第8話 まさかの連勝。

「先鋒前に」

「ハイ」

 審判に呼ばれて畳に足をつけたのは、金次だ。大丈夫。金次なら、勝てる。

俺は、黙って見ているしかないのがなんか複雑な心境だった。

「始め」

「おぅ!」

 掛け声とともに足を踏み出すと、相手の襟首を掴むと同時に、鮮やかな背負い投げを打った。

「一本、それまで」

「よっしゃ!」

 まずは、一勝だ。まさに、秒殺だった。息も切れていない。

「銀次、続けよ」

「うん、兄ちゃんにばかり、カッコいいとこ見せたくないから」

 続く次鋒の銀次も、気合充分だ。なんと、二人で二分とかからず、あっという間に二勝目をあげた。

横を見ると、正宗は、微動だにせず、腕を組んで正面を見据えているだけだ。

 問題の中堅と副将だ。強くなったとはいえ、試合をするのは初めてだ。

緊張するなという方が無理だ。呼ばれても声が震えている。正宗は、主将なのに、一言くらい声をかけてやればいいのに

じっとしているだけで、何も言わない。まずいなと思った。

 俺は、女子の列に並んでいたが、こっそり立って、後輩の二人に声をかけた。

「いい、キミたちは、勝てる。自信を持って。練習を思い出すのよ。自分を信じて」

「ハ、ハイ」

「よし、がんばって、いってらっしゃい!」

 俺は、そう言って、二人の肩を大きく叩いた。

「よぅし、やるぞ」

 二人の顔に緊張の色が消えた。もしも、二人が負けても正宗がいる。

その点は、安心してみていられる。俺は、自分の位置に座り直して正面を見た。

 試合が始まった。中堅の二年生の高田敬司は、やはり相手に押されている。

技ありを取られてしまったときは、一瞬ヒヤッとした。

それでも、相手についていこうとしているのは、今までなかったことだ。

相手に押されると諦めてしまう。でも、今は違った。投げられまいと、食い下がっている。

 時計を見ると、終了まで、あと10秒だ。このままでは、相手の優勢勝ちで、負けてしまう。やっぱり、ダメか。しかし、諦めたときだった。

「一本、それまで!」

 審判の声で、負けたと思った。しかし、勝ったのは、二年の高田くんだった。

一礼して、戻ってきた高田くんは、泣いていた。

「勝ちました」

「泣くな。お前は、よくやった」

 正宗が怒鳴りつけた。

まさかの展開だった。これで三勝した。一回戦は突破だ。

三連勝で勝ち上がるとは、思わなかった。信じられなかった。

これほど、俺たちは、強くなっていたのか?

俺自身、夢を見ているようだった。

 しかし、その夢の続きは、まだ、終わっていなかった。

「よし、俺もいきます」

 副将の二年の坂口嘉明が、畳に上がった。さっきまでの緊張感は、欠片もなかった。

俺は、審判の声も耳に入っていなかった。こんな展開が予想できたか?

正直言って、試合に勝てたとしても、三勝二敗だと思っていた。

ところがどうだ。この展開は。こんなことってあるのか?

