逆回転する恋愛小説

音乃色助

1.


 桜舞う季節に出会い、想いを自覚し、想いを募らせ、想いを伝えて。

 僕と彼女の恋が、一つの解を以て今の形に至るには、四つの季節を巡る必要があった。


 どこか忙しなく歩みを進める人の波が視界の端に現れては、フェードアウトしていく。喧騒が瞬いては消えた。白と青を基調とした巨大なイルミネーションが夜を照らして、光のカーテンのように人々を覆っている。

 駅前の雑踏の中に僕はいた。僕は彼女を待っていた。吐く息が白い霧となって、でもすぐに闇夜に呑まれる。


 暇を持て余していた僕は再三、スマホ画面に目を落とした。約束の時間から十分ほど過ぎている。


 こっちは着いたよ、遅れそう?

 さきほど送ったメッセージに既読マークはついているものの、彼女から返事はない。肩を落としてスマホをズボンのポケットにしまいこんだところで、背後ろに何やら人の気配を感じた。振り返ると、


「あっ」

「あっ?」


 彼女が僕の視界に映る。

 彼女は口を半開きにしながら、まるで野良猫でも捕まえようとするように両手を構えていた。そのポーズのまま硬直していた。やがてふぅと嘆息した彼女がだらんと腕を降ろし、つまらなそうに首を傾げる。


「こんばんは、あおいくん。唐突だけど、目を瞑って後ろを向いてくれないかな?」


 どうやら五分遅刻した件について謝罪する気はないらしい。彼女はきっとJR職員にはなれない。……いや彼女の将来を勝手に憂いている場合ではない。僕は不可解な要求に対して怪訝を表明した。


「えっ、なんで?」

「なんでもだよ。いいから早く」

「なんでか言ってよ。怖いんだけど」

「女性に理由をしつこく訊く男はモテないよ、ワトソンくん」


 無為な問答に白旗を上げたのは僕だった。ポリポリと首の裏を掻いたあと、僕は言われるがまま目を瞑り、後ろを向いた。何者かが僕の背中に迫ってくる気配を感じる。いや、正体はわかってるけど。

 瞼の上をひんやりと何かが覆った。耳元で喜々とした彼女の声が鳴る。


「だーれだ?」

「……シャーロックホームズ」

「ぶぶー! 正解は新島にいじまさくらちゃんでしたー!」


 顔を覆う体温の感触が離れたので僕は目を開け、振り返る。両手を後ろに組んだ彼女が前屈みの姿勢で、ケラケラといたずらっぽく笑っていた。


「だめだなぁ葵くん。愛しの彼女の手の温もりもわからないようじゃあ、名探偵失格だね」

「やり口が無茶苦茶だよ。それにワトソンは助手でしょ」


 僕が淡々と返すと、彼女は口をとがらせた。


「葵くんってそういうところあるよね。基本、さめてるよね。私に告白してきたときはあんなに情熱的だったのに」

 剥き出しの過去をふいに持ち出され、慌てた僕の口から勝手に声がこぼれた。

「ちょ、その話、蒸し返さないでよ」

「まさか数日の間に同じ相手から二度も告られるなんて思わなかったよ。一日千秋いちじつせんしゅう青春暴徒せいしゅんぼうと


 目元口元を緩めた彼女が僕に顔を近づける。僕は反撃の余地を失っていた。やりようもなく空へと視線を逃がし、「勘弁して」かろうじてそう返すばかり。

 優越に満足したのか、僕からようやく距離を離した彼女が、キョロキョロと周囲に目をやった。


「それにしても、めっちゃ混んでるね。さすがクリスマス、さすが吉祥寺、人込みがゴミのようだ」

「さっきサンロード商店街の方にいたんだけど、人が多すぎて歩くのもままならなかったよ」


 僕がそう言うと、彼女がこちらを向き僕の腰辺りに目をやる。僕が手に持っている大きな紙袋を指さして言った。


「そういや葵くん。そのでかいのどーしたの。買い物でもしてた?」

「ああ、いや、ええと」


 後ろ髪に手をやりながら、幾ばくかの躊躇に身をすくめながら、視線を斜め下に落としながら、僕は手に持っていた大きな紙袋を彼女に向かってさしだした。


「これは、プレゼント、です」

「へっ?」少し遅れて、彼女が虚を突かれたような声をあげる。恐る恐る首を動かした僕の脇目が彼女の表情を捉える。目を見開きながらポカンと口も開けた彼女は、珍しく驚いたような顔を晒していた。やがて彼女は胸の前で大仰に両手を振り始める。


