第2話 非常ベル通報

  ———マンドラゴラの根は地面から引き抜かれるときに叫び声を上げ、それを聞いた人は発狂あるいは死ぬかもしれないといわれている。



 嫌な予感は的中した。

 爪紅は鉄川と通話しながら、非常ベルの導線をバチンバチンと引きちぎった。けたたましい音がやみ、赤や青のコードが床に落ちていく。

「はい、承知しました。今から向かいます」

 爪紅は通話を終えると「最悪」とクローゼットを開き、適当な武器や官服を手に取る。

「非常ベルって何?」

 片足を植木鉢に突っ込んだままキョロキョロしているメグル。

「簡単にいえば『看守のSOS』。この音がしたら、その区の奴は休みでも応援に行く」

 爪紅は、メグルの顔面に向かって官服一式をバサリと放り投げた。

「足洗って支度しろ。俺らには権がないらしい」

 官服を手にしたメグルの目がキラキラと輝く。

「僕、植物だからね!」


 人員不足の中の非常ベル通報であったため、爪紅は3区に在籍しながらも0区へ出動することになった。

 まだ看守ですらないメグルも、勉強のために一緒に行けとの命令である。


 しかし、他区が考えている以上に事態は深刻だった。


 どのような事態か簡単に説明すると、「鍵の掛かった居室に収容されているはずの受刑者数名が、廊下で暴れまわり看守を圧倒している」という完全なる非常事態である。


 0区の居室棟は、迷路のように入り組んだ施設の奥まった区域にある。

 そのため、きちんとした用事がない限り他区の職員は滅多に出入りしない。それが仇となった。この区の非常事態が、うまく伝わっていないのだ。


「なんなんだよこれ! くそっ!」

 包帯のような紐でグルグル巻きにされた看守たちが、受刑者7、8人用の共同室に次々と放り込まれていく。

「へへへ、一丁あがりぃ。日頃の恨みだぜ」

 『緊縛の魔法士』(通称18番)は自身の能力でいとも簡単に看守たちを縛り上げる。

 典型的な白黒ストライプの服を着ているのが、いかにもらしい。

 いまだ居室に閉じ込められている受刑者たちは、「俺たちも出せ!」「いいぞ、もっとやれ」などと思い思いにヤジを飛ばしている。

「お前ら、こんなことしても刑期が延びるだけだからな!」

 という看守の捨て台詞虚しく、またしても一人、共同室に放り込まれた。


 手前の廊下では激しい攻防戦が繰り広げられていた。

「ギャハハハハ! 久々に腕が鳴るぜ!」

『大鎌の魔法士』(通称14番)が、よろけた看守に向かい、両手に武装した大鎌を振りかざそうとする。その瞬間、『盾の魔法士』周防誠すわ まこと看守部長が盾型の小結界を張り、攻撃を跳ね返した。

 周防は既に息が上がっていた。

「なんで居室の鍵が空いてるんだ!」

 受刑者たちは、興奮状態で看守を蹴散らしていく。

『ダガーの魔法士』刀根洋介とね ようすけ看守は、生成したダガーで受刑者に応戦する中、何者かが自分に向かって手をかざすのが見えた。

「2番!? まさか!」

 2番と呼ばれる受刑者『奪取の魔法士』は、その手から、みるみるうちに刀根の魔力を奪い取っていく。

 その顔は憎しみと喜びが合わさった複雑な感情で満ちており、深く刻み込まれた皺も相まって歪んで見える。

「魔力が消えて……先輩!」

 刀根が声を上げるのと同時に、2番は刀根と同じ要領で生成したダガーを看守たちに投げつけた。

 声に反応し、周防が瞬時に看守たちを庇うも、やはり数秒後から結界の消滅が始まる。2番が魔力を吸収していたのだ。

 結局、魔力を失った看守たちは丸腰で悪あがきをするも、数々の修羅場をくぐり抜けてきた受刑者たちの実力たるや、ほぼ実戦経験のない者の比ではなかった。

 受刑者たちに囲まれた看守たちは、悔しがりながらも両手を上げた。

 0区の受刑者たちを従えた2番は、両手を掲げて高らかに叫ぶ。

「復讐だ! ついにこの日が来た! 冤罪で死んだ1番のかたき!!」

 