「一本、それまで!」

 俺は、審判の声で、現実に戻った。見ると、二年の坂口くんが、両手を突き上げているではないか。

「主将、勝ちました」

「よくやった。次は、俺の番だ。お前たちの努力は、無駄にしないからな」

 まさかまさかの四連勝だった。てことは、次は、正宗だから、当然勝つに決まってる。

てことは、無傷で二回戦に進出ってことじゃないか。ウソだろ……

 相手は、すでに負けが決まっている。しかも、ここまで、一人も勝ててない。

完全に気持ちでも負けてしまっている。そのためか、正宗は、力を出すまでもなく、あっさり勝った。

 男子は、五連勝で二回戦に進出が決まった。喜ぶ男子たちを、正宗が一括する。

「静かにしろ。次は、女子だ。おとなしく見てろ」

 そうだ、次は、いよいよ俺の番だ。久しぶりの実戦だ。

緊張どころか、早く試合がしたくてウズウズする自分がいた。

「では、一回戦、女子の部。学生連合前に」

「ハイ」

 五人全員で声を上げて立ち上がった。

「それでは、先鋒は、前に」

「ハイ」

 よし。まずは、一勝だ。久しぶりの試合だ。これが、燃えずにいられるか。

俺は、足を畳みにかけた。そのとき、あの声が聞こえた。

「渚ーっ! がんばれぇ~!」

 その声に思わず振り返ると、必勝の鉢巻を巻いた、母さんが大声を出していた。親父、母さんを止めろよ。試合をする俺よりも、力が入っている母さんを見て、深く深呼吸した。

 この試合は、母さんのために勝つ。俺は、そう誓って、相手と正面に合った。

「始め!」

 審判の掛け声で、試合が始まった。相手は、俺の袖を掴んだ。

そして、襟首を掴んだ。

相手は、俺より弱いことがわかった。だが、今は、昔の俺じゃない。

相手が弱いからといって、相手をなめたり、格下扱いなんてしない。

誰が相手だろうが、一戦一戦を大事に戦う。思い上がった気持ちなんて、今の俺には、微塵もない。

「おりゃぁ!」

 俺は、相手を引きつけると、勢いよく投げ飛ばした。

「一本それまで」

 まずは、一勝。久しぶりの試合は、気持ちよかった。なのに、それを弾き返すほどの声援が飛んだ。

「渚ぁ~、カッコよかったわよぉ」

 その声は、母さんだった。席に戻って応援席を見ると、母さんと親父が抱き合っていた。

ここをどこだと思ってるんだ、あの二人は。遠くの方で、妹が頭を抱えているのが目に入った。

万年ラブラブ夫婦は、ここでも本領発揮だ。俺は、ガックリしていると春美が言った。

「ナギちゃん、強くなったわね。あたしも勝つから、見ててね」

 次鋒の春美が呼ばれた。春美の試合が始まった。あいつの試合を見るのも久しぶりのことだ。力よりも、動きの速さと、相手を惑わす動きが得意だった。

 春美は、相手が来たところをうまく交わして、スライディングして、足を救い上げ、そのまま得意の寝技に持ち込んで、一本勝ちだった。

「春美、よくやったわね」

「当たり前よ。あたしとナギちゃんは、負けないのよ」

 その通りだ。俺たちは、負けてはいけない。勝つためにきたんだ。

次は、二人の二年生の番だ。見ると、ガチガチに緊張している。

男子の二年生が、勝ったことで、かなりプレッシャーを感じているようだった。

 この緊張感をほぐさないといけない。ところが、龍子もまた、正宗同様に、

じっとしてるだけだった。

龍子は、女なんだから、少しは、後輩の気持ちをわかれよと思ったが口には出せない。

「ナギちゃん、声をかけてきたら」

 春美に言われて、俺は、二人に駆け寄った。

「近藤さん、沖田さん、大丈夫よ。自信を持ちなさい。あたしを投げたときのことを思い出すのよ。それに、あなたたちの後ろには、龍子がいるんだから、安心して試合してきなさい」   

