第3話 ポテトパイセン

 ———マンドラゴラはどの部分も有毒で、神経系を鈍らせ、昏睡を招く効果がある。調合した薬は、古くから催眠剤や麻酔剤として使われてきた。



「止まれぇ! てめえら、止まれええええ!!!」

 0区の入口に繋がる廊下で、爪紅、メグル、サラは激昂した14番に追いかけ回されていた。

 看守が受刑者に追われるなど、異状事態以外の何ものでもない。

「すごい、すごい! 爪紅くん速いね!」

 爪紅の肩に担がれたメグルが、官帽を抑えながらはしゃぐ。

「うっせえ! お前が降りればもっと速く走れんだよ!」

「やっぱり今日も帰れないぃいい!」

 そうこうしている内に、この先に炊場がある旨の看板が目に入る。

「ここ真っ直ぐ行きゃあ着くんだな!?」

「そう! 搬入口は入口から入って右手奥!」

 何でも屋よろしく普段から刑務所中を駆け回っているサラは、この迷路のように入り組んだ施設の設備や位置を、全て把握していた。

「よし、お前ら! 炊場入ったら散り散りになれ。誰か1人でも搬入口にたどり着けばいいから……分かるかお前、土の匂いのする方行けよ」

「了解!」

 なんとか炊場に飛び込んだ2人と1株は作戦どおり散り散りになった。


「さて」と共同室に冷たい視線を投げかける2番。

「あなた方が1番にしたように、私もあなた方を死に追いやっていこうと思うのだが……指名をしても?」

 2番は18番とともに、共同室の前で看守たちを見下ろしていた。

 収容されている他の受刑者たちは、最初こそ何だかんだとわめいていたものの、今はことの成り行きを楽しんでいるようだった。

 共同室に閉じ込められた看守たちは、固唾を飲む。

「では」と2番。「私に鍵を下さったあなた。あなたからいきます。私が言うのも何ですが、こうなったのは、あなたの責任なので」

「は、はぁ!?」

 と困惑する鍵野。

「『あなたの責任』って。責任取るのは上司の役目でしょ! 何で俺が? 俺がいなくなったらみんな困るでしょ?」

「2番、いい加減にしろ!」と叫ぶ周防以外、看守たちは皆知らんぷりしていた。どうせはったりだろう、反省しろといった顔つきである。

 18番が手にした紐でビシビシと音を鳴らす。紐の先端は輪の形状になっていて、それで処刑をするといった素振りだ。

「開けますね」

「や、やめろ。ちょ、先輩方、魔法が使えなくてもさ、どうにかしてくださいよ!!」

 必死に後ずさる鍵野。

 共同室の扉が、ガチャリとを音を立てた。


 日中、常に稼働している状態から打って変わり、静寂に包まれている炊場。

 水道から滴り落ちる水音だけが、ポチャン、ポチャンと響いている。

「どこだぁ」

 サンダルを引きずり歩く音を注意深く聞きながら、爪紅は反撃に出やすいシンク横に身を潜めていた。

 サラは搬入口に一番近い、段ボールが積み重なった場所に隠れた。

 メグルは土の匂いがする、じゃがいも入りの麻袋にたどり着いた。

「受刑者どものえさにしてやろうか」

 ジリジリとタイミングを図りつつ、シンクの陰から様子を伺う爪紅。

 14番は爪紅がいる方向へと歩みを進めている。

 自分が足止めをしている間にメグルとサラが応援に走る方が、はるかに成功率が高いだろう。爪紅はそう判断し、ゆっくりと呼吸しながら背中に手を伸ばした。

「おい」

 爪紅が回転しながら14番の前におどり出ると、同時に官服の下に隠していた伸縮性の刺又をジャキンと展開させる。

 その鉄製の黒い刺又は爪紅の身長を有に超える大きさで、使い古して傷だらけだった。

「相手になるぜ、魔法士でも何でもないが」

 爪紅は、腰を低く落として刺又を構えた。

 その様子を見た14番は、薄笑いを浮かべながら前方へ軽く両手を構える。

「ほぉ、雑魚が面白い。武器にもなんねェような棒切れで何ができるかな」

「……試してみるか?」

 一瞬の沈黙の後、両者は武器を交えた。

 キン、キンと鋭い音を立て、一進一退の攻防が始まる。


 自身をすっぽりと覆う段ボールを被ったサラは、「やばい、やばい」と小声で独り言を言いながら、四つん這いで搬入口に進んだ。

 チラッと段ボールを上げると、ちょうどメグルの様子が見えた。

 メグルは麻袋の後ろに座り込み、何やら手を突っ込んでいじっている。

 このままだと見つかってしまうだろう目立つ位置に隠れている上、不穏極まりない動きをしているので、サラは意を決して声を掛けた。

「セ、センセイ、センセイ」

 その瞬間、どこからともなく鋭い包丁が飛んできて、目の前の床に突き刺さった。

 サラは「ヒィッ!」と後退りながらも包丁が飛んできた方向を確認する。爪紅が14番の攻撃をギリギリで回避している最中だった。

「仙ちゃん!!」


 14番は中央のステンレス台を陣取っていた。

 シンク下の収納から投げる包丁やナイフなど、ありとあらゆる刃物を、爪紅は刺又で跳ね返していく。

 カン、カン、カン

「貴様、テニスでもやってたかァ?」

「そういうお前は、草野球でも、やってたんかよっ!」

 爪紅の額に玉のような汗が滲む。

 カン、カキン!