 管理棟用度課事務室。

 モニターに囲まれた薄暗い小部屋の中で、『負けるな』と書かれた鉢巻をしたサラが泣きながらパソコンを打っていた。

 デスクの周りには積み重なった資料、カップラーメンや胃薬が無造作に置かれている。

「ヒィ、終わらなぃ……終わらない。なんなの、ワークライフバランスって。ん?」

 一番右端のモニターが砂嵐である。

「ぜ、0区の監視カメラ! いつからだろ……修理に行かなきゃ」

 サラは「今日も帰れない」などとブツブツ泣き言を言いながら、脚立と工具を抱え部屋を飛び出した。


 0区の共同室内で、看守たちはぐるぐる巻きになりながら作戦会議をしていた。ベテラン看守がイライラした様子で若手たちと向き合っている。

「仕事で必要な話ししながら連行してたら、鍵盗られてぇ」

『合鍵の魔法士』鍵野秀章かぎの ひであき看守が悪びれずに話す。夕方、爪紅の噂をしていた看守のうちの1人だ。

「お前仕事やめろ」

 とベテラン看守が睨みつける。

「だって」と言い訳しようとする鍵野に、ベテラン看守は噛み付く勢いでキレた。

「みんな、揉めてる場合じゃないだろう」

 廊下側に座っていた周防が内窓から顔を覗かせると、廊下の中央でどっかりと椅子に座る2番と14番の姿が確認できた。


 2人は事務室から拝借してきたと思われるモニターを眺めている。その6つのモニターには、他区の様子が映し出されていた。

 映像によると、他区の職員が0区の異変に気付いている様子はない。


「廊下のモニターから外の様子が確認できた。やはり、残念ながら誰も異変に気付いていないようだ。0区の職員は、あと誰が残っている?」

 周防が居室に閉じ込められた看守全員に聞いた。皆、周りを見渡す。

「0区の定員は16名で、その内の13名がここにいます」

「日頃、他区から恨みを買ってるからっすかねぇ。あ!」と、刀根。「毒島さん、いないっすよ」

 周防は、助かったという表情を浮かべる。

「毒島さんか! あの人が捕まってないのは心強いな。なんたって『不死の魔法士』。そう簡単には……」

 その瞬間、共同室内に紐でぐるぐる巻きにされた毒島が放り投げられてきた。

「ぎゃふ! ……スー、スー」

 ナイトキャップを被ったパジャマ姿の毒島は、ゴロゴロと転がって壁に激突しても起きなかった。

 沈黙する看守たち。

「……早寝早起きですもんね、副看守長」

「温室にお住まいなんですよね、副看守長」

「終わった」

 絶望する周防。項垂れる看守たち。

「あと残りの2人は?」

「来月から補充されてくる奴らで、非魔法士のバディらしいっすよ」

 刀根が毒島の背中を足先でど突きながら言う。毒島は良く眠っていて起きる気配がない。

「2人とも非魔法士!? どういうことだ」

「1人は3区から、もう1人は毒島さんの推薦らしいっす」

 全員が恨みの籠った眼差しで毒島の顔を覗く。

「フー……、終わったな」さらに絶望し、天を仰ぐ周防。

「何を考えてるんだか副看守長は。そんな奴らが0区でやってけるわけないだろう。足手まといもいいとこだ」

「これマジ本格的に終わったっすね。せめて他に応援呼べばまだマシなんですが。にしても、コイツらの目的って何なんっすかね。『1番の仇』とか言ってましたけど」

「うーん」

 周防は少し考えたが、これといって思い当たる節がなかった。

 「唯一聞いた話によると、かつての『1番』は死刑執行のため受刑区から拘置区に居室替えさせられ、数日後にその刑が執行された。それ以来、0区において受刑者番号『1番』は謎に永久欠番らしい」というくらいだ。

 なぜなら、死刑執行は30年以上も前の出来事であり、中堅職員の周防は「1番」の姿を見たことすらなく、「1番」が冤罪かどうかなど、おそらく国家権力の闇に葬られて知る術がないからだ。

 ちなみに、受刑者番号については、受刑者が出所するたびに、その番号が次に入所する受刑者に割り当てられるシステムだが、以上の理由から周防を含め誰もが、受刑者番号「1番」の存在を経験していない。

 『不死の魔法士』毒島副看守長以外は。


「2番さん、誰か来ますよ」

 廊下から14番の声がしたので、周防と刀根が急いで内窓を覗き込む。

 

 14番は一番左のモニターを指差している。

「何者だ?」と脚を組む2番。

「非魔法士2人組ですねェ」


 ああ、来てしまったか。と目頭を押さえる周防。

「Uターンしろ、Uターンしろ。応援を呼べ」


 14番は笑いが堪えきれず腹を抱えた。

「ぶっは。あいつら丸腰で来やがったぜ。しかも一匹はガキみてぇに小せェ。2番さん、あいつらの首刈ってきていいですか」

「……騒ぎになるから、汚すなよ」

 2番は感心がない風に言いながらも、身を乗り出し、食い入るよう熱心にモニターを見つめた。

「よーし! 軽く締めてきますわ」

 14番は立ち上がり、共同室から覗き込んでいる看守たちを馬鹿にしながら扉の外に消えていった。

 2番はまだ、モニターの様子を見つめている。

「あの小さい方、どこかで……?」


 葉っぱに「鮮度一番」の青いシーリングを巻いたメグルは、ブカブカの官服を羽織り、大きめの官帽を頭に乗せるように装着した。不恰好だが、どこからどう見ても人間そのものだ。

