起こした桜に対して、日向が呆れたような声を返す。


「いや、今日はクラスで文化祭の話し合いがあるから帰りのホームルーム長引くって、昨日」

「ああ、そういえば言ってたねそんなこと。そっか。もう文化祭のシーズンか」


 いかにも興味がなさそうな声で、桜はとぼけた顔をしていた。


「受験生の時に見学来たけど、やっぱ高校の文化祭って中学の時と全然ちげーよ。屋台とかあって、ホントのお祭りみたいで楽しかったよ。普通にちょっと楽しみだわ」


 今にもよだれを垂らしそうな顔の日向に反して、前屈みになった僕は陰鬱な声をこぼす。


「僕はちょっと面倒くさいかな。放課後の準備とかで時間とられるし」

「でた。葵くん、高校一年生とは思えないくらいさめてるよね。そういうところあるよね」

「こういう奴に限って、熱に浮かされて好きな子に告白したりするんだよな」


 うりうりと日向が僕の小脇をひじでつついてきたので、ギョッとなった僕は早口で反発した。


「なにそれ。しないよそんなの」

「へぇ?」

「日向。うるさいよ、顔が」


 口角を限界まで吊り上げている日向に僕がうんざりと辟易をまき散らしたところで、電子チャイムの音が校内に響く。


「じゃあ、私らお花摘んでから教室戻るから」


 桜が立ち上がり、葉月もそれにつづく。本校舎に向かって歩く彼女たちの姿はシンメトリーを為していて、その後ろ姿は正直もう見分けがつかない。


「お姉ちゃん、私のクラス、次の授業が体育なんだけど、ジャージ忘れたから貸してくれない?」

「ごめん、うちは今日体育ないから持ってきてないよ」

「そっか、ううん大丈夫。別の子あたってみるから」


 彼女たちの会話がフェードアウトしていく。二人の背後ろをボーッと眺めていた僕に向かって、日向が改まった声をあげた。


「で、どうすんの?」

「何が」

「告白」

「いやだからしないよ。何でだよ。誰にだよ」

「先輩から聞いたんだけど、うちの高校、文化祭で告白すると成功率90%なんだって」

「質問に答えろよ。あとその謎データの根拠を提示しろ」


 のれんに腕押すようなやりとりに僕はイライラしていたが、日向はというと可笑しそうにニヤついた顔を浮かべるばかりだ。


「もったいねぇなぁ、お似合いなのに」


 そうこぼして、立ち上がった日向がだるそうな足取りで校舎に向かいはじめる。


「余計なお世話だよ」


 一人ごちたあとに、僕もまた立ち上がり日向の後ろを追った。素肌にじんわりと汗が滲んでいて、涼風が僕の体温をなだめすかしていった。

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