その拳は鋭く風を切るが

kou

その拳は鋭く風を切るが

 昼下がりの午後。

 給食を食べ終えた生徒達は校庭に出て、思い思いに過ごしていた。

 木村風樹きむらかざきが教室の片隅で、黄昏れているあん理紗子りさこを見かけたのは、そんな時だった。

 理紗子は一人ぼっちで、窓の外に広がる青空を見上げていた。

 普段から勝ち気で明るい性格の安理紗子が、こんな風に沈んでる姿を見るのは初めてだったので、心配になった。風樹は、なるべく優しい声で話しかけた。

「どうしたんだ、安?」

 すると、彼女は、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 その顔を見て、風樹は思わず息を飲む。

 何故なら、そこには見たことも無いような悲しそうな顔をした少女がいたからだ。

「あたしら、小学校卒業なんだね」

 そう呟く理紗子に、風樹は戸惑いながらも返事をし、聞いていた件を思い出す。

「そう言えば、安は別の中学に行くんだったな」

 引っ越すという訳ではないのだが、風樹が通う中学校とは別の中学に行くことになったのを聞いていた。

 だから、理紗子は落ち込んでいるのだと思った。

「でもまあ、安の友達も、そっちの学校に行くらしいじゃん」

 慰めるように言うと、理紗子は、

「まあね」

 と、少しだけ沈黙した後、ポツリと言った。

 その目尻には薄っすらと涙が浮かんでいた。

「この前、ケーキを焼いたの。チョコレートケーキだよ。チョコって美味しいよね」

 泣き笑いしながら、理紗子は言った。

「それでさ。この前、食べてもらったの……」

 そこで言葉を詰まらせる理紗子。

「誰に?」

 風樹が恐る恐る尋ねると、理紗子は答えた。

「好きな人」

 と。

 風樹は、踏み込んではいけない領域だと感じた。聞いてしまった以上、この場から逃げられないと思いつつも、更に質問する。

「あいつ?」

 風樹は、ある人物が思い浮かぶ。

「色々と衝突したこともあったけどさ、卒業したら気軽に会えなくなるって思ったら、自分の気持に嘘はつけなくてさ。家に呼んだんだ。チョコレートケーキを食べてもらおうと思って……」

 理紗子の話を聞いて、風樹はバレンタインデーがあったのを思い出す。理紗子のチョコレートケーキは、そういう意味なのを察した。

「二人でチョコレートケーキを食べかけて、あいつ美味しいって言ってくれた。

 だからさ、あたしも言ったんだ。好きって……」

 そこまで言って、理紗子は黙り込む。

 続ける。

「そしたら、喜んでくれてた」

 そう語る理紗子は嬉しそうに見えた。

 だが、それも一瞬のことだった。

 すぐに悲しげな表情を浮かべる理紗子。

「あいつ言ってた。僕、ずっと安さんに嫌われているかと思ってた。って」

 それを聞いて、風樹は悟った。

「ねえ。あたし、失恋したのかな」

 理紗子は複雑な胸中を口にした。

「……いや。あいつが鈍くて伝わってないだけだよ」

 そう慰めの言葉をかけると、理紗子は苦笑していた。


 ◇


 放課後に、風樹は一人の男子生徒に声をかけた。

 すると、佐京光希さきょうこうきは振り向いた。

 暖かな土の匂いが香るような、素朴で優しそうな少年だ。

「光希。この前、安にケーキをごちそうになったんだって」

 風樹は話題を振る。

「凄く美味しかった。安さんって、料理上手なんだよ」

 屈託のない笑みで答える光希。

「その時さ、何か無かった?」

 風樹に問われて光希は考える。

「安さんは日本拳法をしてて、僕は武術ウーシュー(中国武術)をしてるから二人で少し組手した」

 楽しそうに言う光希。

「……お前、鈍いよ」

 それを聞いた風樹は思わず呟いた。

「え。そんなこと無いよ。風樹、ちょっとそこに立ち止まって」

 風樹は言われるがままに立ち尽くす。

 光希はカバンを置き上着も脱ぎ、袖を捲ると風樹の正面に立った。

 距離を測る。

 光希が腕を伸ばしても、風樹まで30cmもの距離を空けて立つ。

 少し腰を落としたかと思うと、何の予告もなく右の拳を鋭く突き出す。

 拳を引く。

 光希の突きは、風を切る音が聞こえてくるほどに速かった。

 すると、風樹の顔面に叩き込まれ引く風を感じた。

 鋭い一撃に風樹は、安全な距離があると理解しているのに反射的に身を反らし、意識しないうちに脚が後退していた。

「僕は、30cm先の百目蝋燭の火を消せるようになったよ」

 誇らしげに告げる光希。

 正拳蝋燭消し。

 これは、空手や武術ウーシューにある突きの鍛錬法だ。

 使用する蝋燭は、百目蝋燭という一本の重さがほぼ一〇〇匁(約375g)ある大きな蝋燭。

 鍛錬を行う際は、密閉した部屋で行うことと、着物の袖が起こす風を排するために上半身は何もつけないで行う。

 この蝋燭の火を拳の速度で消す。

 肝心なことは、拳を突いたときではなく、引いたときに消えるようになることだ。

 従って炎が向こう側へ倒れるのではなくこちら側へ倒れて消えなければならない。

 それができてはじめて蝋燭消しに成功したという。

 達人ともなれば、m単位で離れた蝋燭の火を消すこともできるとされる。

 光希の場合、そこまで達していないが、進行形で技を極めようとしている。

「凄えな光希。でも、お前やっぱり鈍いよ」

 光希は風樹の言葉に、拳の道の遠さを感じていた……。

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