「ハ、ハイ」

「それじゃ、いってきなさい」

 俺は、中堅の二年生の近藤さんの肩を両手で叩いて送り出した。

「では、始め!」

 審判の声で、試合が始まった。しかし、終始、相手に押されっ放しだった。

技ありや、有効がとられてないのが奇跡だ。しかし、このままでは、優勢勝ちにされてしまう。

こちらからも、相手を攻めないといけない。時間もだんだんなくなっていく。

 男子からの応援の声が大きくなる。がんばれ、俺も、心の中で静かに声援を飛ばした。しかし、もう、時間がない。相手に押されてばかりなので延長はない。

このままでは、優勢勝ちで負けてしまう。

 ところが、残り三秒のときだった。相手が時間切れで優勢勝ちを思ったのか、ちょっとした隙が出来た。

それを見逃さなかった。二年生の近藤さんは、相手の懐に潜り込むと、相手を背中に抱えて、一本背負いできれいに投げ飛ばした。

「一本、それまで!」

 会場がシーンと静まり返った。そして、一拍してから、一部の応援席から大歓声が起きた。

言うまでもなく、俺たちの応援団だった。学生連合が、一回戦を突破したのは前代未聞だった。

単なる学生の寄せ集めの集団が、勝ったのは前例がなかったことだ。

「あたし、勝っちゃった……」

 事の重大さが、まだ実感できないらしい、二年の近藤さんは、震えながら戻ってきた。

「よくやったわね。強くなったわ。もう、あたしは、言うことないわ」

 龍子は、その後輩を出迎えてそういった。

俺もビックリした。まさかの展開だ。だが、まだ試合は終わっていない。

「副将、前に」

「ハイ」

 元気よく声を上げて、畳に上がった二年の沖田さんは、もう、俺が心配する必要はなかった。明らかに、緊張していた様子は微塵もなかった。

「始め」

 審判の掛け声と同時に相手を掴むと、俺を投げたときと同じように、豪快に相手を背負い投げで倒した。

秒殺だった。ここまで強くなっているとは、信じられない。

戻ってきた二年の沖田さんは、息を弾ませながら、ガッツポーズを作った。

 もしかして、俺たちのチームは、ホントに無敵かもしれない。完全優勝も、夢じゃないかもしれない。

「主将、がんばって下さい」

「任せなさい。あなたたちが勝ったのに、あたしが負けるわけにいかないじゃない」

 龍子は、顔を上気させて、自信満々の顔で言った。その顔は、少し笑っているようにも見えた。最高の笑顔だ。

相手と向かい合った龍子は、片目で相手を睨みつける。

相手は、もう負けが決まっている。

その上、相手が、有名な独眼龍子だ。黒い眼帯が、迫力満点だ。

「始め」

「おりゃあ」

 龍子の掛け声で、すでに相手は、負けたも同然だった。

しかし、龍子は、足を踏み出さない。相手が来るのを待っている。

控えに座っている後輩たちから声がかかる。しかし、龍子は、微動だにしない。

こんなときの龍子は、はっきり言って最強だ。

 時間が刻々と過ぎていく。審判で責めるように指導が入る。

それでも、龍子は動かない。じっと構えたままだ。そして、時間が残り15秒を切ったときだった。

痺れを切らした相手が動いた。それを見逃すような龍子ではない。

 相手が自分の襟を掴み、袖を掴んだ瞬間、龍子は、声を上げると同時に、まるで柔道の見本のようなきれいな背負い投げをして見せた。

「一本、それまで」

 審判の声で、試合が終わった。まさかの男子も女子も、五連勝で一回戦を勝ちあがった。

控えに戻る龍子を、全員で出迎えた。しかし、龍子は、真剣な表情で言った。

「喜ぶのはまだよ。次も勝たなきゃ優勝できないの。喜ぶのは、優勝してからよ」

