第37話、計画

 放課後。

 今日の授業も無事に終えて、俺とソフィアは帰り支度をし始める。


 帰ったら今日も昨日に続いて翻訳作業に取り掛からなくては。推しから頼られている、彼女の力になれる、そう思うだけで俺のやる気はどんどん高まっていく。


『今日も楽しみだな、ソフィー。早く帰って作業の続きがしたいよ』

『ねえねえ、作業の前に今日もレンのお家にお邪魔していい? レン頑張ってくれてるから精のつくものをご馳走したいの!』


『ソフィーの手料理はマジで美味いからな。もちろん大歓迎さ』

『えへへ、レンってばいつもニコニコ笑顔でわたしの料理を食べてくれるから作りがいがあるのよね。今日もいっぱい笑顔にしてあげるから』


 配信でも笑顔にされ、学校でもソフィアには何度も元気を貰っている。その上、家では彼女の手料理を食べられる毎日はまさに天国のような生活だ。


 満面の笑みを浮かべるソフィアに俺も負けないくらいの笑顔を返す。


 こうして俺とソフィアが親しげにしている光景はクラスでも評判で、その様子を皆が微笑ましい表情で見つめている。その反応がくすぐったくはあるが今は嬉しさが何よりも勝っていた。


 そんなクラスメイトに別れの挨拶を告げた後、ソフィアと二人で教室を出ようとした時だった。


 何やら廊下の方が騒がしい。


 教室を出る前に一体何があったのかとちらりと廊下の様子をうかがえば、俺達の教室の外に見覚えのある生徒がずらりと並んでいた。


 彼女達は今期の生徒会役員だ。その中心には生徒会長であり学園のアイドルにして俺の幼馴染、黒陽 姫奈の姿もあって、今まで見たことのないような真剣な表情を浮かべている。


 また何か面倒事かと内心身構える俺だったが、ソフィアはそんな彼女に臆する事なく笑顔で手を振って応えた。


『わあ、ヒナさん。もしかしてわたし達に会いに来てくれたの?』

『まさか。ただそれだけの用事で生徒会の役員引き連れて俺達に会いに来るか? 嫌な予感しかしないな』


 姫奈が俺を生徒会の仕事を手伝わせたい時は向こうからスマホで連絡してくる。何か用事がある時だって一人で俺のいる教室まで来るのがいつもの事だ。


 こうやって生徒会役員を引き連れて俺の教室にまで来るなんてパターンは初めてで、だからこそ不安しかない。


 一体何なのかと考えているうちに、彼女達はゆっくりと歩み寄ってきた。教室に残っていたクラスメイト達はその様子を眺めながら息を呑んでいる。


 そして俺を見つけた姫奈は真っ直ぐに教室の出入り口へと歩いてきた。


「連、今日はあなたにお願いがあって来ました」

「要件って。何だか随分と仰々しい感じだな、生徒会役員を全員連れて俺のところにくるなんて。そんなに重要な案件なのか?」


「はい、今後の美谷川高校に大きく関わる重要な案件です。それを伝えるべく生徒会役員を連れてこうして足を運びました」

「なんだよ、それ。俺に出来る事なら協力するけど、変なお願いだけは勘弁してくれよな」

「安心してください。決して悪い話ではありませんから」


 俺を見上げるようにしながら自信たっぷりに語る姫奈。悪い話ではないというが俺には悪い予感しかしない。


 すると姫奈のすぐ後ろに立っていた女子生徒が前へと出る。


 栗色の髪をポニーテールに結び、メガネの下にはキリッとした切れ長の目が印象的な少女だ。


 彼女の事はよく知っている、というよりこの学校で彼女を知らない人間はいないだろう。


 生徒会副会長、早乙女さおとめ 麗華れいか


 その頭脳明晰さとクールな雰囲気から多くの男子から人気を集める彼女は、姫奈と共に生徒会の中心メンバーである。


 成績優秀でスポーツ万能、生徒会の中でも唯一姫奈と対等に渡り合える存在だ。そんな彼女を連れてきたのだから只事ではないのは確かで、俺の不安はますます膨らんでいく。


 早乙女は姫奈の隣に立ち、深々と俺に向けて頭を下げた。


「月白君、生徒会副会長を任されている早乙女 麗華です。今日は生徒会長の黒陽さんと一緒に大事な話がありまして、こうして貴方の元を訪ねさせてもらいました。お時間を頂けますでしょうか」