「フォームが乱れてるぞ」

 跳ね返った果物ナイフが14番の頬を掠めたのを機に、すかさず牽制する。余裕ありげな物言いだが、攻撃を防ぐので一杯一杯だ。

 それに対して14番は、まだいけるといった具合である。

「ほざけェ! 俺は非魔法士相手でも容赦しねえぞォ!!」

 頬から一筋の血を流しつつも、ひときわ大きな鎌を生成して勢いよく爪紅に投げつけた。

 爪紅は刺又で受け切るのは無理だと判断し、そばにあった特大中華鍋で攻撃を防ぐ。

 案の定、鎌は中華鍋の底を貫通した。

「うおっ、切れ味よすぎだろ」

 爪紅は使い物にならなくなった中華鍋を投げ捨てた直後、14番の足が目前に迫っているのを回避しきれず、顔面を激しく足蹴りされてシンクに叩きつけられた。

「痛って!」

 爪紅が身体のコントロールを失い崩れそうになった瞬間、

「仙ちゃん任せて!!」

 とサラが14番の背後から脚立を利用して飛び上がり、その頭部を狙って回し蹴りをした。

「許さなァい!!」

 一発目は片手でガードされるも、二発目を頸部に入れることができた。しかし、角度が悪かったのか足ごと掴まれ、段ボールの山に向かって投げ飛ばされてしまう。

「姉ちゃん! にゃろうよくも!!」


 一方メグルは麻袋に入ったじゃがいもを取り出し、焦った様子でヒソヒソと話し掛けていた。

「ポテトパイセン」

『誰やねんお前、気安く触んなアホ』

 メグルは、他の植物と会話できるのだった。

「急にすみません。同じナス科のマンドラゴラです。今、僕の仲間が大変な目に遭ってます」

 爪紅と14番の動向を確かめた後、「どうしたらいいでしょうか」と続ける。

『知るか、オレはポテトやぞ。キュートなピンクい芽を伸ばすんで精一杯や。他当たれ』

「でも、本当に困ってるんです。助けを呼びに行くよう言われてるけど、このままじゃ爪紅くんとめしべさんが危ないし、でも怖くて、どうしよう」

『知るかってホンマ、メソメソメソメソ腹立つな〜……』

 その瞬間、ポテトパイセンは鎌攻撃に立ち向かう爪紅に掴まれ、14番目掛けて「オラぁっ!」と放り投げられた。

 14番は連続して飛んでくる、ティーポットやら皿やらポテトパイセンやらを徹底的に斬りまくった。

『ああああああ!!!!』

 ポテトパイセンの断末魔がメグルの耳に響く。

「ポテトパイセン!!」

『ああああああっ!!』

 メグルは真っ二つになったポテトパイセンを助けようとして、咄嗟に爪紅と14番の間に出てきてしまった。

「邪魔だ! 下がってろ!」

「おっとぉ?」

 メグルは慌ててポテトパイセンを拾い上げ、ポケットにしまったは良いものの、ギラギラと殺意に満ちた14番と目が合い、その場で動けなくなってしまう。

「あ、あの……」

「ガキぃ、さっきはよくもやってくれたなぁ。良い声だったぜ」

「こ、これ! これで、2人を助けてください。お願いします」

 メグルが差し出したのは、「菓子折り」と書かれたぞうさんジョウロだった。

「すっこんでろって!」

 14番があきれたように目を細めた。

「あ? 何だこれ。ふざけてんのか?」

 爪紅が隙をついて刺又で突っ込むが、キィンと音を立てて弾かれてしまう。

「それ、赤ワインなんです」

「赤ワイン?」

 14番がジョウロの匂いを嗅ぐと「確かに、酒だ!」と声を上擦らせた。

「職場に酒なんか持ってくんじゃねぇよっ」

 ゼエゼエ息を切らせながら唸る爪紅をよそに14番は、

「ラッキー。ムショん中いると酒飲めねえんだわ。何年ぶりだ」

 とうかつにもジョウロから豪快に中の液体をを飲み干した。

「嘘だろ」と爪紅。

 すると次の瞬間、14番は唸り声を上げながらフラフラとその場に崩れ掛かった。

 額を両手で押さえ、かなり苦しそうだ。

「ぐ……グゥ、何を……入れたぁ」

 爪紅はチャンスとばかりに14番の胴体を刺又で捕え、吹っ飛ばした。

 14番は大きな音を立てながら、いくつも積んであった巨大なバッ缶の下敷きになった。

「酒……1番のォ。フィアン……のォ」

 自分が丹精込めて用意した菓子折りを口にし、支離滅裂なことを口走る様を見て、メグルはあたふたしている。

「隠し味に僕を入れたからかな」

「いらんもん入れんなよ」

「内側からも挨拶しようと思って」