 そう言って、後輩たちを引き締めた。

「やるね、さすが、主将だわ」

 春美が小さな声で呟いた。

「当たり前よ。龍子だもの」

 俺は、それに、こう答えた。


 一回戦を勝ち上がった俺たちは、二回戦に備えて休憩に入った。

正宗と龍子は、俺たちを集めてこう言った。

「まずは、一回戦は、勝った。二年のみんな、よくがんばった。だが、次の二回戦も勝たなきゃいかん」

「さっきの試合を思い出して、これまでの練習の成果を見せるのよ」

「それじゃ、次も勝つぞ!」

「ハイ!」

 いい雰囲気だ。全員の気持ちが一つになった気がした。

「渚先輩、ありがとうございました」

「あたしのせいじゃないわ。あなたの実力よ」

 二年の高田くんが俺に言った。お礼を言われるようなことじゃない。これは、自分の実力なんだ。

「あの、渚先輩。あたし、次も勝ちます」

「その調子よ。次もがんばってね」

 二年の沖田さんもうれしそうだった。勝つ喜びを知ると、人はさらに強くなれる。

それは、俺自身がそうだったからだ。アルフォンヌに何度も投げられ、負けてたまるかと何度も立ち上がった。

それでも、アルフォンヌには勝てなかった。しかし、大会で勝った瞬間、その喜びに体が震えた。

 アルフォンヌは、そんな俺にこう言った。

『ナギくん、強くなったのだ。もう、私も勝てないのだ。自信を持っていいのだ』

 あのときの言葉は、一勝忘れないだろう。アルフォンヌに認めてもらった瞬間だった。

ものすごくうれしかった。その一言で、俺は、さらに強くなろうと思った。

それには練習しかない。そのときから、俺は、毎日、練習を続けたんだ。

 そして、二回戦。相手は、話題の強豪校だった。

「みんな、油断するな。自分の力を出し切ることを忘れるな」

 正宗が俺たちにカツを入れた。

一回戦を戦ったことで、体の準備は出来ている。気持ちも高ぶっている。

 まずは、先鋒の金次からだ。

「親分、お先に失礼します」

 この期に及んで、まだ時代劇みたいなことを言ってる金次に、弟の銀次が答えた。

「兄ちゃん、俺も続くぜ」

「おぅ、銀次、後は任せた」

 任侠映画の見すぎだ。やっぱり、こいつらは、柔道は強いが、バカ兄弟だ。

それでも、実力は、折り紙つきだ。相手が強くても、この兄弟にとっては、相手じゃない。

金次と銀次は、当たり前のように勝って、早くも二勝目を上げた。

 相手は、早くも浮き足立って焦っているのが見てわかる。

自分たちが、まさか二連敗もするとは、思わなかったのだろう。

 中堅の二年の高田くん番だ。相手は、強い。だが、気迫なら、負けてない。

相手にいくら攻められても、後に引かない。投げられても、ギリギリのところで、技あり止まりだ。

一本は取られていない。ものすごい進歩だ。

「がんばれ!」

 思わず、俺も声を出してしまうほど、力の入って熱戦だった。

相手が投げようとしたのを自分から体を浮かせて相手に絡みつくと、寝技に持ち込んだ。そして、体固めにすると、必死に相手を押さえにかかった。

「それまで」

 審判の合図で二人が離れる。

「寝技で一本勝ち」

 審判の手が、俺たちに上がった。

「やったーっ!」

 双子の兄弟が、飛び上がって喜んだ。これで、男子は二回戦も突破した。

続く、二年の副将の坂口くんの番だ。

 相手は、体格が倍くらい大きかった。

「始め」

 審判の合図で試合が始まった。相手は、負けが決まっている。だが、俺たちに負けたことが余程悔しいのが、ムチャクチャに攻めてきた。俺から見たら、デタラメな戦法にしか見えない。

