第2話 白い病室


 短い周期で一音ずつ鳴る電子音。呼吸のように空気が出入りする音。消毒液の匂い。瞼を震わせ確認した世界は、白い。すぐに天井だと脳が認識する。

 ここは、病院か。

 ゆっくり首を動かせば、窓の外に広がるどんよりとした曇り空が見えた。

「お、ようやく目が覚めた」

 聞き覚えのある女性の声が耳に入る。どこか楽しげな声は、無垢な少女のようだ。しかし、そんなかわいらしいものではない。この仕事をしている以上、美しさと可愛らしさを兼ね備えた上司を羨む周囲の声は大きいが、部下の身になれば、彼女がそれだけでこの地位についたわけではないことを実感する。

「調子はどう? ま、いいわけないか」

 そう言って、ふふっと笑う。笑い事ではないのだが、とりあえず自分が生きていることは自覚した。死んでなお、上司の幻覚をみるのはごめんだ。

「で、なにがあった」

 楽しげな雰囲気は一瞬にして霧散し、上司として非情な表情に変わる。

 ふっと息を吐くとかすれた声で答えた。

「赤の穏形おんぎょうです。ヒトの形にかなり近い容姿をしていました」

 そもそもあの日、急な仕事を命じられて、小雨の降る中、寂れた廃ビルに赴いたのだ。もちろん、命じられた内容は完遂した。けど、そこから撤退するとき、あいつに遭った。運がない話と言われればその通りである。

 組織上、警察に所属するものの、僕らが追うのは人間ではない。

 簡単にいえば、異形いぎょう

 人に害を加えるヒトならざるもの――穏形おんぎょうを処理するのが仕事だ。

 穏形は、おんから成る。

 穏は憎悪、嫌悪、嫉妬などの負の感情が目に見えるようになったものだ。靄のような形のない存在が、時間をかけ寄り集まり、物を掴めるようになると、既存する生物の死骸を寄せ集め体を得る。

 それが穏形おんぎょうだ。

 生物としてある造形美はなく、死体を寄せ集め作られたそれは、ただ不気味な物体でしかない。だが、その死骸の脳にあたる部分が知能の高い生物であればあるほど、穏形おんぎょうは強く厄介だ。

 僕はふっと息をついた。どうしても伝えなくてはと思っていたことを伝えられた。肩の荷が降りた気分だ。

「赤の穏形、か」

 穏形は死体の継ぎ接ぎだ。一個体のように皮膚の色が統一されていないのが常である。しかし、ごくまれに全身が一色に染まる穏形がいる。それらは、高い知能を持つだけでなく、力も通常の穏形より強い。

 災害並の脅威と認識していいだろう。

 そのとき、扉の方から咳払いをする音が聞こえた。考え込んでいた上司が、はっと顔をあげる。

「あ、忘れてた」

 彼女は、慌てて立ち上がると、タイトスカートからのびる黒タイツの足を優雅に動かしながら、病室の扉へ向かった。

「タイミングがいいっていうのは、最高だね。君に言うことがあったんだ」

 そう言って勢いよく扉を開ければ、眉間に皺を寄せた少年が立っている。まだ十代前半に見える少年は、ベッドに横たわったままの僕と目があった瞬間、目元を細め口をきつく結んだ。睨んでいるのかと思ったが、違う。彼が幼い頃によく見た顔だ。あれは、泣くのを耐えている顔である。

 五年ぶりの再会か。村を出てから一度も戻っていないから、そのくらいは経つ。

「今まで特例で単独行動を認めていたけど、他と同じように二人一組で行動するように。キャンディくんの相方は木ノ本きのもとくんね!」

「ちょ、待ってください!」

 僕は上体を起こそうとして、顔をゆがめた。

「ん、嫌だった?」

「そういう問題じゃないです! まだしず――彼は未成年ですよ!」

 命の危険を伴う仕事だ。そんな現場に引きずり込んでいい人間ではない。

「え、でも木ノ本くんにはちゃんと確認とっているし、本人も承諾したけど? それにキャンディくん知らないの? 日本の法律は改正されて成人は十八才になったけど、この仕事は十五をすぎればできるんだよ?」

「そういう問題では――」

「は? じゃあどこに問題があるわけ?」

 ぞっと背筋が凍る。一気に氷点下まで下がったのではないかと思ってしまうほど、場の空気が凍り付く。

 さっきまでの世の中のすべてが楽しいと思っていそうな高い声ではなく、蛇が地を這い、毒牙をむき出しにしているような低い声。

 冷や汗をかきながら、必死で言葉をつむぐ。

「……問題、ありません」

「ん、だよね!」

 よく耳にする方の声が返ってきた。

「キャンディくん、あとちょっとで三途の川を渡るところだったんだから。生きているのも奇跡ってこと、忘れないでね。この部署を任されている身としては、誰一人欠けても困るから」

 それは、彼女の優しさからくるものではない。

 穏形の数は減少傾向にあるものの、それを上回る速度で穏形を処分する技術を持つ人間も減っている。育成に力をかければ解決する問題でもない。生まれ持った素質が大きく関係してくるからだ。

「いや、よかった。なんとなく目が覚めそうだなって予感がして来たら、本当に目が覚めて、同時に毎日お見舞いにやってくる木ノ本くんもやってきて。説明の手間が一気に省けた、省けた! あ、医者いわく治りが早いから一ヶ月後には退院できるって。すごいね! キャンディくん。さすが両家の血を引く子! これからも君の働きには期待しているよ。あ、壊れた端末のえ、そこに置いといたから」

「え、三上みかみさん、ちょっと待っ――」

 しかし、呼び止めるより早く上司――三上は病室を出ていった。

 後に残された二人は、過ぎ去った嵐にただ呆然とするしかなかった。

「もう、めちゃくちゃだ」

 ベッドに横たわったまま、僕は声をあげた。胸の中で飲み込んでおける量をすでに越えている。

「ねえ、キャンディくんって?」

 久々の再会において、最初の言葉がそれかと思わなくもなかったが、僕は答えてやった。

雨夜洋祐あめやようすけの雨からキャンディ。正直、あの人の頭の中は理解できない」

 僕にだけ変なあだ名もつけるし。

 子供の頃から周囲からいい目をされてこなかったから、別に気にしているわけではないが。

ようにぃ――じゃなくて、雨夜さんはオレが相棒じゃ不安?」

「別にそういう訳じゃないけど」

 木ノ本静きのもとしずかとは、師が同じの兄弟弟子だ。十才離れているせいもあって、本当の弟のように可愛がった。周囲の人間――といっても幼少期を過ごした村の人間だが――は、声をかけてくるどころか近づいてもこなかったのに、だ。

 再び、沈黙が降る。

 静は昔から寡黙な少年だ。中性的な顔立ちのせいで少女に間違われることも多い弟弟子は、今も変わらず綺麗な顔立ちをしている。以前会ったときは長かった髪をばっさり切っていることも関係しているだろう。

 穏形を狩るのならその方がいい。穏形を消すすべを持つ者は、陽術師ようじゅつしという。術師の髪や爪は穏形にとって力を得られる宝物ほうぶつ。安易に盗られてはならない一部だ。

 ふと、あの日の雨の夜が脳裏によぎる。

 死を覚悟したあのとき。確かに誰かの声を聞いたような――。

「雨夜さん」

 思考を遮り、静の方へ視線を向ける。

「これからよろしくお願いします」

 緊張しているのか、堅い表情をした少年の肩はあがっている。安心させるように笑いかける。

「僕の方こそよろしく」

 陽術師になって初めて出来た相方は、弟弟子だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る