第3節 キャプテンの役割

翌日、登校したしょうは教室に入って一番に柑那かんなの姿を探した。まだ来ていないのだろうか。姿は見えない。カバンを置いてクラスメートと騒いでいるうちに、クラス担任がやってくる。先生の方へ目をやったとき、その視線の間に、いつの間に来ていたのか、柑那がいることに気づいた。


先生が話しているのも上の空で、翔はチラチラと柑那の様子を伺っていた。


なんだ、まるで彼女と話がしたいみたいじゃないか。


思わず自嘲じちょうしたが、そうだ。翔は自分の考えを柑那に聞いて欲しかったんだ。と気がついた。それだけじゃない。相談したいこともあった。


柑那に話しかけるチャンスを伺いながら見ていると、少しずつ彼女のことがわかり始めた。授業中に目立つ発言をする訳でもなく、休み時間に友達とお喋りをするでもなく、何とも地味な存在なのだ。道理どうりで、存在に記憶がなかったわけだ。それほどに、教室という空間に埋没まいぼつし溶け込んでいて、まるで空気のようだ、と翔は思った。

おそらく、翔が彼女に声をかけたところで、クラスの誰一人として気にも留めないだろう。そう思いながらも、翔は声をかけるタイミングを一日中逃し続けたのだった。


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放課後、柑那が教室から出て行くのを翔は追いかけた。声をかけられず、ずっと後ろをついて歩いて、これじゃなんだかストーカーみたいだな。思い切って声をかけよう、と翔が意を決したその時、あははは、と柑那が突然笑い出した。


声をかけるきっかけを再び奪われて翔が息をのんでいると、柑那は口を押さえ、肩を揺らしながら振り返った。


「ねぇ、私の名前覚えてくれた? あ・お・し・ま・くん?」


「も、望月もちづきだろ……覚えたよ」


「よかった、名前がわかんなくて話しかけられないでいるのかと思ってた」


柑那はペロッと舌を出して、からかうような表情をする。


気付いてたのかよ……。人が悪い、と思いながらも翔はなんだかホッとした。柑那も翔のことを少なからず気にしてくれていたのかもしれない。


「で、何か?」


翔は、昨日の夜、柑那に言われたことについて色々と調べたことや、キャプテンを引き受けてもいいという気持ちになったことを打ち明けた。

「なんか面白いことになりそうだって思えてきてさ」


「面白いこと??」


しまった、面白いという言い方は不謹慎ふきんしんだったか。翔は慌てて言い直した。


「面白いっていうかさ、自分も変わって行けそうだし、それが楽しみっていうか」


「うん、いいんじゃない? 面白いって思えることが一番のモチベーションになると思うから」


翔は心底ホッとして、やっと口がなめらかになった。


「でさ、副キャプテンを僕が指名することになってるんだけど、それがまた悩みの種でさ」


「うん」


「大竹とか、杉山とかもいいよな。僕としてはがくに頼むのもいいかなって考えたんだけど……あ、がくっていうのはさ、僕の一番の親友。昔からずっと一緒で僕も話しやすいしさ。なんでも言い合えるし、考えてることも大体わかるから……」


柑那は時々うなずいたり、聞き返したりしながら真面目な顔で翔の話を最後まで聞いていた。

しかし、また「いいんじゃない?」と賛成してくれるかな、という翔の期待とは裏腹うらはらに、柑那は意外な答えを返してきた。


「誰を副キャプにしたらみんながやりやすくなるかな、他のメンバーがどう感じるかなって、考えてみたらどうかな」


「他のメンバー??」


自分のことしか考えていなかった翔は、慌てて柑那の言う意味を考えた。

美波みなみ がくと翔はおさななじみで仲がいいし、普段から一緒にいることが多い。翔としては意思疎通いしそつうがしやすいし、あれこれ言わなくても考えていることをわかってくれるから楽だな、と思っていたけれど……。


「そうか、他のメンバーは僕とがくが2人だけでいろんなことを決めたり、進めているように感じるかもしれないってことか」


いつも二人が一緒にいたら、下級生なんかは話しかけづらいかもしれない。


なるほど。と思った。


じゃあ杉山だったら?