「馬鹿野郎」

 大きく息を吐き出しながら振り返る爪紅。

「まぁ、今回は助かったわ」

 爪紅とメグルは、警戒しながら14番に近づく。仰向けの状態で白目を剥いていて、完全に意識を失っているようだ。

「こいつ二度も気ぃ失って、なんか不憫なやつだよな」

 爪紅は14番の不用心さに呆れつつ搬入口側を見やった。しんとして誰もいない。どうやらサラは応援に走ったらしい。

 このまま自分だけ現場に乗り込もうかと、痛む身体を引きずって歩き出した爪紅だったが、さすがにメグル一株をおいては行けないと思い、手招きをした。


 少し離れた距離から、メグルがトボトボとついてくる。

「爪紅くん、本当にごめんね。僕どうすれば良いのか分からなくて、怖くて、めしべさんみたいにすぐ助けに行ってあげられなかった」

「草には期待してねえよ」

爪紅は振り返らずに歩みを進める。

「……僕、立派な人間にはなれそうにない。でも、植物にもなりきれないんだ」とメグル。

「僕は一体、何なんだろう」

 何かに反応したようにピタリと足を止める爪紅。

「いつもこうなんだよね」

 メグルは俯いて手をぎゅっと握りしめていた。

「……そういえば」

 爪紅は後頭部を掻きながら、「クソ上司の受け売りだけど」とポツリとこぼす。

「大事なのは、自分がどう生まれたかじゃなくて、『どれだけ自分の人生に向き合って、本気になれるか』らしい」

「『自分のジンセー』に?」とメグルは少し顔を上げた。

「そ。久々思い出した。自分が何者か、分かんないんだろ? お前、人間みたいに生きてどうしたいんだよ」

 爪紅はのそのそとメグルに近づき、手に何かを握らせた。メグルが手を開くと、白い固形肥料が2、3粒手のひらで転がった。

「僕は……」

 ふと、メグルは分厚い爪紅の手がタコだらけなのに気付く。ちょうど刺又を握る位置にくっきりと付いている。その腕にも、サポーターのようなものがきつく巻かれているのがチラリと見えた。

「俺も、いまだに自分が何か迷うときがあんだ。看守のくせに、こんなクソ魔法士相手に負けそうになるし、姉1人も守ってやれねえし。何の取り柄もない無意味な存在だなってさ。でも、がむしゃらに頑張ったり、何かに真剣に立ち向かったりすれば、ぼんやりと『自分』ってのが見えてくる気がすんだ」

 しんみりとしていたメグルの目が、徐々に明るくなり始める。

「すごい。なんか、カッコいいね」と小声でメグルが言う。

「僕は……、爪紅くんのバディになりたいな!」

「今考えたんじゃねえか、馬鹿」

「えへへ」


「おい」と小声で周防が刀根に話しかける。「流れが変わったぞ」

 18番に捕まってひたすら喚く鍵野をよそに、2人はしっかりとモニターを覗いていた。

「14番、炊場でまたやられたっすね」

 0区へと続く通路のモニターには、刺又を振り回して歩く爪紅と、スキップしながら進むメグルの姿があった。

「あの看守、3区の爪紅だったか。お利口なだけが取り柄だと聞いてたし、実際そうだと思っていたが……結構やるな」

「そうっすね。これ、『刺又の魔法士』とかじゃないんすよね?」

 首を横に振る周防。

「2人とも、このまま乗り込んでくるつもりだろうか」

「多分」と刀根。「それにしても先輩、相変わらずしたたかですよね」

「何が?」

 周防が横を見ると、刀根がイタズラっぽくニヤリとしていた。

「『2番、良い加減にしろ!』とか叫んでたくせに、実際、鍵野のことはどうでも良いんでしょう。部下思いの上司って体裁っすか?」

「そんなこと考えてたのか。まあ。外面は良いに越したことないからな」

「おー、こわ」

 他の看守たちは、いよいよ本気なのかと、先ほどと打って変わって共同室の扉を躍起になって叩き鍵野を開放するよう叫んでいた。鍵野は首に紐を回され、まさに処刑されるというところだった。

「あれほど気高く慈悲深い『猛毒の魔法士』1番が、あなた方みたいな脆弱で、下劣な連中に殺されたかと思うと、反吐が出る! さぁ、殺してしまえ!!」

 2番が18番に命令を下す。

「やめてぇ!!」

 鍵野が悲鳴を上げるのと同時に居室棟入口の扉が開き、毒島が目を覚ました。








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