 しかし、二年の坂口くんは、冷静に相手を見て、相手の攻撃を交わしている。

畳の上をちょこまかと逃げながら、相手の隙をうかがっている。

そして、相手が襲い掛かってきたところを、まるでラグビーのようにタックルした。

勢いがついたまま、相手は、背中から畳に大の字に倒れた。

「一本、それまで」

「よっしゃぁ~」

「親分、やりましたよ」

 双子の兄弟が興奮して正宗の肩を叩いている。

「静かにしろ」

 正宗に一括されて、黙るバカ兄弟。すぐに調子に乗るのが、こいつらなのだ。

「親分、いってらっしゃい」

 懲りてない双子の兄弟は、正宗に深々と頭を下げて見送った。

そして、正宗は、気合充分で相手と向き合った。今の正宗に適う相手はいなかった。

一回戦のときと同じにように、まさに秒殺で相手を仕留め、当たり前のようにケロッとした顔で戻ってきた。

「お帰りなさい、親分」

 だから、その口調は、やめろ。みんなが見てなかったら、二人をグーで殴ってるところだ。

とにかく、男子は、誰も負けないまま二回戦を突破した。

俺から見ても、奇跡としか思えない。こんな展開、誰も予想してなかったはずだ。

二年生たちが負けても、三勝二敗で勝ち進むと思っていたのに、まさかの連勝だ。

この勢いで、女子も二回戦も勝つ。女子の五人も引き締まった顔だった。


 次は、女子の二回戦だ。この調子で、今度も勝つぞ。

勢いをつけるためにも、まずは、俺がビシッと勝ってやる。

「先鋒前に」

「ハイ」

 俺は、畳を踏んで前に出た。見ると、相手は俺よりでかい。それでも女子かと思うような体格だった。

もっとも、俺も他人のことは言えない。正真正銘の男だから……

「始め」

 審判の号令とともに、相手が力任せに突っかかってきた。

俺は、相手の力に任せて、そのまま後ろに足を踏み出す。押されて場外に行く寸前で、体を沈ませ、相手の力を利用して、足を投げ出した。滅多にやらない、巴投げだ。

「一本、それまで」

 俺は、立ちながら帯を直す。互いに礼をして、控えに戻った。

「渚ぁ~、カッコいいわよ」

「強いぞ、強いぞ、ナ・ギ・サ」

「その調子で、いけぇ~」

 応援団の声援が、ハンパじゃない。恥ずかしくて、死にそうだ。

「さすが、ナギちゃん、やるぅ~」

 春美が俺に軽い調子で言った。

「頼むわよ、春美」

「任せて」

 自信満々で、春美は一歩を踏み出した。

その言葉通り、春美は、俺の真似をして、巴投げで勝った。

「真似しないでよ」

「いいじゃん。あたしだって、アレくらい出来るもん」

 控えに戻ってきた春美に俺が文句を言っても、全然聞いてない。度胸だけなら、俺以上だ。次は、二年生たちの番だ。

「がんばってね」

「ハイ」

 俺は、中堅の二年の高田さんにハッパをかけた。

しかし、二回戦の相手は、かなり強かった。正直、二年生には、荷が重い。

それでも、がんばった。一本を取れないと思ったのか、技ありを二回取った。

相手の攻撃を交わしながら、時間切れの優勢勝ちで、一本取ってしまった。

「やったーっ!」

「勝ったぞ」

「すごいぞ」

 応援席は、優勝したような騒ぎだった。

でも、これで、二回戦も突破できた。ホントに信じられない。

「やるじゃん」

「ハイ、勝てないなら、勝てないなりに、考えました」

 息を弾ませて、二年の高田さんが返って来た。

なるほど、その手もあるか。弱いなら、弱いなりの戦い方がある。ずいぶん成長したもんだ。

 そして、副将だ。相手は、負けが決まっているので、ものすごい形相で睨んでいる。こんなはずじゃなかったのだろう。たかが、学生連合という、寄せ集め集団に負けるなんて思いもしなかったはずだ。その悔しさが顔に出ている。

 だが、副将の二年の坂口さんは、そんなことくらいでは、弱気にならない。

なぜなら、これまで毎日、鬼のような顔した、刑事たちを相手にしていたから。

それくらいの顔を見ても、効き目はない。応援席にいる、刑事たちから見れば、目の前の相手など可愛いもんだ。

 審判の合図と共に、試合が始まった。

相手は、積極的に攻めてくる。思い切って投げようとするが、体重の差で押しつぶされた。そのまま寝技に持ち込まれた。負ける。俺は、覚悟した。

でも、すでに三勝しているから勝ちは勝ちなのだ。ここで負けても、誰も文句は言わない。それより、ケガのが心配だ。

二年生は、強くなったとはいえ、まだまだ初心者レベルだ。ケガをして、棄権するのが一番怖い。

 ところが、上になっている相手が、畳をタップしたのだ。

「押さえ込み、一本」

 相手の下から這い出てきた二年の坂口さんは、笑顔だった。それに引き換え、相手は、大の字に倒れて失神していた。

戻ってきた坂口さんに聞くと、汗びっしょりになりながらこう言った。

「刑事さんに教えてもらった、三角締めをやって見ました」

「ハァ!」

 おいおい、刑事連中は、初心者になにを教えたんだ。そんなの素人に教えちゃダメだろ。そんな高度な技は、俺だって決まらない。相手があっての最強の寝技だぞ。それを二年生が、あっさり決めるとは……