「いや、いいよ。私そんなつもりなかったから、何も用意してないし」

「いいから」


 僕は少し語気を強めて彼女の声を遮った。咳払いを挟んで、今度はまっすぐに彼女の顔を見た。


「彼氏として、一度くらいかっこつけさせてよ」


 紙袋を持った手を突き出し、僕は頑として引こうとしない。彼女がふぅと諦めた様に息をこぼし、「葵くん、基本さめてるくせに、やっぱたまにそういうところあるよね」しおらしいトーンの声をこぼした。


「それじゃあ、まぁ」おずおずと手を出した彼女が僕から紙袋を受け取った。ホッとした僕は腕を降ろし、自然と頬がたゆむ。


「中、見ていい?」

「見て、いいです」


 大きな紙袋の中を覗き込んだ彼女が、不思議そうな顔を作る。


「あれ、二つあるんだけど」

「ピンク色のラッピングが桜の分、緑色の方は葉月はづきの分」

「ああ。マメな男だね。将来が有望だよ」感嘆したような声を漏らしながら彼女が、ピンク色のラッピングがついた袋を取り出す。そのまま彼女はしゅるしゅると紐を解いた。

「わぁ、マフラーだぁ」


 キラキラと無邪気な声をあげる彼女に僕はなんだか気恥ずかしくなり、「たいしたやつじゃ、ないけど」気持ちをごまかすようにそうこぼした。


「葵くん、お小遣い月に千円しかもらえないって嘆いてなかったっけ。私らにプレゼント買う余裕なんてないんじゃ」

「ああ、夏休みにバイトみたいなことして貯めたんだよ。親に頼んで紹介してもらってさ、町内会のイベント設営を手伝う代わりにお駄賃もらって」

「えっ、夏休みは私ら、ほぼ毎日部活だったじゃん。葵くん、日焼けしすぎてリゾート帰りの芸能人みたいになってたじゃん」

「部活が終わったあとに行ってたんだよ。正直、ヘロヘロの時もあったけどね」

 僕が苦笑すると、「どうして、そこまでして」彼女がばつの悪そうな顔で僕を窺う。

「まぁ、約束だったし」

「約束?」

「なんでもないよ。初めての彼女だからかっこつけたかったって、それだけの理由」

 僕が頬を掻きながら言うと、「……ふーん?」おそらく納得のいっていない彼女が、でもそれ以上追及することはなかった。彼女は手元のマフラーに視線を戻し、まじまじと見つめている。

 やがて彼女は、そのマフラーをそのまま首元に巻きはじめる。両手を広げて首を傾けながら、「どう?」愉しそうに目を細めた。今度は僕が虚を突かれる。


「似合って、ます」

「ふふっ、ありがとっ」


 トテトテと近づいてきた彼女が僕の上着の端をつまんで、上目遣いで顔を覗き込んでくる。


「男の人からプレゼントを貰うなんて、大人の女性になった気分。 ねぇ、ちょっと歩かない?」

「男の人っていうか、僕だけど」

「いや葵くん、カテゴライズ的に男の人じゃん。いいから、ほら――」


 彼女が僕の手を取り、ぐいっと引っ張った。体勢を崩した僕はよろけてしまい、それを見た彼女がまた笑う。視界の中央を陣取る彼女の姿が、一枚のスナップ写真のように止まって見えた。ああ、やっぱり可愛いな。ほんの数か月前の秋。あの時の僕は果たして、今日という未来を想像できただろうか。

 いっそこのまま、二人だけの世界が止まってしまえばいいのに。心の中でひっそりと願を懸けた。

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