杉山はうちのエースだ。サッカーは抜群ばつぐんにうまい。尊敬そんけいはされているけれど、やはりナルシストというか多少自己中心的なところがある。周りに気をつかうタイプではない。レギュラーメンバーとはうまくいきそうだが、レギュラーになれない奴らがどう感じるか……。


大竹は頭がいい。それだけに物をはっきり言いすぎるきらいがある。ド正論で押されたら、翔ですら言葉に詰まってしまう。下級生はビビってしまうかもしれない……。


3年生の顔を一人ずつ巡らしていくと、今まで一度も浮かんでこなかった一人の顔に思い当たった。


ゴールキーパーの西 惺矢せいやだ。

西は落ち着いた性格で、特別誰かと仲がいいというわけではないが、むしろ誰とでも付き合える人物とも言える。一番後ろからチームを見ているポジションなだけに、チームメイトの性格もよく知っていて、声かけもうまい。

何より試合の時は熱く、しかし冷静な分析力もある。


面倒見めんどうみがいいから下級生も話しやすそうだし、翔とは全然違うタイプだから翔が気づかないところをカバーしてくれるだろう。翔のようにお茶をにごすことなく、はっきり思ったことを言ってくれそうだ。


柑那は翔の考えを聞くと


「いいと思う」


と笑顔になった。


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監督は職員室で、プリントのチェックをしていた。監督の担当は国語なのだ。


しょうは入り口で一つ、大きく深呼吸。

しっかり前を見て、「失礼します!!」

と大きな声で挨拶した。


職員室にいた全員が顔を上げて翔の方を見た。

顔が赤くなるのを感じながら、翔は監督をぐに見て、歩みを進めていく。

監督はプリントを裏返すと、立ち上がって奥の小部屋へと翔を促した。


「キャプテン引き受けたいと思います!」

翔が言うと、

「まあ、落ち着いて。とりあえず座れよ」

と、監督は苦笑した。翔は意気込むあまり、半分腰が浮いていたようだ。


監督の向かいに座りながら、大きく息をついて、もう一度はっきりげた。

「キャプテンを、やらせてください」


監督はやさしい笑顔を見せ、引き受けてくれてうれしい、と言った。

「正直なところ、引き受けてくれるか五分五分ごぶごぶだと思っていたんだ」

と監督は続けた。


「青島の性格を、わかっているつもりだったからな。


他のやつに遠慮するかもしれないと思っていた。でもな。俺は青島の、謙虚けんきょで、素直なところを買っているんだ。技術面では一番じゃないかもしれない。でもチームのバランスを取ったり、周りの選手を生かしたり、そういう力があると思っているんだ。ゲームキャプテンも任せられると思ったんだ。それにな、青島は正直で、公平だろう? そういうところもキャプテン向きだと考えたんだ」


正直で、公平だなんて、初めて言われた。自分でそんなことを感じたり、特に意識していたわけでもないが、他人に、しかも監督に、そんな風に評価されているとは思っていなかった。

そもそも翔は地味な存在で、怒られもせず、められもせず、そんな人生を送ってきたのだ。サッカーだって、下手へたではないが、特別上手くもなく、11人のメンバーにギリギリ入れるかどうか、くらいの出来栄できばえだ。それを謙虚けんきょというのだろうか。どちらかというと自信がないとか、おとなしいとか、今まで評されてきたのはそんな言葉ばかりだった。


またグラウンドを一人で走りながら、翔は監督との会話を反復はんぷくしていた。

監督が翔にチームのキャプテンだけでなく、ゲームキャプテンをまかせようと思ってくれていたということ。素直に、嬉しかった。でもゲームキャプテンということは、試合に出なければならない。試合に出られなければ、キャプテンマークは巻けない。


負けてられないな。11人にいつも入れるようにならなければ。


そう思うと、走る気持ちも高揚こうようした。


そういえば、副キャプテンを西に任せたいということを監督に話した時、監督は少し驚いていた。監督も、翔ががくを選ぶと思っていたようだった。

でも、翔がなぜ西を選んだかということを話すと、納得したように頷いてくれた。


「西には俺から話しておくな」と監督が言ってくれたので、翔はほっとして職員室を後にしたのだった。


監督が後ろで「面白くなりそうだな」とつぶやいていたことなど、知らずに。

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