「大将、前に」

「ハイ」

 龍子は、大きな声で返事をすると、畳に上がった。

後輩女子の初心者の白帯が、そんな技で勝ったとなれば、龍子が燃えないわけがない。

相手と組み合うと、力いっぱい投げて見せた。相手がうつ伏せで倒れる。

「技あり」

 審判が言うより早く、龍子は相手を押さえ込んだ。横四方固めだった。

相手は、ジタバタするだけで、しっかり押さえつけられて逃げることが出来ない。

そのまま、時間になって、龍子が勝った。これで、五連勝のまま負けなしで準々決勝だ。

「姐さん、お疲れ様です」

 双子のバカ兄弟が、余程感動したのが、タオルを差し出しながら言った。

「ありがとう」

「カッコよかったです」

「感動しました」

 だから、映画の見過ぎだって…… その言葉遣いを今すぐ直せ。

呆れて頭を抱える俺だった。


 俺たちは、休憩を挟んで、準々決勝だった。

「もう、何も言わん。お前らは、よくやった。特に、二年生たち。強くなって、俺はうれしい」

「あたしも、二年生たちにお礼を言うわ。強くなったわ」

 正宗と龍子は、そう言って、後輩に頭を下げた。しかし、試合は、まだ続く。

「次は、今まで見たいにはいかないからね」

 龍子が気持ちを切り替えて言った。

「よし、それじゃ、みんな、いくぞ」

 正宗が気合を入れ直す。

「ナギちゃん、ホントに優勝するかもよ?」

「バカね。ホントに優勝するのよ」

 話しかけてきた春美にそう言った。

「渚のあにぃ、じゃなくて、渚さん。俺たち、感動してます」

「優勝しましょう」

 バカ兄弟は、すでに涙ぐんでる。

「泣くのは、まだ、早いわよ。優勝してからにしなさい」

 俺は、グーパンチを我慢して、双子の兄弟に言った。

そして、準々決勝が始まった。応援席は、早くも大盛り上がりだった。

 さらに、観客席はもちろん、勝ち上がった学校の部員たちまでが、ざわつき始めた。

無名の俺たちに注目が集まった。有名なのは、正宗と龍子だけだ。

俺は、女子の身分だし、春美と双子の兄弟は、そもそも柔道は強いが、学校では柔道部がないから、誰も知らない。

二年生の後輩たちは、当然、誰も知らない。そんな俺たちが、ここまで誰一人負けることなく、勝ち上がってきたのだ。

観客も出場校の部員たちも、俺たちの試合に視線を集めた。

「それでは、これより、準々決勝を始めます。出場校は、整列」

 言われた俺たちは、整列する。何しろ、初出場の学生連合が、ベスト8なのだ。

横を見れば、強そうなやつらばかりだ。しかも、どの高校も有名な強豪校ばかり。無名なのは、俺たちだけ。しかも、正宗と龍子以外は、見下されて、バカにされている感じだ。

見てろよ。俺たちの実力が本物だってことを、これから見せてやる。

 俺たちは、一度控えに戻って、順番を待った。

他の高校の試合を見ていると、どれも熱のこもった迫力のある試合だった。

見てるだけで、自信をなくしそうで、後輩たちには目の毒だ。

 そして、いよいよ俺たちの番がやってきた。

まずは、男子だ。先鋒の金次からだ。相手は、金次よりも大きい。見下ろされている感じだ。