「ああ、大丈夫だけど……」

「ありがとうございます。では単刀直入に申し上げます」


 そう言うと早乙女は姿勢を正し、改めて俺の方を見る。

 彼女の雰囲気からこれから話す事がどれだけ重大な内容なのか察した俺は思わず唾を飲み込んだ。


 周りのクラスメイト達も固唾を飲む中、早乙女は口を開いた。


「あたしの代わりに、月白君には次の生徒会長選で黒陽さんと共に副会長候補として立候補して欲しいのです」

「……っ、姫奈からだけじゃなく現副会長の早乙女さんからもそう言われるとはな。こいつは驚いた」


 生徒会長の姫奈、そして副会長の早乙女。二人の人気は圧倒的で他の候補を押し退けて当選するのは確実と言われている。


 そんな状況下で重要な副会長のポストを俺に明け渡すと言っているのだ。あまりにも衝撃的な発言に周りは騒然となり、ソフィアも驚きで目を大きく見開いていた。


 俺には興味のない事だが、生徒会の副会長を任されれば教師達からの内申点は爆上がりだ。美谷川高校のような高い偏差値を持つ有名な学校ではそれは大きなメリットになる。


 大学への自己推薦入試での推薦条件にも入っているし就職にだって有利に働く。だからこそそんな美味しいポジションを誰かに譲るなんてありえないと思っていた。


 いくら姫奈が俺を副会長にしたいと連呼しようとも、共に選挙を戦い抜いて一年間の生徒会活動を共にしてきた早乙女を裏切るような真似をするわけがない。だからこそ姫奈がなんと言おうと、それは冗談の範疇で収まるものだと勝手に思い込んでいた。


 しかし今目の前にいる二人は本気だ。

 特に早乙女からは並々ならぬ決意を感じる。


 一体どういうつもりなのかと俺が困惑していると早乙女は更に続けた。


「実はあたし、長らく皆さんには黙っていましたが……来月に県外へ転校しなければなりません。この学校を離れれば生徒会副会長としての仕事は続けられない。ですので、あたしの後を任せられる人材を探していたのです。そこで現生徒会長であられる黒陽さんが、月白君がわたしの後を担う副会長に相応しいと強く推薦されました」


「姫奈は早乙女さんの転校を知ってたから、だから俺に副会長になって欲しいって以前からずっと……」


 俺が尋ねると姫奈はこくりと小さくうなずいた。

 そして真剣な表情を浮かべたまま俺に語りかける。


「はい。私は生徒会役員を束ねる立場ですから、役員達の家庭の事情についても把握しています。早乙女さんがご家族と共に県外へ引っ越される予定がある事を知っておりました」


「そういうわけです。あたしは黒陽さんから月白君の仕事ぶりを良く聞いていました。生徒会活動を影から支えてくれていたのは貴方なのだと、この一年でどれだけ月白君が生徒会に尽くしてくれてきたのかを聞いています。貴方こそがあたしがいなくなった後の副会長に相応しいと心の底から思っているのです」


「早乙女さんの言う通りですよ、連。あなたなら副会長として立派に務めてくれると信じています。次の生徒会長選、共に戦いましょう」


 二人は俺の目を見ながらそう告げた。その言葉に嘘偽りはない、本気で俺の事を評価してくれている。


 そしてそれは俺だけじゃなく、周りの生徒達にも伝わっていた。


 騒ぎを聞きつけて集まっていた他のクラスの生徒、上級生や下級生までもが二人の話を聞いて俺の評価を改めたようにこちらを見ている。その視線と二人から告げられた内容に困惑する俺は、一言も言葉を返す事が出来ずその場に立ち尽くしていた。


 そんな俺の様子に姫奈はくすりと笑い、ぶらんと下げていた俺の右手を握りしめた。


「連、私がお伝えしたい案件はここまでです。今は困惑しているでしょうからすぐの返事は頂きません。また後日、改めて答えをお聞かせくださいね。良いお返事が聞ける事を楽しみにしていますよ」


 そう言って姫奈と早乙女は俺に別れを告げて生徒会室へと戻っていく。


 そこに残っていた生徒達が俺に羨望の眼差しを向ける中、今の会話を静かに聞いていたソフィアだけは不安げに瞳を揺らして俺の顔を見つめ続けていた。

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