食べかけのチョコレートケーキ

ミドリ

餌付け

 私の役目は、残飯処理だ。


花梨かりん、ケーキバイキングに行こうよ」


 湿気混じりの初夏。高校の門を出た先の下り坂を歩いていると、後ろから信之介しんのすけが私の肩を掴んだ。


「え、また?」

「うん! 新作のチョコケーキが出たらしいよ!」


 爽やかという言葉がぴったりの信之介は、私の幼馴染だ。走ってきたのか、息が荒い。艶々の頬はピンク色に染まり、可愛かった。


 私たちは保育園で出会い、小学校から高校一年の現在までずっとクラスが一緒。腐れ縁の王道みたいな関係だ。


 信之介は、あれもこれも食べたいと沢山お皿に盛っては、少しずつ味見して残りを私に食べさせるのが常だった。


 そりゃ私も甘いものは好きだけど、毎度食べ残しばかり口にする私の身にもなってほしい。――周りの女子の目が、最近怖いんだから。


 ということで、すげなく断る。


「他の人と行って」


 触らぬ神に祟りなし。女子人気が高い信之介の幼馴染アピールをして、いいことはない。すでにカースト上位の女子グループに目をつけられているから尚更だ。


 信之介が私の首に腕を回して引き寄せた。


「やだ」


 ぐりぐりと私の頭頂に顎を乗せる。だから近いってば。


「こら離せ」


 信之介の顔面を掴んで押しても、前はひ弱だったのに気付けば私よりも太くなった腕の力には勝てない。


「うんって言うまで離さない」

「あんた、本当いつも勝手だよね……」


 どうか私の心臓の音が聞こえませんように。


「だって新作だよ!?」


 友達の平助は誘っても嫌がった、女子は香水臭くてケーキの匂いが損なわれるとか語りだす信之介。


「俺が我儘を言えるのは花梨だけなんだ! ケーキを味わいたいのに、女子は話をしないと機嫌悪くなるし」


 狙っている相手がひたすらケーキに夢中になってろくに会話もしなけりゃ、そうなるだろう。


「お願い! ていうか連れて行く!」

「選択肢与えてよ!」

「ほら行こう花梨!」

「人の話を聞けー!」


 結局、こうして私は信之介にチョークスリーパーを掛けられつつ、駅前のケーキバイキングへと向かったのだった。



 信之介は小さい時から、人目を惹く子だった。野暮ったさがない。清潔感があって明るくて人当たりがよくて顔もそこそこよけりゃ、そりゃもてるだろう。


 実際はホラー映画を見ると怖がって私の背中に隠れたり、脱いだ靴下は裏返しのまま布団の中にあったりと女子の皆さんが持っている信之介像とはかけ離れているけど。


「これこれ! ほら花梨、あーん!」


 お目当てのチョコケーキを目の前にして、信之介の目は笑っちゃうくらいに輝いていた。


 すでにひと齧りしたチョコケーキの齧ってある方をフォークで切り取り、私の前に突き出す。


「あのさ、せめて口を付けてない方を出さない?」

「いいじゃん」


 いや、よくないんだけど。横目で少し離れた席に座るグループを見る。


 信之介が一緒に行くのを断ったという女子がいるグループがこっちを睨んでいて滅茶苦茶怖い。……その中にいる男子は、信之介の誘いを断った平助くんだ。何でいる。


「……本当に平助くんを誘ったの?」


 小声で尋ねると、信之介は「いたの?」という顔で一軍グループに手を振った。なんていう強メンタル。


 信之介は私に目線を戻すと、突然低い声で言った。


「花梨、平助に何か言われた?」


 何故その話になる。思わず目を泳がせると、信之介はテーブルの上に置かれていた私の手を握った。しかも、恋人つなぎで。


「ちょっ」


 慌てて引こうとしたけど、ぎゅっとされて逃げられない。


「あの、ちょっと、ね?」

「手を出すなって言っておいたのに」

「はい?」


 信之介の笑顔が怖い。


「何を言われた?」


 これ、知ってない? 知ってて聞いてない?


「つ……付き合ってと」

「何て答えた?」

「ご、ごめんと……」


 私の答えに満足したのか、信之介はうんうんと頷いた。


 私の信之介に対する恋心は、平助くんにはバレバレだった。だから断った時「やっぱりなあ」と苦笑されたのだ。


 告白すればいいのにとも言われた。でも、華やかな信之介と自分は釣り合わない。自信がないから、なら幼馴染の関係のままがよかった。


 これ以上、好きを自覚させないで。


 信之介が、私をじっと見つめる。


「花梨が俺の方を向くのを待ってたけど、やっぱり野放しは危険だな」

「は?」


 突然何を言い出した。野放しってなんだ、野放しって。


「俺の食べかけ食べるの、間接キスって分かってる?」


 にやりと信之介が笑う。怖い。


「チョコケーキが好きなのは花梨の方なの、分かってるよな?」


 口調まで変わったんだけど。


「餌付けされてたの、知ってる?」


 餌付け。私はペットか。


「し、信之介……?」


 信之介が、ケーキが乗ったフォークを私の前に掲げる。


「じゃあね、このひと口を食べたら、餌付け完了。花梨の目には、もう俺しか映らない」


 なに、その催眠術みたいなの。


「ほら、あーん」


 信之介の、熱い目が私を捉えて離さない。


 嘘でしょ。


 混乱したままゆっくりと口を開いていく私を見て、信之介は満面の笑みを浮かべて私の口にケーキを突っ込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

食べかけのチョコレートケーキ ミドリ @M_I_D_O_R_I

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