だが、金次も負けていない。見上げながら、相手をしっかり見ている。

 試合が始まると、いきなり掴まれて、場外に押し出された。

中央に戻り、試合再開。今度は、道着を掴まれて、いいように振り回されている。

このままじゃ、投げ飛ばされるぞ。なんとかしろ、金次。

 しかし、金次の目の光は、まったく失っていない。それどころか冷静だった。

力で引き付けられて、投げられそうになったが、それも軽く交わすと、足を払って倒してしまった。

「有効」

 審判が言った。もう一度、中央に戻ると、再びがっちり組んだ。

相手は、またしても金次を引き付ける。だが、今度は、そうはいかない。

金次は、引きつけてきた腕を払いのけると、逆に相手を掴んだ。

足を払うと同時に腰に相手を乗せて、軽く投げ飛ばした。

「一本それまで」

 審判の掛け声を聞きながら、まるで、スローモーションを見ているような気がした。

「兄ちゃん、すごいよ」

 弟の銀次が戻ってきた金次に言った。

「ざっと、こんなもんだ。銀次、負けるなよ」

「うん」

 銀次は、帯をギュッと締め直すと、一歩踏み出した。

次の銀次の相手は、体格はそれほどではないが、変則技が得意な相手だった。

基本的な柔道の組み手が通用しないので、銀次は、やりにくそうだった。

 攻めても来ないし、こっちから組みに行っても、逃げてばかりだ。

イライラしてくる、ストレスがたまる試合だ。俺だったら、殴りたくなる相手だ。

しかし、銀次も落ち着いていた。時間が迫ってくる。このままでは、双方が指導になる。

 そのとき、相手が銀次の襟を掴みにきた。そして、投げに打った。

銀次は、腹から畳みに落ちる。そこに覆いかぶさるように、寝技に持ち込まれた。

 ここで負けたらダメだ。銀次、なんとかしろ。俺は、心の中で叫んだ。

横を見ると、兄の金次は、腕組みをして見詰めているだけだった。

弟のピンチに、兄貴なら応援くらいしろと言いたくなった。

なのに、金次は、見ているだけだった。それどころか、軽く笑っている。笑って見てる場合か。

 ところが、前を見ると、いつの間にか形勢が逆転していた。

銀次が上になって、相手を押さえつけていた。ちょっと目を離した隙に、何をしたんだ。

その上、相手の腕を取っている。これって、腕ひしぎ固めじゃないか。

「一本、それまで」

 相手がギブアップした。銀次の勝ちだった。

控えに戻ってきた銀次は、金次に言った。

「兄ちゃん、やったよ」

「銀次、お前は、偉い」

 そのやり取りを見て、やっぱり、この二人は、柔道バカだと思った。

さて、次は、中堅だ。二年生だから、ここは無理させたくない。負けてもいい。後は正宗が勝てばいいんだ。

 試合が始まった。予想通り、二年の近藤くんは、相手に振り回されてばかりだ。投げられないのが不思議なくらいの、一方的な試合だった。

正直、見ちゃいられない。  

だが、高田くんは、まだ試合は捨ててなかった。

 相手に掴まれて、投げられそうになった瞬間、体を向き直し、逆に相手の襟首と袖を掴むと力いっぱい投げ飛ばした。バランスを崩した相手は、立て直すことなく、畳に叩きつけられた。