 爪紅とメグルは、鉄製の扉で頑丈に閉ざされた0区の入口に立っていた。

 メグルは上機嫌で「菓子折り」と書かれた弁当箱(ぞうさんジョウロ)を振り回している。

「おい草、人間じゃないっての絶っっ対にバレるんじゃねえぞ」

 爪紅は、あんぱんを頬張りながら言った。

「何で?」

「何でってそりゃ、『人間もどきの歩く草』なんて、他の職員が見たら大騒ぎするからに決まってるだろうが」

「……そう?」

 メグルはピタリと動きを止めると、唇を尖らせながら返事した。

 さっきまでのテンションが嘘みたいに、ムスッとしている。

「あと、草ってバレたらどんだけ働いたって金は出ねえよ。せいぜい液体肥料ぐらいだな」

「どうせ僕はお金より液体肥料とか培養土の方が好きだもん」

「あ? お前拗ねてる?」

「拗ねてない」

「『人間みたいに生きたい』んじゃねえの」

「拗ねてないもん」

「……しょうもねぇ。いくぞ」

 膨れっ面のメグルを引き連れ、爪紅は入口ゲートの認証システムを解除した。

 すると、扉が開いてすぐ目の前に14番が立ち塞がっていた。14番は「ばあ」と両手にするどい鎌を生成した状態で、カマキリの如く構えていた。

 メグルは驚きのあまり口をパクパクさせる。

「め、め……」

 爪紅は突然の出来事に半ば驚きながらも、瞬時に耳を押さえてしゃがんだ。

「めぎゃあああああ!!!!」

 何かあったらメグルが大声で泣き叫ぶ予想がついていたからだ。

「どあああああああ!!」 

 その激しい悲鳴を直に喰らい、14番はガクガクと泡を吹いて気絶する。

 メグルは、「草刈りやめて!! あれ? ごめん」と狼狽えている。

「よかった耳栓してて」

 爪紅は、両耳からポンと耳栓を抜いた。


 一連の騒動をモニター越しに眺めていた2番は、訝しそうに顔をしかめた。

 同じくモニターを覗き込んでいた周防と刀根は「おお?」と期待まじりだが困惑した声をあげる。

「あいつら今何したんだ?」

「なんすかね、伸びましたね。14番」

「まぁ……偶然か? あっ」


「この人どうする? 土に埋める?」

 倒れているのが0区の受刑者であると確認した爪紅は、「いくぞ。走れ」としゃがんでいたメグルを引っ張って走り出した。


 爪紅とメグルが、コンクリートの壁に沿いうねるように曲がった廊下を走っていると、脚立と工具を担いだサラに遭遇した。

「せせせ、仙ちゃん! こんなところで何してるの?」

 サラが、やつれきった顔を瞬時にほころばせる。

「0区の非常ベルだ。オモテで受刑者が伸びてる」

「ぜ、0区で? 今、監視カメラが壊れたから直しにいくとこなんだけど」

「何!?」

 受刑者の逃走もさることながら、一体0区で何が起きているのかと爪紅は戦慄した。

「ピッチか何かで応援呼べるか?」

 慌ててポケットを探るサラ。しかし何も入っていない。

「忘れてきちゃったー!」

「馬鹿! じゃ、こいつと走って呼び行ってくれ。俺は現場に向かう」

「この子、誰?」

 メグルが官服を正しながら喋る。

「めしべさん! 僕は爪紅くんの大親友で、人間でありまして……」

「まぁ!」とサラは嬉しそうに口元を押さえた。

「どっかの区の新人職員だ。早く!」

 爪紅が「いいから!」などとせかしていると、さっき来た方向から何者かが走ってくる音が聞こえてきた。

 皆が振り返ると、激昂した14番が鎌を振り回しながら背後に迫っていた。耳栓をしているようだ。

「てめえら刈り殺してやるからな!!!」

 爪紅とサラの顔が青ざめる。

「めぎゃっ」

 爪紅は叫びそうになるメグルの口を瞬時に塞ぎ、肩に担いで走り出した。

「逃げろ!!」

「はいぃ!」と、サラは走り出す爪紅に慌てて付いていく。

「ここをまっすぐ行くと炊場に着くの! 搬入口から出て応援呼べるかも!」

「あいよ!」

 2人と1株は迫り来る14番から全力で逃げながら、0区の炊場へと向かった。




 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る