「一本、それまで」

 マジかよ。あの二年生が、勝っちまった。しかも、逆転勝ちだ。

その上、ベスト4だ。三人で、準決勝に進出してしまった。

 引き上げてきた二年の高田くんを、双子の兄弟が拍手で迎えた。

副将の二年の坂口くんも、堂々とした態度で、畳に上がった。

「始め」

 審判の声で試合が始まった。相手は、同じ二年生だが、試合内容が立派な有段者のようだった。

こりゃ、相手にならない。一敗くらい大したことはない。もう、準決勝は、決まってるから。

 俺は、諦め半分で見ていた。なのに、二年の坂口くんは、全然試合を捨ててはいなかった。

相手が掴みかかってきたところを交わしながら、横から体当たりを食らわし、倒れたところで寝技に持ち込んだ。

 相手は、坂口くんを払いながら起き上がってきた。それが狙いだった。

腕で相手の首と腕にがっしり回した。これって、プロレス技じゃないのか? 反則だろ。しかし、審判は、反則を取らない。次第に相手の力が抜けていった。

「一本、それまで」

 なんと、また勝ってしまった。二年生の二人が、勝ってしまった。

息を切らしながら戻ってきた二年生が言った。

「ドラゴンスリーパーです。アルフォンヌ先生に教えてもらいました」

 だから、それって、プロレス技だろ。柔道のコーチが、なにを教えてんだ。

だが、勝ちは勝ちだ。四連勝だ。見ると、大会関係者たちの席は、静まり返っていた。

でも、驚くのは、まだ早い。次の正宗が勝てば、一度も負けずに、ベスト4だ。

 大将の正宗は、堂々とした戦いぶりだった。

相手も大きい。柔道のスパーリングを見ているような、教科書どおりの試合だった。

 お互いに引きつけては投げを打つ。それを交わして、押し返し場外に出る。

中央に戻ると、今度は寝技の応酬が続く。まさに、息詰まる一戦だ。どっちが勝ってもおかしくない。

しかし、最後は、気迫に勝る正宗が勝った。見事な背負い投げが決まった。

 関係者たちはもちろん、俺たちが負けると思って見ていた他校の部員たちは、静まり返り信じられないという目で見ていた。中には、ヒソヒソ話をする奴までいた。

 見たか、俺たちの強さを。なめてると、こういう目に合うんだ。

俺は、鼻息荒く、周りのやつらを見ていた。

 この調子でいくぞ。次は、女子の部だ。男子たちに負けてたまるか。

「先鋒前に」

 まずは、俺だ。

「渚ぁ~、負けたら、承知しないからねぇ」

 母さんの声が聞こえた。いいから、少し黙っていてくれ。

「始め」

 今は、相手に集中だ。見ると、髪を短くした、男のような女子だった。

髪型からして、やる気がみなぎっている。相手としては、申し分ない。

相手には悪いが、ここは、きっちり勝たせてもらう。

 相手が組み合ってきたのを、がっちり受け止めると、内股で倒して、そのまま寝技に持ち込んだ。

だが、そこで、相手が女子だということに気がついて、一瞬、力が抜けた。

柔道とはいえ、女子に寝技で勝負なんて、男の俺には、恥ずかしすぎる。

 しかし、その隙を相手が見逃さず、立ち上がると俺を掴んで投げ技に持ち込んだ。

バランスを崩した俺は、投げられそうになる。でも、ここで、負けるような俺じゃない。

ギリギリのところでそれを避けると、相手の腕を取って、引きつけるときれいに投げ倒した。

「一本」

 まずは、一勝。あれしきのことで、負ける俺じゃない。もっとも、昔の俺だったら、負けていただろう。

「渚~っ、偉いわよぁ……」

 母さん、声、大きすぎ。親父も見てないで、なんとかしろ。

「このまま、優勝だぁ!」

「行け行けぇ~」

 客席の一部だけが、異様に盛り上がっている。言うまでもない、俺たちの応援団だ。しかも、大の男ばかりで、図体がでかいので、誰も近寄らない。

「いいな、ナギちゃんばっかり。あたしも応援して欲しいなぁ」

「そんなこと、どうでもいいから、勝ってきなさい」

 俺は、そんな春美を追い出すように畳に押しやった。

次鋒の春美は、実は、いろんな技を知っている。技のデパートなのだ。

力の龍子に技の春美なのだ。目の前の相手は、春美にとっては、丁度いい練習相手だ。

 相手は、力に物を言わせて、ぐいぐい締め付けてくる。

なのに、春美は涼しい顔をして軽く交わしている。なに遊んでんだ。

さっさと勝って戻ってこい。

 春美は、時間一杯まで、相手に合わせて試合を楽しんでいた。

次第に相手のほうが疲れてくる。しかし、春美は、汗ひとつかいていないし、息も切らしていない。

 そして、最後は、力尽きた相手を軽く投げて終わりだった。

「名づけて、時間一杯、誘導作戦よ」

 なんだ、その作戦は? ちっとも意味がわからない。春美らしいけど……

さて、問題は、次の二年生たちだ。

 相手は、体が一回り大きい。投げ技は通用しないだろう。となると、寝技に持ち込むしかない。しかし、その寝技だって、力の差は歴然だ。

どうやって、勝ちに持ち込むつもりだ?



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